2nd. 兄騎士

 修道騎士団本部は、帝都の東南に位置する、菱形の城塞だった。

 なんの知識もなく帝都を見れば、そここそが黄禁城だと思うほど、一見するになんとも「お城」らしい。

 菱形をかたどる敷地には、等間隔に円柱塔が築かれ、それをつなぐかたちで高い壁が聳えている。壁の上方は、更に壁が積みかさねられている部分と、逆に陥没している部分が交互に並び、ノコギリの歯を連想させた。あれは壁の内側から弓を射る時のための設計だと、サワタリが教えてくれた。壁の凸部に身を隠し、凹部から弓をだし射撃するのだという。壁の外側には水濠が巡らされており、これも容易に攻めこまれぬための防御なのだろう。長く一つ王朝のつづく平和な国だが、さすが帝都軍の中枢たる修道騎士団、平時に於いても抜かりなく戦闘に備えている。

 それは城塞の造りだけでなく。各所に配置された騎士たちのきびきびとした所作や、──こうして、闖入者の前に立ちはだかる門番の粛然とした態度にも表れていた。

「ここは修道騎士団本部である。文民の来訪は禁じられている」

 厳粛に云い渡されたのは、楼門──の手前である。本部の出入り口となる開口部はそこしかなく(もしかしたら秘密裏に色んな出入り口があるのかもしれないが、防衛上機密事項だろう)、立哨の騎士がいるのだが、楼門との間には水濠が横たわっている。モモは興味深く首を伸ばす。楼門は黒い板で塞がれているが、その板は扉という感じではない。なにしろ、楼門にぴったりと嵌まっているのでなく、大いにはみ出しているのだ。(あれは……鎖、だろうか)

「立ち去られよ」

 にべもないお断りの文句だが、当然だろう。モモたちは紛れもなく部外者であり、しかも帝都にあるまじき薄汚れた旅装のままである。ユーグに会いたい、と申し出たところで、顔を顰められ、追いだされるのが関の山と思われる。

 ──そこで、サワタリはさらりと名乗ったのだ。

「俺はシンシェレ修道騎士に捕縛され、連行されてここに来た、プロスペルムのマーダラーだ」

 門番の騎士は、ぽかんと口をあけた。

「黄水晶宮殿下の御前より放たれたため、シンシェレ修道騎士に目通り願いたい」

 表情も変えず、淡々と伝えるサワタリに、門番はそれまでの粛然とした態度を忘れ、眼に見えて慌てた。

「シンシェレ殿だと?」

 ざわめきが伝播するのは、早い。

「シンシェレ殿は特別任務を請け負い、帝都を離れておられたのではなかったか」

「その任務が、プロスペルムのマーダラーの捕縛及び連行であろう」

「おい、第五隊の者はいないか!?」

「ここに! はい、確かに、この者はシンシェレ殿が黄水晶宮に連行していかれました」

「その後、殿下は釈放したと聞いております」

「釈放? 確かなのか?」

「いえ、第五隊は尋問のまえに御前を辞しているため、影兵がこの者たちを城外に解き放つところを見ただけです」

「誰か黄水晶宮へ、確認に──」

「いや、隊長に報告せねば──」

 付近にいた──おそらく見張りとして配置されていたのだろう騎士たちが集まり、次々に口を開いている。錯綜する情報をとりまとめる、上役はいないらしい。そう──かれは、上役ではなかったのだ。

「確認とか、いらねーよ」

 とん、と軽い音がした。おれが魔物から人のすがたになった時、地面に足をつく音に似ている。

「こいつらは俺の客だ。おい、跳ね橋おろせ」

 集まっていた修道騎士たちが、ぱっと割れた。その間を悠々と歩いてくる。

 その人が──あんまり綺麗だったから、モモはいちど、声も行動も気持ちも、色んなものをぼとぼとと落っことした。

 モモはきれいな人をたくさん知っている。ソロモンさまだって凄くきれいな人だったし、ドロシーを水竜に乗せていった人も凄い美女だった。ついさっき拝謁したアベル王子も凄く愛らしいかただと思った──けれど。

