11th. 愛している、だから
金と赤の豪華な布を幾枚も垂らした、天蓋つきのベッドがどんと中央に置かれた部屋だった。
ベッドだけでなく、長椅子や一人がけの椅子もふんだんに置かれ、床はふかふかのじゅうたんが敷かれている。そして、黒一色で描かれた、火神と動物たちの壁画が、絢爛たる部屋を落ち着いた印象に纏めている。
ここは、カイン殿下の棲まう黄玉宮にある、ゲストルームの一室である。
黄玉宮は、アベルの棲まう黄水晶宮よりも一回り大きなお城だった。黄色の石を組み造られた館は、直線が多く朴訥な印象がある。室内も勿論豪華ではあるのだが、どこかに静けさを齎す色味や形が配され、恐れ多くも第一王子の居城であるにも関わらず、落ち着く心地がした。
旧書庫宮での騒動の後、我が宮に泊まっていきなさい、とカイン王子に声をかけられ、勿論恐縮し辞去しようとしたのだが、客室がたくさんある宮であるから、と引っぱられてきてしまった。その言葉に嘘はなく、黄玉宮は二階の殆どが客室だった。ハンティングやシューティング、フィッシングなどを楽しむため、カインは客をよく呼ぶのだという。もちろん王城には全ての部屋が客室となっている、泊まり客用の宮もあるのだが、面倒であるからとカインは自分が棲まう宮に泊めてしまう。家族が暮らす部分こそプライベートエリアとして立ち入りが禁じられていたが、それ以外の場所であれば自由に過ごしてかまわないと磊落に笑い、カイン殿下はモモたちに宛がった部屋を出ていった。
とりあえず、動かない体をなんとかしたくて、モモは薬をつくることにした。座っていることもままならない様子を見て、サワタリが背を支えてくれたため、どうにか薬のブレンドを終え、飲む。サワタリに少し休めと云われたが、豪華な寝台では落ち着かないから、長椅子に横になり、モモは軽く眠った。
寝て起きると、ずいぶんと体が軽くなっている。自力で起きあがり、歩くこともできた。食事も部屋に運んでもらうよう、サワタリが云ってくれていたようで、王族の晩餐に招かれることはなく、のんびりと部屋で食事を摂ることができた(部屋に持ちこまれた料理は、それはもう物凄いものだったが)。
意を決し──とは大げさだが、ゴージャスな寝台にもぐりこむ。ご主人が先に入って待っていてくれたから、モモはその腕のなかにおさまる。ふたりで寝てもこれだけ広いのだ。ご主人にくっついてでもいなければ、とても眠れまい。そうして、うとうとと微睡んでいたときだった。
「……、」
サワタリが、身を起こす。俊敏な動作に、モモは眼を開く。その時にはすでに、サワタリは部屋の扉へと到達していた。ドアを開けると──そこに立っていたのは、カイン殿下である。真夜中に、供の一人もつけずゲストルームを訪った第一王子は、サワタリが開けた扉から入ってきて、椅子の一つに腰をかけた。
やはり、肌が粟だつ。アベルから助けてくれた人なのに──溌剌とした美丈夫なのに──どうしてか、カインを見ると、おぞましいものを見たよう体が反応するのだ。いったいどういうことなのか。
(失礼だぞ、おれ)
とりあえず今は、それを究明する時ではない。腕をさすり、いやな気持ちを懸命に消す。
「前も云ったが、作法なんぞ知らんぞ、俺は」
「かまわなくていいと、私も云った」
ぽんぽんと云い合うふたりを見て、そういえばサワタリの眼に施されたアベルの秘蹟を解除してくれたのは、このカイン殿下だったのだと思いだす。ふたりは既に顔見知りなのだ。
「モモといったね」
「あっ、は、はい!」
呼ばれて、慌ててモモも寝台を降りる。まだちょっとよろけるな、と足をもつれさせていると、座りなさいと云われた。上座とか下座とか──大学の社交学で習ったことを懸命に思いだしていると、サワタリが二人がけのソファをカインの椅子の傍まで動かしていた。そこに座ったサワタリの隣りに、モモも腰をおろす。
「おまえには弟が大変な迷惑をかけた。兄として、第一王子として、謝罪する」
「えっ、いや、あの」
高貴なる人に頭を下げられ、モモは狼狽する。
