うつくしくない世界

ワーネイアの神官長アリョーシカが、王にかしずきながら奏上する。

「神が告げています。機は熟した、と。」

それは開戦のお告げ。ワーネイア・ネヒティア連合軍が、ウイニアに攻め入る戦の始まりだ。ワーネイア王はアリョーシカに頷き、御前に跪く海軍大将を見た。

「ついに、か。フィーアールよ、アンゼは本当に戻っては来ないのか。」

金髪の海軍大将は、小麦色の顔を申し訳無さそうにしかめた。

「はい…。」

「そうか…。アンゼは何故…神も許すとおっしゃっているのに、すまぬ、アリョーシカ。」

王に頭を下げられた神官長は、悲しそうな微笑みを王に返した。

「もういいでしょう、言ってもしかたありません。」

「…すまぬ。では、フィーアールよ、兵を集めよ。出撃の準備だ。」



ネアプロシュ半島にせり出すラマン山脈の南東端の霊峰、メティエ山。その中腹に打ち捨てられた神殿からネヒティアの国土を見下ろす人影があった。どちらも長く艷やかな黒髪を持つ男女の二人組だ。

「うつくしくない。うつくしくないな、この世界は。」

男の方が黒曜石のように輝く瞳を白いまぶたに隠して首を振った。女は前を向いたまま頷く。その輪郭が少し滲んだ。女人の形を取った、人外の何ものかであった。

「そうね。ヒトは頭が悪い。」

その物言いが琴線に触れたのか、男はクスクスと笑い出した。軽い足取りで女の視界に入り、夜闇色のローブを翻して、芝居がかった様子で彼女に向かって両手を拡げる。

「だから私がうつくしくするんだ。つまらない神官も、それに利用される頭の足りぬヒトも。」

男の笑顔は完璧なまでに美しく、それ故に、ヒトらしさから乖離している。女は無感動な漆黒の目で男を見て、少し首を傾げた。

「そう…。うつくしくなるといいわね。」



内海での海戦は、海が荒れることがほぼないために地力の差が出る。クリウスが用意させた装甲艦は、ワーネイアとネヒティアが得意とする魔法攻撃を物ともせず、風に頼らず自由自在に攻め進んだ。

フィーアールのオイディニア軍は装甲艦を相手にしないで、初手から王手を狙わんと四本マストの大帆船を付け回す。しかしその動きにネヒティアが追いつけず、革命党軍とクリウスの軍に挟まれてジリ貧に追い込まれていた。ネヒティア側に付いたオイディニア軍以外のワーネイア軍は惰弱で、しかも革命党軍の介入により大混乱をきたしていた。

「何、海上第三防衛線がおちただと?何故…」

ネヒティア王は従者の報告を聞いて耳を疑った。

「わかりません。数の上ではこちらが上なのですが…。ただ、ワーネイア軍が機能していない、との情報も…」

「…使えぬ国だ。おい、グロチウス。」

「はい。」

ネヒティアの神官長グロチウスが虚空からうっそりと姿を現す。神経質そうな細い顔は憔悴で血の色を失い、神官というよりも隠遁の魔術師といった風貌だ。普段はダウナーな美男子として宮中で人気の彼も戦時下の疲労が色濃く見える。神聖魔法の使い手として、彼自身も防衛線の維持を担当しているのだ。

「どうすればよい?このようなことは聞いていない。」

「…。お待ちください。それに、ここにはエミューナ姫がいます。」

「しかし…」

ワーネイア軍を奮起させるのに、妾腹の第二王女一人では不足ではないだろうか。ネヒティア王は言いかけて、自身の名誉のために黙った。


クリウスが満面の笑みで操舵室に降りてくる。途中でアンゼがいることを思い出し、さすがに不謹慎だと思ったのかいつもの微笑みに戻して頷いて見せた。

「順調です。あと少しで首都まで行けそうだ。」

アンゼも頷き、それから窓の外を見遣る。

「しかし、ワーネイアは弱いわね。…私がいたら、もっとましな戦いができるでしょうに。バカなお父様…。」

「クリウス様、弟君の軍はどうなったのですか?」

アンゼの傍に付いていたソウがクリウスに問う。すん、とクリウスの顔から笑顔が消える。

「知らないな。あいつの話はするなと言っているだろう?」

「ほう…。」

「知らない…。この戦いをつくるのは、僕だ。」

クリウスは眼前の海を睨み付けた。


ワーネイア王は海戦のためにダタル内海を臨む冬の宮まで移動してきていたが、革命党による反乱とエミューナがいるネヒティアの危機に、苛立ちを隠さず戦略机に拳を叩きつけた。