 この人の綺麗さは、なにか、隔絶している。美形。美人。どんな言葉でも云いあらわせない。百人がすれ違ったら、百人とも。万人がすれ違ったら万人とも、振り向いてしまうだろう。サワタリでさえ、眼を瞠りかれを見ている。

 かれは──背中まで届く長い赤毛を無造作にかきあげ、指さす。

「は、ね、ば、し、を、お、ろ、せ」

「はっ、はい! ただいま!」

 がらがらがら、と音をたてているのは、あの太い鎖だった。やはり、楼門を塞いでいた板は、扉ではなかった。橋なのだ。跳ね橋、というものなのだろう。鎖が伸びきったところで、板の先端がこちら側につき、それは水濠を渡る黒い橋となった。

「おい、ぼーっとしてんな。来いよ」

 跳ね橋に片足を乗せている。かれはひらひらと手を振り、モモたちを呼んでいる。

「おまえは、誰だ」

 サワタリは──答えを知っていて、聞いたのだろう。だって。

「あー、そうだな、名乗ってねーな」

 モモでさえ、判った。

「弟が、すんげー失礼ぶっこいてすまなかった」

 鮮やかな赤毛に、鋭利に輝く鬱金の瞳。うつくしく、あかるい。あかるいのに、うつくしい。繊細なのに、豪華だ。豪華なのに、繊細だ。複雑な──けれど誰もが美人だと口を揃えて云うだろう。かれこそが。

「ゴドフロワのお兄様。ユーグ・シンシェレだ」

 ゴドフロワが身命を賭し救おうとしている、かれの最愛の兄だった。


 ユーグはモモたちを伴い、広大な敷地内を歩いて、守備兵舎──修道騎士が暮らす生活房まで連れこんだ。訊けば、かれの私室なのだという。そんな、守りの堅い城塞の、最奥たる騎士の私室におれたちみたいなのが入っていいのだろうか。

「俺がいいっつってんだから、いーんだよ」

 椅子に座ったユーグは、腕を組んでいるが──顎をあげ、ぐいと背もたれに肩を押しつけている。つまり、ふんぞりかえっている、という表現が適切かと思われる。

(なんというか……なんだろう……)

 呪毒に倒れた、薄幸の麗人──と、ゴドフロワの語るユーグから、そんな風な人を想像していたから、実際のかれを見て、少し──かなり──とても、狼狽している。

(凄く凄く美人なんだけど、余命いくばくもない儚さ……みたいなのも、ある。……たぶん、黙って……眠ってたりしたら……)

 そうなのだ。致命的な呪毒を受け、想像を絶する苦しみのなかにあると聞いていたのに──ユーグは大きく足を広げ、椅子にふんぞりかえり、モモたちにぐいぐいと迫る。──声だって、細くて綺麗なのに、乱暴な口調で話すものだから、どうにも混乱する。

 再三云うが、とんでもない美形なのだ。ベッドに横たわり、濃い睫毛を伏せ、淡雪のような肌に影をおとしていれば、まさに呪毒に倒れた薄幸の麗人である。それなのに──。

「改めて、謝らせてくれ。弟が迷惑をかけた」

 うらはらの強い存在感で腕を組むすがたも、それはまた、酷く綺麗なのだ。

「ひでぇけがさして悪かったな、サワタリ。それなのに、弟のこと助けてくれて感謝する、モモ。そんでもって、帝都まで来てくれて、アベル殿下と話してくれて、有り難うな」

 うん?と首をかたむける。

「……俺たちの名を、知っているのか」

「あー、うん。殿下の秘蹟で、俺、ちょこちょこゴドフロワのこと見てたから」

「見ていた」

「言葉のとおりだよ。遠い場所のできごとを映す魔法なんてもんはねーけど、殿下の秘蹟んなかで、そーゆーのがある。王の道の橋梁だったり、斜め十字山脈だったり、ゴドフロワを基点とした生中継を、俺は殿下の書斎で見ていた」

