ワーネイアの禁書庫
関所の兵士は、革命党の手の者ではなかった。厳しい顔で、クリウスとエミューナに向かって首を横に振る。
「ここから先は黒死病蔓延のため隔離地域に指定されている。許可された者しか通すことはできない。」
「ええ?黒死病…ということはここから向こうの人々は、皆亡くなっているのですか?」
エミューナは驚いて関所の向こうに拡がる麦畑を見遣った。確かに死に至る流行り病の噂は知っていたが、こんな広い地域全てが隔離されているとは。
「さあな…」
兵士は返答を濁す。彼らが任されているのは往来の規制のみだ。勿論、連夜隔離地域の住民が脱出しようとしていることは知っていた。知っているが、どう見てもお貴族様な二人に教えてやる義理はなかった。下手に話すと、人道的でないだとかお花畑な論理でなじられそうな手合いだ。
「…。」
エミューナは麦畑の向こうにある街並みを見た。ルルグよりも余程大きい城塞都市だ。この辺りは誰の領地だったか。それすら分からない自分が恥ずかしかった。
「エミリオさん、あっちの煙、見えるでしょう?」
クリウスが街外れに上がる黒い煙を指さした。
「はい。」
「亡くなった方を焼いているんだ。」
聞いたことがある。黒死病は土を汚すと。だから、遺体は火葬せねばならないと。理屈は分かるが、やはり忍びなくて、エミューナは眉を顰めた。
「煙は一日一日増えていってる。死ぬ人が多すぎて葬式さえできない。ひどい世の中だ。」
兵士は控えめに首を振った。
「ラ・ヴォーレは感染の中心地域ではない。もしかしたら、誰かがいると思う。ここは僕の力で通れないことはないけれど…」
クリウスが小声でエミューナに相談を持ちかける。
「…どうしましょうか…」
その頃、アンゼはワーネイアの城下町に舞い戻っていた。手前の街で休憩する前に早馬に言伝を頼んだので、待ち合わせ場所には既に人影があった。
「待たせたかしら?オヒサシブリね。」
「いや。突然呼び出して何の用だ。」
「エミューナ様は元気よ。リナレスはどう?フィーアール?」
声を掛けられた男がハットを取る。短い金髪がふわっと溢れ出た。
「もうすっかり大丈夫だ。もとより急所ははずしてあるだろう?」
「当たり前よ。」
アンゼは少し笑顔になった。婚約者に会えたから喜んだのではない。それは言うなれば、武装の笑みだった。
「何の真似だ?あの後大変だったんだぞ?それでのこのこ戻ってきて……大丈夫だとでも思ってるのか?」
フィーアールの青い瞳がアンゼを睥睨する。この偉丈夫は、彼女に対して優しい目を向けたことがない。しかしアンゼはそんなもの、欲しいとも思っていなかった。
「オフコース。ばれなければ大丈夫よ。だからあなたに協力をたのんでるんじゃない。ま、私たちが出て行った後の処理ごくろう様。」
アンゼは微笑みながら右手を頬に当てた。その余裕の態度に、フィーアールは眉を顰めた。
「あのな…エミューナ様まで連れだして…」
「あなた達の思いどおりになってるんだから構わないでしょう?もとよりエミューナ様が家を出たがったのはあなたの為でしょうに…。」
エミューナとフィーアールは昔から仲が良かった。それが最近では、国王に隠れて恋仲となっていることも、アンゼは承知している。
しかし黙認することと、あけすけに指摘することとは違う。フィーアールは低く唸った。
「お前、婚約者の前でよくそんなこと言えるな…」
「そんなもの国のためで、愛などございませんから。クリウス様の友達ってフィーアールよね?」
「…。」
フィーアールはバツが悪そうにアンゼから目線を外す。アンゼはその顔を追いかけ、片眉を上げてみせた。
「あんたが地下活動してることぐらい、私は気付いてたわよ。確証は無かったけどね。首が飛ばないこと、ありがたく思いなさい。」
「はいはい」
「わかったなら、手伝ってよね。じゃ、図書館に行きましょ。」
「強引だなあ…。いつものことながら。」
