終章

 桜の花びらが、雪のよう降ってくる。

「おれ、こんなにたくさんの桜、初めて見たぞ」

「弱い木だからな。よほどまめに手入れをしなければ、すぐ枯れる」

 つまり、それだけ手をかけられる程の余裕があるわけだ、この町には。

 当初の目的を達し冒険者となったモモは、大学から籍を抜いた。とすれば、寮も出ることになる。サワタリも黒猫のパルティータの本拠を出て、ふたりは帝都の郭内を後にした。なにしろ郭内は物価が高い。少しでも安い郭外に出て、そのなかでも端の方の店をまわり、旅の準備をしているところだった。

 宿の料金もべらぼうに高い。来た時はゴドフロワがすべて支払ってくれていたから、余裕のある旅であったけれど。ご主人とふたりだけだと、一泊でも懐が痛む。必然、旅立ちの日は決まった。明日の朝である。

 いつものよう淡々と旅に必要な物を買ってゆくサワタリが、ふと足を止めた。武器と防具の店、と看板に書かれている。

「おまえは弓遣いアーチャーとしてギルドに登録したのだったな」

「うん。試験はぎりぎりだったけれど」

 サワタリは頷くと、店の戸を押し入ってゆく。モモもその背中に続いた。サワタリは真っ直ぐ、弓を扱う売り場へと向かう。

 揉み手をしながらやって来たのは、店の主人だろう。

「弓をお求めですかな」

「ショートボウを探している。こいつの身の丈に合う」

「ショートボウでございますね。ははあ、お時間をいただければ、お客様にぴったりの弓を誂えることもできますが」

「明朝には帝都を発つ」

「では、既製品のなかより選ばせてもらいましょう」

 店主は巻き尺を持ってきて、モモの腕の長さや手の大きさ、頭から胴までと様々なところを採寸する。それから、売り場の弓のなかから三つを選んでカウンターに並べた。

「お客様に合う弓は、この三点でございますな」

「違いは?」

「ほぼありませぬ。デザインと、あとはこの左の弓が幾分軽いということくらいですかな」

「モモ、選べ」

 それは、武器屋に来て弓を求めるならば、自分に買ってくれると思うだろうが。モモは値札を見て仰天したのだ。帝都の郭外、そのいちばん外側にある店でも、目玉が飛び出るような価格帯である。

「ご主人、おれ、あの、ゴドフロワに買ってもらった弓があるから……」

「あれは稽古中に壊れたと云っていただろう」

「でも、継ぎなおせばまた使えると思う」

「おまえがゴドフロワから貰った物を使いつづけるのが気に食わん、と云えばいいか」

「なにを云ってるんだ、ご主人」

「なら、こう云う」

 遠慮を押し潰すよう──ご主人はもう一度、云う。

「選べ。命令だ」

「う……」

 命令、と云われれば承るより他にない。モモはサワタリの従魔なのだ。

 あらためて、三つ並べられた弓を見る。右の弓は動物の骨らしいものを複雑に組み合わせたもので、独特の形をしている。真ん中の弓は一見スタンダードなショートボウだが、よく見ると弓全体に繊細な彫刻が施してある。そして、左の弓は──。

