EPISODE 4
兄さんは知らない。
心地よい風と一緒に二人の笑い声が僅かに聞こえてくる。
僕に内緒であの子に会ってるの、知ってるよ。
あの子はだれ?
出窓にやって来た鳥は僕の機嫌を窺うように小さく飛び跳ねていた。
「食べちゃだめだよ?」
窓の外へ、籠に入っていた常備薬を全部捨てる。
この広い屋敷の中で兄さんと呼べば、それだけで兄さんは直ぐに飛んできてくれた。
身体に異常はないか、気分は悪くないか、何かしてほしいことはあるかって、僕を大事に育ててくれた。
だけど最近は、僕が薬をちゃんと飲まないどころか、わざと捨てていることにも気がついてくれない。
どんなに呼んでも兄さんは駆けつけてくれない。あの子が花畑に来た日から、あの子といる時間には絶対に。
あの日は兄さんを喜ばそうと思って、書斎に飾る花を摘みに行った。兄さんと同じ髪と目の色をした竜胆がいいと思って、少し離れた所まで目的の花を探しに内緒で屋敷を出たんだ。
その帰り、兄さんが花畑の真ん中で眠っているのが見えた。
歩きすぎて苦しくなっていたら、途中で鹿の子どもが体を支えてくれたんだって話をしようと思ったのに。
なのに。
そこには知らない女の子もいた。
眠りから覚めたらしい兄さんは彼女に手を伸ばしていて、それは昨夜読んだ御伽噺の一ページみたいでワクワクした。
その反面、いつもとは違う胸の苦しさに襲われた。
発作が起きた時に呑むように言われていた薬をポケットから出すと、鹿に袖を引かれた。薬は効かないよと鳴いている。
その日の晩餐はカトラリーを持つ気にさえならなかった。
だけどそんな僕を見て心配してくれる兄さんはいつも通りで、ほっとしたら自然と食欲も湧いた。
でも兄さんは僕に隠し事をするようになった。
いつあの子の話をしてくれるのかと心待ちにしていたのに、その時は待っても待っても来なかった。
それどころか、僕に内緒であの子と内緒で会うようになった。
僕に隠し事をしていると知る度に胸のあたりが苦しくなった。
兄さんが屋敷にいない時間は寂しかった。だけどあの子と会わないでほしいとか、ずっと僕ん傍にいてほしいとか、そんなわがままを言ったら兄さんは僕のことを嫌いになってあの子とどこか遠くへ行っちゃうかもしれない。それが怖くて、何も言えなかった。
ある日兄さんが僕の部屋で本を読んでいるのを見かけて、その夜何を読んでいたのかと同じ本を手に取った時、思わず本を壁に投げつけた。
恋愛が主軸の物語だった。
今日も二人は花畑で二人の世界に入り込んでいる。兄さんはきっと今僕が苦しんでいることも、こうして二人のことを屋敷からこっそり見ていることも、想像もしてないんだろうな。
遠くであの子と笑い合う兄さんの頭には僕の存在なんてないのかもしれない。
「ねえ鳥さん、僕の代わりに二人のことを邪魔しに行ってよ」
なら自分で行ったらどうだと囀られた。
「無理だよ。兄さんに嫌われちゃう」
君に内緒で彼女に会っていることを後ろめたく思っているはずだから大丈夫、とだけ言い残してどこかへ飛んで行ってしまった。
あの子が来る前から、僕は兄さんを試してきた。
どのくらいのわがままなら許してくれるのかと思っていたけれど、新居さんは何でもしてくれた。
だけど兄さんを本当に困らせるようなことは言ってみたくても言えなかった。愛想を尽かされたらどうしよう、見放されたらどうしようって思うから。
兄さんは気がついてないと思ってるかもしれないけど、僕は知ってるよ。
僕たちが人間じゃないこと。
もしも僕がいい子じゃなくなったら、兄さんは僕の代わりを創るかもしれない。そしたらきっと捨てられちゃうから。当たり障りのない会話をしながら、いっつも兄さんの顔色を窺って話す内容を慎重に考えて選んでるんだ。
「後ろめたい、か…」
兄さんはきっと僕に悪気があるわけじゃない。僕が勝手に不安になって、あの子に嫉妬しているだけ。
恋愛の本を読んでたのだってきっと偶然だ。後ろめたいだなんてそんなこと思ってないよ。あれは鳥さんの意地悪に決まってる。
僕に隠し事してるつもりはなかったって。
おいで、混ぜてあげるよって。
いつもの優しい表情で仲間に入れてくれるはず。
ふと我に返る。
こんなみじめったらしいことを考える僕じゃないよね。何でこんなに悲観的になっているんだろう。仲間に入れてもらうために二人のところに行くんじゃない。
大好きな兄さんじゃないか。もっと自信をもって、僕に隠し事してたわけじゃない兄さんを信じればいい。
あの子のこと、きっと僕にいうほどのことじゃないって、あの子のことそれくらいにしか思ってなかったんだ。だから僕に言い忘れちゃってただけで。
だから、兄さんが隠してたこと全部知ってたなんて言うつもりはないよ。
ただ、二人が会ってる時間にも兄さんの視界に入りたかった。
僕のことを一人に、不安にさせた罰としてちょっと脅かしに行くだけ。
こっちの方がしっくりくる。
穏やかな風が入り込む窓を閉め切って、部屋を出る。
時間をかけて一歩ずつ階段を下りて、屋敷の扉に手を掛けた。
「兄さん、どんな顔するかなぁ」
静かに静かに二人の元へ歩みを進める。
苦しくなって荒い息を吐いていても、兄さんはちっとも僕に気づかない。僕、こんなに近くにいるのに?。
もっと近くまで行こうと歩みを進める度に、胸の苦しさとは別に兄さんに気付いてもらえない焦りと、手が届かないもどかしさを覚えた。
「兄さん僕に内緒で誰と会ってるのさ」
ついに声が届く距離に来られた。
兄さん、どんな顔で僕を見るんだろう。
叱ってくれるといいな。
こんなに息が上がって無理をしてここまで来たことを叱って僕を部屋まで連れて行って。
あの子のことは後回しにして、僕のことを一番に考えて。
―ッ
今の顔。
後ろめたさでいっぱいのその表情。
そっか、兄さんは僕に悪気があったんだね。
僕の中で何かが変わる音がした。
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