1st. 弟王子
火に照らされていたのは、愛らしい人だった。
ほっそりとしたおとがいに、まろい頬。長い睫毛が眼をいっそう華やかにみせ、胸にふんわりと落ちる三つ編みの髪は、幾本ものリボンで彩られている。細身の肢体を包むのは黒いコートだが、ひどく丈が短い。ズボンもびっくりするぐらい短くて、ソックスを履いているものの、膝から太腿まで肌の色が見え艶めかしい。更にズボンにかぶさるよう黄色のフリルがあしらわれ、胸部は宝石をちりばめた太いベルトが締めつけている。大きな襟はこれもまた黄色のリボンでとめられ、その下からあふれるようにレースが幾重にも揺れている。コートは肩や腕、背中などがぱっくりと開いたデザインで、それも黄色のリボンで結ばれている。
体にぴたりと沿うデザインの衣服と、ゆるい三つ編みの髪型がよく似合う、愛らしい人。──だが、モモは胸の辺りに閊えを覚える。
(この人……が、王子様)
怖い、とも、暗い、ともつかない。それらが混ざり合ったような印象を受けるのは、金色の髪がどこか青みがかっているせいか、鬱金の瞳が常に半眼で、とろりとしているせいか。赤銅色の肌でさえ、健康的どころか病的に見える。それが──これが、モモが第二王子を初めて見た時の感想だった。
第二王子──アベル殿下、とゴドフロワは呼んでいた。
「ゴドフロワだけでいいよ。あなたたちは出いきなさい」
出ていきなさい、と顎で示されたのは、サワタリとモモを両脇から押さえていた修道騎士たちである。さすがに、王子様の居城に入るさいには、ゴドフロワだけでなく他の修道騎士もモモたちの連行に加わった。そうして罪人を厳重に取り押さえ、殿下の面前に引き出したのだ。囚人の罪状は、凶悪な連続殺人。被害者は手足を切り落としたうえで、喉を貫き殺されており、いかにも残忍な犯行である。当然ながら、修道騎士たちは殿下の身の安全こそ第一であり、否を唱えた。
「うるさいなあ。ぼくを誰だと思っているの」
癇性に、アベル王子が云う。
「それに、囚人が従順であることは、このゴドフロワが保証しているんだよ。この、ゴドフロワが、ね」
アベルはするりと腰から何かを抜いた。鞭だった。その鞭が撓った。モモは悲鳴を飲みこむ。鞭はゴドフロワの背を打った──ように見えたが、どうやらマントをかすめただけらしい。だが、かれの黄色のマントは──いつかモモを暖めてくれた、薄くとも暖かい、おそらく最上級の品であろう修道騎士のマントは、無惨にも破れている。
「出ていって。ね?」
修道騎士たちの顔が青ざめるのを、モモは見た。かれらはモモたちを押さえつけていた手を引くと、アベルの前に跪き、胸に手をあて礼をとると、次々に退出していった。
そして、広間に残されたのは、罪人であるモモとサワタリのふたりと、それを捕縛しここまで連行した修道騎士のゴドフロワ、そして裁判官であり刑務官なのであろうアベル王子の四人である。ゴドフロワは仕える王子に侍るのでなく、罪人として跪かされているモモたちの傍に立っている。罪人が間違っても王子に危害を加えないよう、いつでも取り押さえられる立ち位置なのだろうが──なぜか、モモたちの側に立つというかれの意思表示にも感じられ、モモは微かに首を傾けた。
「直答を許す。名前をお云い」
つい、と鞭を向け。アベル王子が云う。ついに取り調べが始まったのだ──と思ったのだが。
「俺はサワタリという。これは、従者のモモだ」
サワタリは淡々と答えた。いつもどおり、怯えるどころか顔色一つ変えない──アベルの鞭がしなった時さえ、瞬き一つしなかった、冷静なご主人の隣りで。モモはそっと息をはく。
「サワタリとモモだね。ぼくはアベル。アベル・ウニ・オモエスト・シンシェレ・レクスオミノム。名前のとおり、現王ロムルス陛下の次男だよ」
