2nd. 捏造された思い
今度は上ってゆくのだった。
サワタリとモモは、上へ上へとのぼる螺旋階段を攻略中だった。『呪われの塔』と通称されている塔が、二つ目のケマのある場所として、人魚に示されたダンジョンである。
通称があるということは、冒険者たちに広く知られているということである。出現する魔物が低級であることもあり、初心者がレベリングのため潜るに適したダンジョンで、最深部までつぶさに記した地図があるほど、先駆者の足跡がついている場所であった。つまり何人もの──のべ何千人もの冒険者が挑んでいるにもかかわらず、ケマが発見された記録はない。それこそ隠し扉なども調べ尽くされているのだが──やはりここでも、くだんのカップが鍵となっていたのだ。
一階の最奥にある部屋に、白い祭壇があった。もちろんそこも、冒険者たちに観察されたあとらしく、方々が欠け、かろうじて祭壇と判るほどに手垢がついていたのだが。モモが祭壇にケマのカップを置くと、轟音をたて祭壇の後ろの壁が二つに割れたのである。その奥には、階段があった。ちょうどあの湖で見た階段と同じように螺旋を描き、色は白い。階段は、だが湖とは逆に、上へ上へとのぼってゆくものだった。行き止まりかと思う場所には、やはり番人たる魔物がいて、それを斃すと上へと続く扉があらわれる。やはり魔法の階段なのだろう、塔の高さよりも遙かに上へとのぼっているのが感覚的に判る。
そして、最上階にはまた、自身を伝承の書き記された書物だと──ケマだという者がいた。
上半身がうつくしい女性、下半身は鳥のすがたをした、セイレーン。これも伝説とされる魔物で、モモは初めて見た。やはり、セイレーンの腕にも白い腕輪が嵌まっている。ここに至るまでに立ち塞がった魔物たちの腕にも、みな嵌まっていた。懐かしいような気持ちで、モモはそれを見つめた。
ここは双魚の宮、とセイレーンは歌った。語られる伝承は妹神のものだった。偉大なる水の神。人の隣りにあまたの命を創りし創造神。彼女は妹神であった……。
伝承の歌は、人魚から聴いたものよりも長かった。長く──重い。重たい話しだ、とモモは感じた。
父神が母神に兄妹神を産ませたよう、妹神に兄神の子を産めと強要する。妹神はそれを拒絶する。兄神は妹神を強姦しようとするが、神は人のよう男女の力の差がない。武力で以て兄神を退けた妹神を憎み、兄神は腹いせに自分が創った人を改造する。男の方に大きな体と腕力を与え、逆に女は小さな体と非力に設計し、男がいつでも女を強姦し子を産ませることができるようにしたのだ。それまでは男女に体の大きさの違いはなかったが、女を小さく弱くすることで、出産の苦しみを大きくし、それは懲罰的にさえなった。どこまでも女憎しの改造を人に施した兄神に怒った妹神は、人を滅ぼそうと魔物を創った。父神と母神が創った天地の間に、凄まじい流血の歴史が刻まれる。ヒートアップする兄神と妹神の犠牲になる天地の間の命を憐れんだ父母神により、自らは勿論、兄妹神もこの世に干渉することを禁忌とされる。
モモが伝承について思いを巡らせている間、サワタリは真なる秘蹟をとりだすべくセイレーンに教示を受けていた。セイレーンは人魚と同じよう、なぜかモモに対し敬意を払うものだから、やっぱり同じようサワタリの問いに答えてやってくれとお願いした。セイレーンがサワタリに秘蹟の取りだし方──暗号の解き方を教授している間、モモはもう一度初めから伝承をなぞる。神々の諍いによって男女に差がうまれ、それをもって男が女を迫害する道徳が罷りとおる世界となったというのだろうか。それとも、神話はあくまでつくり話しであり、この世の発生は別にあるのか。
