MEMORIAL
EPISODE 1
時は過ぎ、サミエドロは自分が人間でないことを忘れるくらい、弟のバクとの慎ましい暮らしを幸福に感じていた。
その日は町に来ていた。どうしても新しい小説が欲しいとバクにねだられてしまっては断ることも出来ない。そうでなくともバクには人より何かと不自由な思いをさせてしまっているから。
「やあ、君か」
「こんにちは」
「今日はどんな本をご所望かな」
「一番上の棚にあるあのシリーズの新巻と、それから図鑑とか小説とかおすすめの物があれば…」
「わかった見て来てやろう」
町でも一番小さく、目立たない場所にある本屋を選んで買いに来ていた。
「あの人時々お見かけしますけど、ただ本をお持ちになっているだけで画になりますよね」
「ああいう人を麗人って言うんだわ、きっと」
目立たないようにわざわざ暗めの服を着てここへ訪れるのに、いつも目立ってしまう。特に女性には直ぐに声をかけられてしまう。
容姿や声、話し方や雰囲気。自分の何で人間じゃないとバレてしまうかわからなくて、それが怖かった。
「どうしたんだい君、怖い顔して」
「いえ…」
老父の店主は手招きして小声で耳打ちしてきた。
「さては女が苦手だね」
「女性というか人の視線が怖くて」
「もしあれだったら開店前に来てもいいよ。君いつもこんなぼろくて汚い小さな店に足を運んで沢山買って行ってくれるからね。ほんの気持ちだよ」
「正直、助かります。ありがとうございます」
これで少しは人との接触を避けられるだろうか。
はっとして、例の設計図から作った杖を包みから出して渡す。
「あの、よかったらこれ使ってください」
店主は渡された杖でその場を何度も突き、時に天井に振り上げ馴染むかを確認していた。
「使いやすいね。これだったらまだ働けるよ」
「よかった」
「ありがとう」
「いえ、俺を言うのはこちらの方で…」
「変だね君は。お礼は素直に受け取るものだよ。またいつでもおいで」
「はい」
店主の厚意で今後は本屋で人に会わなくて済むし、食材は人気が逆に多く自分一人に注目が集まらない早朝のマルシェで買っているし、問題ないはずだ。
問題があるとすれば…
「大丈夫ですか。震えていますよ」
よく話しかけられるという点だ。
人間みんながそうかどうか判然としないが、少なくともこの町の人間は他人を心配する。
どうやら自分は心配されやすいた体質のようだ。肌が白く顔色が悪く見えるからかもしれない。いつも下を向いて歩いているからかもしれない。
その程度のことで、人間は寄り添おうとしてくる。周りを見ないようにしている自分に比べて、人間たちはよく周りを見ている。
人間を避ければ避けるほど、逆に目立って怪しく見られてしまう可能性もある。
もうよくわからなくなってきた。俺はどうすればいい?。
「…お構いなく」
本屋の店主やマルシェの店主には会う頻度が多いから少し慣れてきたけれど、それでおやっぱり人間と関わるのは怖い。
自分が悍ましい生き物だとバレてしまうのがとてつもなく怖いのだ。
「よかったらこのお紅茶を淹れて飲んでください。きっと心も体も温まりますよ」
「いや、でも…」
「実はさっき娘も同じものを買ってしまって。多すぎるから、もらってくれるかしら」
人間は嘘を吐く。決して相手に嫌な思いをさせない、優しい嘘を。
「それなら。…これお礼に」
さっき本屋で買った本を一冊渡す。
「あら、こんな高価なもの受け取れないわ」
「…沢山買いすぎてしまったので」
ご婦人の真似をしてみた。
「ふふ。それじゃあありがたく受け取らせてもらうわ。娘もきっと喜びます」
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