4th. 実子誘拐

 女は、女であるというだけで宣誓不適格者なのだった。

 通常の──原告も被告も双方男である裁判では、まず証人が、それで決せない場合宣誓人が召喚される。証人がおらずとも、雪冤宣誓人──私が偽りを云うような人間ではないと保証してくれる者が規定の人数いれば、私は無罪となり、娘を連れて逃げられるはずだった。だが、女であるというだけで、宣誓人は見つからず、それに拠り私は「悪しき者」とされ、裁判は火の神判へとなだれこんだ。

 法廷の開かれた場所は、公爵家にある聖堂だった。現王の従兄にあたるボレスアフ公は、私の棲むパクスアニミの町に広大な屋敷を持っている。その一角にある聖堂では、毎月十日に司祭及び兵士を召喚し、裁判が開かれる。帝王即ち火神の血を引く公爵の御前であれば、神が正義なる裁きをくだすとされているためだ。

 正義なる裁き──男と女で手続きの違うそれが、果たして正義というものなのか。そんなことを云えば、また火神をまつろわぬ魔女めと唾を吐きかけられるのだろう。私は黙って、被告人の立つべき場所に立った。すなわち、ごうごうと燃えさかる炎の前に。

「われらが主たる火神よ。道徳にあふれ公平な裁判をくだしたもう裁判官よ、この火に神の裁きを示したまえ」

 司祭が厳かに宣う。私は前髪の焼け焦げさせながら、一歩も引くまいと立ちつづけた。すると、周りを取り囲む男どもが口々に叫んだ。

「どうした? 早く熱鉄を握れ!」

「おまえが無罪なら、熱鉄を持っても火傷一つ負わねえんだよ!」

「聖なる火は有罪の者をしか焼かねえからなあ!」

 通常の裁判にも見物人は多いが、異常な程の人数が私を取りまいていた。男どもは、被告である私を涎を垂らさんばかりに眺めている。私は、炎を見た。激しく燃える炎の中に、鉄の棒がさしこまれている。その棒を、私は握らねばならない。有罪ならば、聖なる火が邪悪なる人を傷つける。無罪ならば、聖なる火は清廉なる人を傷つけない。──そんな裁判がまかりとおっているのだ。

 それでも、と私は歯を食いしばる。前髪の焦げる臭いを嗅ぎながら、両手を火の中に伸ばす。これでもかと熱され、赤くなった鉄の棒を両手で握り、取りだした。熱い、という感覚よりも先に、喉の奥から悲鳴がつきあげてきた。皮膚が融け熱鉄に貼りつき、髪の焼ける臭いの比ではない悪臭が広がった。

 どっと歓声が起こった。見物する男どもが手を叩いて囃している。私は涙のにじむ眼で、炎の向こう側を見た。司祭の隣りに立つ男は、にやけていた。原告。私の元夫。私を屯所に訴えた男。あの男にだけは、娘を渡してはならない。娘は──兵士たちに囲まれ、前に突きだされていた。灼熱の鉄を握る母親を見て、泣いている。声も出さず泣く娘が哀れだった。娘は、実父に強姦されてから、口がきけなくなっていた。

「火の神の祝福あれ──さあ、手を見せなさい」

 私は鉄の棒を皮膚ごと手からもぎ離し、司祭の前へと進んだ。男が、男どもが見ている。私が差しだした両手は、焼けただれていた。赤く、黒く、肉がぐちゃっと融けている。兵士の一人が叫んだ。