……うん? どこかで聞いたことのある響きだ、とモモが思っていると。
「殿下。真名をみだりに仰るものでは」
ゴドフロワの生真面目な顔を見て、あ、と思いつく。ゴドフロワ・シンシェレ。かれはいつか、そう名乗っていた。貴い人の名前は長いから判らないけど、王族の名は庶民とは重なることのない特別なものだろう。それと同じ名を持つということは……。
「プロスペルムで死体を見たよ。あれ、やったの、サワタリ?」
ゴドフロワの忠言には振り向きもせず、アベルは半眼でサワタリを見おろしている。
「腕と脚をぜんぶ斬り落として、ご丁寧にそこに血止めの薬草を塗ってたよね。すぐ死なないようにしたんでしょ。太いナイフで口を犯されて、めいっぱいめいっぱい、果てない苦しみを味わわされて……死んだ方がましだって、かれらは思ったかなあ」
アベルはゆったりとソファにもたれる。かれは大人の男が三人並んでもなお余裕があるほど、横に長いソファに座っていた。金で縁取られたソファは、黄色と黒で描かれた縞模様のビロードで覆われ、幾つものクッションが置かれている。
「わざと、かれらの魂をさきに殺したんだ?」
クッションも、黄色と黒の縞模様をしている。かたちは四角いものや、筒型のものと、様々だった。
「レイプのことを、女たちは魂の殺人と云うからね」
アベルはソファに乗りあがる。筒型のクッションにまたがり、体をくねらせて。アベルはうっそりと笑った。
「……どこまで調べている?」
「うふふ」
部屋に灯されている蝋燭に照らされ、アベルの長い睫毛が陰を落とす。
「これ、プロスペルムの犯行現場に残されていた、犯人の遺留品。ゴドフロワが提出してくれた、あなたの持ち物であるナイフと、完全に一致したよ。まあ、そんな厳密に調べなくても、一目瞭然だよね。こんなナイフ、ほかのどこにもないもの」
いつの間にか、アベルは両手でナイフを弄んでいた。太い円柱形のナイフは──サワタリの鍛冶師にしか造ることのできない、世界でただひとつのナイフ。
「よくできている。──勃起した男性器と、ちょうどおんなじくらいの太さ」
うっとりと──そう見えるほどに半眼の眼をとろりとさせ、アベルは云う。
「女が膣を陰茎で犯される恐怖や憎悪を、加害者である男にも感じさせたかった? でも、あなたは肛門ではなく口を犯した。男に女性器はないけど、代わりになるとすれば肛門じゃないの?」
「おまえは、肛門と口だったら、どちらが嫌だと感じる?」
サワタリは果たして、王子様相手に口調も態度も変えない。おまえ、と呼ばれることなんかないだろう王子様は、だが特段気にした風もなく──それよりもサワタリの言葉の方に飛びつき、笑った。
「ああ、ほんとだ、口のほうが嫌かも。肛門だと、ちゃんと見えないし。勃起した男性器を模したナイフに『犯されている』って感じなきゃだめだもんねえ。喉を突かれると嘔吐するから苦しいし──肛門にナイフを刺して、腸を突いても、嘔吐するのかな? うーん、それでもやっぱり、口の方が嫌だなあ」
「全く足らんがな」
「なぁに?」
「四肢を斬り落とし、喉をナイフで犯した程度では、レイプされた女の苦しみとは、比較にならない」
アベルはクッションの上で、サワタリのナイフを撫でながら首をかたむけた。
「そうだねえ」
まろい頬が、くいっともちあがる。
「ぼくなら、虫を使うよ」
サワタリのナイフ──勃起した男性器を、ぶらりと手からさげて。
