9th. 翌朝
眼を覚ますと、背中が温かかった。
モモを背中から抱きしめて眠っている、人のことに気づく。途端に──昨夜背中から抱かれ、自慰を手伝ってもらったことを思いだした。
(おれ、ご主人になんてことをさせたんだ)
寝ぼける間もなく、モモは失意に落ちる。ご主人の手を汚し、あまつさえおれはご主人の股ぐらに顔をうずめ──。
(なんてことをしたんだ)
思いだすだけで、顔が茹だる。どうかしたら、媚薬が効いていたときよりも熱い。媚薬、そうだ、おれは黄禁城の主塔に囚われ、媚薬を飲まされたのだった。
「……ご主人、ごめんなさい」
「謝るのは俺の方だ。酷いことをした、すまない」
ご主人、起きていたのか。低い声で謝られ、モモは慌ててサワタリの方を向こうとした。だが、サワタリはモモを抱く手に力をこめる。こうもホールドされては、モモごときの力では脱出は不可能だ。──昨夜もそんなことを思った気がする。
「いくらおまえをらくにするためと云ったところで、同意のない性行為はレイプにすぎない。レイプを働く男を殺すマシンである俺が、それをしでかすとは──」
「待って、待ってご主人、おれ女じゃないぞ!」
必死に声をあげるが、かすれていて情けない。
「女じゃないし、なにより、ご主人はおれのためにしてくれたんだ。謝らないといけないのはおれの方だ。ご主人にあんなことをさせて──あんなことをして」
「同性でもレイプは成立する。俺は嫌がるおまえに性暴力を働いた」
「いやじゃなかった! ご主人の手、気持ちよかった……です」
「……いやじゃ、なかったのか?」
モモは何度もうなずく。ベッドに頬がこすれて少し痛い。
「ご主人こそ、おれなんかに、あんな、ふうに、触って……その、気持ち悪かっただろう」
「気持ち悪いと思った相手を、抱いて寝はしない」
ご主人の片手が滑り、モモの額に当てられる。
「体が熱いな。まだ媚薬が残っているか?」
云われて、モモは自分の全身を点検してみる。
「まだ少し……熱い。それで、すごく怠い」
ふと、服を着ていることに気づく。アベルの『侍従』の衣装ではない。質素だが清潔な衣服を着せられ、その中の体もきれいに拭われている。
「あの、ありがとう。ごめんなさい」
「礼も謝罪もいらん。行くのが遅くなって、すまなかった」
云いわけだが、と前置いて。
「潜行していた。ゆえに、ユーグが俺を捜し当て、おまえの危急を報せるのに時間がかかった」
「ユーグ……そうだ、ユーグもあの時あそこにいて、おれを庇ったんだ。ユーグは無事なのか?」
「殿下附の騎士の責務から外され、自室で養生するよう命じられていたらしい。実質の軟禁状態だが、それにも関わらずおまえを解放しようと走りまわっていた」
「それは、アベル殿下に咎められるんじゃないか」
「かもな」
「助けにいかないと!」
そう思い、起きあがろうとしたが──依然として、くたりとしなびた体は動かない。これはご主人にホールドされていなくとも、動けないのではないか。
「ユーグにはゴドフロワがついている」
さらりと云って、ご主人はようやく腕をゆるめてくれた。布団の中でもぞもぞと、モモは体勢を変える。ご主人と向かい合う格好になり──その顔を見ると。
「あ……」
昨夜のことがありありと思いだされ、ぶわっと顔が熱くなる。
「……」
ご主人もモモの顔を見て──口を噤み、なにか、今まで見たこともないような顔をしている。
「……」
「……」
「……あの、ええと」
「……何だ」
「ご、ご主人のお世話をおれがするのがふつうで、おれの世話をご主人がするのは、やっぱりあべこべなんだ」
「おまえも俺の世話をしてくれたが」
「あれは、おれのお世話の一環なんだ。あれがその……あの……いちばん……気持ちよかった……」
サワタリが、視線を逸らす。モモのつむじあたりを見つめて。
「いやじゃなかったという、おまえの言葉を信じても、いいだろうか」
「信じるもなにも、事実だ」
「──どう責任を取ろうかと考えていた」
「責任……ご主人、まさか」
モモはサワタリの胸にしがみつく。
「死ぬつもりだったんじゃないか?」
「それが最も適している」
さらりと肯定するご主人に、目眩がする。
「ご主人はおれが苦しいのをとってくれただけだ! いやじゃなかったし、最後におれがなにをしたか、覚えているだろう」
性暴力に対し、死を以て償えとナイフを揮う人だ。自分がその過ちを犯したならば──本当に自害しかねない。ご主人にモモは一生懸命言葉を続ける。
「おれ、ウトゥラガトス・ニドムで──その、男の人にむりやりされそうになったことがある。レイプっていうのはあれで、だから、ご主人のしてくれたこととは違うって、判るんだ」