「どうしてうまくいかない!どうしてだ、アリョーシカ!」

名指しで責められたアリョーシカも、それを気にする余裕もなく、青ざめて伝令文を読み比べている。

「…こちらの動きが全て読まれている…」

「そんな…、アンゼがいれば、…あいつならうまくやれるかもしれぬのに…」

ワーネイア王はがっくりと椅子に腰を落とす。アリョーシカは神に祈り、声を受け取った。

神は、笑っていた。

滅多にないことだった。

明確なお告げがあったわけではないが、そんなものはいつものことだ。アリョーシカ達神官は、神の声を受け取ることは出来るが、神の意を汲むことはできない。お告げなどは実際ほとんど無いため、これまでも自身の裁量でお告げがあったことにして国政をほしいままにしてきた。

本気で神に逆らったことなどない。しかし、分からないものは、仕方がないではないか。彼女はそう開き直っていた。

むしろ、神が笑っていることの方が不気味だ。彼女は神の声を脳裏から追い払い、こちらの作戦が読まれる理由を考えることにした。

「一体だれが…」

しかしその思考の中に、真実が宿ることは無かった。


ネヒティアの城下町に装甲艦が錨を下ろす。住民達はまさかの事態に家の中で息を潜め、自身の区画に敵兵が転送されてきませんようにと祈るばかりだった。

「お待たせしました。」

こっそり陸路を馬で飛ばしてきたフィーアールが装甲艦を迎える。クリウスはさすがに緊張した面持ちで頷いた。

「よし、全員集合だな。」

「では、城を陥としますか。進み方は…」

アンゼは外遊の経験があるため、この中では一番ネヒティアに詳しい。城下町の構造と城の特徴を皆に伝え、無駄に市民をおびやかさずに最速で事を進める作戦を伝える。

「エミューナ、待っていろ…」

フィーアールは岬に座す石積みの古城を見上げて唸った。


ネヒティア王は再び神官長グロチウスを呼び戻した。

「どうだ、もうだめなのか?」

神官長は城下町にあろうことかワーネイアの海軍大将が現れたと報告を受けたところだった。ワーネイアの本当の目的は、どっちの国だったのか。アリョーシカが、裏切ったのか。

「…いや、まだ兵は戦っています。ただ…、神はこのようなことは言ってはいなかった…。どうしてだ…、アリョーシカ…」

最後の方は怨嗟の囁きに近く、ネヒティア王は取り合わずに側近に声を掛けた。

「ルドヴィークを呼べ。」


間もなくルドヴィークが召集された。彼女は最終防衛線を担っていたが、装甲艦だけは為す術なく通してしまった。今はとにかく敵軍を増やさないよう、その他の船を食い止めている。街にも城にもまだ兵士はいる、装甲艦の中の人間くらいはそっちで処理してほしいと思っていた。のに、ここに来ての王からの呼び出し。嫌な予感しかしなかった。

「ハァ、ハァ…、どうしたの、お父様。すごい強いよ。ボクの軍だけじゃどうしようもない。」

「エミューナ姫をつれてこい。ここで人質にするのだ。」

ワーネイアの人間が敵軍に紛れているなら、エミューナがもっと効果的に役に立つかもしれない。これ以上、息子を、失うわけにはいかなかった。

「…。わかったよ。」

ルドヴィークの明るい緑の目が曇った。しかし彼女にとっても、芽生えたばかりの友情などより、ネヒティアの方が大事だった。

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