10th. 兄弟

 数分後、モモはサワタリの背に負ぶわれていた。

 モモひとりを背負ったところで、重石になどならず──モモと並んで歩くときよりも遙かに速いスピードで、サワタリは走っていた。

 モモンガのすがたに戻ろうか、と云ったのだが、むりをするなと断られた。実際──ひどく体が怠くて、魔物のすがたに化けるのは億劫であった。モモはサワタリに甘え、人のすがたのままその背に負ぶわれた。

 黒猫のパルティータの本拠地を出る、と云ったサワタリを、マーリンは引き留めようとした。手配書のことは承知している。喩え兵士が踏みこんでこようと、きみたち二人くらいは訳なく匿えると云ってくれたが、サワタリは固辞し、外へと逃げることを選択した。

 曰く「このままずるずるとパーティメンバーされてはかなわん」ということである。つまり、今でこそ食客扱いだが、大きな借りをつくることにより、正式にパーティの一員にされてしまいそうで、それは本意ではないという。マーリンの残念そうな顔を思いだし、なるほどご主人の戦闘の腕は確かだものなあと思った。

 帝都に本拠地を持てるほどのパーティから勧誘がくるのだ。モモがもし冒険者になれたとしても、そんな人とパーティを組むことになるのか、と考えると、ちょっと畏れ多い気持ちがした。だが、あくまでモモはサワタリの従魔である。その根本がある限り、大丈夫なのだ。

(従魔としてご主人のお役に立つために、冒険者になるんだものな)

 冒険者になるのは、一手段にすぎない。──しかし、この調子だとまだまだ学校に戻れるのは先になりそうで、モモはひっそりとため息をついた。

「具合が悪いか? 一度休むか」

「あっ、違うんだ。おれは元気だ! ちょっと動けないけど」

 動けないのに元気もないのだが。そうか、とだけつぶやき、サワタリは減速することなく走る。帝都のいたるところに修道騎士がおり、まさかそのすべてがモモを捜索しているとは思わないが、かれらの眼にもとまらぬほどに、サワタリは疾駆する。

「ところで、どこに逃げるんだ? 帝都を出るのだろうか?」

 舌を噛まぬよう気をつけ、モモは訊く。

「黄禁城」

「えっ?」

 聞き直さずとも、既に眼前は、遙々と緑に塗りつぶされている。帝都の半分は黄禁城であり、そこは緑がふんだんに植わり、豪華で繊細な宮が並ぶ。

「灯台もと暗し、というやつだな」

 宮のひとつに駆けこみ、奥まで行ったところで、サワタリはモモを背から降ろした。

 黄禁城の宮は、どの宮も豪華絢爛たる造りをしているが、そのなかにあっては地味な宮だった。だが、薄い黄色のタイルが丁寧に貼られた外観は、清楚なうつくしさがある。扉や窓も凝った造りではないが、さらりとした半円や長方形の組み合わせが眼に心地良い。その扉の真上、ちょうど建物のおでこの位置に、聖笏の意匠がステンドグラスとなり嵌めこまれている。

 そのステンドグラスから溢れる光りだけが、室内を照らすすべてだった。この宮には、黄禁城のいずれの宮にもあった燭台が──蝋燭の光りがないのだ。つまり、暗い。そして狭い──理由は。

