7th. どこへいくの

 乳白色でやや粘り気のある液体は、ほんの少量ずつしか採取できない。作業には並ならぬ根気が要った。

「目標量採れたぞ!」

 だから、作業が完了した時、モモは喜びいさんでサワタリに報告したのだった。

「……」

「……? ご主人?」

 赤い瞳が、瞬く。ややあって、サワタリの視線がモモの上に降ってきた。

「蜜蜂の分泌液だったか」

「うん。ここはすごいな、養蜂というのを、おれ、初めて見たんだ」

「ここは──南域でも有数のアカシア群生地だ。アカシアの蜜は食べやすく滋養が高い。その蜜を蜂が集め蜂蜜を産するゆえに、養蜂が盛んな土地となっている」

 サワタリは微かに笑い、モモの頭を撫でる。モモの知らないことを教えてくれる、いつものご主人だ。だけど……。

「これで、すべての材料が揃ったんですね」

 ゴドフロワが感慨深げに云う。確かに感慨だ。南域を旅し、集めた材料は十種類にのぼる。

「あとは、材料を加工するための道具や装置が必要なんだが」

「引き続き、この養蜂場に掛けあってみよう。ここまで大きな養蜂場ならば、使い勝手の良い道具は勿論、装置をつくるのに必要な材料の当てもありそうだ」

 そして、モモたちは養蜂場の端にある、今は使われていない小屋を借り、臨時の加工場としたのだった。

「ケマの示した手順は、初めに水浴、次に砂浴だった。どちらの装置もここにあるもので代用できる」

 砂浴の手順は、ドロシーの手記で勉強したことがある。モモは集めた材料──風竜の胆汁、雨水、そして黒色のギョクを容器に入れる。それからゴドフロワを呼んだ。

「俺の出番ですか」

「うん。『王族の血液』をここに入れて欲しい」

 ゴドフロワは躊躇いなく腕を切ると、容器の中に血を落とす。ゴドフロワのことだから、へたな切り方はしていないと思うが、やはり痛々しい。

「もういいぞ。ちょっと待ってろ、腕の傷の手当てをする」

「いりませんよ。圧迫ですぐに血は止まります」

 そうはいかない。モモはゴドフロワの傷を丁寧に消毒し、血止めの薬を塗りこんだ。

 それから作業に戻る。四つの材料を入れた容器の蓋を閉めて。鉄製の皿に満たした砂の中に、容器を埋める。皿の下には竈があり、火を入れれば砂が熱される。その砂によって、容器は間接的に熱されるのだ。

「あれ? ご主人は?」

 額の汗を拭い、振り向いて──小屋のどこにもサワタリのすがたがないことに気がついた。

「少し出てくると」

「またか」

 ラピスを造りあげるための加工は、ドロシーに師事し、大学でも薬学をまなんだことで、いくらかさまになるモモに任せらていた。それに熱中していると、ふとサワタリがいないことに気がつく。ゴドフロワが傍で手伝ってくれるから、手は足りているが──ご主人がいないと、落ち着かない気持ちになる。

 喩えご主人がほかのなにかに気を取られているとしても──。

「なあ、ゴドフロワ」

「はい?」

「ご主人、この頃少し、様子がおかしくないか?」

「……、」

「おれの気のせいだろうか」

「俺は、あなたほどかれの傍にいるわけではありませんので、なんとも云えません」

 だけれど、とゴドフロワは続ける。

「毎回、まかれます」

「まかれる?」

「今回みたいに、ふらりと小屋を出て行く時があったでしょう? 後をつけたことが何度かあるのですが、毎回まかれてしまいます」

「ゴドフロワも、ご主人がどこに行っているのか知らないのか」

 うなずくゴドフロワに、モモは腕を組み唸る。

「サワタリのことですから、めったなことはないと思いますが」

 帝都でも、サワタリはすがたをくらませていたことがある。かれはユーグの呪毒を治癒する方法を探るため──真なる秘蹟を求め、黄禁城の奥部まで忍びこんでいたのだ。ゆえに居場所を探知されぬようずっと潜行していた。あの時と、きっと同じだ。ご主人が忍んで何かをしている時は、何かを頑張っている時なのだ。

「うん。信じている。──加工の続きをやろう」

 モモはうなずく。ご主人が頑張っている分、おれも頑張るのだ。顔にふきだしていた汗を拭い、作業に取りかかった。

 鉄皿の中の砂をへらで掻き混ぜる。南域の夏である。いくら窓を開けていても、小屋の中はむっとする熱気が籠もっている。何度も汗を拭き、ゴドフロワと交代しながら作業を続ける。七日間の砂浴が終わったら、次は水浴だ。四種類の薬草──使う部分は果実であったり根であったりと様々だが──を丁寧に刻む。同時に、半球状の鍋に水を入れ沸騰させる。鍋の上に渡した網に、刻んだ材料を載せ、水蒸気で熱する。今度は、網の上に並べた材料を、丁寧にひっくり返す。全体にまんべんなく水蒸気がかかるようにするのだ。この状態をまた、七日間保たなければならない。

 七日間の砂浴を経た四種類の材料、水浴を経た四種類の材料をそれぞれ乳鉢に入れる。砂の熱で、或いは水蒸気で当分に熱された材料は、玉やリュウコツまでもやわらかくなり、乳棒で摺ることができた。摺りあがったものを、それぞれ蒸留器にかける。加熱によって出てきた気体は冷やされ、液体となる。それを慎重に、フラスコの中にそそぎこむ。

 計八種類の材料のエキスともいえる液体の入ったフラスコに、蜜蜂の分泌液とトチュウの樹皮から出るゴム状の白い糸を加える。それから、フラスコの口に封をする。紙に古代語で『水の祈り』と書いてくれたのはゴドフロワだ。その紙で封をした、途端に。

