3rd. 恋なんてしない

 双魚の宮と歌われた塔のダンジョンから、一番近い町は、パクスアニミという。

 『呪われの塔』と通称され、多くの冒険者たちが潜るダンジョンである。地理的にも人が多く棲む場所にあって適当だろう。広大な街だった。

 ギルドも立派な建物だった。二階建てだが、ワンフロアが広く、仕切りがなくとも対岸まで見とおせない。いつかこんなギルドを歩いたことがあったな、と思いだしていると、その時をなぞるよう、サワタリはあるカウンターに寄った。

「郵便か」

「ああ。武器を補充する」

 郵便とは輸送をする魔法装置だ。主に手紙を輸送するものだが、一定の体積以下の物──それほどかさばらない物ならばこの装置で輸送できる。サワタリのナイフを造る鍛冶師ジルは、この魔法装置を使ってナイフを送ってくれる。大きな町のギルドにしかないため、郵便のあるギルドに来るたび、サワタリはこの郵便でかれの武器を補充しているのだ。

 カウンターの職員にギルドカードを提示し、手続きをしている。サワタリの隣りで、モモはぼんやりと瞬いた。

「ご主人」

「うん?」

 手続きは終了したようで、職員が郵便の装置を扱っている。すぐに袋に詰められたナイフと──手紙が送られてきた。

「ご主人は、ジルと離れていて、淋しくないのか?」

 丹精込めて造られたナイフは、サワタリのためだけに。ジルの思いが滲むそれを、サワタリは素早く装備する。ご主人の武器。ご主人のいちばん近くにいる人は、物理的には遠く別たれている。

「懐かしくは思うが、淋しいと思うことはない」

「でも」

「……どうした? おまえはジルを妙に気にするな」

「……おれはただの従魔だから、気にするのもおかしいんだ」

 その従魔の思いというものでさえ、アイテムによってつくられて偽物の気持ちである。

「でも、ジルが強いから……」

 偽物の気持ちで、ご主人の傍に居つづけている。

「おれはご主人と離れたら、生きていけない」

「従魔は主人の魔力を食って生きているからか? いや、だがおまえは──」

 町に入るとき、モモは魔物のすがたから人のすがたに化けている。ミルキーベージュの髪に、真っ黒い、大きなばかりの眼。それをご主人はじっと見つめている。

「ご主人、お手紙を読まなくていいのか」

「──ああ」

 サワタリは無造作に手紙を広げる。また熱烈な文面なのだろうな、と思い微笑む。サワタリを愛していると全身全霊で表現するジルは、魅力的で可愛い。優秀な鍛冶師としてだけでなく、そういったところもサワタリは愛しているのだろう。つくりものの気持ちでなく……。

 サワタリはざっと眼をとおすと、僅かに首をかたむけている。モモの視線に気づき、読むか?と訊くが、モモは首を横に振った。

「別便でナイフを送ったらしい」

「別便?」

「郵便ではなく、直接人を走らせたとある」

「誰かが、ご主人にジルの造ったナイフを持ってくるということだろうか」

「そう読めるな」

 だが、サワタリは常に移動を続けている。居所が判らないから、こうして郵便を用い武器の補充をしているのである。ふたりして首をひねったが、混みあうギルドの室内である。とりあえず外にでることにした。

 ギルドの外も、活気のある町だった。南域特有の、通気性の高い建物が並び、その間をたくさんの人が行き交っている。

「魔物討伐の報奨金が相当額になった。しばらく宿で休んでいくか」

 ずっと野営続きだったしな、とご主人はモモの頭を撫でる。サワタリにしては珍しく、町の中央にある宿を選んだ。サクラ・パシェンスの賢聖の居城や、況して帝都の黄禁城に比べられるわけもないが、ベッドが二台ある立派な部屋だった。一階では足湯も頼めるらしい。旅で疲れた足を盥に入れたお湯で洗ってくれるのだ。

「旦那がたも、裁判を見にきなすったんですかい」

 宿の下男が足湯の世話をしながら、世間話しに選んだ話題にサワタリは眼を向ける。

 足湯などいらんと断るご主人を、せっかくだからと階下に連れてきたモモは、盥の横に座って下男の働きを興味深く見ていた。

「この町には法廷があるのか」

「へい。毎月十日に公爵様のお館で開かれますんでね。この辺じゃあ裁判をやる町はうちとこだけなんで、長旅をして見物にいらっしゃるお客も多いんで」

 そこで、下男は一度唇を舐め湿らせる。

「しかも、明後日開かれる裁判は、女が出廷するということで、いつにまして盛りあがっているところですわ」

「女が?」

「もとは夫婦だったらしいんですがね。離縁した後、元夫元妻が子どもをめぐって相争い、裁判にまでもつれこんだということです」

「──なるほど」

 下男は足を洗いながら、上目遣いにサワタリを見る。

「旦那の思うとおりのことですわ」

「出来レースの見物ということか」

「仰るとおりで。女の分際で、神聖なる裁判にまでばっちい足を踏み入れた女に、どんなお裁きが与えられるのか。専らそれを見物しにお客が鈴なりになってるんで」

 へっへと笑う下男は、サワタリの足を洗い終え、丁寧に拭いている。

 モモも足湯をすすめられたが、断った。足湯のやり方を学べただけで充分だった。これでご主人のお世話をする手段が一つ増えたのだ。

(ご主人が歩き疲れる……なんてことはないだろうけれど、おれが足湯を使わせてやれたらいい)

