6th. 風竜討ち
ケマにこめられた真なる秘蹟とは、それを発揮するアイテムの造り方である。
つまり、沼地のダンジョン──白羊の宮のケマから得られたものは、
「癒やしの秘蹟だからなのか、薬の材料になる物がいっぱいある」
材料を聞いて、先ずモモはそう思った。
「シコン草やヘンズ草はご主人もゴドフロワも知っているだろう?」
「シコン草は強力な創傷治癒効果のある薬草ですね。ヘンズ草は解毒作用だったか。どちらも希少で、ひじょうに高価な」
ゴドフロワの返答に、モモもうなずく。
「トチュウ草は直接的な治癒効果があるわけではないけれど、ドロシーの四元素論でピリアを担うとされている」
「薬理四元素論ですね。聖フラテル大学のコンペテイション以来、広く学ばれるようになった」
「……ドロシーは他にも様々な研究をしていて、薬草以外の材料も分類していた。リュウコツ石は哺乳類動物の化石化した骨で、最強の鎮静効果薬とされている。シキミ草の実は激烈な毒を持つ。ミツバチの分泌液も特上のピリアの効果を発揮する──この三つも希少で、ドロシーの庵以外で見たことはない」
「だが、おまえは採取地を覚えているだろう?」
サワタリが云う。モモは──あるじを見あげた。
「買いかぶりすぎだ、ご主人」
「覚えていないのか?」
「……がんばって思いだしているところだ」
「ならば、材料のうち六つまではモモの知識で集めることができる」
あっさり云って、サワタリは指を折る。
「
「経費は俺がもちますよ。薬草も、ギルドやバザーで買えるものがあればそこで手に入れましょう」
「厄介なのは、
「風竜は空高くを飛翔しているのが常で、地上に降りるのは食事の時か寝る時くらいと云われていますね」
そんな風に話し合いを続け、先ずは最も入手困難だと思われる風竜捜しをしながら、その道中で薬草をはじめとした材料を集めてゆくという方針が決まった。
サワタリの発案で、先ずギルドで竜の討伐依頼があるかどうかを確認してみた。ギルドのネットワークによって、風竜の討伐依頼が出ている町が見つかり、モモたちはすぐさまその町へと向かった。竜族とはいえ人食いの魔物である。食害は深刻だが、竜を斃せるだけの力量のある冒険者はそういない。モモたちがその町に到着した時もまだ、依頼は取り下げられていなかった。ギルドで聞きこむと、プラエルプタム山という、南域で最も標高のある山を塒にしているという情報にありつけた。モモたちは山岳の装備を整え、即座に登山にとりかかった。
「あっ、ここにもシキミ草がある」
モモは人のすがたに化けると、地面に降りたち緑を広げる茂みに踏みこむ。南域の春はすでに緑が濃い。山岳にはシキミ草が繁茂していた。
シキミ草の実は八角形という独特なかたちをしている。果実は赤く、葉のつけねに三、四個が群れている。モモは慎重な手つきで果実をもぎ取り、保存袋に入れた。
「シキミ草とは、毒があるという?」
「猛毒なんだ。ウイキョウの実にそっくりだけど、絶対食べちゃだめだ」
「ウイキョウは香辛料として名を知っています」
「薬としても使われる──っ、うわ」
強風に煽られ、バランスを崩したモモを、ゴドフロワの腕が支える。
「風が強くなってきましたね」
サワタリが、岩に駆けのぼる。山肌に突きだした大岩から、空を見あげている。
恐らく大岩の上はこことは比べものにならないくらい風が吹き荒れているだろうに──証拠に、アッシュの髪が真横に靡いている──ご主人は恬淡とそこに立ち、冷静な眼差しで空を観察している。
「ご主人?」
「いる」
風にまぎれ、サワタリの声はよく聞こえない。だが。
「風竜だ」
ゴドフロワが、隣りで剣を抜く。サワタリも既にナイフを手にしている。
「飛行しているんですか?」
「ああ。この山を塒にしているという情報は正しいらしい。真っ直ぐ向かってきている」
サワタリの赤い眼が、すっと細くなる。
モモは大きく息を吸い、背負っていた弓を手に取った。
「視覚か嗅覚か──他に感知する能力があるのかもしれんが、風竜は既に俺たちを認識しているな」
