異端の神父

宣戦布告の当日となった。エミューナは自室でぎゅうと大剣の柄を握りしめていた。戦争を止めることは、もう出来ない。自分はどの立ち位置で戦うべきなのか。誰を支えるのが正解なのか。ワーネイアのため、だけではなく、ネヒティアのルドヴィークやウイニアのクリウスも幸せになれば、一番良いのだが…そんな世界平和なんてものを、望める状況なのかどうか。

「もう時間がありません。…どうしよう。神父様、確か世界を見たことがあると言っていた。会って、お話をききたい…。」

しかし、ルドヴィークの部屋に辿り着くために既に城内で大剣を振り回したことのあるエミューナは、部屋から出る際に既に兵士が何人も護衛…あるいは護送に付くようになっている。危険動物扱いだ。どうにか事を荒立てずにモーチェス神父のいる城下町に向かうには…。

エミューナは大剣を背負っているとは思えないほど身軽に、小さな窓から部屋を抜け出し、下の石積みに飛び降りた。


ネヒティアは水の都。ネアプロシュ半島の中程にある半月湾に城下町を持ち、その傍の切り立った岬にネヒティア城が建っている。神聖魔法が発達したネヒティアの城下町は、水路で区切られた区画ごとに転送魔法陣が設置され、水路に橋は架けられていない。まるでパズルか迷路のようで不慣れなエミューナは苦労したが、時間をかけてなんとか教会らしき区画に辿り着いた。

「ここ、でしょうか。確か城下町の教会だと…」

エミューナは教会の扉を開けた。



モーチェスは午前の礼拝の片付けをしていた。そこに、神の導きなど不要と言わんばかりに武器を構えた覆面の男達が押し入ってくる。

「…。また刺客ですか。神官長様も、しつこいことをなさる。」

ぱたんと神の書を閉じ、溜息をつく。やれやれと首を振れば、銀色の髪がするりと首を流れ落ちた。

「いいから、おとなしくしてもらおうか。」

男達がモーチェスを取り囲むようににじり寄る。モーチェスは銀縁の眼鏡を外し神の書の上に置いて、眼光鋭く男達を睨む。

「生憎、みすみすやられる気はありません。」

「まったく、とんだ神父だ。」

そこに折よくエミューナが訪れた。

「あっ神父様、うしろ、…」

徒手空拳のモーチェスを取り囲む男達を見てエミューナは咄嗟に大剣を抜いた。

モーチェスは次の瞬間、眼前の男に肉薄し。肘を人中に。足払いし、腕を極めて短刀を奪う。振り向きざま背後を狙った男の右腕の腱を切る。振り下ろされる鎚を避けて、頚椎に短刀を沈ませる。短刀が抜けるまでに鎖が投げつけられ、左腕で庇う。抵抗なく跳んで引き寄せられることでフレイルを回避し、自分から跳んでくると思っていなかった鎖使いの喉を切り裂いた。

ピュイ!と鋭い口笛が鳴る。扉と窓が開け放たれ、三方から狙撃される。

「!!」

結界を貼るが、三面は間に合わない。そこにエミューナが飛び入り、大剣で矢を斬り落とす。モーチェスは間髪入れず狙撃手に神聖魔法を撃ち込む。魔法防御の術が無かったのか、狙撃手達は全員まともに食らって吹っ飛んだ。エミューナはフレイルの使い手を袈裟斬りに斬り倒し、返す手で口笛を吹いた双剣使いを薙ぎ払った。

もう、立っている刺客はいない。モーチェスはトドメの魔法を一人ひとりに撃ち込んだ。そして、神に短く祈りを捧げ、エミューナの方を向いた。

「あなたは…、どうしてここに…」

「ごめんなさい、どうしてもお話をききたくて…」

「そうですか。さっきはありがとうございます。あなたが助けてくれないと危なかったですね。」

「いえ、でも…」

エミューナは暴漢達の死骸を見て眉を顰めた。モーチェスは、ああ、と苦笑した。

「神官が送ってきたんですよ。私を消したいけれど、民衆の手前、おおっぴらにはできないからでしょうね。最近特に多い…」

「そんな…」

「気にしなくていいですよ。ところで、お話というのは?」

「えっと…」

自分の相談をする前に、この惨状をどうにかしないと。エミューナはモーチェスを手伝って、水路に死骸を流した。


戦闘後の清掃まで手伝い、ようやくエミューナは自分の話を落ち着いてすることができた。

「というわけで…、わたくしはどうすればよいのかと…」

モーチェスは再び眼鏡を掛けていた。どうやら眼鏡で仕事モードになるようだ。それにしても、明らかに素人ではない戦闘能力。狙撃手の乱入が無ければ、全員彼独りで倒せていただろう。ただ世間知らずのエミューナは、強い神父さんなのだなぁと思っただけだった。

エミューナは戦争についての自分の悩みを打ち明けた。

「そうですか…。難しいですね。ただ、神か神官かはしりませんが、世界がおかしな方向に動き出しているのは確かな気がします。世界をひとつにしてしまおうという。今のネヒティアだってそうでしょう。私としてはネヒティアが攻められるのは困るのですが…。

 ただ…、あなたの国のことですが、お父様が神官にあやつられているというなら…目を覚まさせてあげた方がよいのではないのですか?それができるのは、革命党でもウイニアの王子でもありませんよ。」

「…。目を覚まさせる。…そうですね。お父様はきっと悪い人じゃありません。わかってくれますよね。」

「あなたたちなら、きっとできますよ。」

あなたたち、とは、エミューナとアンゼのことだろう。エミューナが語った内容から、モーチェスがアンゼのことを推し量ったのか。

「…わかりました。ありがとうございます。」

アンゼがどう考えているのか、正直エミューナには分からない。

目指す先が同じであることを、祈るのみだった。


教会の扉が開いて、赤髪の少年、いやルドヴィークが姿を見せた。

「見つけた。エミューナ姫、早く戻った方がいい。城から出てここに来たことがわかったら、神官が何をするかわからないよ。」

「…そうですか。すみません。」

ルドヴィークがここに来たということは、エミューナが城を抜け出したことはもうバレたのだろう。ルドヴィークだけが、エミューナが城下町の教会に来る理由を知っていた。

ルドヴィークはスンと鼻を動かし、訝しげにモーチェスを見た。

「モーチェス、神官に何かされてないよね?」

「大丈夫ですよ。安心してください。」

モーチェスが笑顔で答える。ルドヴィークはウソが嫌いだから、何もされていないとは言わない。大丈夫なのは本当だった。そういうことであれば、ルドヴィークも責める言葉を持たなかった。

「じゃ、行くよ。さよなら、モーチェス。」

ルドヴィークがエミューナの手を引いて教会を去る。

「何だか、ややこしくなりそうですね…」

モーチェスは教会の白十字塔を見上げ、溜息の代わりに歌を捧げた。


我に何も語りかけてこない無能な主神よ。

もし坐すならば人たる者の障害となるな。


それは聖歌の節でありながら、異教の地の言葉を使って紡がれる、神への怒りだった。

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