 秘蹟、というのはよく判らないが。

「すごいんだな……」

「そうなんだ! アベル殿下の秘蹟はすげーんだぜ。兄君よりも遙かに才能あんだよ。なのにさ、不遇っつーか、なんで殿下は……」

 ふと口を噤み、音をたてユーグは背もたれを軋ませる。

「いや、それはいい。ともかく、ずっと弟の旅路を見ていたお兄様はよお、もーすっ飛んでいって首根っこ捕まえて帝都に引き摺ってこようかと、何度思ったかっての」

「何を仰っているんですか!!」

 耳を劈く声に、比喩でなく飛びあがる。振り向くと──ばあんと開けはなたれたドアの向こうに、仁王立ちしている人がいる。

「呪毒を受けた身で、帝都を出ることを考えていたんですか!? ばかなことをお考えになるまえに、安静にしていてくださいと、どれほど申しあげればいいんですか!?」

 果たして──床を蹴破る勢いで部屋に入ってきたのは、ゴドフロワである。

「門番に聞きました。ユーグ、魔法を使いましたね!? それがどれだけ負荷をかけるか、ご自身がいちばんお判りでしょう!」

「ゴドフロワ」

「なんですか!?」

「お兄様だろう」

 椅子から立ちあがると、ユーグは両手を腰に当て、顔をつきだす。

「ユーグじゃなく、お兄様と呼べ」

 鬱金の瞳が、色めく。壮絶に綺麗な兄に命じられ、弟は次の科白を喉の奥に消して。

「……お兄様、ただいま帰りました」

 まるで耳を垂れた犬のよう。ただいまの挨拶をするのだ。

「よしよし」

 ユーグはにっこりと微笑むと(再三再三云うが、ものすごく綺麗な笑顔なんだ)、背伸びをしてゴドフロワの短く刈られた赤毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜている。

「怖く、ないのか?」

「うん?」

 ゴドフロワがおとなしくなったおかげで、モモの声は室内によくとおった。

 綺麗な人に真正面から見つめられ、モモは顔が赤くなるのを感じながら、拙くも言葉を綴る。

「ユーグの受けた呪毒は、膝の噛み傷から入りこみ、神経を伝って脳を目指す。それで、呪毒が脳を冒した時──狂い死にをする、と聞いた。今も、呪毒はおまえの体内を脳へと向かっているんだろう? 今にも、脳が冒されるかもしれない。それに、狂い死にとは、ものすごく怖い死に方だ」

 あまりにも平然と──堂々としているユーグは、とても呪毒に犯されているようには見えない。

「修道騎士だからか? 主に心身を捧げているから、怖くないのだろうか」

「ちげーよ。あー、いや、アベル殿下には心酔っつーか、そうだな、修道騎士として仕えることが俺の生き方だってくらい、依存してっけど。ふつーに、呪毒で死ぬの怖えーし。だって、明日どころか、たった今、発狂して死ぬかもしんねーんだぜ。怖えーって」

 でも、とユーグはつづける。

「怖いが、べつにかまわねーと思っている。俺、幸福すぎたから」

 瞳を伏せると、濃い睫毛のかぶさる瞳が、心のぜんぶをもっていかれそうなほど綺麗だ。

「たった今、死んでもかまわねー。それはな、あと二十年、四十年、六十年分の幸福を、もうとっくにもらっちまってるからだ」

 椅子に座る兄の足許に、足を折りたたみ座っている。弟に、ユーグはいきなり飛びついた。

「お、お兄様!?」

「十九年前、こいつが産まれた」

 破顔、という表現が陳腐に思える。それほどに、顔をくしゃくしゃにして、ユーグは笑い、ゴドフロワを抱きしめる。

「可愛い可愛い俺の弟が、十九年間、俺をありったけ幸福にしてくれた。こんだけ幸福にしてもらったんだぜ。いつ死んだって、べつにかまいやしねーって、思う」

 ゴドフロワの短い髪に、ユーグはぐりぐりと頬ずりをしている。荒っぽいが、あふれるような思いを目の当たりにして──赤面しているのはモモだけでなく。

「お兄様」

 真っ赤な顔で、それでもかれらしい真率な声で。ゴドフロワはかぶさってくる兄を引き寄せ、抱きしめる。

「俺は、お兄様が生きる限り、お兄様を幸せにします。二十年生きれば、もう二十年、四十年なら、もう四十年、六十年でも百年でも、いくらでも、もっともっと、まだ幸せになれるのかって、いつまでだって思わせてやりますから。──生きてください」