 そう思って、うつむいて笑う。こんな風に思うのも、従魔の珠の効果でしかないのだ。

 食事をする時も、湯を使い体を洗う時も、ナイフの手入れをするご主人を見つめている時も、なにをしていてもどうせ、頭からはそのことが離れない。

「ご主人、おれ、書き物をしたいから少し起きていてもいいか?」

 やがて、ベッドに入ったサワタリに、モモはポーチから引っぱり出したノートを見せた。

「かまわない」

「ご主人は先に寝てくれ。おれはこっちのベッドでやるから」

 サワタリが横になったのは、奥のベッドだった。手前のベッドにうつ伏せになったモモは、ノートを広げ、ペンを握った。

 休息がれる時は、あますことなく体を休めるために使う。つまり宿のベッドで眠れる場合など、サワタリはナイフの手入れが終わると速やかに眠る。寝息も聞こえぬほど静かだが、眠ってしまったのは判る。それくらいの時間は、サワタリとともにいる……。

 こうして互いに違う寝床に入るのは、まれだった。いつもはふたり同じ寝床に入り、サワタリがモモを抱くようにして眠る。南域の暑い夜も、汗にまみれながらも懲りずに、くっついて眠った。魔物のすがたのモモも、人のすがたのモモも、どちらも厭わずサワタリは、抱きしめてくれるのだ。

 モモは嘆息する。広げたノートは真っ白で、いつの間にかペンも手離している。

 胸に重く鎮座しているのは、呪われの塔で得たケマから判明した、従魔の珠の効果──あるじが従魔を、従魔があるじを愛しいと思う作用のことだった。

 隣りのベッドで眠っている、サワタリを見る。生涯おれは、この人以外を主人と呼ぶことはないだろうと、いつの間にかそんな風に思うほどになっていた。いつだって慕わしい、この思いが契約のためのつくりもの──にせのものであるというのか。この、従魔として主人を想う気持ちがあるからこそ、おれはサワタリの傍にいられるのに……。

(ジルのことを知った時、そう割り切ったのにな……)

 ご主人が愛しているのはジルだ。遠く離れた恋人。離れていても互いを強く強く想い合う。ジルが傍にいればしたかったことを──撫でたり、抱きしめたりすることを、偶々傍にいるモモにしているということを知った時、サワタリの手を拒むほどにショックを受けたが、おれは従魔としてサワタリを思い、傍にいるのだと唱え、役に立つために冒険者にもなった。弓だって、サワタリの従魔としてほんの少しでも戦闘を手伝いたいと、頑張って練習した。全部全部、従魔としての思いだ。ジルとは違う。違うけれど、その思いがモモを支え、サワタリの傍に居つづけることを許したのだ。たいせつな、いっとうたいせつな思いなのだ。おれには──それしかないのだ。

「……、」

 モモは、そっとベッドを降りる。忍んで隣りのベッドに近寄る。サワタリが、眠っている。寝顔を見ると、胸がよじれた。少し淋しげな眉毛が。瞑った瞳のあわいが。閉じたくちびるが荒れているところが。見れば、見るほど、愛おしい。おれのご主人。おれの……。

「……」

 体を、折っていた。眠るサワタリの顔が、愛しい眉毛が、瞳が、くちびるが大きくなってゆく。触れるほど近づいた時、モモは眼を閉じた。触れていた。くちびるで、くちびるに、触れていた。