「なんてえ酷い火傷だ! 俺はこの事実の証人になる! 主は被告に罪ありと判じたのだ!」

 俺もだ! 俺も証人になる! 兵士たちが叫ぶと、群衆の男どもまで次々に叫びだし、耳を聾するばかりになる。

「有罪!」

「有罪!!」

 にやけた元夫が、兵士に囲われた娘のもとへ堂々と歩む。硬直している娘を抱きあげ、夫は、にやにやと笑っていた。

「かくて神判は有罪をくだしました」

 司祭の言を引き継ぎ、兵士が宣言する。

「被告は、原告のもとで健やかに暮らしていた娘を、むりやり誘拐した罪により実刑が与えられる。刑の執行は一週間後とする」

 こうして私は罪人となり、私が誘拐した娘は、本来の保護者である元夫の家へと引き摺られてゆくのを、見送るしかなかった。

 ──見送るしかない、なんて。

「うわああああああ──」

 私は絶叫し、元夫に引き摺られてゆく娘に飛びついた。喋れない娘が、私の腕にしがみついてくる。私は娘の名を呼びながら、死に物狂いで元夫から引き剥がそうとした。元夫が憎らしげに私を睨み、蹴りつける。蹴りつける足は、元夫のものだけでなかった。兵士が、見物人の男どもが、私を、たかが女一人をよってたかって蹴りつける。髪を引っぱられのけぞったところに、顔面をしたたかに蹴りつけられ、血の味の唾を飲みこむ。娘が泣いている。おかあさん、と泣きながら、云った。

「あんた、声が……」

「おかあさん、もういいよ」

 娘の声を聞いたのは、いつぶりだろう。かすれて弱い声だったが、愛しい娘の声だった。

「あたしがおとうさんのところへ行けば、おかあさんはもうこんな目に遭わないですむんでしょう。ごめんなさい、ごめんなさい。あたし、おとうさんのところへ行きます」

「何云っているの! あんたのことはおかあさんが守る。ぜったいに守ってやる」

 娘は、微笑んだ。おかあさん、だいすき、と囁いて。──それから、私の手をそっと離すと、元夫の後に従順に着いてゆく。

 私は眼を閉じた。元夫のにやけた面と、娘の儚い笑顔がいつまでも瞼の裏に映っていた。



 有罪とされた私は、屯所の牢に入れられた。

 その日から、昼夜を問わず兵士に輪姦された。火傷を負った手の痛みよりも、兵士に犯される苦しみよりも、元夫に連れてゆかれた娘を思い、私は泣いた。泣くと、兵士たちはより一層盛りあがり、私を激しくレイプした。

 股ぐらからは出血が止まらない。手の火傷も放ったらかしにされていたため、牢の中は噎せるような血の臭いに満ちていた。臭え臭えと喚きながら、今日も兵士がやってくる……。

 そうして、どれぐらい時間が経ったのか。私はふと、眼を開けた。涙がつうと顔の横を伝い、床に落ちる。なんとなく、それを追うように目玉を動かすと──奇妙なものが映った。

 あれは、兵士だ。兵士の帽子を被っているから。ついさっきまで、私の足の間で蠢いていた。一人は私を犯し、もう一人は手持ち無沙汰に──そう、鉄格子に寄りかかっていた。あんな風に。

 兵士は二人とも鉄格子に寄りかかっていた。だが、やけに背が低い。ああ、足がないのだと気がついた。足の付け根から下がなく、胴体が直に床に接しているのだ。よく見れば、腕もない。この分だと、頭もないのだろうかと目線を上げると──頭は、あった。ただし、顔の真ん中に太い杭のようなものが突き立っていた。私は眼を凝らす。兵士は口を大きく開けていた。開けさせられていた、というべきか。その口の中に、太いナイフを飲まされているのだった。兵士は、まだ生きているようだった。オエッ、オエッ、とえづいている。あんな状態でも人は生きるのか。私も生きているのだと、瞬いた。また涙が顔の横を伝う。