 生きてください、と祈るように云う。

 ──だからあんなにも、ゴドフロワは必死だったのだ。十九年、とユーグは云った。それをユーグは自分の幸福と云ったが、それはなかんずくゴドフロワの幸せであろう。死んでもかまわないほどの幸せをもらったと、抱きしめる。これほどに愛されては、愛してしまうだろう。ゴドフロワがユーグのために、どれほど苦しくとも諦めない理由が、判りすぎるほどに、判った。

 ふと、ゴドフロワが立ちあがる。かれは兄を抱いたままだった。ユーグがおとなしく抱かれていることに首を傾げるていると。

「むりをしすぎです。お願いですから、よこになっていてください」

「……へーい」

 ベッドにおろされたユーグは、先ほどまで椅子にふんぞりかえっていたとは思えぬほど、生気のない顔をしていた。淡雪の肌は青ざめ、ゴドフロワの手で毛布にくるまれるままになっている。

「ユーグ……お兄様は賢者だと、お話ししましたよね。お兄様は僧侶の魔法も使えるので、呪毒で壊されゆく体内を、常にご自身で回復されているんです」

「だから、呪毒を受けながら、さっきみたいに元気に行動できるのか」

「回復魔法に集中してくださればいいのですが……眼を離すと、お兄様はすぐ他の魔法を使われるのです。そのたび、こうして症状が悪化する。──回復魔法を使っていても凄まじい痛みがあるのに」

「そっちに行ってもいいか?」

 モモが尋ねると、ゴドフロワが頷く。むしろかれは、進んでユーグの毛布をめくり──かれの膝の包帯を取り、傷口を見せてくれた。

「ここが、呪毒の入った噛み傷です」

「……酷いな」

 膝の下に、二つの大きな穴が穿たれている。大蛇の牙と云われれば、ぴったりだ。抉られた肉は暗い緑に変色している。時折り、その暗緑色が、小さな稲妻のように光って見え、これがただの毒ではなく、呪いに拠るものなのだということが、モモにも判った。

 もとどおり、包帯を巻いてから。もう一度、ゴドフロワは兄を毛布でくるむ。これ以上ないくらい、優しい、優しい手で、兄を守りたがる。

「ゴドフロワ、これ、やる」

 モモはポーチから取りだした薬包を、ゴドフロワの手に押しつける。

「これは?」

「ドロシーの薬だ。ふつうの痛み止めよりはるかによく効く。お兄さんがつらいとき、お湯でゆっくり飲ませてやってくれ。少しはらくになるかもしれない」

「……有り難うございます」

 頭を下げ、ゴドフロワは──自嘲気味に笑う。

「俺は卑怯ですね」

「うん?」

「ユーグの傷を見せれば、モモはこの薬を──天才薬師の薬をくれるだろうと踏んだんです」

 貴重な薬なんでしょう?とゴドフロワは手の中を見つめている。

「うん。おまえにやったもので、全部だ。これだけしかなくて、ごめんな」

「どうして謝るんですか。俺はあなたの同情心につけこんで、貴重な薬を強請り取ったんですよ」

「ドロシーだったら、この呪毒に対抗できる薬を作れたかもしれない。おまえが、自分のこと卑怯だと云うなら、おれだって卑怯だ。ドロシーの薬を渡すことで、なにもできない自分の無能を慰めているんだ」

 俺がおれがと云い合うゴドフロワとモモの間に、綺麗な声がすべりこむ。

「やっぱさー、詫びいれなきゃだって、これ」

 先ほどまでより弱い声だが、青い顔だが。ユーグはごろりと横向きになると、モモたちの方を向く。半眼の鬱金の瞳は、アベル王子を思いおこさせたが、かれの退廃的な艶美とは全く違う。ユーグの眼は、繊細な綺麗さのなかに消えぬ、したたかさが魅力的なのだ。

