思わぬ助け

アンゼはテーブルに拡げていた資料を纏めると、婚約者に金貨を一枚手渡した。

「ありがとさん。それじゃ、帰るわ。」

「ちょっと待て。折角だから仕事を手伝え。」

「は?働きなさい、ちゃんと。」

「あのな…。うん、正直、俺にはできない仕事だ。」

「役に立たないわね。」

「何とでも言え。今、黒死病で封鎖されている地域があるだろう。そこのラ・ヴォーレの街なんだが…、」

フィーアールはアンゼに、ドマーニ家の現状と横領罪の疑惑について大まかに伝えた。

「…というわけだ。」

「あのね…。誰の親類であろうと悪いことは悪いのよ。お父様は何と言ったの?」

「穏便に済ませろ、と。むしろ…あの地域からドマーニ家の人間を逃がしたいのでは…と思う。」

「どっちに転んでも、良くないと。」

アンゼは婚約者の顔をじろりと見た。正義と恩義の板挟みに苦悩しているようだが、話をややこしくしているのは革命を志す彼本人の意思でもある。全く同情の余地は無かった。

「革命党として、そのような不正に手を貸してはいけないし…、かといって裁きを与えるのもエミューナ様の手前…」

「どっちみち、だめね。」

アンゼはフンと鼻を鳴らした。この期に及んでまだエミューナのことを。甘えた男だ。

「…。たのむ。それに今、いろいろややこしい。今日だって国王様はネヒティアに行っている。」

フィーアールが王都を離れるわけにもいかないということか。その理屈ならば納得はいく。そして成り行きはともかく、国の不始末で民が困っていると言うのならば、放置出来る彼女ではなかった。

「わかったわよ。何らかのことはするわ。…ところであんた、黒死病流行りだしてから、一回でもラ・ヴォーレへ行った?」

「いいや。」

「家族のことは気にならないの?」

フィーアールが目を見開く。アンゼは彼の素性などとっくに知っていた。知っていて、それでも父にとって有益ならばと黙認していたのだ。

「…俺の家族は、ファスティニア将軍だけだ。」

フィーアールは暫く黙ってから、絞り出すようにそう断言した。アンゼの想定通りの返答。本当につまらない男だ。

「そんなこと言ってるうちは、国なんて治められないわね。…あんた、何で革命党にいるの?今の地位の、何がいけない?」

「…。」

フィーアールがアンゼを睨む。アンゼは冷たい目で睨み返した。大局を見ず、隣国ウイニアに担ぎ上げられていい気になっているバカな男のことなど、彼女は少しも怖くなかった。

「今のうちよ。」

アンゼは立ち上がり、フィーアールに指を突きつける。

「やりたいことやってるのも今のうちよ。革命なんて…、許さないわよ。…覚悟しておきなさい。」

フィーアールは物言いたげに鼻にシワを寄せたが、冷静さを保ち目を閉じて頷いた。

「…そうか。通行証だ。」

懐からラ・ヴォーレへの通行証と風のスクロールを取り出しアンゼに渡す。アンゼは資料を入れた袋の中にそれらを放り込み、振り返りもせずひらひらと手を振ってカフェを後にした。


エミューナとクリウスは尚も回廊と格闘していた。窓の日も傾き始めている。

「もう無理、ですか?」

エミューナがクリウスを覗き込んだ。クリウスは焦燥からか、端正な顔を歪めている。

「明らかに他人が入りこめないようにしている…」

「一度出てみて…」

「出口もわからない。」

追い詰められた時に人の本性が出るものだ。クリウスは明らかに不機嫌だった。いや、本当は恐らく今朝からずっと不機嫌だったのだ。クリウスはアンゼにこそ同行して貰いたかったのだろう、とエミューナは申し訳無さで顔を伏せた。

エミューナは戦力にはなるが、今後の国政には関わらない。それに、所詮彼女は彼にとって、プレイヤーではなく駒だった。クリウスは、どうでもいい相手には割り切って親切に出来るタイプの人間だ。アンゼとエミューナへの態度の違いは、それだ。彼が真剣に話をする時、必ず姉の方を見て、姉に向かって語りかけていた。…私だって、ワーネイアを思う気持ちは同じの筈なのに。

しかし、今の自分が無知で無力なことは、客観的にも明らかだ。今だって、何故母の実家でここまで苦労を掛けさせられているのか分からないし、巻き込んだクリウスに満足のいく説明もできない。城を出る時には想像もしていなかったほど、世界は彼女から乖離しており、拙い理解では到底及ばなかった。

姉なら、アンゼ様なら、鼻で笑って簡単に解決できるのに。

「……。どうして…」

エミューナは枯れた花すら活けられていない空の花瓶をそっと撫でた。


その頃、アンゼは早速ラ・ヴォーレに到着していた。フィーアールが渡してきた風のスクロールで、体力を消耗せずに移動することができたのだ。

街の人々がドマーニ家に押し入った男女二人組の噂をしている。軽く情報を引き出してみると、どうやらエミューナとクリウスのことらしい。この街への訪問はどっちの発案だ?とアンゼは少し首を傾げたが、いずれにせよやることは変わらない。

「ここね。ひどくしかけがあるみたいだけど…って鍵がこわれてる。エミューナ様は、もう…」

アンゼは鍵を破壊したのを妹の仕業だと決めつけ苦笑した。


エミューナは夕日の差す窓に背を向け、クリウスを見上げた。

「…決めました。」

「はい?」

「こわします。お金は、あとで払いますから…」

「えっ…」

エミューナは回廊の壁に向かって剣を構える。クリウスは止めなかった。彼女が剣を振りかぶった途端、轟音と共に壁が破壊された!

「こらっ!いいかげんにしなさい!!」

廊下に響き渡る、姉の怒声。

「あ…」

「アンゼさん!?」


「…というわけで、この家に捜索に来たわけよ。いわゆる横領、のうたがいを、ね」

「フィーアールくんに会ったわけですか…。」

クリウスが服に掛かった埃を払いながら、アンゼの話に相槌を打つ。

「そういうこと。」

「…助かりました。」

エミューナは少し緊張した面持ちで礼を言った。

「にしても…人の家をこわしたらだめでしょうが!」

「はい…」

「しかし… アンゼ様も爆発させていたようですが。」

クリウスにツッコまれ、アンゼは腕組みをして答える。

「ちょっと壁が固かったからです。」

(いっしょじゃん…)

クリウスは思うだけに留めておいた。

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