死の受け取り方
最初に声を上げたのはワーネイアに関して部外者のルドヴィークだった。
「おまえは、お父様をっ!おいっ」
まだアンゼの麻痺拘束で動けないが、その顔、その姿、違えるはずもない、ネヒティアの敵、父の仇。
「うそ…。黒い、髪の…男…?」
アンゼは突然至近距離に現れた男から、思わず後ずさった。
「お父様、お父様っ…」
麻痺拘束が解けたらしいエミューナが駆け寄ろうとする。男はそれに気付いたのか、場に麻痺拘束の術をかけ直した。アンゼも今度は例外ではない。勝手に体が縮こまっていく。何とか視線だけは、男から離さないようにしないと。必死の彼女に、男は微笑みを向けた。
「君は迷っていたようだね。でも、こうしたかったんだろう。何を迷うのか。」
「それは、父親だから…」
クリウスがアンゼから男の注意を逸らそうと声を上げる。次にいつ誰がその銀剣の染みとなるのか、極限の緊張状態だ。男はクリウスの方を向いてやれやれと首を振った。
「そういうの、うつくしくないよ。そう、クリウス、君の願いもすぐにかなうよ。」
「何だ、いったい!…」
クリウスは男に向かって言葉を叩きつけようとしたが、聞き届けられずに男の姿は再び一瞬でかき消えてしまった。
麻痺拘束の術が解ける。一同は放心状態でその場に座り込んだ。エミューナがようやく父の亡骸にすがることを許され、声を上げて泣き始める。アンゼはゆっくりと立ち上がり、父の遺体の傍で立ち尽くした。
「お父様…。私は、親不孝者なんでしょうね…。」
自分の目から涙は出ない。悪役にもなり損ね、父の尊厳ある死をあの男に踏みにじられたのに、今は何も心に響かなかった。
革命党入城の知らせを受けて戦場から遅れて馳せ参じたフィーアールが、執務室に入ってきた。
「うちとったか。よし、では革命党がとうとうこの国を…」
クリウスが険しい顔でフィーアールを迎える。二人が事態の共有を行っている間に、アンゼはソウに声をかけた。
「…。ソウ、ちょっと来て。お願いがあるの。」
「何だ?」
執務室の隅で、アンゼはソウに何ごとかを耳打ちする。
「…。わかった。」
ソウが承諾したのを聞き届け、アンゼは執務室の椅子に腰掛けた。王の席だ。
「戦いは、終わりです。クリウス、ウイニア軍に通達をお願い。」
クリウスが頷き、念話の魔法を使う。クリウスとの会話を中断されたフィーアールは、足元で嘆く彼の恋人のかたわらに跪いた。
「エミューナ…。」
「どうして、どうして…お父様っ…」
アリョーシカを裁き、父を助け、再び善きワーネイアを目指そうという彼女の夢は、呆気なく潰えた。ようやく、初めて、彼女が自分で決めた道だったのだ。しかし結局アンゼを止めることも出来ず、男の狼藉をただ見ていることしか出来なかった。
祖父の死…何も考えずに受け取った悲劇より、父の死、すなわち自身の思いを持った状態でそれを奪われる悲劇の方が、比較にならないほど悔しく、情けなく、憎く、受け入れがたかった。
アンゼはそんなエミューナを一瞥し、クリウスとフィーアールに声を掛ける。
「国民には戦争が終わったことを伝えてください。私は、城の中の者に指示を出しましょう。フィーアール、クリウス、好きにしていいわよ。」
言われたフィーアールは、嫌悪感をその顔にあらわにした。
「まったくもって、冷静なことだ。」
エミューナは泣き疲れて体調を崩し、フィーアールによって自室に運ばれベッドに寝かされた。
「エミューナ、大丈夫か?」
もう涙は出ていないが、熱があるようだ。フィーアールが鏡台から椅子を引っ張ってきてベッドの傍に座った。
「…。アンゼ様はどうして…。わたくしには何も言わないで…。フィーアール、あなたはどうするのですか?」
弱々しく問い掛ける彼女に、フィーアールは励ますような笑顔を見せた。
「この国をかえる。王がいなくなったんだ、俺達の時代だ。革命党が国を良くする。そして、エミューナ、結婚しよう。ウイニアがネヒティアの皇子との結婚もなしにしてくれた。二人で、国を作ろう。」