「ここまでしてくれるモモたちにさ、おまえほんとひでーことしたの、判ってるか」

「それは……はい……忸怩たる思いで……」

 最愛の兄に叱られ、しゅんと耳を垂れるゴドフロワの横から、モモが身を伸ばす。

「ゴドフロワはユーグのために頑張ったんだ」

「そこなんだよ。俺も忸怩たる思いっつーわけで……すげー迷惑かけてごめんな、モモ、サワタリ」

「もうたくさん謝ってもらったし、王子様から罰されることもなかったし、ええと……そんな、気にしないでいいんだぞ」

 と、モモは云ってみたのだが。

「……、」

「……、」

 ゴドフロワとユーグは、無言で視線を交わしている。

「無罪放免っつーのがなあ」

「アベル殿下なのですよ、お兄様」

「殿下には、極力俺がついている」

「……むりはなさらないでください」

 長い無言のあと、ぽつぽつとと交わされた兄弟の会話に、モモが首をかたむけていると。ふたりは同時に、うなずいて。

「おい、モモ」

「えっ、はい」

 長い赤毛が白いシーツにちらばって、綺麗だ。赤毛に鬱金の瞳は、いかにも兄弟らしく、色みがまったく同じだった。

「おまえ、大学行ってみる気ねーか?」

「だいがく?」

「冒険者になりてーんだろ? ゴドフロワに弓習ってっとこ見たぞ」

 その弓がへったくそなとこも見た、と云われ、モモは縮こまる。

「大学で幾つか単位とれば、冒険者登用試験でもその科目をパスできるし、実技を教える体制も整っている。おまえ、このペースで基礎教養から応用実技まで習得すんの、すげー時間かかるだろーからさ、大学行かせてやるよ。おまえが冒険者になるにゃ、最速の道だと思うぜ」

「え? え? あの、でも、帝都の大学って、それ、すごいところじゃないのか? おれ、字もまともに読めない、庶民のなかでも落ちこぼれだぞ」

「俺のコネとカネぶっこむから心配ねーよ」

 よこたわったうつくしい人は、濃い睫毛を伏せても、強気に笑う。

「俺からの詫びだと思ってくんねーか。俺と弟が迷惑をかけた詫びだ」

「お詫びに、おれを学校に行かせてくれるのか?」

「おう。入学の段取りと学費諸々、それを詫びとしてモモにおくる。……おまえには一銭も入らねーが、いーだろ、サワタリ?」

 慌てて、モモは振りかえる。サワタリはモモのすぐ後ろにいて、手を顎にあてている。赤い眼が伏せられていて、ちょうどモモの視線と合っていたが──なにか考えごとをしているのか、いくら覗きこんでも反応がない。

「あの、ご主人、」

「モモが大学に通う間、必然、俺たちは帝都にとどまる」

「そういうことだ」

 モモが声を挟む間もなく、話しが進んでゆく。

「ちなみに、モモは全寮制の学校に入れる。ねぐらやめしの心配はしなくていい」

「それは、助かるな」

「サワタリには──」

「俺のことはかまわないでいい。……モモが冒険者になるまで、適当にどこかにもぐりこむ」

 ユーグの鬱金の瞳と、サワタリの赤い瞳が、真っ向から見つめあう。

 何を──了解したのだろう。ふたりは同時に視線を切ると、ユーグはゴドフロワへ、サワタリはモモへ視線をかえした。

「ご主人、おれ、大学なんて、そんなすごいところ──お詫びっていうんなら、ご主人のほうが、」

「おまえ、毎日熱心に、弓を練習していた」

 帝都までの旅の間、たしかに、モモは毎日弓の練習に励んでいた。そのわりに、成果がちっとも出ていないから──学校で、教えることを専門にする人に、ちゃんと習うのがいちばんいいとは思うけれど。