フィーアールは溜息をつく。優しく気立てのいいエミューナと違って、この第一王女のことは、昔っから苦手だった。
「で、何をするんだ?」
二人は図書館の二階に上がってきた。一般に開放されている一階と異なり、王室の許可証が無いと入れない二階は資料室としての色合いが濃い。その許可証は、フィーアールが用意させられていた。
「神官長が管理している資料室兼書庫に入って調べものをするの」
「って、あの閲覧禁止資料ばかり置かれているところか?こんどこそ首をはねられるぞ?!」
「だからバレちゃだめなのよ。私が捕まったら、とりあえず今のところ、あんた達のやりたいことはできなくなると思うけど?」
「どうなんだろうな。」
フィーアールは尻尾を出さない。しかし、アンゼには彼ら革命党の思惑は、最早手に取るように分かっていた。
「それにもとより、私はお父様達のしていることをこのまま続ける気はない。何かを変えるには、リスクを負うものよ。」
「ああ、そうだな。」
フィーアールもそれには賛同するらしい。アンゼがクリウスに影響を受け、革命党派につくとでも思ったのだろうか。
(それに私は、あなた達の思い通りにさせる気もない。)
アンゼは表情を変えず、心でフィーアールに牙を剥いた。
二階の資料室で決められた手順で決められた本を調べると現れる隠し扉。その先に禁書庫は存在する。アンゼはフィーアールに隠し扉を開けさせ、警戒させた。
「神官の見まわりは?」
「いない。」
「ザルいわね。本当にいいのかしら?」
「だって、誰もここ入らないから。近付いた時点で死刑宣告だろ?」
「まさか。結界張ってるからね。入れないからでしょ。」
「どうやって入る気だ?」
「うん、結界の呪文の半分くらいは今までに解けてるんだけど…あとはムリ。推測でいくわ。」
「あっぶない……」
初見の呪文①オタ○バ○ザ○(○に入ることばを入れてください)
「オタクバンザイ!」
アンゼはキリッとした顔で答える。
初見の呪文②ス○ートな○ーマ○(ヒント:回文です)
「スマートなトーマス!」
初見の呪文③スリランカの首都はどこ?
「スリジャヤワルダナプラコッテ!」
初見の呪文④「デマエ○○○○○」「パンツ○○○○○」(共通して入ることばです)
「いっちょう!」
「うそだ…」
フィーアールが絶句する。
「よし、OK!」
前半の難解な呪文と違って、初見の呪文は全部余裕だったわね!アンゼはドヤ顔で先に進んだ。
「さて、神官たちは律気だから、公式の記録にないものも、ここに付けているハズ。とりあえず…
①異教徒狩りの歴史について ②財政について
本をさがしますか。ばれないために、かけられる時間…瀬の山十分ね。」
アンゼは当然のようにフィーアールに指示を出す。そういうところが王女様なんだよな、とフィーアールは顔をしかめたが、ここまで着いてきている以上、そして長居は無用な以上、手伝わない訳にはいかないのだった。
同時刻、ワーネイア城教会にて。
「…。資料室の結界がやぶられたようね。」
アリョーシカが何かを検知したようにふっと面を上げた。傍で資料整理の手伝いをしていたリナレスが驚いて声を掛ける。
「神官長様?あそこに入ってよいのは神官長様だけでは…いけないのではないですか!?捕えなくては…」
「ふふ…、構わない。神々にはすべて見えている…すべては神々の御心のうち」
アリョーシカは自若の笑みを浮かべた。リナレスには理解出来ない笑みだった。
「神官長様?」
「運命は、神々の思うがままに進むの…」
そういう訳で追手にかからず、アンゼ達は無事に資料を持ち出し、裏通りのカフェに入って目を通し始めた。
「…。これはひどい…。」
アンゼの眉が無意識に顰められる。
「何かを変えるためには、リスクを負うもの…、か。」
フィーアールは婚約者を紅茶片手に眺めながら、反芻するように独りごちた。
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