「ウトゥラガトス・ニドムで──何だと?」
「職人さんの仕事を見学していたら、ええと……ベッドに連れこまれて……」
サワタリの眼が据わる。
「ちょっと触られただけだけど、すごくいやだった。でも、ご主人に触ってもらうのは、いやだなんて全然思わなかった。違うって、ちゃんと判るんだ」
サワタリが息を吸う。吐く。深呼吸をしているのも、そんなすがたをモモに見せるのも、珍しい。
ふうっと緊張がほどけた。モモはそこで、ご主人に抱かれて眠ったのは、幾日ぶりだろうかと眼を細める。思わず、ご主人の胸に顔をすりよせる。旅の間はいつもこうして眠っていたのだ。途端に安心感が溢れ、モモはサワタリにしがみつく。
「酷い悔悟をしていたが」
ご主人の大きな手が、背中を抱いてくれる。
「おまえから俺に触れてくれるようになるとは、荒療治というところか」
そうだった。ジルのことがあり、おれはご主人に甘え懐くことに抵抗を覚えるようになっていた。だけど──それを吹き飛ばすほどのことをやってしまったのだ。この機に乗じて、モモはサワタリに触れること──触れられることへの蟠りをなくしていた。
(あれだけ触ったんだものなあ……)
いけない、また思いだしている。真っ赤になった頬を両手で叩き、首を振る。
──と、もだもだしていたモモを一度両腕で抱きしめて。それからご主人は体を起こした。起きあがった、と思った時には、かれは既に戸のところに立っていた。
ノックの音。ご主人がドアを開く。そこに立っていたのは、見たことのない人──だと思っていたが。
「おはよう。お連れの具合はいかがかな?」
「匿ってもらって感謝する」
「ということは、我がパーティのヒーラーを遣わせる必要もなくなったかね」
「ああ。こいつはもう自力で解毒薬を作れる」
「薬! 世間では四元素論を薬学に投入した理論構築がもてはやされている。うちの
立派な杖を持った人だ。あれは
「思いだした」
心の中で云ったつもりが、声に出ていた。慌てて口を押さえたが、戸口で離していた二人は、くるりとモモを向く。
「あ……あの、プロスペルムの災厄のとき、火の魔法を使ったウィザード……ではなかったろうか」
町はずれで一人闘うサワタリを訪ねてきた。確か、パーティに前衛として加わらないかと勧誘に来た人。
「よく覚えておいでだね。黒猫のパルティータ、魔法使いのマーリンだ」
「帝都でも有名なパーティだと」
「帝都の端にこのくらいの本拠を持てるくらいにはね」
「ここは、黒猫のパルティータの本拠地だ」
サワタリが説明に加わる。魔法使い──マーリンも詳しく話し聞かせてくれた。
「私たちは十七名からなるそこそこに大所帯でね。帝都に本拠地となる邸宅を持っているのだよ」
「それが、ここなのか」
「きっかけは、サワタリが黒猫のパルティータを騙ってね」
「騙る……」
「……少々深入りして、追われていた。修道騎士に捕まった際、思いつきで黒猫のパルティータを名乗った。すると首実検をされた」
「迎えにいったのが私でよかった。でなければ、おまえの首はとっくに胴から離れている」
「感謝している。──今回も」
つまり、サワタリは修道騎士に追われ、捕まったさい、黒猫のパルティータの一員だと名乗ったわけだ。そして、それが本当のことかどうか確かめるため、マーリンが呼ばれた。マーリンは首肯し、それからサワタリは、この本拠地に連れてこられ、以降ここをねぐらにしていたのだという。
「なに、こちらも討伐等の手伝いをしてもらっているからね。宿代を差し引いてあまりまる」
うなずいて、マーリンは朝食の準備ができている、と告げる。頷いて、サワタリは部屋を出ていった。ややあって帰ってきたかれは、両手にトレーを載せている。
「食えるか、モモ?」
「……まだちょっと、むりみたいだ。でも、ご主人はおなかすいているだろう。かまわず食べてくれ」
「そうさせてもらう」
机も椅子も質素だが、帝都に相応しい上等の品らしい。そこに腰をおろし、サワタリはパンをスープに浸し食べている。
「ご主人は、黒猫のパルティータに入ったのか?」
誰かと組んで仕事をする、ということをしない人である。パーティなど絶対に組まないと思っていたのだが。
「食客扱いだな。食事と寝床を保証してもらう代わりに、伝説級の魔物の討伐であったり、難度の高いダンジョンの攻略であったり、手を貸してほしいと頼まれれば、一時的にパーティに参加させて貰った」
「潜行していた、とはその意味なのか?」
「違う」
「違うのか」
モモは笑う。
「男を殺していないから、ご主人は別のことを頑張っているんだろうと思っていた」