 キスをおしあてたくちびるを、モモがそっと離すのと、サワタリの瞼がもちあがるが、同時だった。

「……」

「モモ」

 寝起きとは思えぬほど、覚醒のはやい。サワタリの声は、夜のしじまにくっきりと刻まれる。

「もう、こんなことはするな」

「命令か?」

 サワタリが微かにわらう。

「命令だ」

 右手を伸ばし、モモの髪を撫でて。──愛しげに、撫でて、サワタリはそう云った。

「やっぱり、おれなんかにキス、されるのは、気持ち悪いか」

「そうじゃない」

 サワタリは身を起こすと、一つ瞬く。瞳の赤が、夜に怖く滲む。モモはもう怖くない、真っ赤な、血のような色の瞳……。

「おまえは、幼い」

「おれ、もう二十一歳だぞ」

「魔物として流離さすらっていた間、おまえの時は止まっていたように思える。俺と……俺と出会ってから、おまえは世界を知りはじめた」

 モモが魔物になったのは七歳の時だ。それからソロモンと出会い、従魔になりたいと──その思いに取り憑かれ、人を見つけては請う毎日がつづいて十年。確かにその間、おれは従魔になりたい一心でほかのなにも眼に入っていなかった。聞こえなかった。なにも、なにも。だから、サワタリの従魔になってから、世界を知りはじめたというのは本当なのかもしれない。であれば──おれはまだ十歳の子どもでしかない。幼い、と云わしめるほどに。

「おまえは成長している最中だ。世を知り、おのれを知り、様々なことを知り育ち──そしていつか、恋人もできるだろう」

「恋人だって?」

「男を殺す俺が、そんなことを云うのは可笑しいな」

「そんなことはない、けど」

「だが、俺だから──男女の性愛というものを憎みつづけた俺だから、云える。おまえは俺が殺してきた男たちとは違う。女に寄り添うということを当たり前のようにしてきた。おまえに想われる女はしあわせだろうと、思う」

 ご主人の口許がほころぶ。さっきおれが、不躾にキスをしたくちびるが、やわらかく笑みのかたちをつくる。

「ほんとうにキスをしたいと──こんなつくりものの思いからでなく、心から愛しいと思う相手に出会った時に、するんだ。俺などにするな」

「魔物は恋なんかしない」

 モモは、唇を引き結ぶ。──そうだ、おれは。

「魔物は女でなく天が産む。だから、男女がつがう必要がない。性愛なんて、ない」

 サワタリの顔から、笑みがふっと落下する。

「おれは魔物だ」

「おまえは──」

「魔物なんだ。魔物だから、従魔だから、ご主人の傍にいられるんだ」

 ご主人の赤い瞳がモモを見つめている。

「ご主人は、おれが人間でも、魔物でも、ご主人の従魔だと云ってくれた」

「そう云った」

 真白い流氷を伝って旅した。煌めく声の賢聖の棲む洞窟で、サワタリはモモのすべてを受けとめてくれたのだった。

「それならおれは、人でなく魔物であることを選ぶ。恋なんてしない。あるのはご主人に対する忠誠だけの従魔だ。魔物だ」

「……、」

 そうだ、おれの心なんて、決まっていた。ジルとは違う。おれは従魔としてご主人のことを思う。それだけのものだ。それだけのもので──幸福なんだ。

「この思いがアイテムによって生じたつくりものでも、それがなんだっていうんだ。主従というシステムに必要な部品にすぎないとしても、おれはこの思いをたいせつにする。たいせつなんだ、なによりも、なによりも、おれには……おれには、ご主人への思いがたいせつ、だ」

 モモの喚き声を聞いてくれていた、サワタリの眼が。いつか細められていることに気づいた。それは愛するジルの代わりにモモを見つめる瞳だろうか。従魔の珠によって成形された、従魔を慈しむ主人の、偽物の思いからなる瞳だろうか。どちらでもいい。おれは、おれが、サワタリを思う気持ちをたいせつにして生きることに決めた。そんなの、さいしょから決まっていたんだ。

「あ、でも」

 モモはわらう。

「キスはもうしない。おれは従魔で、ご主人の命令はちゃんときく」

 両手を腰にあて、胸をはる。モモはだが、つぎの瞬間左右の風景が急速に流れるのを見た。

「わ」

「モモ」

 ご主人の逞しい両腕が、いつかモモの腰にまわり──抱きよせられていた。

「モモ」

「なんだ? ご主人?」

 どこにどう膝を足をついたらいいのか判らない。ベッドのなかに引きずりこまれるように抱きしめられ、モモは慌てる。

「俺は──、……」

 サワタリの声が、耳許で聞こえてくすぐったい。ジルの代わりでも、アイテムの作用でも、どうせなんだっていい。ご主人に抱きしめられるの、好きだ。

「……こんな俺だが、まだ、俺の従魔でいてくれるのか」

「どんなご主人だ? ご主人はいつだっておれのご主人だ」

 一生涯。もうおれは、サワタリ以外をあるじとしない。何度も思ったことを、また思うだけだ。

「ご主人が望む限り……ご主人が嫌がったって、おれはご主人の従魔だ」

「俺の、か」

 力強い抱擁は、いつしかふわりとしたやわらかなものにかわっていた。モモは両手をのばす。サワタリの広い背中に腕をのべ、抱きしめる。南域の夜は真冬でも蒸す。すぐに汗でぺとぺとしてきた。それでも、もう少し。ご主人が手を離したって、まだもっと。モモはサワタリを抱きしめている。

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