アリョーシカ・スケルツァンドという女
「解っていただけますか…。この国の厳しさ。税金が、村の人達を苦しめているからなのです。生活を守る為には、死の危険を覚悟で、鉱山の奥に行かなくてはいけない。異教徒狩りが恐くて、助けを求められない。」
クリウスは空になった盃を爪で弾きながら、王女達をルルグへ連れて行った真意を説明した。エミューナは悲しそうにうなだれた。
「……。お父様は、どうしてそんなことを…」
「ワーネイアで二十数年前におこった干ばつを知っていますか?」
「はい。」
アンゼは真面目な顔でクリウスに頷いた。両親の結婚は、その凶事から国民の気を逸らすために早められたと聞いている。
「そこからはじまった飢饉が、農業従事者を中心にいくつもの小さな反乱を起こさせました。」
クリウスはナッツを卓上に置いていく。地図のつもりだろうか。そして空の盃をテーブルの奥に、地図に見立てるならば北に置き、指差した。
「当時即位したばかりの国王は、停滞する経済で税収が下がっていることに加え、反旗を翻す民をどのように治めればよいかを知りませんでした。」
「はい。」
エミューナはナッツに気を取られないように、クリウスの言葉に意識を傾けて頷いた。
「そこで、彼は神官長のアリョーシカに相談したところ、アリョーシカは反乱者のもとに兵を投入し、それを封じました。その後、反乱は異教徒が首謀し、ひたすら神を信じる者をたぶらかしたとして自分の快く思っていない人々を捕えたのです。」
「そりゃひどい。」
アンゼはアリョーシカに呆れた。よくそんな暴論が通ったなと思った。
「反乱は収まりました。そしてアリョーシカは王から大いなる信頼を得、神の名のもとに多くの王の側近をも粛清しました。」
クリウスはナッツを掌に回収していく。
「そう…アリョーシカ様が」
エミューナはそのナッツ意味あったのかしら、と眺めつつ相槌を打った。
「アリョーシカの天下となった後は、国民を厳しくしめつけ、税金をとれるだけしぼり、軍事費、神への上納金にあてました。…国王は、アリョーシカのすることが最善だと信じているのです。」
クリウスは空の盃に回収したナッツを全て入れた。もう、卓上の大地には何も残っていない。
「それだけじゃありません、お父様がアリョーシカの言うとおりにする理由は。父はアリョーシカにすっかりのぼせていますから。」
アンゼが首を振りながら補足する。エミューナは信じていた父の無様さに溜息をついた。
「…。ハア…。」
「しかし、アリョーシカの目的は…、アリョーシカはネヒティアの神官長と通じています。そして、ネヒティアは、今はワーネイアと手をむすんでいますが、ウイニアを二国で倒したのちには、ワーネイアをも乗っ取ろうとしているのです。」
クリウスは盃を手前に、南に持っていく。ワーネイアが、ウイニアに攻め込むことを危惧しているのだろうか。
「こんがらがってきました…」
エミューナが盃を目で追いながら眉を顰める。
「だから、ネヒティアはワーネイアの力をかりて、ウイニアを倒し、そのあとウイニアごとワーネイアを自分のものにしようとしているということね。実のところ、一国じゃウイニアにはかなわない」
アンゼがそう言って、盃の中のナッツを一つつまんで食べた。クリウスは少し驚いたが、気を取り直して続けた。
「そう、そしてアリョーシカの目的ですが、彼女はネヒティアが二国すべての領地を得て大国になることを望んでいるのではないかと思われます。ネヒティアの神官長グロチウスと共にそれをあやつりたいのだと。そして、アリョーシカがネヒティアにワーネイアの情報を流しているうたがいも強まっています。」
盃ごと全てのナッツを東のネヒティア、否アンゼに贈る。
「売国奴というわけね」
「アリョーシカ様が…」
「僕の話を百パーセント信じているとは思いませんが…」