「あの後も、充分に云い聞かせたから、おまえを狙って傷つけるようなことはもうすまい。もし──その時は」
「あんたは黄禁城を出てゆくと云ったな。脅しでなく本気なのか」
サワタリの言葉に、カインは笑う。
「本気でなければ、通用しまいよ、あれには」
「そんな! おれのことでそんなおおごとに……」
自分のせいで王位継承権が変わってしまう、なんてことになるとは夢にも思うまい。ますます縮こまるモモの背に、サワタリの手があてられる。
「モモの件がなくとも、いずれこうするつもりだった。おまえが気に病むことではない」
闊達に笑うカインは、鬱金の眼や金髪はもちろん、目鼻立ちもアベルとそっくりだった。ただ、やはり陽性の気質を感じさせるのは、笑顔も逞しいからか──アベルの陰鬱さと対になる。
「ティスア兄弟と親しいのだったな、おまえたちは」
「ティスア……?」
「ゴドフロワとユーグだ」
「ああ、うん。じゃなかった、はい、そうです」
モモは一生懸命敬語を思いだしながら、ゴドフロワと出会い帝都まで来た経緯、ユーグと出会い帝都デートをしたことまで話す。
カインは、第一王子という大層な身分であるにもかかわらず、気さくに相づちを打ち、話しの続きを促してくれる。ついつい話しすぎてしまい、失礼に当たらなかっただろうかと思いかえす間もなく、また促されるまま続きを話し、そして──。
「アベル殿下の侍従として、おれ、
モモは首を傾ける。自分が感じるいやな気持ちには、眼を瞑る。
「アベル殿下に対するときだけ、顔が違う」
「……そうか、顔が違うか」
云いすぎた、と思ったが、カインは瞳を伏せ笑っている。鬱金の瞳にかぶさる長い睫毛が、やはりアベルとよく似ている。
「なぜだ、とユーグからも苦言をもらう」
背筋を伸ばし椅子に座るカインは、社交学の教科書のお手本よりも姿勢がよく見えた。──それは、当たり前だった。カインこそ社交学が目指す完成形であり、第一王子の気品とオーラが随所にあらわれているのだ。
「……ユーグとは、同じ歳に弟ができた
「過去形だ」
「疎遠になった。偶に王城で邂逅しても、アベルに対する私の態度への苦言を云ってくるだけになってしまった」
「どうして殿下は、アベル殿下に対してそんな顔をするんだ?」
ユーグが詰め寄ったところで答えなかった問いに──まさか答えがかえってくるとは思わなかった。
「私があれに劣情を持っているからだ」
咄嗟に、何を云われたのか判らなかった。
続く言葉も、よくよく考えなければ頭に入ってこない。
「あれの精通は遅かった。十三の頃だ。夢精したあれは酷い失敗をしたと思いこみ、私のところへ逃げてきた。自慰のやり方を教えたのだよ、手ずから、私がね」
この話しを自分が聞いていいものか──モモは狼狽えた。
「その時はっきりと、私はあれに欲情していることを自覚した。二十四歳の大人が、十三歳の子どもに。実の兄が、実の弟に──劣情を持っていると」
とても許されるものではないだろう。カインはそう云い、苦く笑う。
「そんなとき、横目で見たユーグは、純粋な愛を弟に浴びせていた。兄弟愛、というのならば、あれほどに真っ直ぐで綺麗なものはなかろう。ユーグはゴドフロワのことが可愛くてたまらないと云った。私とてアベルが可愛くてたまらない──そう思ったが、それだけで済みはしないのだ。私は──私は、性的にあれを見ている。ユーグとのあまりの隔たりに、かれとは疎遠になっていった。そして」
ふっと息をはき、カインは続ける。
「なによりアベルと、距離をおきたかった。私を遙かに凌ぐあれの才に嫉妬する兄王子を演じ、あれを憎み、疎み、遠ざけるふりをした」
カインがアベルに対してだけ、溌剌とした第一王子の顔を捨て、不快な顔をする理由──。
「だが、だめだな。思いは募る一方で──あれは歳をとるごとにうつくしくなってゆく。私に対する反抗の一つ一つが可愛らしい。私は──」
カインは両の手のひらを上にし、そこに視線を落とす。
「私はいつ、アベルに手をだすやもしれぬと、怯えているのだよ」
