エミューナの祖父

アンゼが壊した壁は一枚ではなかった。回廊の間にある部屋をひとつ丸ごとぶち抜いていた。もう滅茶苦茶だ、とクリウスは呆れたが、部屋が見えたのは僥倖だ。予想通り、部屋は結界の範囲外だったようで、三人はこの階を隅々まで調べることができた。

そして一階の最奥に、魔法錠の施された扉を見つけた。

「ここに、いるのかしら。」

アンゼが魔法錠を破壊しながら呟く。

「いたら、どうするのですか?」

エミューナは姉に問うた。

「いっしょに来てもらうわ。フィーアールに引き渡すの」

「……。」

それはきっと、仕方のないことなのだろうけれど。

少しでも家族として話をさせてもらえますように、とエミューナは心の中で祈った。


「失礼します。ファウエル・ドマーニさん、いらっしゃいますか。」

アンゼは扉を開けて中に呼び掛けた。術式の類は彼女が検知できる範囲では存在しなさそうだ。奥に二階へ続くと思われる階段がある。その踊り場に、うずくまる人影があった。

「私だが、何の用だ…」

しゃがれた男の声がいらえ、影がゆっくり立ち上がる。頭から爪先までローブに包まれ、顔は見えない。

「国のものです。お話をききたい…」

「かかれ…」

ローブの男が手をかざすと、鬼火のような化け物が複数召喚されアンゼ達に向かってきた。

「うわっ…何だ」

クリウスが声を上げる。

「反抗の意志ありと見なします。応戦するわよ、エミューナ様」

「はい…!」

三人は武器を抜いた。

アンゼが氷魔法を唱え鬼火を足止めする。クリウスはエミューナの剣に魔法属性付与の術を施した。エミューナはそれを確認すると鬼火に斬りつける。呆気なく三体まとめて倒したが、ローブの男は召喚を止めない。三体倒す間に六体増えている。アンゼは強力な攻撃魔法を一体ずつに当てて確実に数を減らし、クリウスは自分の剣にも魔法属性を付与してエミューナに加勢した。

しかし、ここはローブの男の館。どんなカラクリかは分からないが、召喚は彼の負担にもならずに幾らでも実行できるようだ。

「…倒しても倒してもキリがない…」

アンゼは魔法をローブの男に当てるか逡巡した。父の意思、フィーアールの思惑、不正を正す大義。どれもが彼を殺してはならないと結論づけている。しかし、今この状況では、近づくことすらままならない。

「やめてください、…おじいさまっ。」

エミューナが声を張り上げて鬼火を一点突破し、ローブの男に近づいた。

「おじいさま?誰だ?」

ローブの男がエミューナに問いかける。

「エミューナ・ドマーニ・ワーネイア…わたくしの母は、あなたの娘です。フェルナ・ドマーニです。」

「フェルナの…娘?本当か?」


ローブの男は召喚を止めた。鬼火達がアンゼとクリウスに一掃される。

エミューナは階段の下まで近づいた。ローブの男は一歩後ずさった。

「エミューナというのか…、フェルナによく似ている…よくもまあ、来てくれた…」

「おじいさま、これ…お母様の遺品です。」

エミューナが懐からブローチを取り出す。ローブの男は、しかし近寄ろうとしない。

「おお…そうか…、もう死んでから五年か…。よく来たな、…フェルナ。フェルナだろう?少しも、かわってない」

「…。」

エミューナは思わず立ちすくんだ。

「フェルナ、母さんが死んで、兄さんも死んでな…、残ったのは私だけだ…。フェルナ…来てくれてありがとう。」

エミューナは口を開いたが、何も言えず、再び閉ざした。無言で階段に足をかける。クリウスが背後から声を掛けた。

「エミューナ様、その人は…」

「来てはダメだ…。病気が…」

ローブの男が更に後ずさろうとし、姿勢を崩す。

「えっ…」

エミューナは驚いて立ち止まり、それからクリウスの方を見た。

「黒死病でしょう?もう末期だ…」

「私はもう治らない。妻のように、息子のように…。家族が病気になってからは…ここを出ては、いけなかった…呼べる医者もいなかった。フェルナは、フェルナだけは…」


遅かった。

いや、辛うじて間に合ったのかもしれない。しかし、誰も望んだ展開ではなかった。

今回も、自分は何も知らないまま、事態は手遅れになっていた。


「……。」

エミューナはそっと形見を階段に置いた。気休めも、謝罪も、感謝も。何も言えないままだった。

「そろそろ…、戻った方がいい。街の人は、私を許さない…。フェルナ…、もう、ここに来てはいけないよ…」

ローブの男の声は苦しそうだが、優しい。そこには確かに、深い愛情があった。

「…。さようなら…」

エミューナは名残惜しそうに後退する。すると、入れ替わりにアンゼが前に出た。

「ファウエルさん、あと、一週間くらいはがんばって、生きていなさいよ。」

「今日は、何日だ?」

「青の月十三日です。」

クリウスが答えた。ワーネイアの暦がスッと出てくる辺り、やはり彼は有能なのだろう。

「そうか…あと五日だ…、フェルナが、生まれた日だ…」

ローブの男の声が震える。

「これでも食べて、お大事に。」

アンゼはブローチの隣に、喉通りの良さそうな水菓子を置いた。そんなものをどこで、とエミューナは驚いた。アンゼ様は、ファウエルおじいさまがご病気である可能性を考えて、予め用意していたのか。

自分は、やはり姉のようには、なれそうもない。


部屋を後にし、回廊に出たところでエミューナはアンゼに気になったことを尋ねた。

「どうして母の誕生日を?」

「楽しそうだったからよ…あなた達も、あのヒトも…」

アンゼの言うあのヒトとは、父のことだろうか、それとも。

「そうですか…、すみません…」

「別に、責めてるわけじゃない。」

「…。」

エミューナは、責められても当然のことをした。姉の婚約者と恋仲になった。婚約が決まる前から仲が良かったのは本当だが、婚約したならば、離れるべきだった。

自分の気持ちを優先して、他人のことを思いやらない、とアンゼは昔、フェルナのことをそう貶したことがある。それはフェルナの娘の自分にも、向けられるべき言葉だった。

「もう、五年たったのね…」

アンゼは回廊に掛けられた水色の髪の少女の絵を見つめながら、そう呟いた。

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