EPISODE 7
「何でずっと黙ってるの。僕のことも罵ってよ。ピオニーとの仲を裂いたこととか、出来損ないのガラクタだって殴ってよ」
本を次々と投げつけられる。こんな俺のどこに、バクを責める資格があるだろう。
「なんとか言ってよ兄さん。これじゃあいつまで経っても一方通行だ」
バクに対して俺が何もぶつけていないこと、それすらもバクは気づいていて、今までずっと言わずにいたのか。
その事実を知った途端、人生で二度目の涙が流れた。今度は孤独ではなく、最低な自分への自己嫌悪。
「僕だって兄さんを傷つけたいわけじゃないし、それに…」
○ ○ ○
それに、全部わかってるんだ。ちゃんと兄さんが僕を愛してくれていること。
だけど、それとは違う好きが、ピオニーに対して芽生えちゃったんだよね。わかってる…わかってるけど、自分の存在に自信が持てなかった。ピオニーと違って僕には変わりがきくから。
兄さんとの思い出も、ピオニーとの思い出も大事にしてる。だけど、いい子で聞き分けのいい僕以外に、どうしようもない憎悪を抱えた僕がいる。思いをぶつけようとしても上手く逃げる兄さんに腹あを立てる僕も。そいつは紛れもなく僕で、今まで抑え込んでた分、兄さんのあの顔を見た時から徐々に抑えが利かなくなってきてるんだ。
助けて兄さん…助けてよ。
○ ○ ○
バクはそこでピタリと泣き止んだ。
「バク?」
「…何でもない。とにかく例え創られていたとしても、本当の家族じゃなくても、僕は兄さんのことを兄さんだと思ってるよ」
バクはそう言いながら不気味な笑みを浮かべた。
先程とは違う雰囲気に圧倒される。口元をブラウスの袖で拭う様は、まるで滴る血を拭っているようで嫌悪感を覚える。
実際にバクが食べているのは、俺には見えない記憶。
「これは推測だけど、兄さんは僕なんかよりもっと凄い力を持ってる。なのになんで人間ごっこみたいなことをしてるの?」
「人間は素晴らしい生き物だから」
「…はは。どこでそんな風に洗脳されちゃったのか花知らないけど、もったいないよ」
バクのその言葉に心の底から空しくなった。
「僕にも特別な力があることを知ってからはもうパラダイスだよ。通りすがりの人間から意図せず記憶を抜き取っちゃったときはびっくりしたけど、いい匂いがして食べてみたら美味しくて。さらに口に含んだだけで人が体験した喜怒哀楽で体が熱くなって、病弱だった体もこの通り。兄さんも僕が健康になって嬉しいでしょ?、喜んでよ」
何も言えなかった。
病弱で何をするにも辛そうなバクを見ていた頃は、代わってあげたいと思っていた。弟が苦しんでいるのを見るのは心が痛んだ。
でも、今目の前にいる健康なバクはもう自分の知っているバクとは違う。まるで別の生き物の様だ。
それでもこの子は俺の弟だ。俺が何とかしてあげないといけない。
「…あはは、喜んでくれないんだね。残念だな。でもおかしいよね、名前はバクなのに夢じゃなくて人間の記憶を食べちゃんなんて」
本当に恐れていたことが起きてしまった。
バクは自分のように全てを滅ぼしてしまうような力は有していないものの、人間を危機に晒す力は持っている。
バク自身それに気がついてしまっている。
「まあ兄さんも食べてみなよ。食べたら考えも変わるかもしれないよ」
「俺は記憶を食べることは出来ないんだ」
「そうなの?」
意外そうな素振りを見せながらも、口元はずっと動いていた。
「うん。そもそも今バクが食べてる物も俺には見えてない。記憶は普通目に見えるものじゃない」
「普通じゃないんだねっ、僕。凄いや」
自分に背を向け、まら記憶を手に取り口へ運ぼうとするバク。俺は覚悟を決め、かつて採取してからずっと保管しておいたイブ02の血をナイフに塗り、バクに狙いを定める。
幼い頃のバクを思い出す。
今よりもっとわがままで、手のかかる子だった。だけどたった一人の家族、可愛い弟だから可愛くて仕方がなかった。
文字やその意味を習得するまでは自分が読み聞かせをしていたこと、フォークとナイフが上手く使えなくて泣いてしまったこと、兄さん兄さんと駆け寄って来てくれたこと。
俺は〝兄さん〟としてあるべき姿ではなかったけれど、バクはいつだって俺の心の支えになってくれる本当の弟だった。
一瞬の迷いがいけなかった。
そうでなければ俺が速さで劣ることはない。
突き刺した感触はなく、ただ涙で視界がぼやけていた。
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