「だから、黄禁城を出てゆく、のか?」
「一つの手立てではあると思っている」
「奥さんや子どもさんたちは……」
「残念だが、私に家族の情はない。第一王子に宛がわれた妻であり、第一王子の義務として産ませた子たちである。しかし、曲がりなりにも直系の血をひいた子たちであり、それを産んだ母であるから、私が王位を捨てたとしても、ゆめゆめ害されることはなかろう」
本気で、この人は、王位を捨てるのかもしれない。
「私の情は、ただ一人にしかないのだよ。アベルに対する恋情──執着──そのようなものしか、ない」
思わず、モモはソファから降りた。そのままカインの座る椅子のまえに跪く。王子様だけど、遙か遠い身分の人だけれど。苦しい、思いをしていることが伝わってくる。
「愛しているんだな」
「とても」
「それをおさえこむのは、つらい」
「……とても」
うなずきながら、それでもかれは闊達に笑う。
「つらくて、逃げだしてしまいたのだよ、モモ」
カインは傍に跪いたモモの頭を撫でる。
「おまえは、アベルと同い年だと云っていたね」
「うん。十九歳だ。ゴドフロワとも一緒だぞ」
こんな風に、アベルのことを撫でてやりたいんだろうな。そう思うほど、優しく、愛しいものにするように撫でられ、モモは胸を押さえる。
──と。
「なぜその話しを俺たちにした?」
後ろから手が伸びてくる。ご主人の手だ。モモは何も考えず、その手に掴まる。モモを捕まえたサワタリは、再びふたりでソファに座る。
「おまえたちが、道ならぬ恋をしているからだ」
ふっと笑い、王子は両手を組む。
「王城は
誰かに聞いてほしかったのだよ。ぽつりと、兄王子はそうつぶやいた。
それは、聞くのはもちろん全然聞くけれども。
「殿下、おれとサワタリはそういう、あの、恋人ではないぞ」
顔が熱いのは、媚薬に苦しんだ夜、慰めてもらった過去がすぐ間近にあるからだ。でも、でも。
「ただの主従なんだ。いや、『ただの』とは云いたくないくらい、おれは主従関係というものに対して思い入れがあるけれども、ご主人はご主人で、あるじとして尊敬しているし大好きだけど、あの、恋情とか、そういうのとは違うんだ」
モモは一生懸命説明する。──が。
「それでは辻褄が合わん。アベルがおまえたちに執着したのは、おまえたちが愛しあうところを覗き見たからだろう」
あ、愛しあうところって。どこだ、と記憶を辿る。まさか媚薬の処置の場面を、と思ったが、その時は既にこのカイン殿下によって、サワタリにかけられた覗き見の秘蹟は解除されていたはずだ。それより前になると──。
「やはり、あの時見られていたのだな」
つぶやくサワタリを、モモは見あげる。
「どの時だ?」
「大学で、おまえが包丁を持っていた時だ。おまえを止めた時に、視線を感じた」
ああ──ドロシーの研究成果を奪われ、失意に落ちていた時だ。比喩でなく死にそうになっていたモモを、ご主人が助けにきてくれたことがある。アベルは、あれを見て──。
「あれは、ご主人が落ちこんでいたおれを慰めてくれていただけで」
「慰めるとは、また風流な云い方だな」
磊落に笑う殿下に、尚お慌てるモモであったが。
「そういうことだ。俺とこいつはただの主従であって、恋愛関係にはない」
淡々とサワタリが云う。
「そうか。……そうなのだな」
ふと、笑顔に淋しさが混じる。なにか力になれることがあれば、と思うが、国の第一王子相手におこがましいことこの上ないだろう。なによりモモはまだ、カインのアベルに対する劣情というものを咀嚼できていなかった。
カイン王子が椅子から立ち、部屋を出ていった。最後まで肌は粟だっていたし、いやな気持ちは消えなかったが、快活で優しいカインと接しているうちに随分軽くなっていた。そう、かれは快活で優しい──。再びご主人に抱かれ、豪奢な寝台に横になっても、モモは考えつづけていた。
カインがアベルに抱く気持ち。アベルがカインに抱く気持ち。ゴドフロワがユーグに抱く気持ち。ユーグがゴドフロワに抱く気持ち。みんな違っていて、でもみんな、どこか似ている。