黙々と考えているモモの背に、サワタリが触れる。秘蹟の取りだし作業が終わったらしい。セイレーンは再びモモに頭を下げている。その腕に嵌まった白い腕輪。特に文様なども入っていない、素朴な一重の腕輪。ケマの守人たちの証しだったりするのだろうか。率直に訊いてみると。
「信仰の証しでございます」
「信仰? 神さまの色は黄色じゃなかったか──いや、黄色は王族の色でみだりに使っちゃいけないんだったか」
「われらが信ずる神は、白を好まれます。われら信徒に禁色とされることもございませんので、こうして貴色を身につけさせていただいております」
「……? ということは、火神を信仰していない?」
セイレーンは微笑んだ。
「それは許されないことなんじゃないのか。この世界は帝国が支配していて、その帝王は火神の子孫であって──ええと、すべての人が火神を信仰していると」
「わたくしは魔物でございます。人の
「魔物に信仰する神がいるのか。すごいな」
また、セイレーンは微笑む。切なげな眼でモモを見つめてくるものだから──まいった。人魚もこの眼をしていたことを思いだし、モモは居心地悪くサワタリの服の裾を掴んだ。
「わたくしはここでケマをお守りしております。わたくしの一生で、あなたさまにまみえることができましたこと、幸福に思います。お訪ねくださって有難うございました」
「こちらこそ、あの、色々ありがとう」
どもりながらお礼を云い、頭を下げる。セイレーンが慌てて頭を上げるように云ったが、お世話になったのはこちらの方なのだ。きちんとお礼をして、それからモモはサワタリとともに、来た道を帰る──螺旋階段を降りてゆく。
「ご主人」
「ああ。ここの真なる秘蹟も、解呪のものではなかった」
「どんな秘蹟だったんだ?」
好奇心のまま訊ねる。
「……、」
「?」
最初のケマの時のように、判りやすく話してくれると思ったのに。そうでなくとも、知りたがりの──サワタリに出会ってようやく世界を見始めたばかりのモモに、かれは様々なことを教えてくれた。だから、この時沈黙をしたあるじを、モモは不思議そうに見あげる。
螺旋階段を降りる足音が、しのびやかに響く。やがて、それに混じるようひっそりと、サワタリが話しだす。
「サクラ・パシェンスの──おまえが憧れた賢聖も、王族の血をひいているのではないかと、思いついた」
「ソロモンさまのことか?」
「あの金髪は、王子たちのものとよく似ていた」
確かにソロモンは金髪だが、それだけで王族の血を引くと──況して今頃云いだす理由が判らない。
「アベル王子が」
また、サワタリの話しが飛ぶ。──否、ほんとうはすべて繋がっていたのだった。
「アベル王子?」
「ユーグが呪毒を受けた大蛇の魔物は、アベル王子によって御されていた。つまり、大蛇の魔物はアベル王子の従魔だったと考えられる」
「従魔……だけど、アベル王子は
「賢者も癒やせぬ呪毒を放つ、伝説の魔物を従魔にするなど、並の
「火神の秘蹟の一つだったのか?」
「魔物を
ならば、カインも魔物を従えることができるということか。否、秘蹟には難度があり、能力に拠って習得できるものに差があると聞いた。アベルが使えてカインが使えぬ秘蹟が、とりもなおさず解呪の秘蹟であるように──。
「即ち、ここで
「なんだって!?」
驚く。従魔の珠とは、モモが北域のダンジョンで手に入れ、それを使ってサワタリと従魔契約をかわしたアイテムである。モモは自分の耳にくるりまわる青いピアスに、手指で触れる。──ご主人のピアスだらけの耳に、青い色のそれを捜す。
「テイムについてのシステムもさらった。それで……」
また、云い澱む。サワタリはうつむき、苦笑しながらつぶやく。
「テイマーは、よほどの才がない限り成れぬ職業だ。そのスキルを、アイテムに拠って付与する。最も核になるのは、思いなのだという。あるじが従魔を、従魔があるじを愛しく思う気持ちがテイムを発動、保持させる」