しかし、夢にまで見たはずのその言葉に、エミューナはにこりともしなかった。
「アンゼ様が、この国にはいます。それに、わたくしは王族…、あなたがたの意には添わないのでしょう…。」
「そんなものなんとかなる、俺がなんとかする。それに、エミューナには平民の血がちゃんと流れている。」
「……。」
何故、この人は笑っているのだろう、笑っていられるのだろう。父が死んだことにこの人は何も関わっていない。アンゼと違って、自分が手を下そうとしたわけでもないのに、その死を利用するだけ利用しようとしている。王族の悲しみを…喜べ、と言われている。私は半分、平民だから。でも、半分は王族なのに。
結婚?結婚するなら、私と一緒に悲しんでくれる人が、いいなぁ。エミューナはフィーアールの顔から目をそらした。大好きなはずのその笑顔を、今は見たくないと思った。母の死の時には一緒に悲しんでくれたはずのその人は、一体どこに行ってしまったのだろう。
王族だから、悲しんでくれないのか。それならば自分が死ぬ時も、アンゼが死ぬ時も、もしかしたら、いえ、きっと。
エミューナは深い絶望を覚えた。
アンゼが深夜、自室で夜風に当たっていると、クリウスが訪問してきた。思いがけず深刻な顔をしているので、アンゼは驚いて部屋に通した。
「あら、どうしたの?」
「父と、弟が討たれた。」
クリウスは震えていた。彼自身も理解出来ない理由で震えていた。恐怖だろうか、それとも、邪魔者がいなくなった喜びだろうか。自分の気持ちがよく分からない。
「えっ…、ワーネイアにはそんなことできないはず」
アンゼが眉をひそめた。戦局は報告を受けている限りでは膠着状態だったはずだ。
「黒い髪の男…。ちょうどワーネイア王が殺されたのと同じくらい。神官も死んだ。美しい男だったそうだ。」
「あの男ね、きっと。」
「やはり、消えた、と。」
「人間じゃない。」
アンゼが嫌悪の表情を見せた。クリウスはその顔を見て、ああ、これだと思った。自分も、嫌悪しているのだ。怒りを覚えているのだ。こんな形で国をかき乱していくあの男のやり口に、怒りで打ち震えているのだった。
「ウイニアも混乱している…。もう戦えない。」
「停戦ね。結局、どこも負けたわけか。…。」
アンゼが溜息をつく。三国で消耗しあい、何も得るものが無かった。きれいに頭だけを刈り取られた。あの男が王と神官の首を落としていったその行為は象徴的だ。ロムルスも奪われた。ワーネイアでアンゼとエミューナが無事だったのは、王と敵対していたからだろうか。いや、それならばネヒティアもルドヴィークが狙われた筈だ。神官と敵対していたかどうかが重要なのかもしれなかった。
「僕は、ウイニアに戻る。しょうがない。…皮肉だな。結局、僕だけが生き残った。」
クリウスはそう言いながらアンゼの手を取った。アンゼはその指を握り返した。
「…。」
二人は目を見合わせる。この先の己の苦難に、この相手が共に居てくれたらどれ程心強いか、と願わずにはいられない。しかし、相手も同じことを思っているに違いなく、結局、お互い別れてそれぞれ己の国を抱えていかなければならないのだった。
クリウスが何事かを言おうとして、口を閉じる。そっとアンゼを抱擁し、すぐに離れて部屋から出ていった。
(別れの言葉も、約束の言葉も言えなかったな)
そう惜しんだのは、どちらだったか。
アンゼはそれから、青い夜空に浮かぶ金色の下弦の月を見て、次にくるはずの別れに思いを馳せた。
翌朝、王の訃報を受けて城下に集まった国民達を前に、アンゼはフィーアールから拡声器を取り上げた。
「私の口から、すべてを国民に伝えます。」
「俺は…」
「私が、伝えます。」
アンゼはそう言って、城の屋上庭園から民衆を見下ろした。
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