「火傷の手当てをしても、いいだろうか?」

 甘い、まろい声だ。男の声とは思えない。だが、声の主は男だった。少年、というべきか。幼い顔だちに、ミルキーベージュの髪色が似合っていた。

「だ、れ……?」

「おれはモモという」

 かれは──モモと名乗った少年は、私の手を痛ましげに見つめ、腰のあたりにぶら下げているポーチを開けている。

「モモ、が、兵士を、あんなふうに、したの?」

「おれじゃない。ご主人だ」

 もう一度、モモが手当てをしてもいいかと訊く。私は首を振った。

「私のこと、よりも」

 嗄れた喉から、咳が突き上げてきた。激しく咳きこむ私に手を伸べ、モモが水を飲ませてくれる。

「私のことよりも、娘を! 娘を、あのけだものから助けてだして!」

 どろどろに融け爛れた手で、私はモモの腕を掴む。モモは瞳を伏せ、私の手を握る。

「裁判を、見ていた」

 酷かった、とつぶやき、かれはポーチの中からだした清潔な布で私の手を押さえる。強姦する兵士でさえ気持ち悪いと触らなかった手に、躊躇なく触れ──汚れを拭き取ったか、消毒をしたのか、布で押さえた後は、緑色の練り物を塗りこんでゆく。

「あんたは、何の罪で審理にかけられたのだろうか」

「誘拐よ」

 拳を握ろうとしたが、握れなかった。熱鉄を握り、聖なる火に焼かれ裁かれた手には、今、優しい手が薬を塗ってくれている。

「誘拐?」

「離婚した元夫のところに引き取られた娘を、取りかえして逃げたの」

 だって、と云い募る。

「娘に対する性暴力が、離婚の理由だったのに。あのけだもの、娘は俺のものだと、娘は妻よりも俺の方を愛していると思いこんでいた。私はけだものが寝ている隙に娘を連れて逃げだしたの。でも、すぐに兵士が追ってきて、連れ去りの罪で私を捕らえたわ。私はどうなったっていい。でも娘だけは助けたかった。だから有り金全部はたいて裁判を起こしたのよ」

「あんな、火に焼かれた鉄を握って、火傷を負わないわけがない。あんたが勝つことなどありえない裁判だった。それでも、あんたは熱鉄を握った──すごいな」

「娘が助かる可能性があるなら、なんにだって縋ってやるわよ。男どもの道楽のねたになったってかまわない。磔の刑に処されたってかまわない」

「強いんだな」

「母だもの。娘のためならなんだってできる」

「娘さんをつれて、もう一度、逃げられるか?」

「逃げるわ」

 モモが、微笑む。強いな、ともう一度呟き、それから鉄格子の方を見た。

 鍵が、ひらいている。鉄格子をくりぬいた扉が、開いている。そこからまろぶよう入ってきたのは、娘だった。

 おかあさん、と口のかたちが動く。また、声をなくしている。それでも、娘はおかあさん、おかあさんと口のかたちで叫びながら、私の腕の中に飛びこんできた。

「ああ……ああ……」

 私は跳ね起き、娘をひしと抱きしめた。抱きしめる、手に丁寧に包帯が巻かれている。

「火傷に効く薬を置いてゆく。……これくらいのことしかできなくて、ごめんな」

「──あのけだものは、どうしたの?」

「殺した」

 声は、別の方向から聞こえてきた。私は顔を巡らせる。壁の傍に立っている、背の高い男がいた。アッシュの髪をヘアバンドで押さえているが、尖った髪はいっこうに纏まらない。瞳は、赤かった。

 私は、男の真向かいに──鉄格子に並べられた兵士を見た。手足を切り落とされ、口に杭のナイフを飲まされ──死んでいる。さっきまで生きていたが、もう死んでしまった。苦痛を長引かされ死なされた兵士を見て、私は笑った。

「もしかして、あのけだものも──私の元夫も、こんな風に苦しめて殺してくれたの?」

「ああ」

 私は息を吸いこむ。血なまぐさい牢の空気を肺に満たし、その息で云う。

「ありがとう」

 にやけたけだものの面が、苦痛に歪むところを想像する。

「ありがとう、ありがとう……」

 モモ、と赤い眼の男が呼ぶ。モモは私の手に薬と思しき包みを握らせると、立ちあがり、男のもとに駆けてゆく。

 モモが男の手を握る。その手を男が引く。そうして、ふたりは牢を出て行った。

 私も立ちあがらなければ。そして娘の手を引き逃げるのだ。何度だって、娘を救うためならば私は、走る。

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