「これは──」

「うん。成功、かもしれない」

 銀色の光りが、眼を打った。フラスコの中みが、光っているのだ。モモはそれを小屋の暗所にそっと置く。

「このまま七日間封印すればできあがり、とケマには記されていた。あと七日の辛抱だ」

「やっと──やっと、ユーグの呪毒を」

「うん。このままいけば、癒やしの珠ができあがる」

「時を止める薬のことといい、あなたにはいくら礼を云っても足りないですね」

「おれだけの力じゃない──、……」

 モモの瞳は宙を彷徨う。いくら作業に熱中していても、サワタリの不在にはすぐに気づいた。今もまた──いない。

「サワタリが帰ってくるまで、町の食堂に行きましょうか。夕食には少し早いから、パンケーキはいかがですか」

「蜜がいっぱいかかったやつ」

 巨大な養蜂場を抱える町だけあり、蜜を使用した料理には事欠かない。しょうがやマスタードと併せ肉や魚にかけたり、サラダやマリネを和えるときに入れたり、とりわけ蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキやフルーツサンドは絶品だった。蜂蜜酒なんてものまであるのだ。モモの好物が蜂蜜であると知ったゴドフロワは、滞在中ずっと、モモと一緒に蜜料理を楽しんでくれていた。

 濃く甘い、蜂蜜を堪能する食事の時も、サワタリは殆どいなかった。大丈夫だ、と云い聞かせるほどのこともない。おれはおれのできることをする。そうして、最後の七日間の工程を経て、ついに完成の時が来た。

 この時ばかりは、サワタリも小屋にいた。サワタリとゴドフロワが見守るなか、モモはフラスコを取りだす。封印の紙をそっと剥がし、フラスコを傾ける。軽やかな音をたて、転がり出てきたのは白い珠だった。モモはそれを手のひらに載せる。

「完全に凝固している。完成だ」

 癒やしの珠サニタテム・ラピス──そう呼称されるアイテムは、ありとあらゆる病いやけがを治癒する。失われた手足や臓器でさえ復元するという神の秘蹟のこめられた珠だ。

(もしかすると、ドロシーの云っていた秘薬パナケイアとは、このサニタテム・ラピスのことじゃないのだろうか)

 万病に効くという、伝説の薬。だが、ドロシーは万能薬を求めることなく、自身の力で薬理を追究していた……。

従魔の珠ヴィンクルム・ラピスに似ているな」

 サワタリの言葉に、モモもうなずく。

「そっくりだ」

「だとすれば、やはり完成、なのですね」

 モモは、できたばかりの癒やしの珠を、ゴドフロワに手渡す。

「これで、ユーグの呪毒を治癒してやってくれ」

「有難うございます」

 ゴドフロワは癒やしの珠を幾重もの布で厳重に包み、懐にしまう。それから、少し淋しげに笑う。

「──やはり、ともに帝都へは行かないのですね」

 モモはサワタリを見あげる。あるじはサワタリであり、自分はそれに従うものである。

「もともと、目的のある旅をしていたわけじゃない」

 サワタリの旅は漂泊だった。帝都へ行ったり、ケマを捜したりといった目的のある旅の方が例外なのだ。

「僅かな間でしたが、あなたがたと共に旅ができて、楽しかったです」

「おれも楽しかったぞ、ゴドフロワ」

「もっと、ともに旅をしたかったです」

「俺は他人とパーティを組む気はない」

 サワタリでさえ、微かに口端を持ち上げている。

「息災を祈る」

 サワタリにしては破格の声かけだろう。ゴドフロワが、胸に手を当て頭をさげる。

 そして、かれはその日のうちに帝都へ向け出発していった。馬を駆り、おそらく王の道を進むであろう──それでも到着には半年以上はかかる長旅となる。モモたちは、旅をつづけるうちに、南域の中央部に入りこんでいた。

「ご主人、もうしばらく南域を旅するのか?」

 人はどこにいても、女を虐げる。ケマを捜す旅が終わったのならば、サワタリは再び人殺し業に戻るのだろう。南域でも、あの裁判の町のよう、女性を傷つける男はごまんといた。

「……、」

 返事がない。モモはサワタリの顔を仰ぎ見る。背の高いご主人は──凝った革細工の鞘から、ナイフを抜いていた。じっと見つめるのは、フランベルジュのナイフ……。

 胸が、少しざわついた。ナイフのお礼に、ウトゥラガトス・ニドムに──ご主人の恋人のいる町へ行くのだろうか。もちろんおれはついていく。そこでまた、何を見ることになっても。

「どう……しようか」

 だが、サワタリが溢した言葉は──溢した、という表現がぴったりと合うほど、思いがけないものだった。

「ご主人?」

「俺は、どうしたらいいと思う?」

 こんなことを云う人ではない。モモの気持ちを尊重してくれるあるじだけれど、こうも──頼りなげに従僕に意見を求めるなんてことはしない。否、意見を求めているわけでもなく──途方に暮れた、小さな子どもが親を見あげるように、なんて。

 モモは思いだす。この養蜂の町に来て、癒やしの珠を造るのに二カ月余り滞在した。その間、サワタリは度々すがたをくらましていた。帰ってきてもぼんやりしていることが多く──それは、ユーグの呪毒を治癒するための方法を捜していた時と同じよう、何かを頑張っているのだと、そうモモは信じていたのだけれど。もしかすると、そうではなく──。

「ご主人、なにか、あったのか?」

 サワタリは微かに笑っていた。フランベルジュのナイフを抱くように持ち、微笑むサワタリに。かれの傍に必要なのは自分ではないと、重く思いながら、それでもモモは。

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