クリウスは二人の顔をゆっくりと見た。アンゼは小さく溜息をつき、エミューナの方を見た。
「信じたわけではありません。ただ、少し考えたいことがあります。先に帰っていてくれますか?」
「はい。わかりました。」
エミューナは従順に頷いた。
「そうですね。」
クリウスも、今急いで結論を出してほしいとは思っていない。頷き、エミューナをエスコートして先にバーを出た。
アンゼは水を貰い、カクテルナッツを漬けた。アルコール分が洗われ、ナッツがゆっくりと浮いてくる。
「国民の窮状、アリョーシカ、税金…さて、どこから攻めようかしらね…」
クリウスは宿の前で立ち止まり、今後の話をしようとした。
「エミューナさん、明日からは…」
「すみません、少しお願いがあるのです。ここは、たぶんラ・ヴォーレに近いでしょう?そちらに寄っていただきたいのです。」
「どうしてですか?」
「母の父と母…わたくしのお祖父様とお祖母様の生地です。顔を見たことはありません。でも、一度お墓でも何でも見ておきたくて。」
「亡くなっておられるのかな?」
「わかりません。エルゼア様、そう、アンゼ様のお母様が決して情報を伝えることを許しませんでした。」
「そういえば、異母姉妹だったと聞いているな。仲が悪い、の?失礼だったらあやまるが」
「エルゼア様は一流貴族の娘…しかもお兄様が当時の騎士団を統括なさっていました。比べてわたくしの母はたかだか地方名士の娘…しかも一介のメイドです。そんな第二夫人と同列にされるのが悔しかったのでしょう。決して母とは口をききませんでした。」
「アンゼさんは?」
「エルゼア様以上に、わたくしの母はきらいのようです。でも…わたくしには大変やさしくしてくれます。」
何の屈託もないと言えば嘘になるのだろう。しかしアンゼとエミューナの間には、確かに絆があるように、クリウスにも見て取れていた。先程は疑ったが、エミューナはアンゼに嫌われているとは思っていないようだ。いっそ嫌われていた方が楽だったのかもしれない。しかし、二人はそれを乗り越えていた。好きとか、嫌いとかの次元ではない。二人はただしく姉妹だった。
少し、クリウスは羨ましさを覚えた。
「…。でもラ・ヴォーレは…」
「よろしいでしょうか」
「大変、だよ。」
「…アンゼ様にも…伝えなくちゃ、だめです、ね」
アンゼが嫌うのはエミューナではない。それでも、嫌いな女の生家に連れて行かれるとなると、良い気はしないだろう。エミューナは気が重かった。
「それじゃ。また明日。」
クリウスは助けない。アンゼの機嫌を損ねるような真似はしたくなかった。
「はい。」
エミューナは軽く会釈をして宿に入っていった。
エミューナが宿屋のベッドサイドに備え付けられたテーブルに向かい筆をとっていると、アンゼが帰ってきた。
「ただいま。」
「遅かったですね。眠くないですか?」
「うーん、まあ大丈夫。何してるの?」
「え、ちょっとお手紙を。」
「誰に?」
「…。」
アンゼが聞いたら、嫌な顔をするかもしれない。エミューナは曖昧に笑って誤魔化した。
「ふうん、ならいいわ。わざわざ言わなくても。」
アンゼは寝間着に着替え、
「もう寝るわよ。私は。」
「アンゼ様、あっ…明日のことですが…」
エミューナが筆を置いてアンゼの方に向き直る。
「ああ、私は明日しらべたいことがあるから、二人で行ってくれない?」
アンゼはチラリとエミューナを見遣ると、すぐに布団に潜ってしまった。
「はい。」
ラ・ヴォーレにはクリウスとエミューナだけで。それはエミューナにとっても有難い提案だ。
「おやすみ。」
アンゼはそう口にするや否や、夢の中に落ちていった。
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