「ここは──書庫だろうか」

「今は使われていないから、旧書庫宮といったところだな」

 室内に整列している棚に、ぎっしりと詰まった本。その物量が建物の大半を占めている。埃と紙の匂いが充満し、今は使われていないというサワタリの言を裏付けている。

「なんでご主人は、この──ええと、旧書庫宮を知っているんだ?」

 迷うことなく直線で、サワタリはこの宮まで走ってきた。

「云ったろう、潜行していたと。呪毒の解除法を求めて、黄禁城の建物に片端から忍びこんだ」

「じゃあ、今使われている方の書庫にも行ったのか?」

「最初に行ってみたな。これといって収穫はなかったが」

 サワタリをモッズコートを脱ぎ、それでモモの体をくるむ。それから、ふいと書棚の間に消えた。

 程なくして戻ってきたかれが、手に握っていたのは数冊の本と、一つの聖杯カップだった。

「収穫は、こちらの方にあった」

「呪毒の解除法が判ったのか!?」

「だと、よかったのだが。さすがにそううまくはいかん」

 だが、とサワタリは続ける。

「解除法につながる記述をいくつか見つけた。解除法、というより、秘蹟についてだな」

 サワタリはモモの隣りに腰をおろし、本をめくる。

「十二の秘蹟について書いてある」

「……ご主人、おれ、読めない」

「俺も読めん。古代語だからな」

「うん? ならどうしてこれが秘蹟について書かれたものだと判ったんだ?」

「ゴドフロワは、読むことができた」

「ご主人、ゴドフロワと一緒に王城を探索していたのか」

 時々な、と肯定し、ご主人は開いた本を指してゆく。

「真なる秘蹟、という言葉が、この箇所に書かれている。これは王族でなくとも使用できるものらしい。つまり、この真なる秘蹟とやらを見つけだせば、アベルの秘蹟をたのまずともユーグの呪毒の解除ができる──可能性がある」

「どこにあるんだ、それは」

 前のめりになるモモに、落ち着け、と囁いて。サワタリはカップを片手に持つ。美しい純白のカップの、底には文字がぐるぐると円を描くように刻まれていた。

「ケマ、と読めるらしい」

「ケマ?」

「真なる秘蹟の在処を辿ってゆくと、このカップに行き着いた。そして、このカップにはケマという文字が刻まれている。であるから、今度はケマという単語を軸に調べていった。すると、南域のダンジョンに封印されし書物である、という情報が出てきた」

「ええと、ええと……ケマという書物を読めば、真なる秘蹟を使えるようになって、そしたらユーグの呪毒を癒すことができるっていうことか?」

 肯くご主人に、モモは眼を輝かせる。

「ご主人、すごい!」

 実際、この宮の蔵書だけでも膨大であろうし、更には現在使われている書庫や、このカップを探しだすことも難しかったろう。ゴドフロワがいたとはいえ、サワタリが費やした時間と労力は並のものではあるまい。

「何かをしていたほうが気が休まるというだけのことだ。──放っておくと、俺は人を殺す」

 コロッセウムで、女性が大量に虐殺されるのを見た。モモでさえ、こらえきれなかったのだ。

「おまえが学校を卒業し、冒険者になったら、ケマを探す旅にでも出ようかと考えていたのだが──」

 何かを云いかけ、だがふとサワタリは口を噤む。モモを背後に庇うよう位置を変え、体に手を滑らせる。一瞬きの間に、サワタリは両手にナイフを持ち構えていた。

 ばあん、と扉が外から開けられる。入ってくる陽光が眩しい。そのため、すがたを視認したわけではない。

「モモ! サワタリ! そこにいるのか!?」

「お兄様! 大きな声をだすと見つかります!」

 大きな声をだすと、声質もそっくりなんだな、と思った。駆けつけてくれたのは──赤毛に鬱金の瞳をした兄弟、ユーグとゴドフロワだった。

「モモ──無事でよかった」

 既にナイフをしまっている、サワタリが横にどくと、ユーグが飛んできてしゃがみこむ。

「俺のせいで、酷い目に遭わせちまった。すまない、モモ」

「ユーグのせいじゃない。ユーグはちゃんと、動くなって云った。約束を破ったおれが悪いんだ」

「おまえの──おまえらの性格からして、黙って眺めていることなどできねえって、判りきっていた。なのにコロッセウムなんてとこに連れてった俺に責任がある」

 ユーグの顔が赤い。発熱しているのだろう。呪毒の進行こそ時を止める薬で抑えられているが、これまで毀れた分を治す力はない。モモは薬草ポーチを開け、解熱剤をとりだす。

「ユーグ、熱がつらいんじゃないか? これ、飲んでくれ」

「……おまえはいつも、人のことばかりなんだな」

「ユーグだって、おれのことばかりじゃないか。帝都デート、たのしかった。有難う」

 がば、と抱きつかれ、モモは狼狽する。

「ユ、ユーグ? どうしたんだ?」

「小さくて弱っちいくせに健気でさ、おまえほんと可愛いな、モモ」

 やっぱり体が熱い。早く解熱剤を飲ませないと、とモモはユーグの腕の中から抜け出ようとしたのだが。

「ご主人?」

 サワタリだけでない。ゴドフロワも剣を抜いていた。ふたりが見つめていたのは、つい今、ユーグたちが兄弟が入ってきた扉。

 その扉がもう一度、外からゆったりと開く。

「共謀罪ってところかなあ。ユーグ、ゴドフロワ」

 自分の従僕を呼ぶのは──アベル殿下。

「きみたちを張っていればそのうち見つかると思っていたけれど、こんなに早く見つかるとはね」

 どうやらユーグたちの後をつけ、アベルもここに辿り着いたらしい。かれはモモを庇うよう前に立つサワタリとゴドフロワ、そして守るようにモモを抱きこむユーグを見て、微かに眉を顰める。