「そんなおまえのすがたに心を打たれた、と云いたいところだが」

 サワタリは、口の端に、微かな笑いをふくませる。

「弓を教わる時、ゴドフロワにべったりなおまえに、少しばかり限界がきていた」

「……?」

「あれなあ、俺も見てて嫉妬したぜ。俺の弟をとられちまったみてーでさ」

「そんな! 俺はお兄様一筋なのに!」

 なんだ? なんで大騒ぎになっているんだ? ──と、モモがおろおろしていると。

「まあ、こいつ小っさくて弱っちくて可愛いもんな。夢中になんのは判る」

 ベッドから手が伸びてきて、頭を撫でられる。ユーグの手は指先まで真っ白で、爪はやわらかな桜色で、やっぱり凄く綺麗だ。

「……警戒対象が増えたな」

「ふはっ、おまえは心狭すぎだと思うぜ、サワタリ」

「当てつけに、お兄様に手をだしたら殺しますよ、サワタリ」

「おまえの弟も大概だと思うが」

 混乱するモモを、ユーグの手から引き剥がすよう抱きとる。ご主人の腕に掴まって床に立つと、ゴドフロワがすらりとドアを開ける。

「帝都にいる間、ちょこちょこ遊びこいよ」

「ここにか?」

 気軽に云うが、ここは修道騎士団本部の、騎士の私室である。粛然たる騎士の門番はにべもなく、モモたちの来訪を許してくれまいと思うが。

「おまえらは顔パスにしといてやる。あー、今日はちょっと眠いから、おまえらが、つぎ、くるまでに……」

 声がかすれるユーグの後を引き受け、ゴドフロワが言葉を入れる。

「俺、ふたりを送っていきます」

「ん……頼む」

「すぐ戻りますからね。お願いですから、ベッドにいてください、お兄様」

「へーい」

 ゴドフロワに促され、モモとサワタリはユーグの私室を出る。

「道を教えてもらえば、おれたちだけで帰れるぞ」

 ユーグの傍を離れたくないだろう、ゴドフロワを思いやったつもりだが。

「これでも、帝都一守りのかたい寨です。部外者だけで寨内を歩くことは難しいですよ。お兄様が──ユーグが団長に掛けあうので、あなたがたは以降自由に出入りできるようになると思いますが」

 顔パス、とユーグが云っていたことを思いだす。

「ユーグは、もしかしてすごく偉い人なのか?」

「いいえ。アベル殿下のお気に入りの騎士ではありますが、等級でいうならば、最下級の騎士のひとりにすぎません」

「でも、すごかったぞ。ユーグが来た途端、騎士たちは云うこと聞いたし、跳ね橋おろせって云ったら、すぐおろしたし……」

「ユーグは……強いんです。誰も逆らえないというか……思いに沿いたくなるというか……」

 いっそ団長より強いんです、とつぶやいた、ゴドフロワのいう「強い」は、単なる腕力のことではないのだろう。

 あの美貌に、──あの性格である。どけと云われれば、はいと云って飛びのいてしまうのだ、誰しも。

「一つ、頼みごとがあるのですが」

 楼門が見えてきた時、ふと思いだしたかのよう、ゴドフロワが云った。

「うん? なんだ?」

「俺の膝の薬を──『傷の時を止める薬』、もらいたいんです」

 そうだった。鎖帷子の重装備の下に──ユーグの噛み傷と同じところに拵えた傷を、ゴドフロワはまだ治療していない。モモの薬で時を止め、壊死を免れている……。

「モモのところに、毎日もらいにいってもいいですか?」

「それは面倒じゃないか? レシピを書くぞ。ええと、軍医、だっけ。寨には医療の専門家がいるだろう。その人に作ってもらえば──」

「俺の膝の傷は秘密にしているんです。軍医に話すとユーグにばれてしまうので」

「そうなのか。それならいくらでもおれ、つくるけれど」

 うなずくと、ほっとしたようにゴドフロワが胸を押さえる。やっぱりまだ、治す気はないんだなあ、とぼんやり思っていると、サワタリがじっとゴドフロワを見つめていた。

「……、」

「……、」

 つかの間、見つめあう。それは、先刻ユーグとサワタリが見つめあった時と、よく似ていた。

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