「これくらいの太さの蠕虫。腹がぱんぱんに膨らんでいて、生暖かいの。あ、先に男の歯を全部抜いておかないとね。それでね、歯のなくなった男の口の中に、虫を頬ばらせるの。血が出て、嘔吐しても、喉の奥の奥まで突っこむの。そしたら、虫のお尻が胃のそばまで届くでしょう。そこでね、虫に卵を産みつけさせるの。男が女の腹に射精するみたいに! 卵はね、どうやってもとれなくて、胃の中で大きくなっていくの。十月十日したら孵化して、男は口から蠕虫を出産するんだぁ。女だって出産で、死んじゃうこともあるダメージを受けるでしょ。何匹も何匹も口から出産した男は、女の出産と同じようなダメージで死んじゃうの」
手枷のせいで、口を押さえることができない。モモはつきあげてきた吐気をこらえる。サワタリが、僅かに動いた。モモの方に、少しだけ体をかたむける。──ご主人の、体温。服ごしに伝わってくるご主人のぬくもりで、悪寒をやりすごす。
「ね、ナイフよりも、なまあったかい虫のほうがよくない? 陰茎みたいに体温があって、みちみちに膨らんだもので犯されたほうが、よりリアルじゃない? それで、レイプと妊娠の恐怖、出産の苦しみまで体験してもらえるんだよ。うふふ、うふ」
サワタリのナイフを放りなげると、アベルは両手を拳にし、顎にあてる。
「惜しむらくは、この世にそんな都合のいい虫がいないってことだね」
愛らしい仕草だ──話している内容とはうらはらに、この王子はとても愛らしい。
「いないのか」
ふと、サワタリがつぶやく。アベルの半眼の瞳が、舐めるようにサワタリを見る。
「もしもそんな虫がいたら、サワタリはナイフじゃなく、その虫を使って男を殺すの?」
「使う」
ひとかけらの逡巡もなく答えるサワタリに、──モモは、眼を閉じる。
「いいなあ。サワタリ、あなた、いい」
うふふ、とアベルは笑う。
「傍へおいで」
手招きする王子に、サワタリはやはり表情を変えない。淡々と歩んできた背の高い男を見あげ、アベルはぺろりと舌なめずりをした。
「もっと傍に、おいで、サワタリ」
「……」
アベルの寝そべるソファの前に、膝を着く。サワタリに、ゆるやかにアベルが巻きついた。唇。赤い、小さな、形の良い唇が、サワタリの唇に吸いつくのを、見た。
呆然と、見ていた。色んな感情が、ぐちゃ、とお腹の底を掻き回す。モモは目線を逸らす。肩に、手のひらが置かれていた。ゴドフロワの逞しい手だ。
「あれは……」
「そうだ、ぼくは秘蹟が使えるんだ」
サワタリにキスをした唇が、つりあがる。
「ぼくの秘蹟で挑戦するの。蠕虫って、寄生虫がほとんどだから、小さいんだよね。まずそれを大きくして、それから頑丈にして……宿主から養分を吸って産卵する仕組みはそのままにして……うふふ、研究のしがいがあるよ」
かれはサワタリの方に擡げていた体を、ふたたびソファに沈める。寝そべると、ぶつぶつと口の中でなにかをつぶやきはじめた。顔は、笑っている。まろい頬。長い睫毛のかぶさる、鬱金の瞳はとろりとした半眼で……。
「おそれながら、アベル殿下」
真率な声が、惑溺に沈んだ広間をぴんと裂く。──ゴドフロワの手は、モモの肩から離れていた。
「殿下の修道騎士は、殿下の御心に叶うはたらきをしたと存じます」
アベルは──やはり、ゴドフロワを一顧だにしない。ソファに寝転がり、つぶやき続けている。
「俺の願いを叶えていただきたい。どうか、ユーグを助けてください。ユーグの呪毒を、殿下の秘蹟で──」
「うるさいなあ。ぼく、いまいそがしいの」
半眼の瞳が、ようやく動く。ゴドフロワを睨み、うっそりとアベルは云う。
「ぼくの秘蹟は、男を犯す虫をつくることに使うんだ」
「そんな……約束が違います。プロスペルムのマーダラーを捕縛し、殿下の前に差しだせば、俺の願いを叶えると──ユーグの呪毒を、殿下の秘蹟で治癒すると、お約束してくださったではありませんか!」
「約束? そんなもの、ぼくがしたっけ?」