いっそう、風が強くなる。モモは低木の枝にしがみつく。サワタリは強風の中を身軽に岩から降り、ゴドフロワも剣の構えを崩さない。
「打ち合わせたとおりだ。俺が囮になる」
「この風では」
「ああ。モモ、おまえはそのまま木陰に潜んでいろ」
「ご主人、おれも──」
「命令だ」
確かに──おれの弓矢は、この強風の中では役に立たないだろう。風竜の攻撃がおれだけを外してくれる筈はなく──むしろ最も弱いおれを狙う可能性も高い。すると、サワタリとゴドフロワは庇おうと動くだろう。ふたりの足枷になる。それは、いやだ。
サワタリが、跳躍する。跳躍の、最も高い位置で体をひねったと思うと、きらりと光るものが空中を滑る。暴風をものともせず、真っ直ぐに進み──ナイフは風竜の右目に命中していた。
凄まじい咆哮が轟いた。風が荒れ狂う。モモは必死に木にしがみつく。ごおっと音がした。サワタリの着地した地点を過たず、風の刃が襲っている。サワタリは両手に握ったナイフで無数の刃を捌いている。だが、あまりに手数が多い。風の刃はサワタリのナイフをくぐりぬけ、かれの体を襲う。
「ご主人──」
ゴドフロワが剣を遣う。だが、風竜はいまだ、空にいた。ゴドフロワの十字剣は、かれの膂力をもってしても両手でなければ扱えぬほど大きなものだが、それでも滞空する竜には届かない。
また、風が襲ってくる。モモは木枝にしがみつく。低木の根もとにはシキミ草が群生している。眼前で、その実がちぎれんばかりに揺れている。猛毒のある実だ、猛毒の──。
「!」
モモは、足を幹に絡める。そうして矢筒から矢を一本手に握った。矢の先端、鏃にシキミの実をなすりつける。一粒じゃだめだ。鏃が真っ赤に濡れるほど、実を押しつぶし、塗りつけた。
その矢を持ち、モモは音をたてた。魔物に変げし、飛びあがる。風竜は、風の刃でサワタリを襲いつづけている。ゴドフロワが加勢に入り、風の刃を剣で叩き落としているが、かれも既に血を流している。モモは強風のなかを飛ぶ。眼が開けられないほどの荒れ狂う風の中を、無我夢中で飛んだ。風竜のいる位置よりも高く。泳ぐように空を上り、モモは息を吸う。暴風域を抜けた。瞬間に、人のすがたに戻る。モモの変げに合わせ伸び縮みする弓矢──それをつがえる暇はない。モモは矢を握り、竜の上に飛び降りる。落下の勢いで、握った矢を、竜の翼に突き立てた。
竜は、最初は気づいてもいないようだった。サワタリのナイフに比べれば、モモの矢など捨て置いてもいい軽傷だ。サワタリを先に始末する判断は、さすが魔物のなかでも抜群に高い知能を誇るものである。だが──その矢には、毒が塗られていたのだ。
モモは地面に叩きつけられる瞬間に、魔物のすがたに変げする。風。竜とは比べようもないくらい微力だが、モモンガだとて風を操れる。落下の衝撃を相殺する──まではできなくとも、やわらげることはできる。少しでも、抗う。だから、むりやりこちらに来ようとしないでいいんだ、ご主人。
モモは目玉を動かす。モモンガの、ぎょろぎょろとした大きな眼で、滞空する竜を見る。その目玉を、下に向ける。サワタリが、ふと体の向きを変える。空を動かなかった風竜が──かたむき、落下してきていた。
血だらけの腕を振り、サワタリが狙ったのは竜のもう片方の翼だった。フランベルジュのナイフは、一閃で翼をずたずたに切り裂く。竜の口が大きく開く。風が動いた。暴風が止み──代わりに。
「ご主人!!」
サワタリの体を縛るように、風がかれを拘束する。竜の牙。サワタリの腹を串刺しにしようと食いかかった風竜の喉元に突き立っていたのは、幅広の十字剣──クレイモアの剣だった。
ゴドフロワは、剣をなお、押しあげる。首から脳天までを貫通した剣は、それを持つゴドフロワに血のシャワーを浴びせる。ゴドフロワはなお、剣を離さない。両手でつかを握り、ぐいと踏みだす。一歩、二歩。三歩四歩。何歩歩いただろう。かれの剣が宙を切った時には、風竜の頭は真っ二つに割れていた。
「斃した……のか」