(ならば、おれがご主人に抱く気持ちは)
尊敬がある。大好きだと思う。ご主人の役に立てると嬉しくて、抱いてもらうと安堵感で融けるように眠れる。そして──そのご主人が愛するジルに、嫉妬をした。
(大好き、だけで済まないのは、おれも一緒だ)
カインとアベルのようなものではないけれど。ご主人とおれはただの主従だけれど。モモは主従というものに、特別な思いがある。主人を探して十年も放浪した。こんな自分のあるじになってくれて、それだけでも破格なのに、こうして慈しんでくれる。守ってくれる。あべこべなのに。ご主人を守るのが従魔なのに。ご主人はいつも、いつもモモを守り、助けてくれる。
(触られても、嫌じゃなかった)
ウトゥラガトス・ニドムで職人の男に触られたときは、嫌悪しかなかったのに。ご主人に触れられることはちっとも嫌じゃなくて。だから、間違ってもあれは性暴力じゃないと訴えることができた。
──思いだしていると、また熱が出そうだ。モモは思考を止め、ご主人の胸に頬をすりよせる。サワタリの手が、頭を覆う。ハーフアップをほどいた髪を、さらさらと撫でてくれる手が気持ちいい。 眠ってしまいそうだ、と思った時には、モモは眠りに落ちていた。
そしてようやく、モモは大学に復帰することができた。
授業は大幅に遅れてしまったが、冬休みを返上し懸命に自学自習に励んだ。カイン殿下がよほど云い聞かせたのか(本気で王位継承権をなげうつつもりで、である)、その後アベルがモモに何かを仕掛けてくることはなく、モモはひたすら授業に打ちこんだ。
その甲斐あって、冒険者登用試験免除となる科目は、一つも落とさず取りきることができた。年度の終わりに冒険者登用試験がギルドにて実施され、主に実技を測られることになったが、モモはそれも乗り切った。大学で学んだすべてを出しきり、モモは晴れて冒険者となったのだ。
張り切ったのはユーグである。モモの頑張りを称え、なんでも好きなものを買ってやると再び帝都デートへ連れだそうとするものだから。モモは──甘えた。
「好きな物を買って貰う代わりに、一つ頼みごとがあるんだ」
「いーぞいーぞ、俺が何でも叶えてやる!」
「アベル殿下と話しをする機会をもらえないだろうか」
「──……、」
アベル殿下へのとりつぎを頼まれたユーグは──ちょうど、コロッセウムに行きたいとモモが云った時と同じ顔をしていた。
「おまえ、のこのこ殿下のまえに出ていったら、何をされるか知れたもんじゃねえっての、もう判ってんだろ」
「でも、殿下と話しをしたいんだ」
モモは懸命に頼む。ユーグは、今度こそとモモと手をつなぎ、黄水晶宮へと向かってくれた。
「何の用?」
「ええと、まずは、会ってくれて有難う、アベル殿下」
「あなたを傷つけるわけには、いかないからね」
皮肉げに云い、アベルはちらりと顔を上げる。
「ユーグも、すっかりあなたのものになってしまったね」
「ユーグはものじゃないぞ」
「ぼくのだったのに」
ぽつぽつと言葉を溢すアベルに、モモは口を噤む。
「ユーグからも見捨てられたら、ぼくはどうしたらいいのか判らない」
モモと手をつないでいたユーグが、口をひらく。
「見捨てたなど、そんな。殿下、私は今でも、あなたから遠ざけられても、いつでもあなたのことを思っていますのに」
「カイン兄さまも、ユーグも、みんなぼくのことを捨てるんだ。……ぼくが悪だから」
うつむき、足をぶらぶらと揺さぶり──手はぎゅっと、椅子を握っている。
「悪性というのかな。ぼくは女が死ぬのも、男が死ぬのも、むごたらしく死ねば死ぬだけ喜ぶ。気持ちの悪いサディスト。だれも傍にいたくなんかないよね」
「おれは傍に来たぞ、殿下」
モモの声に、ふとアベルが顔を上げる。
「おれは殿下と話しがしたくて来たんだ。ユーグにむりを云ってでも、来たんだ」
「ぼくと……?」
とろりとした陰鬱な。
「なに。わざわざ苦情でも云いに来たの? ぼくはあなたに酷いことをしたからね」
