EPISODE 3
ここが天国なのか。金成色の雲がこれでもかというほど浮遊していて、まるで雲海の様だった。
「バクっ」
「…にい、さん」
小さく縮こまるバクの傍へ駆け寄る。
見上げるとそこには自分たちを囲むように色とりどりの光を放つ者たちが並んでいた。
「お前がサミエドロか」
「はい。あなた方は?」
「あらゆるものの神だよ。私は海の神だ」
海の神。それなら…
「あの」
「なんだ。言いたいことがあるならばはっきりと言え。不躾だったら珊瑚に変えてやる」
「イブ02は元気にしていますか」
拍子抜けしたように海の神は髭を撫でつけた。
「…そんなことか。自由に泳いでいるよ。心穏やかに」
「そうですか。教えてくださってありがとうございます」
頭を下げていると、横から大きな緑色の指が頬を撫でた。ほのかにダリアの香りがする。
「サミエドロの容姿は素晴らしい。それなのになぜ街道博なんて醜悪なものに変えた?。人間の神の美的センスはどうかしているよ」
「あら、植物の神。でしたら私に代わって人間を創られてみます?。まあ無理でしょうけど」
「なんだって?」
死神がすっと前に立ちふさがると、神々がすぐさま口を噤んだ。
「まずは君に、バクのこれまでの敬意を離そう」
全て自分の生だった。結果的に、どれだけ頑張っていたとしても自分はバクを守り切れず辛い思いをさせた。それに加えて多くの人間に被害をもたらし、取り返しのつかないことをした。
「それでね、バクをもとのバクに戻してあげたんだ。…少々乱暴なやり方で」
まだえずいているバクの背中をさする。
「俺のせいですね…」
「そうだね、君のせいだ。でもこちらにも謝罪しなければいけないことがある」
弱々しく涙を流しているバクの目は黒くくぼんでいた。
「バクの目のことはこちらとしても想定外でね。まさか一神の零れた瞳がバクの瞳になってしまうなんて思わなかったよ」
「でもそれは俺がバクを創らなければ起らなかったことで」
「いや、これは天界のミスだ。そのせいでバクが盲目になってしまったのには心が痛んでいる」
死神様はそう仰ってくれているけど、悪いのは俺だ。だったら
「罪人の独り言だと思って聞いていただけますか」
死神様は冷たい目でこちらを見下ろした。
「何?」
「バクの罪を肩代わりすることはできませんでしょうか」
「君の犠牲精神はもはや病気だね」
「それが無理なら目を。バクに俺の目を与えてやってくれませんか」
彼はわざとらしく人さし指を唇に当てて、唸って見せた。
「元の世界に戻ったら街道博君の家族、驚くんじゃないかな。急に君の両目がぽっかりなくなってたら」
「街道博は貴方によってもう亡き者にされているんでしょう?」
少し驚いたように目を瞠っている。
「…流石だね。心の中を読まれているようで凄く不愉快だけど、君はそこにいる神なんかよりもずっと使えそうだよ」
死神はサミエドロの隣に座り、笑った。
「いいよ、君の独り言、僕が叶えてあげる」
そう聞いてほっとした。
○ ○ ○
「やっとお目覚めかい」
「僕生きてる…」
「記憶を吐かせただけだからね」
奥で飢えた神々が記憶を喰らっていた。
「下品だね」
「あれが神の本来の姿さ。それにしたって見苦しいね。そろそろ変え時かな」
はっとして目をこする。
「目が、見える。確かに目をくりぬかれたはずなのに」
「相当痛がっていたからよく覚えているだろう」
「それに僕の罰は?。今の僕は何でもつらく感じそうだよ」
死神は天使のような顔で微笑んだ。さっきまでの仕打ちを思い出すとそんな顔が出来るこいつは不気味極まりない。
「君の罰はお兄さんと一緒に地獄の最果てで生きることだよ」
「それは無理だよ。だって兄さんはとっくの昔に僕が…殺しちゃったんだから」
「…なら、その目でよく見てごらん」
死神の指さす方向に、骨ではなく肉体のついている兄さんが座っていた。
「…兄さんっ」
感動の再会だ、と死神は嬉しそうに不協和音の鼻歌を歌う。