モモが呟くなか、風竜の体が前のめりに──割れた頭から崩れ落ちてくる。サワタリが機敏に跳び避ける一方で、ゴドフロワは巨体の影に埋もれてゆく。
「ゴドフロワ!」
慌てて起きあがり、モモは飛行する。きらっと、竜の死体が光った。剣の切っ先。死体の下敷きになる寸前に、ゴドフロワが立てた剣が、再び竜の肉を切り裂く。その中から這い上がるゴドフロワに、身軽に死体に飛び乗ったサワタリが手をのばす。
竜の死体から降りてくるふたりに、モモは飛んでゆく。サワタリもゴドフロワも血まみれだった。
「傷の手当てをしよう、ご主人、ゴドフロワ」
音をたて、人のすがたに化けると、モモは薬草ポーチを開いた。
「それよりも先に、やることがある」
「何だ? あっ、先に風竜の胆汁を採取するのか?」
サワタリは笑って、モモの頭を撫でた。
「よくやった」
「え……?」
「おまえが風竜の片翼を潰してくれたおかげで、勝機が見えた」
モモは風竜の死体を見る。ぎざぎざに破れたほうのつばさではなく、もう片方のつばさには、いまだに矢が突き立っている。そして、その鏃の部分から変色が広がり、片翼が腐ったように粘ついていた。
「おれ、夢中で……」
「地面に叩きつけられた時は、肝が冷えた」
「ご主人の命令を聞かず、飛びだしてごめんなさい」
「新しい闘い方を得たんじゃないですか、モモ」
「?」
ゴドフロワがモモの弓矢を指す。
「鏃に毒を塗る。毒矢ですね。モモは薬だけでなく毒の知識もある。攻撃補助として毒矢は有効だと思います」
「毒矢……」
ヒットアンドアウェイに加え、毒矢を使えたら。たしかに──ずっと戦闘力は上がる。
「サワタリ。云いたいことは判りますが」
「……なにが判る」
無表情に云うサワタリに、ゴドフロワが苦笑する。
「今回の戦闘も、モモの毒矢のおかげで勝ち得たんですよ」
「悪いとは云っていない」
「良くも思ってないでしょう」
「ご主人は、おれが毒矢を遣うのに反対なのか?」
ふいと横を向いてしまったサワタリの代わりに、ゴドフロワが云う。
「心配なんですよ」
「それなら、今までよりももっとずっと弓矢の練習をするし、毒の勉強もする!」
あっ、とモモは手に握っていた薬草ポーチの存在を思いだす。
「ご主人もゴドフロワも切り傷だらけだ。手当てをしないと」
頭から血を被ったような有様のふたりは、竜の血を浴びてそうなっていたわけだが、竜の風の刃による傷も看過できるものではなかった。モモは一つずつ丁寧に手当てをしてゆく。
それが終わってから、いよいよ風竜の胆汁を取りだす作業にかかる。サワタリがナイフで竜の腹を開き、胆嚢を探り出す。モモが押しあてた瓶の上で胆嚢を割ると、黄色の液体が滴り落ちてきた。瓶がいっぱいになったところで、確りと蓋を閉める。
サワタリは更に竜の耳を切り取っている。Sランクの討伐依頼が出ていたのだ。討伐の依頼としてギルドに提出すれば、相当額の報奨金が手に入るだろう。
下山は明日、日が昇ってからにすることに決め、今日は野営をはり早めに休むことに決めた。焚き火を熾し、その周りで夕食を摂りながら、簡単な打ち合わせをする。
「最も入手が難しいと思われた竜の胆汁が採れた。ここに来るまでの道程で、モモ、おまえに頼んだ素材は幾つ集まった?」
「六つのうち四つだ」
「それなら、次に難しい物を捜す間に、残りの二つも集めるという方針でいいか」
「うん」
「次、となると──王族の血液か」
「物騒なことを考えたでしょう、サワタリ」
ゴドフロワが啜っていたスープの椀を置く。
「パクスアニミの町には公爵がいる」
「ボレスアフ公を襲う気ですか」
「帝都まで行っている暇はない」
「王族の血液については、俺にあてがあります」
「帝都まで行っている暇はないと云っている」
「大丈夫です。帝都まで行かずとも──パクスアニミにさえ行かずとも、王族の血液はいつでも手に入ります」
椀を置いた手を、ゴドフロワは焚き火の方にかざす。
「俺の血を使ってください」
モモはぱちぱちと瞬く。サワタリは──微かに、口端を持ち上げている。
「推測はしていたが──おまえは王族の血を引いているのか、ゴドフロワ」
