EPISODE 6

 泣き疲れて眠ってしまったピオニーに、何か置手紙でも残して行こうかとも思った。けれど、そんな考えは一瞬で消し去った。

もう二度と会わないと決めた相手に、未練がましくこっちの都合だけで置手紙なんて残したら、悲しい思いをするのはそれを読む方だ。




 足早に屋敷に戻り、バクの部屋へノックをせずに入る。



「何してる」


「あ、兄さん…バレちゃったなら仕方ないね。兄さんにも分けてあげるよ」



そう言ってバクは俺に何かを見せてきた。しかしそれは俺には見えない、バクにしか見えない何かだった。



「独り占めしてたこと謝るよ。でも僕気づいたんだ。ピオニーと話すうちに、あの子には…人間は生まれてから今までの沢山の記憶を持ってること」



気づいてしまったか。



「でも僕にはなかった。兄さんはどっち?僕を創った人間?それともこっち側の生き物なのかなぁ」


「バクと同じで人間じゃない。だけど俺たちには違い…がある。俺は人間によって創られたけど、バクは俺が生み出した」



やっぱり、と呟くバクは上機嫌だった。

自分が人間でないと気づいた時、同じ血の匂いがするから俺も同じだとわかったと言う。



「兄さんにも記憶がなかったはずでしょ?。だったらこれ食べなよ。今まで食べた何よりも美味しいし、食べると僕たちにはなかった記憶が沢山見られるよ」


「バク、俺たちにだてもう記憶があるだろう」



ふたりだけで暮らしてきた日々、ピオニーと出会ったことだって大切な記憶だ。産声を上げた日から二十年間の記憶がぽっかりなくたって、俺は幸せだったよ。

 バク、目を覚ましてくれ。

 バクは俺なんかよりももっと楽しくて幸せな記憶を沢山持っているだろう。



「本当の家族じゃないから、本物の記憶じゃないって思うんだよねぇ。確かに全ての感覚を研ぎ澄ませれば兄さんの完璧な血液が少しだけ流れているのはわかった。人間じゃないからね。でもそれって僕を創る時に自分の血をしただけでしょ?」


「母親の母体から生まれたら本当の家族とは限らないよ」


「そうだね。人間たちは別の母体から生まれた子どもを育てる時もある。それだって同じことさ、育てが違っても出生を辿れば必ず母親と父親がいる。でも僕らにはいない」



その通り過ぎて何も言えずにいると、ニコニコしながら傍までスキップしてきた。



「兄さんの血は僕の身体に上手く適応しなくて、だから僕は病弱だった」



バクの血液βに数滴たらした俺の血液αは害になったのだと今はっきりとわかった。血縁関係という確固たる繋がりを求めたせいで、バクは今まで不自由な生活を送ることになったのか。

 バクは喉を鳴らしながら食した記憶を飲み込んでいる。



「でもこれを食べるようになってから、難しいことはわからないけど体に変化が起きた。夢にまで見た健康体を手に入れたんだよ」


「バク」


「そんな怖い顔しないでよ。怒ってるの?」



頷くと、腹を抱えて笑い出した。バクには似合わない狂気じみた笑い声。ふっと顔を上げてみせた表情は無だった。



「なら言わせてもらうけど」



――こんなふうに生まれたくなんてなかった。


怒鳴り散らすように叫んだ。これがバクの本音。

聞き訳がよく俺を困らせるようなわがままを言わなかったのは、ずっと本音をしまっていたからなんだね。


――ピオニーのような人間みたいに染色体から自然に生まれたかった。


俺がバクを創らなければ、バクは人間として生を受けていたかもしれない。

…本当にごめん、辛い思いをさせて。

 生まれた時から推定年齢十歳なのは普通でないこと。瞳の中に流れ星が流れているのは珍しいこと。俺が黙っていて、ピオニーに聞いて初めて知ったことの数々を責められた。



「気づいてないとでも思ってたわけ?」



 バクは俺を責めながら、鼻をすすって泣いていた。

 今まで俺に言えずにいた言葉、俺を傷つけるとわかっていてしまい込んでいた言葉。

他にも色んな理由が絡み合って出来た目に見えない糸が、バクを縛り付けていた。

 全部全部、俺のせいで。

 思いをぶつけられる度に、俺は兄を演じていただけだったことに嫌でも気づかされる。

バクが俺に捨てられることを恐れていたことなんてずっと前からわかっていたのに。それなのに俺は自分の気持ちを優先させて、バクにばかり我慢をさせた。

全ては俺の心を満たすために。

 もっと前にちゃんと思っていることや本当のことを話してぶつかっていれば、今頃本当の兄になれていたのかな。

 今の俺は〝バク〟という玩具を手に入れて遊んでいただけの最低な生き物。

 きっとバクはこうして俺に全てをぶつけてしまったことで、罪悪感を感じているだろう。そんな必要はないんだよ。

俺は責められて当然のことをしたんだから。

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