「この目に巻かれている布は何?」
死神は黙ったままだ。布を外していくと、眼窩が覗いて驚く。
「サミエドロは盲目になったんだよ。君の代わりにね。悲鳴の一つも上げてくれなくてつまらなかったよ」
ワナワナと震えるような怒りが沸き上がった。
「転生した先からわざわざ連れて来たの?」
「君を迎えに来てくれるのはサミエドロだけだからね。元々そのつもりで短命の人間に転生させていたわけだし」
目を覚ましたサミエドロは直ぐにバクの名前を口にした。
「ここにいるよ兄さん」
「よかった。俺はもうバクが何をしているか見ることが出来ないから、死神様の言うことをよく聞いていい子にするんだよ」
「するんだよ?」
復唱するあたりも本当にムカつく、この死神。
「こんな奴の?」
「うん。お願いだ」
「…わかったよ」
地獄へ落ちる途中、真横に気が遠くなるほど長い階段が見えた。
「どうした、バク」
地獄に足がつく。
「天国への道のりは凄く長くて大変そうなのに、地獄へ落ちるのは一瞬で簡単なんだなって」
そんなことよりももっと驚いたのは、目が見えていないのにも関わらず、兄さんが僕を気にかけてくれることだった。僕の発する気配や雰囲気だけで何かを感じ取っているのかな。
「兄さんはさ」
こちらに顔を向ける兄さんの表情は昔と違った。何でも言うことをぶつけていい、そんな用意が出来ているみたいな顔をしてる。
「罪の意識があるからこんな風に僕を気にかけてくれるの?」
言い淀んだ兄さんを見て、あいつが代わりに言葉を紡いだ。
「君を愛しているからだよ」
わかっていた。わかっているのに、どうしても思ってしまう。
「あんたには聞いてないよ。ちゃんと兄さんの口から聞きたい」
兄さんのその底抜けの優しさは、僕を病弱に創り出しちゃった贖罪なの?
「僕ずっと兄さんのお荷物だったはずだよね?。今だってピオニーと一緒に生きる道が僕のせいで途絶えた」
僕を生み出したこと、後悔してない?
「確かに、バクを創り出したことで死神様まで動き出さざるを得ない状況を作って、世界に大きな迷惑をかけた。でも…それでも」
頭を撫でられて、堪えても堪えても涙がこぼれる。
「俺はバクを創ったことを後悔なんてしてないし、バクのことを誰よりも愛してるからお前の傍に来たんだよ」
やっと聞けた。今まで怖くて聞けなかった。
ずっと不安だった。兄さんが僕を生み出したのは寂しかったからだってことは早々に気がついていたから。飽きられるのが怖かった。兄さんの持ってる自術なら、僕の代わりなんて幾らでも創り出せるから。
初めに病弱に生まれたことを呪った。迷惑をかければ兄さんに愛想を尽かされるかもしれない。そう思ってなるべく病気のつらさを悟られないようにした。
兄さんがあまりにも僕を甘やかしてくれるものだから、どこまでわがままを聞いてくれるか試して、それでも安心は手に入らなくて。
僕のこと、用済みだって捨てられちゃう気がして言えなかったんだ。
それに兄さんはピオニーを遠ざけるようになったから、あの子じゃなくて僕を選んでくれたと思ってた。なのにあの日兄さんは僕を殺そうとした。知らず知らずのうちに罪を重ねた僕を責めずに、ただ一緒に死んでくれようとしたんだよね。
不安でどうにかなってた僕は大事なことに気がつかないでずっと兄さんを…。
これからも僕がずっと想ってたことを言うつもりはない。だって兄さんを苦しめるだけだから。誰にも話さず僕の胸のうちにしまっておくよ。
それにもう僕は大丈夫。不安になる一方で、ちゃんと兄さんは僕を代わりのない存在として愛情を注いでくれていたことをわかっている自分がいたから。きっと不安がその自信を食べちゃってたんだ。バクが夢を食べるように。
素直じゃないから謝れないけど、ちゃんと反省してるよ。沢山酷いことをして、酷いことを言ってごめんね。
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