ワーネイアの宝石
ネヒティアの降伏は王と神官長の死により抵抗なく行われた。クリウスはソウが用意した「はじめての天下布武マニュアル」の通りに勝利国代表代理としての責務を果たし、三日かけてようやく体を自由にした。その間に、ワーネイア軍はネヒティア軍の撤退を確認し陸戦に持ち込まんとダタル内海から引き揚げていた。ワーネイア王とアリョーシカは首都まで戻ったとフィーアールの部下が教えてくれた。
「では、後の処理は降伏した重臣達に任せるとして、次はいよいよ…」
「どうかしら。ワーネイアも次は決死の覚悟よ。今の、負傷者だらけの貴方の軍で、勝てるかしら。」
アンゼがクリウスに慎重を促す。クリウスは気負わずにひょいと肩をすくめた。
「主力とぶつかるのは、弟の軍です。僕じゃない。僕は北の大森林を抜けて、一気にワーネイアの首都を突く。
敵戦力のほとんどがロムルス…弟の軍と、父の軍の方にまわっているから、首都は手薄のはずだ。…覚悟はいいですか?アンゼさん。」
「ええ、とっくにできているわ。」
(…ワーネイアを救う覚悟ならね。貴方は功に焦りすぎたわ、クリウス)
アンゼは表情を一切変えずに頷く。しかしその内心では、潮時を見極めんと爪を研いでいた。
フィーアールがクリウス達のいるネヒティア玉座の間に入ってくる。相当苛立っているらしく、足音が大きい。
「一体どうなってるんだ、エミューナ様は?何であんな男を…。」
「お帰り。エミューナ様はどう?」
アンゼが声を掛けると、フィーアールは腹立たしげに頭を掻いた。
「理解できない。ずっとあの男につきっきりだ。変な神父まで出てくるし…」
「エミューナ様が心変わりしたと思っているの?」
「…信じたくはないが。あの様子じゃあ…」
アンゼはそんな彼を見て、お腹に手を当てて笑った。
「あはははは、あの皇子はね。女よ。」
「何だって!?」
男連中が声を揃えて驚く。
「私の洞察力をばかにしないでね。よーく見てらっしゃい。」
「では、あの皇子はニセモノか!!」
クリウスが焦って声を荒げる。一方ソウは冷静に首を傾げた。
「いや…陰武者があれほど感情を示すものかな。」
「カゲムシャ?」
「本物の代わりに表に出る者のことです。あの皇子は本心から嘆き悲しみ、放心しているようだった。演技とは思えんのです。」
「なら、あれは一体…」
フィーアールが顔をしかめて扉の外を見遣る。ルドヴィークとエミューナは、今は玉座の間から離れ、王の私室で喪に服している。
「さあね。でも今は彼女が『ルドヴィーク皇子』なのよ。ニセモノでも本物でも構わないじゃない。それに、彼女がルドヴィーク皇子である限り、結婚の心配はしなくて済むわ。」
「それはそうだが…」
「それより。フィーアール、貴方こんなとこでウロウロしてて良いの?自分の軍は心配じゃないわけ?ラディウス軍は今もロムルス様の軍と戦っているのでしょう。
勘違いしないでね、貴方の本職は正騎士候なのよ。」
アンゼがフィーアールに厳しい目を向けると、クリウスもフィーアールに微笑んで頷いた。
「そうですねえ。そろそろ戻ってロムルスをちょっとシめてやって下さい。」
「…確かめてからだ。本当に、心変わりしていないかを聞いてから、ここを発つ。」
フィーアールはまだ納得していないらしく、低く唸るような声でそう言い残し、玉座の間を離れた。
その背を見送るアンゼがぽつりと漏らす。
「肝の小さい男。あいつにクリウスぐらい根性があったら…」
「…。え?何とおっしゃいました?」
クリウスが聞こえなかったフリをしてアンゼの言葉を聞き返した。
「何でもありませんわ。ちょっとエミューナ様を見てきますね。」
アンゼはクリウスに軽く微笑んで、その場を離れようとする。
「どうぞどうぞ。ソウ、アンゼさんの警護を頼む。」
「…承知した。」
二人が出て行き、クリウスは一人部屋に残る。
(アハハ…これはこれは。思ったよりも大きい魚が釣れそうだ。ワーネイアの宝石、か。確かにあのヒトは…)
クリウスは思ってもいなかった展開に、顔がニヤつくのを抑えきれなかった。まあ、今は誰もいないから良いだろう。美しく聡明な彼女を手に入れる算段を考える。
彼女をワーネイア女王にしてしまっては叶わない。やはり、ワーネイアは革命党が手に入れなければ。しかし、その後はフィーアールが邪魔になる。彼はアンゼを殺そうと考えている。確かに彼女は一人で革命党政権を引っくり返すことも可能な危険因子だ、当然の判断だろう。しかし、自分が彼女を妻にしてしまえば?
ワーネイアの宝石は人を惑わせるほどの価値を持つ。クリウスはそれを承知していたが、目の前にぶら下げられて無視できるほどの聖人でもなかった。
玉座の間から廊下に出て暫く歩いたところで、アンゼの先を行くソウがぴたりと足を止め、振り返った。
「なぜあのようなことを言った?」
「何の話かしら?」
アンゼがとぼけると、ソウは顔をしかめた。
「クリウスにあんなことを言うと、つけ上がるぞ。…まさか、本気じゃないだろうな?」
「さあ、人の心は分からないものよ?誤解を恐れずに言うなら、私はフィーアールよりクリウスの方が真っ当だと思うわ。」
ソウは暫く苦虫を噛み潰したような顔をして黙っていたが、観念したのか長々と溜息をついた。
「…知らんぞ。」
「ご心配なく、最後に勝つのは私ですから。」
アンゼはソウににっこりと笑顔を向けた。使える手札は自分自身でさえ有効に使ってみせる、覚悟を決めた者の清冽な笑顔だった。
「そなたの心は、全く読めん。何を考えているのだ?」
ソウに問われて、アンゼは笑顔を引っ込めた。
王家の者は自身の幸せを国の幸せと定義する。恋愛や結婚でさえ例外ではない。そこにどれだけ矛盾なく己の欲望を挟み込めるかが器用さに現れてくるとも言える。
そういう意味では、クリウスはフィーアールと比較するのもおこがましいくらい有能なのだろう。彼がウイニアから追い出されたなら、手元に置きたいとも思っている。しかしその為には、革命党には決定的に失敗してもらわないといけない。それはきっと、自分がワーネイアの女王となる時だ。
「貴方がクリウスに忠を誓っている限り、言いたくないわ。…行きましょう。フィーアールが余計なことをしていないとも限らない。」
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