「ちがう。聞きたかった。アベル殿下が、カイン殿下にもっている気持ちのことを」
鬱金の瞳が、ふっと瞬かれる。
「ぼくが、お兄さまに、もっている気持ち?」
ああ、やっぱりカイン殿下とよく似ている。誰がどう見ても、ふたりは血の繋がった兄弟だと思うだろう。
「愛している」
陰りを帯び湿った声──それがこの王子の声だったのに、この時は凜としていた。
「愛している、愛している、愛している……っ」
凜としているのに脆い。脆く。アベルは椅子の上に両足を乗せ、それを抱くかたちで座りこむ。
「……モモが云ったことは、当たっている」
膝を抱え、そこに顔を埋めて。アベルはぽつぽつと話す。話してくれる。
「ぼくは女が憎いんじゃなくて、兄さまの奥さまを憎んでいる」
モモはじっと耳をかたむける。
「いや、やっぱり女はみんな憎いのかもしれない。だって膣をもっている。兄さまと
ぎり、とアベルは抱いた自分の足に爪をたてる。
「ぼくはね、兄さまの陰茎を自分の膣で受け入れたかった。一つになるって、よく云ったものだよね。ぼくは兄さまと一つになりたかった。偽物じゃない、そういう、本物のセックスをしたかった。……悪性のサディストだけでなく、実の兄にそんな欲をもつ、気持ちの悪いいきものなんだ、ぼくって」
いつの間にか、ユーグの手が離れていた。かれはアベルの傍に駆け寄ると、横からかれを抱きしめる。モモも、前に進んだ。いつか主塔で残酷な仕打ちをされたことが思いだされたが、首を振り忘れる。そして、アベルの傍に跪いた──いつかかれの兄の傍に跪いた時のように。
「気持ち悪くないぞ」
「……お為ごかしなんか聞きたくないね」
「女の人たちに酷いことをするのはだめだと思う。でも、殿下がお兄さんに抱く気持ちは、とても綺麗で、可愛い」
「は……?」
ユーグに抱かれたまま、アベルは顔を上げ、訝しげにモモを見おろす。
「この世の中の男って、『道徳』で無条件に女の人を虐げるけれど、殿下はそうじゃないんだな。ちゃんと、憎む理由があって憎んでいる。でもやっぱり、虐殺したりレイプしたりするのはだめだと思う」
「ユーグみたいなお小言云わないでよ」
「私はあなたさまのお気持ちを、綺麗だとか、可愛いと表現することはありませんでしたよ」
「……」
アベルが黙る。すがたもだけど、気持ちも綺麗で可愛い王子様。
「おれもジルを憎んでいるのかな」
「は? 誰?」
「ご主人が愛している人だ」
「……、」
「すごい人なんだ。ご主人のためだけに、人生をまるごと賭している。遠く離れていても、いつでもご主人のいちばん近くにいるのは、ジルなんだ」
鬱金の眼が、ゆっくりと瞬かれる。
「つらいの?」
モモに、アベルは手を伸べる。
「モモ、つらいの?」
「つらい」
アベルの手が、モモの髪に触れる。ぎこちなく撫でてくれる手に、モモはうつむいて微笑む。
「なぐさめてくれるんだな、有難う、殿下」
「ぼ、ぼくは、別に」
ぱっと手を引く王子に、モモは笑いかける。
「好きって気持ちには、難しいんだな。殿下や殿下のお兄さん、ユーグやゴドフロワに、おれは色々教えられた。それでも、全然少しも判らない」
ユーグの腕のなかから、アベルはモモをじっと見つめている。
「判らないけれど。アベル殿下の気持ちは、綺麗で、可愛いと、やっぱり思う」
根拠などない。ただそう思う。
もしも根拠を上手に云いあらわすことができれば、アベルの気持ちはらくになるのだろうか。そうであれば、未熟な自分がくやしい。
お互い、想い合いながらも、すれ違ってしまっている兄王子と弟王子も、絡まり合った糸をほぐすよう、関係の修復ができるような、そんなものになりたかった。だけれど、モモにはとてもむりで。傍に侍るユーグにすらむりなのだ。この王子たちふたりはずっと、すれ違ったまま生きてゆくのかと思うと、切ない。綺麗な、可愛い人を見つめながら、モモは切ないという気持ちを知る。
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