「……そうか」
サワタリが食事から顔をあげ、モモを見る。赤い瞳は少し怖くてとっても綺麗だ。久しぶりに会えたのだし、恥ずかしがってご主人の顔を見損ねるのはもったいない。モモはじっとサワタリを見つめる。
「呪毒を解く方法を探していた」
「呪毒を解く……? ユーグのか?」
肯くご主人に、モモは瞬く。
「あれは、殿下の秘蹟でないと解除できないものじゃなかったろうか」
「おまえが熱心に薬を作っているのを見てな。実際、おまえは時を止める薬を作りあげた」
「でも、時を止めるだけだ。対症療法であって根本的解決にはならない」
「根本的な解決法、それだな。それを探して、俺は色んな場所に潜りこんでいた。王城にもな」
「王城!? もしかして、それで修道騎士に追われたのか?」
「油断した、と云いたいところだが──俺にも秘蹟が付着していることを思いだした」
サワタリは自分の両目を手で覆う。
「アベル王子の秘蹟だ。やつはゴドフロワを依代にし、その旅の様子を眺めていた。その秘蹟を俺にも使っていた。俺を依代にし、俺の行動を眺めていた」
「そんな──」
「だが、その秘蹟は既に解除されている」
両目を覆っていた手を、再び食事に向ける。
「カイン王子──アベルの兄だな──とまみえる機会があってな。カイン王子が秘蹟の解除をしてくれた」
「それならよかった」
でも、とモモは首を傾げる。
「秘蹟の解除ができるんなら、ユーグの呪毒の解除も、アベル殿下じゃなく、カイン殿下に頼めばいいんじゃないか?」
「それはできない、と云われた」
「なんでだ」
「秘蹟にも難度がある。呪毒の解除は高位の秘蹟で、カイン王子は遣えないらしい」
「ええと、ええと……カイン殿下より、アベル殿下のほうが、秘蹟をじょうずに扱えるってことか?」
「それで合っている」
兄より弟の方が才がある。そんなことを、誰かが云っていた気がする。アベル殿下は優秀なんだな、とぼんやり思う。優秀で、綺麗な人なのに──どうして、あんな。
コロッセウムで女性を惨たらしく殺し、兄王子の奥さんと娘さんを邪険にし、モモに女を犯させようとした。──どうして、とは云うまでもない。女性は人にあらずという現代道徳を実践しているだけだと、だが、モモは思えない。
『女じゃなくて、カインの奥さんじゃないのか』
『殿下が憎んでいるのは、制裁したいのは、女じゃなくてお兄さんの奥さんなんじゃないのか』
『奥さんに、お兄さんをとられて憎んでいるんだ』
自分がアベルにぶつけた言葉だ。これらの言葉を聞き、アベルはモモを主塔の囚人とした。
考えこんでいるモモをちらりと見、それからサワタリは立ちあがり、窓を開ける。食事は終わったらしい。
「ご主人?」
サワタリは窓の外に手をのばしている。その手にふわ、と光りが纏いつく。
「ユーグに、おまえの無事を報せる手紙を送る」
「魔法の手紙か?」
「そうだ。ユーグの手紙に付属している、いわば返信用の魔法だな」
光りは緑色の鳥のすがたになり、すうと窓の外へと飛んでいった。魔法の手紙は、受け取り主のところに到着すると、鳥のすがたが融け空中に文字を綴る、とても綺麗な魔法だった。
「食器を返してくる」
そう云って、サワタリはトレーを持つと、部屋を出ていった。モモは開けられたままの窓から、外を見る。晴天の青がどこか物淋しい。秋も深まり、もうすぐに冬が来る。ああ、学校を休んでもう何日になるだろう。このままでは冬休みに入ってしまう。冬休みもたくさん勉強して、遅れた分を取り返さないと。そんなことを考えていると、すうと部屋の戸が開いた。
「ご主人」
サワタリは足音をたてずに歩くことができる。今だって殆ど気配がなかった。だから、ご主人が帰ってきたことに気づいたのは、モモがその戸をじっと見つめていたからだ。
「……?」
ご主人の表情が、微妙に変わっている。モモが瞬いていると、サワタリはやはり足音を立てず歩き、モモが横になった寝台に腰をおろす。
「ユーグ風に云うのならば──おまえはよほど気に入られたらしいな、モモ」
「うん?」
「手配書だ。王都の端のこんなところにまで配られている」
サワタリがぴらりと見せた紙に描かれていたのは──モモだった。黒い瞳に、ベージュの髪をハーフアップにした、似顔絵はそっくりで。下には捕らえた者に与えられる賞金まで書いてある。
「気に入られているのは、ご主人のほうだと思うぞ」
なんとなく返した科白こそ、的を射ているんじゃないかと、モモは思った。
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