心無い街

「行き、ます…。渡したいものがあります。」

エミューナは心を決めたように前を向いた。クリウスは頷いた。

「そう。大丈夫、黒死病は空気感染はしないし、基本的に感染力も弱い。衛生状態が悪くない限りひどくはならない。決定的な治療法もないけれど…他国ではこのような蔓延は類を見ないな。」

「…。ワーネイア、だけ…」

「それでは、話をつけてくるよ。」

エミューナはクリウスに一礼した。

本当ならば、ここで話をつけるべきなのはエミューナだろう。しかし今は家出中で、王に連絡が行きかねない真似はしたくない。クリウスが自分達に優しくしてくれているうちは、彼に甘えるのが一番スマートな解決方法だ。そういう面では、エミューナは姉よりも余程人に甘えることが上手だった。


関所の兵士が教えてくれた道順通りに来たので間違いない筈だが、ラ・ヴォーレも道中の街と同じく閑散としていた。

「この町、ですか…??」

「すっかりさびれているね。あの一番大きな赤い屋根のお屋敷がそうじゃない?」

街の名士であれば、それなりの家に住んでいる筈だ。そうでなくとも、住民から情報を得られるだろう。

「そうかもしれません。行ってみます。」

エミューナは屋根を頼りに街中を歩き、屋敷に辿り着いた。呼び鈴を鳴らすが反応がない。よく見れば庭は荒れ、人が住んでいる気配は無かった。クリウスがドアを開けようとしたが鍵が掛かっている。

「??」

何故こんな立派な家が放棄されているのか。いや、それよりも自分の、ドマーニ家の人々はどうしてしまったのだろうか。エミューナは首を傾げた。

「町の人に聞いてみようか。」

ここで首をひねっていても仕方がないと、クリウスが次の行動を提案した。


「ええと、ドマーニ家の人について御存知ありませんか?」

エミューナは数少ない通行人を逃すまいと片っ端から尋ねて回ることにした。

「…。知らないねえ」

「…。さあ、どこに行ったのか。黒死病で、ここいらが封鎖されてすぐくらいから姿を見せないね。」

「なんでも、国からもらえるお金を横流ししてたらしいよ。」

「まったく、ねえ。娘さんが王家に嫁いだからってちょっとばかし勘違いしたんだろうね。」

「いったいどこに行ったのか…」


屋敷から大広場までの全員に聞いてみたが、かんばしい情報が得られず、エミューナは落胆の色を隠せなかった。

「どうしようもないなあ。もう一回お屋敷を見てみる?」

クリウスも一緒に途方に暮れてくれているのだけが救いだった。


「えっと、すいません、だれかいますか?」

エミューナは扉をガチャガチャしてみる。バキッと音がして動かせるようになった。

「あっ、ここ開いてますよ?おじゃましていいでしょうか?」

「う〜ん、いいんじゃないかなあ。」

クリウスも半ばヤケ気味だ。エミューナに頷くと、彼女は失礼しますと言いながら住居に押し入った。

(しかしカギは閉まってたはずなんだが…ってこわれてる!?)

「そういえば、さっきイヤな音がしたような…」

クリウスは一人ドアの前で酸っぱい顔をした。


招かれざる客への対策か、エミューナ達は家の中でドアをひとつも見つけることが出来ず、延々と回廊を歩かせられていた。

「気のせいか同じところをグルグルしてるような…」

エミューナが首を傾げる。

「どうしてだろう。」

クリウスもこのような魔術に長けている訳ではない。自身の使う魔術はウイニア軍由来の質実剛健なもので、日常に魔法がありふれている生活ではなかった。

かつてネヒティアから独立した時、ウイニアはかの国の神秘を受け継がず、貿易国としての道を選んだ。それが今の自分の基礎を成しているため、クリウスは他国の王族よりは広い視野を持つことが出来ているという自負はあるが、一方で魔法大学という一種の極致に至ることのできる環境を持つワーネイアを、羨む気持ちも確かにあった。王子として剣の修行もし、かつ必要だと考え魔法を学んだ自分は、祖国では器用貧乏という扱いだ。

結局、何かを選べば何かを捨てざるを得なくなる。隣の芝生は青いというだけのことだった。


「やっぱり、ここさっき来ませんでした?」

エミューナとクリウスは共に壁を調べながら進んだが、やはり同じ花瓶と窓の位置まで来てしまった。

「…?」

これはやはり、何かの魔術なのだろうか。


また、同じ花瓶だ。クリウスはもう疑わなかった。

「ループしてますねえ。ちょっと休みますか。」

「ふう。」

エミューナも溜息をつく。クリウスは窓の外を見た。

「煙だ…。」

「クリウスさん…、わたくしは…わたくしは…」

エミューナが何か思いつめたようにクリウスに話し掛ける。何だ、愛の告白かな?クリウスは優しい笑顔で振り向いた。

「どうしたの?」

「すごく、いやな気持ちになってしまったんです。甘えてるのか、自分勝手なのか…」

「何が…」

クリウスはすとんと真顔になった。エミューナは気付かず眉を顰めて話を続ける。

「お母様…いえ、母の家を悪く言われて。母が嫁いだことで、この土地は…少しは優遇されてると思うんです…それはいけないことかもしれませんが。ルルグの町よりはずっとみなさんいい暮らしをされてる。それなのに…、確かに悪いことをしたのですが…」

横流ししていたと言っても、黒死病が流行る以前に、この街がそのために困窮していたというわけではなさそうだった。街並みは立派だし、教会も建っているし、人々の衣服も整っている。甘い蜜を共有していなかったようには見えない。ドマーニ家が不在になって、一番困っているのは彼ら街の人々かもしれなかった。

「うーん。だれだって人の子だからね。当然といえば当然だよ。」

自分が得た利益より、更に得をしている人間が隣にいると、自分の利益が霞んで見えるものだ。クリウスのその言に、エミューナは再び溜息をついた。

「アンゼ様は、どう言うでしょうか…」

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