全ての悪の象徴
神殿の脇道を更に奥に掘り進めた坑道の先に、その魔物はいた。
ガーゴイル。動く石像。その姿はちょうど、異教における『全ての悪』の象徴に酷似している。といってもそんな神話に出てくるような大した妖異のプレッシャーはなく、恐らく異教の神殿に飾られていた石像にマナが宿り魔物化したのだろう。
ガーゴイルは魔法に強い耐性を持つのだとアンゼは皆に教える。クリウスは頷き、自身の剣を強化する呪文を選んだ。アンゼは背後からの雑魚敵の乱入を警戒しつつ、速度強化の呪文を一人ずつ掛けてゆく。最初にエミューナがその恩恵を受け、地を蹴って大剣を振りかざしガーゴイルに叩きつける。
「!」
ガーゴイルの翼の付け根に大剣が当たったが、その一撃ではガーゴイルはびくともしない。
「嘘でしょ、エミリオ様の力で壊れない石なんて…」
「さすが古代教、使っている石も違うんですね…!」
「何呑気なこと言ってんですか。結構ヤバいですよ。」
クリウスがアンゼの速度強化を貰い、ガーゴイルの注意を引きながら、その爪を躱してエミューナを注意した。
「ま、大丈夫よ。見てて。」
アンゼは水魔法と氷魔法を二重詠唱する。効かないのでは?とクリウスが訝しげにアンゼを見た。アンゼの魔法はガーゴイルの足元の地面に命中し、そこを水溜りにして凍らせる。ガーゴイルはそれを踏んですっ転び、自重で翼を折った。
「そうきたか〜…」
クリウスが嬉しそうに呟く。ガーゴイルは尚もツルツルと滑って立ち上がれないようだ。エミューナは折れたガーゴイルの翼を取り上げた。
「これを剣に使います!クリウス様、強化下さい!」
クリウスは急いでエミューナの持つ大きな羽根に硬度強化を掛ける。エマはその間、少しでもガーゴイルの転倒を長引かせようとガーゴイルを棍棒で押していた。ガーゴイルが水溜りの範囲から抜け出す直前、エミューナはガーゴイルの翼を本体に振り下ろした。今度はきっちりと、ガーゴイルの胴は真っ二つに砕け折れた。もう動かない。
「勝った…!?」
エマが額の汗を拭う。こんな魔物、棍棒ではとても倒せなかった。クリウス様やアンジェリカさん、エミリオさんが来てくれて、本当に良かった。あとは、自分の夫を捜すだけだ。
アンゼ達はガーゴイルに遮られていた通路の先を捜索した。何人もの最近亡くなったと見られる遺体があって、エマはその度にハラハラしていた。
奥に行ったクリウスが切迫した声でエマを呼んだ。
「あっ…」
エマは声を上げて駆け寄った。クリウスがエマの夫に治癒魔法を使っている。もっとも、クリウスの今の魔力では、出血を止めることがせいぜいだった。
「あんた、生きてるの、本当…、本当?良かった…。」
エマの夫は、大怪我をしながらもまだ意識があった。
「…エマ。この鉱石を持って行ってくれ。貴重なものだから、子供の薬は十分買えるだろう。」
「そうかい。良かったよ、生きてて。てっきりもうダメだと思ってた。すごいケガだけど…、戻ったら何とかなるだろ。ほら、他にも人がいるから行こう。」
「そうか、あの人達に手伝ってもらったか。礼を言わんとな。」
エマの夫は少し頭を動かし、見えにくそうに目を細めた。
「ああ。でもこんなに血が出てる。早く行かないと死んじまうよ。」
エマは夫を抱き起こし、立たせようとした。しかし、夫は力無く首を振った。
「いや…もう俺はだめだ。大体わかるんだ。石を持って村へ戻ってくれ。これ以上おまえに迷惑はかけられない。皆さん、本当にありがとうございました。村までエマを、よろしくお願いします。」
「何言ってるんだよ!」
「何言ってるのよ!」
エマとアンゼが同時に叫んだ。
「だが…」
「あんた、子供が病気なんでしょ!何のために、奥さんがここまで来たと思ってるの!!あんたのためじゃない。折角生きてるのに…、何でそんなもったいないこというの!」
アンゼは必死になっていた。
愛し合う家族というものは彼女にとって、どれだけ願ってもついに叶わなかった、奇跡のようなものなのだ。
そんな奇跡がひとつ、自分の目の前で失われてしまうのは、彼女にとって耐え難いことであった。
「そうだよ!大丈夫、きっと助かるよ。だから、だから戻ろう。」
「僕たちが、最善をつくします。諦めてはいけません。」
「そうか…。そうかもしれないな…。」
クリウスとエマが彼を支え、通路を出る。
ガーゴイルの残骸の横を通り抜けようとしたその時、ガーゴイルが天に突き出していた腕がバランスを崩し、エマの方に倒れてきた。
「危ない、エマ!!」
エマの夫は反射的にエマに抱き着き、腕に背を向けて庇い込んだ。
「あっ…」
後ろから見ていたエミューナが声を上げる。エマの夫の後頭部に死んだガーゴイルの手が当たり、殺意のない鉤爪がやすやすと彼の首を切り裂いた。そのまま腕ごと倒れ込む。
「うそだろ!?ちょっと、あんた、」
エマの悲鳴が虚しく響く。希望に縋って歩き始めた直後の、あまりにも呆気ない死だった。
「…目開いてよ…死なないでよ…うそだろっ…うそ…」
エマの声に彼女の夫が答えることはもう、無い。
アンゼは歯噛みした。自身の不甲斐なさに。助かると油断したことに。奇跡のような家族をひとつ、守れなかったことに。こんな魔物を、こんな悲劇を放置させる、自分の国に。
この奇跡を破壊したのは、
この町の人を殺したのは、
──悪いのは自分だった。
「そんな…」
反対側を支えていたクリウスが蒼白な顔で立ち尽くす。
「どうしてっ、ここまで来てっ……。」
エマは夫の遺体に縋り付き、泣き崩れた。
「……。」
アンゼは黙って立ち上がる。祈るより、涙を流すより先に、自分にはしなければならないことがある。食いしばった歯と眉間に力が入り過ぎて、頭の中を血の流れる音がする。彼女の中で、覚悟が決まっていく音だった。
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