「手に取ってみてもいいか?」

「どうぞどうぞ、できれば試射をしていただきたいところですが、なにぶんその施設がなく恐縮でございます」

 モモは左の弓を手に取る。朴訥な木の弓に、張られた弦もこれといって特徴がない。だが、握りの下に一つだけ、赤い玉が埋めこまれている。

「お目が高い。火神様の加護あつきよう、苺水晶をあしらわせていただいております」

 火神様というよりも──モモは顔をあげ、ご主人を見つめる。見つめかえすご主人の眼は、鮮やかな赤をしている。

 ──という経緯で、モモの背に苺水晶の弓が装備された。

「ご主人、大出費なんじゃないか?」

 何度もお礼を云ったが、やはり気になる。帝都を出てしばらく行けば、ふつうの町があるだろう。そこの武器屋で購えば、レベルいちのモモに相応な弓が手に入っただろうに。

「偶には、おまえの主人らしいことをさせろ」

「偶にじゃない、いつもおれのご主人は、サワタリだぞ」

 サワタリは微かに笑い、モモの頭を撫でる。

 モモの弓を買ったところで、ほぼ旅の支度はできた。明朝の出発に向け、よく休もうと宿に帰ると。

「お、来たな」

 え、とモモは首をかたむける。鬱金の瞳、無造作に伸ばした赤毛。行き交う人の足がのきなみ遅くなるほど、かれは人目を惹きつける。

「ユーグ? なんでここにいるんだ?」

 ユーグとゴドフロワには、旅の空に戻る旨を伝え、辞去の挨拶も済んでいた。

「俺様を誰だと思っている。帝都修道騎士団でも名を馳せる賢者サージェだぜ。おまえらの居所なんてすーぐ判っちまう」

「またむだに魔法を使ったのか。ゴドフロワに怒られるぞ」

「そうですよユーグ! 昨日高熱をだしていたのに、こんなところで何をしてるんですか!?」

 横から飛びだしてきた人物は、紛うことなくユーグの弟、ゴドフロワである。人だかりまでできはじめている往来で、ユーグの素顔を隠すべく布を頭から被せてやっている。

「『時を止める薬』のレシピは渡しただろう? お別れの挨拶もしたし……なんでふたりはここにいるんだ?」

「おまえら、ケマを探す旅に出るんだろう?」

 両手を腰にあて、ユーグが云う。

「うん。南域に遺跡が散らばっているらしいから、まずはそこを目指していく……んだよな、ご主人」

「それで合っている」

「聞けば、おまえらは古代語も読めないらしいじゃねえか。ここは賢者たる俺をパーティに加えるのが得策だと思うぜ」

 腰に手を当てふんぞりかえっているユーグは──確かに修道騎士の装束を脱ぎ、まるで冒険者のような格好をしている。

「何を云ってるんですか、ユーグ!」

 硬直するモモの前で、ゴドフロワが声を張り上げる。

「モモたちと一緒に行くのは俺です! 戦士としてサワタリとともに二枚の前衛となってみせますから」

 よく見るとユーグも黄色のマントや聖笏の盾を置き、身軽な出で立ちなのである。

「何を云っているんだ、きみたちは」

 第三の声まで聞こえてきて、モモは目眩がした。すかさずご主人が背後に立ち、倒れることは免れたが。

「修道騎士が易々と任務を放棄することなどありえないだろう。──サワタリたちとは、私が行く」

 マーリン──帝都に本拠地を持つ黒猫のパルティータの魔法使いまで参戦してきたのである。

 ああだこうだと云いあっている三人に、モモを片手で支えたサワタリが声を挟む。

「悪くない」

 ぐる、と振りかえる三人に、サワタリは続けた。

「俺よりも力の強い戦士としてゴドフロワ。魔法の攻守ともに長けたユーグ。攻撃魔法に特化したマーリン。俺とモモを補って余りある戦力だ」

「ということは、ここにいる三人ともに、パーティに加えてくれるのかね?」

 首肯するサワタリに、三人はそれぞれ喜びのポーズとをっている。

「ご主人」

 それならば準備だと走りだした三人を見送り、モモはご主人の服を握る。

「大丈夫だ。──と云うには、おまえの力を借りねばならんが」

「おれの力?」

 そこで、とある薬の調合を頼まれて──モモは一安心したのだ。元気にうなずき、宿の部屋へ帰ると、さっそく薬草を取りだした。

 帝都での最後の晩餐となる──そして新しいパーティの始まりとなる今宵は、無礼講を銘打ち、五人で大いに食べ大いに飲んだ。モモの眼には見えなかったが、それぞれの飲み物に、モモの作った薬を入れたのはサワタリだ。薬とは、睡眠薬。最初に眠気を云いだしたのはユーグだった。ゴドフロワに付き添われ部屋(もちろんこの宿でいちばん良い部屋でえある)に帰って行った。そのゴドフロワも食堂には帰ってこず、おそらく兄と同室のベッドに沈んだと思われる。最後まで残っていたマーリンは確りとした足どりではあったが、やはり部屋につくとことんと眠ってしまったらしい。──三人がすやすやとよく眠っていることを確認し、サワタリは素早く自分の部屋に戻ってきた。

 荷物は既に纏めている。モモは肩から薬草ポーチをかけ、弓を背負った。サワタリはナイフを装備したモッズコートに、大きなザックを背負い──そしてふたりは、まだ闇深い夜の間に宿を発ったのだ。

 郭外を出て、そこから伸びる王の道は早々に外れた。痕跡を消しながら歩くご主人の肩に、モモはとまっている。人目につかなくなったところで、人間のすがたから魔物のすがたへ変げしたのだ。

 二度同じ轍を踏んだのは、背中に背負った弓である。

 あ、と思った時には既に変げを初めていて、音をたて魔物のすがたになったモモは、またしても奇跡を目の当たりにする。なんと、弓もモモンガサイズに縮んでいたのである。

 つまり、薬草ポーチと同じ原理である。弓はご主人自らの手で作って貰った物ではないが、ご主人が購ってくれたものであり、或いはご主人と同じ眼の色の玉がなにかしらかの力を発したのかもしれない。兎も角安心して旅路をゆける。──ふたりきりの旅路を。

「ご主人と、こうして歩くの久しぶりだ」

 ゴドフロワとともに帝都に向かった時から、ほとんどを人のすがたで過ごしていた。ご主人の肩にとまり、進む旅に、なんだか胸の辺がじわっとする。

「でも、よかったんだろうか」

「あの三人のことか?」

「うん。せっかく来てくれたのに」

「俺は誰ともパーティを組む気はない」

 モモは微笑む。サワタリはそういう人だった。

「おれも、実はご主人とふたり旅のほうがいいんだ」

 ふしぎだな、とモモは思う。ただの弓遣いアーチャーであれば、いかに難関の冒険者登用試験に受かっていたとしても──喩えば帝都でも名だたるパーティの一員であっても、サワタリと共に冒険することはなかったのだ。ただ、モモが魔物だったから、従魔として傍にいることができる……。

「……おまえは、ゴドフロワやユーグ、殿下たちにまでよく懐いているように見えたが」

「ご主人への懐きかたは、比べものにならないぞ」

 ご主人の首に、頬をすりよせる。ご主人の手がモモのミルキーベージュの背を撫でる。

「俺の従魔」

 ふと、溢れるようつぶやくサワタリに。

「うん、おれの、ご主人」

 うなずいて、モモはもう一度、頬をよせる。

 帝都で、色んなことがあった。大学で。王城で。生涯関わることなどないと思った場所で、様々なことを経験した。なにより、人が人に抱く感情を生々しい感触で、知った。帝都をモモは振りかえらない。

 ほこりと草の匂いのする風が吹く。整備された王の道でなく、荒野を行く。うつくしく咲きほこる桜はなくとも、名も無い小花がぽつぽつと咲いている。

 春に、再びふたりの冒険の旅が、始まる。



…主従旅記─冒険者たるもの─ に続く

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