バカな男
「フィーアールはどこにいるんだろう?」
ルドヴィークは城の中を捜し始めた。一階の資料室にもたれているエミューナを見かけて声を掛ける。
「あ、エミューナ姫…、フィーアールを知らない??」
「さあ…」
エミューナはまだ元気がないようだ。仕方ない、自分もそうだった。だが、こんな時こそ傍についていてやるのがハンリョというものだろうに。ルドヴィークは元々地の底だったフィーアールの評価を更に下げた。
「…執務室のほうに。アンゼ様をさがしておいででした。」
近くにいたリナレスが答える。
「…まさか。」
エミューナは嫌な予感がした。
「わかった。あの塔のとこだね。」
ルドヴィークはさっさと駆け始める。エミューナが慌てた様子で追いかける。
「わたくしも行きます!」
その切迫した声に、リナレスは困惑した。
「…??…フィーアール様、いったい何を…」
何故あの二人は焦ってフィーアールを追い掛けるのだろうか。リナレスは書類を置いて、二人の後を追うことにした。
従者と祐筆を帰らせて、アンゼ独りで残業していると、執務室の扉が開かれた。夜闇に輝く金色のたてがみを視認したアンゼは、すぐに視線を手元に戻して声だけで対応することにした。
「入ってらっしゃい。」
フィーアールは執務室の扉を乱暴に閉め、手近な椅子を横倒しにして扉を塞いだ。アンゼがその物音に顔を上げると、フィーアールは鬼の形相で彼女を睨んだ。
「よくも…、よくも全てをひっくり返してくれたな!そのおかげで俺は…」
「ひっくり返した?みんな私のシナリオ通りよ。こんなところにいないで、さっさと荷物でもまとめたら?」
アンゼは臆さない。ゆっくりと席を立ち、フィーアールに近づく。そう、この流れも、悲しいほど想定通りだった。
「いつも人を小馬鹿にした態度で…、昔から許せなかった。」
「何の用?」
「死ね。おまえを殺さないと俺の立場はない。この国を手にするのは俺だ…。」
槍を構えるフィーアール。
アンゼはゆっくりと瞬きする。
ほんの刹那のことだった。
その刹那で、最後の未練に諦めをつけた。
「バカな男。昔からきらいだったわ。」
執務室の扉を、外から何者かが開けようとしている。椅子が引っ掛かってうまく開けないようだ。アンゼは無視してフィーアールの方を向く。カウンター氷魔法を準備。それから水の精霊王フォモーレを召喚する。フィーアールが詠唱のスキを見て突きこんで来る。氷魔法が発動し、矛先を防ぐ。更にフィーアールの槍を凍てつかせ彼の体を冷気が襲う。彼は飛び退って冷気から逃げた。
バン!と椅子と扉が吹っ飛んだ。エミューナが体当たりをしたらしい。ルドヴィークが飛び込んできてフィーアールに指を突きつけた。
「フィーアール!おまえ、お兄様を知っているだろう!倒される前にさっさと吐け!」
「お兄様…、ああ、あの男か。革命党のまわりをこそこそと…、痛めつけてやったが何も吐かなかったからな。処刑にしようと思っていたら消えた。ネヒティアの皇子とわかっていたらもう少しうまく交渉に使ったのにな。」
フィーアールの顔が残忍に歪む。高貴な血に対するその嫌悪は、もはや病的なものだった。
「貴様っ!お兄様に何てことを…、許さない!」
「ははははは。麗しき兄弟愛か。しかし、その後どうなったかは知らないな。」
「殺す!」
そうルドヴィークは宣言して魔導短銃をホルダーから引き抜いた。フィーアールは無感動に彼女の行動を認識した後、その背後の少女に気がついた。
「エミューナがいるじゃないか。アンゼを討ってくれ。この状況、わかるな?」
「ばかにしないでください。」
「何を言っている?」
エミューナの鋭い視線がフィーアールに向けられる。手合わせする時には見たことのない、明確な敵対心。
「わたくしはもう、これ以上血を分けた肉親を失いたくはありません。最後の家族…アンゼ様を殺そうとした…、わたくしが剣を向けるべきはフィーアール、あなたです。」
「なんだと…」
フィーアールが目を見開いた。アンゼも驚いて妹を見た。大剣を構えるエミューナは目を潤ませ、怒りに震えていた。ずい、とアンゼを庇うように前に出て、フィーアールと対峙する。
「わたくしはもう、あなたを愛してはいません。他人の死を喜ぶような人を愛することはできません。」
「なぜ!なぜだ!」
フィーアールが錯乱して叫ぶ。ルドヴィークが気力強化の術をアンゼに施す。アンゼが召喚した精霊王フォモーレが、どぷんとフィーアールを立ったまま冷水に閉じ込めた。フィーアールは思うように動けず、息も出来ない。体力がごっそりと奪われる感覚。何とか必死に槍を突き出し、フォモーレの腹を裂く。フォモーレはフィーアールに凍てつく呪いを掛けて消えた。水の檻から解放されて思わず膝をつきかけたところを、エミューナの大剣が下段から襲う。槍が折れ、フィーアールは後ろに吹っ飛ばされた。壁に叩きつけられ、脳震盪を起こして崩れ落ちる。
「どうして俺はいつも…、くそっ…」
「とどめを…」
ルドヴィークが短銃の照準を合わせようとする。
アンゼがその銃身を無理矢理逸らした。
「やめて。もういやだ。目の前で死ぬのは、殺すのは見たくない。仮にも婚約者だった人間だし…」
「アンゼ様…」
エミューナがアンゼを気遣って声を掛ける。
「……。」
アンゼはうずくまるフィーアールに悲しそうな表情を向ける。
彼女はずっと押し殺してきた心と今、向き合っていた。
人の善性を好み、人の愛に憧れた少女は、その愛を体現する存在に、好意を抱いていた。たとえ自分にその愛が向けられなくとも。その相手が、自分の妹だったとしても。それならばアンゼは女王として、二人ともを愛せばよいと思っていた。
バカはきらいだ。
自分に向けられている愛情に気付かないから、きらいだ。
それでも、彼も自分の国民ならば、彼女が見捨てられるはずはなかった。
何度も、何度も許してきた。
報われることのない恋だった。
それでも良いと思っていた。
しかし今はもう、エミューナと共に愛すことは出来ない。
彼の居場所は、彼女の隣ではなくなってしまった。
自分のせいで、エミューナは彼を捨てざるを得なくなった。
…本っ当に、不甲斐ない女王だ。
アンゼは泣きたくなった。
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