 だが、そんな表情などなかったかのよう、華やかに笑んだ。

「ふうん……ゴドフロワはともかく、ユーグもそちら側なんだ」

 声音に、淋しさを感じた。それはモモの気のせいかも知れない。アベルは笑っている。いつもの、とろりとした笑顔だ。

 ぞろ、と影が動く。否、影のようアベルに侍っている、修道騎士たちだった。

 ゴドフロワもユーグも強い。ご主人もいわずもがなだ。だが、圧倒的な数的不利である。瞬く間にモモは捕縛され、アベルの前に転がされていた。

「モモ、続きをしようね。さあ、ぼくの主塔に帰ろう」

 そう云って、鞭でモモの頬に触れる。その時だった──もう一人の人物が登場したのは。

「いい加減にしなさい、アベル」

 はっ、と音が聞こえるほど息をのんだのは、アベルだった。修道騎士たちに押さえつけられていたサワタリたちも──モモも、見ていた。静かに開けられた扉から入ってきたのは、黒地に黄を鏤めた衣装を着た、カイン第一王子だった。肌が粟だつ。でも、モモは見る。

「お兄さま──」

 金髪に鬱金の瞳、そして褐色の肌。この兄弟はいっそう、よく似ていた。だがどこか陰鬱な印象のあるアベルに対し、カインは溌剌とした陽性の印象を与える。

 そう──いつも朗らかに笑っている人が、この時だけ──弟を見る時だけ、眉間に皺を寄せ、不快そうな顔をする……。

「ですが、この者は道徳に対し反抗的で、矯正が必要──」

「矯正が必要かどうかは、先ず裁判にかけて諮るところだろう。王族が妄りに逮捕し私刑に処すのは、私の国のやり方ではない」

 カインは自らモモの傍に屈みこむと、その手で戒めを解く。

「経緯はゴドフロワらから聞いている。おまえが捕縛され、あまつさえ拷問を受ける理由はない、と私は判断した」

「……お兄さまは、ぼくの言葉より、ゴドフロワの言葉の方をお信じになるのですね」

 震える拳で鞭を握りしめるアベルを、一瞥もせず。カインはサワタリらを押さえている修道騎士たちに命じる。

「おまえたちも、その方々を離しなさい。──私の命令である」

 アベルの影たる修道騎士たちも、さすがに第一王子の命令を無視することはできないらしい。サワタリたちは解放され──とりわけサワタリは、すかさずモモの傍に来て背に庇っている。

 アベルが踵を返す。無言で旧書庫を出て行こうとする背に、カインは言葉を投げる。

「今後、この者たちに手をだすことは、俺が禁じる。約束だ、アベル」

「何の権限がおありになって、そんなことを云うんですか、お兄さま」

「おまえの兄という権威だ」

「へえ、まだぼくを弟と思ってくださっているんですね」

「約束したぞ。もしこの約束を破ったら──兄弟の縁を切る」

 アベルが振り向く。逆光で顔がよく見えないが、声が震えている。

「ぼくを黄禁城ここから追いだすおつもりです?」

「方法は、色々あるだろう」

 カインは──溌剌と笑う。

「私が黄禁城ここから出ていけばいい」

「なにを──ばかな、お兄さまは第一王子なんですよ!」

「だが、秘蹟をはじめとし、文武ともにおまえには及ばない。優等のおまえが帝位を継ぐほうが、国は安寧たるところだろう。それには、私は邪魔だからな」

「なにを、なにを、仰って──」

「唐突なことではない。私はいつもそのことを考えていた。おまえへの戒めとなるならば、ちょうどいいといったところだ」

 王位継承者ともなれば、その性根も少しはまともになるだろう。闊達に笑う兄王子を見あげる、弟王子の表情は、やはりよく見えなかった。

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