「それは、ソロモンさまも云っていたぞ。ソロモンさまがかれの従魔たちを愛する思いが、従魔たちの糧になる。比喩じゃなく、ソロモンさまの愛情を食うんだ。それで、従魔は人を食わずに生きられる」
サワタリが顔を上げる。肩にとまるモモの、ぎょろぎょろと飛びだした大きな眼を見て、云う。
「はじめに、俺は死にかけていたおまえを助けた。薬草まで使い、庇って歩いた。なぜあんなことをしたのか、自分でも不思議に思っていたが──」
モモは──震えた。
「もしかして……従魔の珠のちから、なのか」
「従魔の珠は、心理にさえ作用する。あるじが従魔を、従魔があるじを愛しく思うようしむける、という」
震える体の中で、心臓がどくりと鳴る。どくどくと鳴りつづける振動が、震えと入り混じる。
「俺は、おまえが可愛い」
ご主人の手が、モモのミルキーベージュの背中を撫でる。
「この思いも、従魔の珠がうみだしている。おまえと契約をかわした時からずっと、俺の思いは真なる秘蹟に支配されていたのだと思うと……」
おれだってご主人のことを。……ご主人のことをこんなにも思う気持ちが、従魔の珠の作用にすぎないというのか。モモは、もう一度自分の耳を貫くピアスを掴む。このせいで、このせいで──。
「ご主人……」
なにか、云わないと。云いたいのだ。それなのに心のなかがぐちゃぐちゃで、ちっとも言葉を組み立てられない。
サワタリも、言葉を途切れさせたまま黙っている。足音。無情なほど真っ白な階段。心のなかは色が入り乱れて醜いほどであるのに。
モモは眼を瞑る。お揃いの、青いピアスの色が瞼の裏に焼き付き。ご主人の肩の温度が、腹につたわってくる。ご主人。ご主人。昨日よりも今日。今日よりも明日。底なんて、果てなんてないくらい、毎日大好きになる。だけど、この思いは、アイテムによる造られたもの……。
瞼を押しあげる。ご主人、ともう一度呟いて。三度めにその名を呼ぶとき。
「ご主人は、伝承をどう思う?」
わざとでもなんでもいい、話題を逸らしたかった。
「兄神が妹神への憎しみのあまり、人を改造した──男を大きく強く、女を小さく弱くし、強姦し子を産ませることが簡単にできるようになった。真実これが今の世の人の起源なら、ちょっと……かなりとても酷いと思ったんだ」
「ありえることだとは思った。だが──いや」
サワタリもなめらかに答えてくれて、ほっとした。
「なんだ?」
「俺はあまり物を
首筋に手をあて、つぶやく。
「火神にまつわる神話は、使徒によって記されている。その手記──つまり聖典と、ケマが歌う伝承には、乖離がある」
「乖離……」
モモもサワタリを真似て、首に手をあててみる。
「解呪の秘蹟を手に入れたら、ユーグに会いにゆくだろう。その時に話してみるか」
「そうだな。ケマは一ミリも忘れることはない」
伝承は記憶に刻みこまれている。そして修道騎士であるユーグは神話にも明るいだろう。両者を付き合わせてみてもいいかもしれない。
「次のダンジョンは、弓が使える場所だといいな」
つぶやくモモに、サワタリが背を撫でる。
「期待している、俺の
囁かれ、モモはぱっと耳を押さえる。頬が熱い。(このことだって、どうせ──)
だけど、そう思うのだ。こんな気持ちになるのも、従魔の珠の作用にすぎなくて、ただ、主従関係を破綻させないためだけに、おれは、サワタリのことが好きで……。
その後も、モモはとりとめもない会話を続けた。けれど、どんなに話題を逸らしても、また、塔を降りきり、森を行き草原を行き、町に着いても、従魔の珠のことは頭から、心から離れなかった。
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