「殿下のみこころに叶うはたらきをすれば、俺の願いを叶えると──」
「叶えてしまうかもしれないね。ゴドフロワは、ぼくの修道騎士だから」
ならば、と縋るゴドフロワに、鞭が飛ぶ。
「ぼくの優秀な修道騎士、ゴドフロワ──これからも、お励みなさい」
鞭は、ゴドフロワの頬を切り裂いていた。だが、流れる血にかまう余裕もなく、ゴドフロワはアベルの座るソファに、両手をかける。
「これからも──? まだ俺に、あなたのために働けと?」
「なにその云いかた」
「俺は、引き裂かれる思いで、ユーグの傍を離れ、友誼を結んだモモたちに枷をつけ、ここに突きだしまでしたのです」
「ほんっとうるさい。ねえ、ゴドフロワ。ぼくの一言で、あなたは修道騎士から除隊させられるんだけど」
鞭の柄でゴドフロワの顎をぐいと持ちあげ、アベルは首をかたむける。
「ぼくの修道騎士を、辞める?」
「……っ」
ゴドフロワの顔が歪む。アベルは、醜い、と云い、鞭の柄でゴドフロワの頬を打つ。先刻裂かれた傷が更に深く抉られ、血が飛び散る。
「興が削がれた。ぼく、書斎に帰る」
鞭を腰の後ろにしまうと、アベルはソファを降りる。片手をひらりと振ると、奥の扉の向こうへと消えてしまった。
「お待ちください! 殿下! アベル殿下!」
必死に追い縋るゴドフロワに、モモは駆け寄ろうとした。だが──。
「!?」
両脇から腕を掴まれ、ぎょっとする。黄色のマントに、ワンズの盾。大兜を被った修道騎士は、それに顔まで覆われていて、表情など見えもしないのに──どうしてか、その騎士たちからは、陰鬱なものが感じられた。
「修道騎士のなかでも、王子直下の者たちだろう」
後に──その騎士たちに両脇を抱えられるようにし、アベルの宮から引きずりだされ、更に黄禁城の外に追いだされたところで。サワタリがそう云った。
「あの王子、最初に、ゴドフロワだけを残し、他の修道騎士を下げただろう。だが、あの広間には複数の監視の眼があった。気配を消すことに長けた、所謂しのびの者だと思われる。いついかなる時も王子の傍を離れず、護衛に徹する。側近中の側近と云うかな」
「ゴドフロワは、アベル王子の側近じゃないのか?」
「修道騎士自体が、王族の近衛兵のようなものだから、側近ではあるだろう。だが、ゴドフロワが表なら、あれらは裏だ。性質が違う」
「……ゴドフロワ」
モモはうつむく。アベルの消えた扉に爪をたて、血を流しながら縋るゴドフロワのすがたが、今も眼に焼き付いている。
「あんなに頑張ったのに……死ぬような目に何度も遭って、たくさんたくさん苦しんで、それでもゴドフロワは、アベル王子のために尽くしたのに」
サワタリが、手をのばす。髪をくしゃくしゃと撫でられ、モモはサワタリの手枷が外されていることに気がついた。──自分の手枷も、腰を縛っていた紐ももうない。
てっきり、どんな厳しい取り調べが、拷問が待っているのかと思っていたのに。どうやら自分たちは放免されたようだ。
「行ってみるか」
「うん?」
あ、ご主人の手首、枷の痕がついている。擦り傷になっているから、薬を塗らないと、などと考えていたモモに。サワタリは淡々と云う。
「修道騎士団本部は、帝都内にある」
「修道騎士団本部? あっ、ゴドフロワのお兄さんはそこにいるのか?」
ゴドフロワの兄──ユーグも、修道騎士団に所属していると聞いていた。
「呪毒で隊務を外されているというから、兵舎にはいないかもしれないが。入院している病院なり、療養している邸宅なり、行けば判るだろう」
モモは、ぎゅっと唇を結んで。サワタリの腕に抱きついた。
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