「はい」
静かにうなずき、ゴドフロワは続けた。
「父が現王ロムルス陛下になります。俺は代理母の産まれなので、爵位なども持ちませんが」
「現王……えっ、えっ、じゃあゴドフロワのお父さんは、帝王様なのか!?」
「そうです」
あまりにさらりと告白され、モモはのけぞった。
「アベル王子とカイン王子の兄弟ということか!?」
「俺は廃嫡されているので、兄弟とは云えませんが。血筋から云えば、母の違う義兄弟にあたります」
「カインの王位継承権を固めるために、廃嫡されたのか?」
「俺などは産まれた時から廃嫡が決まっていました。ユーグが類い希なる
ユーグはゴドフロワの兄にあたる。なるほど確かに以前、きょうだいが多くいるが、母も同じ兄はユーグだけと云っていた。
「王家の血筋が途絶えることは、あってはなりません。ですので、帝王陛下はご正妃以外にも代理母を利用し多くの子をなしています。幸いにもご正妃の息子であるカイン殿下とアベル殿下が健やかにお育ちになったため、王位継承権は第一位、第二位ともに安泰です。ゆえに俺と同様に、代理母から産まれた子らはほとんどが廃嫡されています」
「……ちょっと酷い話しだと思うぞ」
「そうですか? 俺は産まれた時から権力争いなどに巻きこまれずに済みよかったと思っていますよ。野心のある者はいないことはないでしょうが……代理母産まれとはいえ、修道騎士や聖職者など、王家の血を引いていないとなれない役職は多いですし、救済措置はあるんです」
「だからゴドフロワは修道騎士になったのか?」
「もともと修道騎士にするつもりで産まされた子ではあったのですが、俺にはユーグがいましたから」
にこにこと笑って──本当に嬉しそうに、ゴドフロワは微笑みながら云う。
「俺の幼い時の記憶は、ユーグから始まるんです。乳母などもいたはずなんですが、ユーグがありったけの愛情で俺を育んでくれました。優しい兄は、だけれど修道騎士としてマントを羽織ると、とてつもなく格好良かった。憧憬しました。賢者の才がない、期待外れの落ちこぼれでも、なんとしても修道騎士になるのだと、剣の鍛錬に明け暮れることができたのも、ユーグのおかげです」
ご主人と対等に渡りあえる初めての剣士が、ゴドフロワだった。そのずば抜けた剣技は、たゆまぬ努力によって身につけたものだったのか。──それにしても。
「……ゴドフロワと話していると、いつも兄自慢になる気がする」
「はい! 俺はユーグのことを愛しているので」
破顔するゴドフロワに、モモも笑いかえす。
「早く癒やしの珠をつくって、ユーグの呪毒を治してやりたいな」
ゴドフロワが大きくうなずく。早めに寝るぞ、とそっけなく腰をあげたサワタリに、モモは急いで駆け寄る。
「ご主人、寝る前にこれを嚙んでくれ。造血の作用のある薬だ」
クコ草の根の皮を干したものである。同じものを、ゴドフロワにも手渡す。
「おまえの打ち身には、きちんと手当てをしたのか?」
焦げ茶色の皮を噛みながら、ご主人が云う。
「薬草を使うほどのけがじゃない」
僅かに眉を寄せるサワタリに、モモは薬草ポーチを抱きしめた。
「……判った。薬草の湿布を貼って寝る」
「そうしろ」
こくこくとうなずくと、サワタリは寝床の方へ行ってしまう。モモは急いで薬草ポーチから打ち身に効く薬を取りだし、湿布のかたちに整え、肩と胸に貼る。
焚き火はゴドフロワがうまく燠にしてくれている。そのゴドフロワは既に自分の寝床に入っていた。モモは迷うことなく、サワタリの寝床にもぐりこむ。
サワタリの腕が背にまわってくる。ご主人の胸に顔をくっつけると、薬の匂いがした。ちゃんと傷が塞がってくれますように……。
「おやすみなさい、ご主人」
サワタリが微かにうなずく気配がした。モモは眼を瞑る。少し肌寒くとも、ごつごつとした地面の上でも、ここはご主人の腕に囲われた、世界一安全な場所である。モモは一瞬で眠りに落ちていた。
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