終章

 馬は駆歩させると、宿駅間を一時間あまりで走破してしまうほどに速い(これよりも速度の出る襲歩という走らせかたもあるらしい)。だが、それでは馬の体力が保たず、潰れてしまう。だが、速度を調整しゆったりと走らせる並足ならば、いくらでも駆けていられるのだという。

 帝都は、遠かった。だから、駆歩ではなく、並足で走らせる方が、結果的に最も効率よく距離を稼げる。宿駅では馬の手入れも怠らず──勿論それに乗る人間たちも確りと休む。冷静に、我慢強く──兄を救うため、最速の旅を駆けるゴドフロワに、モモたちは併走した。

 そして、旅の果てに到達した時もまた、夜だった。

 ──夜だった、のだが。

 まるで闇を外へ押しだすよう光りのかたまりが視界に据わっている。

 王の道──いつしかその道幅は森を刈りつくさんとばかりに広くなり、石畳ばかりか、排水溝でさえもうつくしい石が鏤められている──は、真っ直ぐとその、光りのかたまりへと伸びていた。道を行くにつれ、かたまりはほぐれ、一つ一つの光りがきらきらと輝きだす。やがてその一つの光りが、一つの家屋、或いは一つの燭台、一人が持つ手燭へと収斂してゆく。

 光りのかたまりは、それらの集合体──夜も灯りの消えない町だったのだ。

「すごい、夜なのに、昼みたいだ」

 町の中を進むモモは、馬を下りていた。サワタリも、ゴドフロワも下馬している。建物は背が高く、赤い煉瓦造りで統一されていて、半円アーチで縁取りされた連窓が瀟洒に並ぶ。建物だけでなく、道や橋のいたるところに、やはり赤系の木材で装飾が施され、なんとも華やかだ。十字架を幾重にも連ねた飾り、船の舵輪のような飾り、何を比喩にもできないような、曲線と直線が複雑に絡み合う飾り──同じものは二つとないのではというほどの、バリエーションに溢れたスティックスタイルが町を飾る。それらが様々な灯りに照らされ、きらきらと光る情景は、まるで別世界に迷いこんだ気分になる。

「モモ」

 サワタリが伸ばす手に、掴まる。サワタリの手を握り、モモは尚おも、町を見渡す。灯りがついているだけあり、行き交う人も多い。ここの人達は、町と一緒に夜も眠らないのだろうか。否、人が眠らないから、町も眠らない……。

「これが、帝都か」

「おおまかには、そうですね」

 前を歩くゴドフロワが、振りかえる。

「おおまか?」

「正確には、城郭の内側を帝都と呼びます。ここは、城郭──郭壁の外にできた町です」

「外!? まだ、帝都の中じゃないのか!?」

「かつては城郭の内側にしか町はなく、そこを指して城下町と呼ばれていましたが。今は壁の外にも町があふれだし、ここもまた、広くは帝都と呼ばれています」

 あっけにとられた。こんなにも立派な町なのに──そう、かつてそれこそ、帝都と見紛うかと思われたほどにうつくしい都を訪れたことがあるが、その都よりも華やかで、美しく、大きいのに。本物の城下町ではないのだという。

 そして、モモの思いこみはまた、もう一つ。

 光りの洪水のような町の中からさえ、見あげてしまった。それは、町よりも一段高い場所にあった。煉瓦よりも赤い、燃えるような色の石が積みあがり、すくりと屹立する壁を、まろい円柱形の塔を造りあげている。無数に連なるそれらに被せられた屋根は、複雑な立面をしていて、だがそれをものともせず棟飾りが踊り、高らかに天をさしている。

 鬱金の旗が、夜を明かす光りを浴び翻る──あれこそが黄禁城に違いない。

「……と思ったのにな」

 二度目、あっけにとられたのは。その城も王の棲まう黄禁城ではないと、ゴドフロワに云われたからだ。

「あれが、城門です。帝都の門ですね。あの内側が古くは帝都と呼ばれていた郭内になります」

「門……」

 門であれなのか。ならば、あのさきはどうなっているのか。くらくらして、モモはご主人の手にぎゅっと掴まる。

「夜は門が閉ざされています。宿で朝を待ちましょう」

 ゴドフロワは慣れた様子で宿を求める。客室は厚いカーテンでしっかりと外の光りを遮ってくれるし、ベッドもふかふかで──モモはサワタリに起こされるまで、ぐっすりと眠った。

 翌早朝。再びゴドフロワを先頭に、町を行く。歩む方向は、瞭然だった。昨夜モモが黄禁城と見間違えた、城と見紛うほどに立派な、帝都の門。

 門へと続く道は、二つあった。門が高台にあるため、どちらも上り坂になっているのだが、傾斜が違う。一つは高台の裾をぐるりと上る、緩やかな道。もう一つは高台の門へと直線に上る、急勾配の道。緩やかな道へと向かう人々の群れを横目に、ゴドフロワは急勾配の道へと向かう。

「乗馬してください」

「人の足では厳しいからか、それとも儀礼的なものか?」

「どちらの理由も正しいです。前者については、はあなたの足ならば余裕でしょうから、当て嵌まらないのかもしれませんが」

「修道騎士にのみ許された道らしい」

「というよりも、王族のための道ですね。本来は王族が都の外へお出になられる時に使われる道です。もっとも、王族はめったなことがない限り、帝都からお出になりません。代わりに王族の用を為すための手足が修道騎士なので、必然、この道を使うのは俺たちばかりになっている、というのが実際です」

 馬首を並べ、二人はさらさらと会話を交わしながら坂道を上る。モモは身を乗りだし、道を観察する。急勾配であるのは、町と門が最短距離で結ばれているから──つまり、平地と高台が直線でつながっているからだ。ために、道は無数の柱で支えられ、まるで橋梁のようだ。高台の側面は、灰色の岩が剥きだしになっているところもあれば、木々が茂っているところもある。無軌道にではなく、適度に灰色と緑が配置されているのだろう──この道を行く時に、眼を楽しませるため、わざと自然を残しているらしい。橋を支える柱も、ただの支柱ではなく凝った文様が施され、更に組み合わせる時の見た目も計算されているようで……。

「モモ」

「あっ、ご主人、ありがとう。ごめんなさい」

 身を乗りだしすぎたらしい。ご主人の腕がモモの腹を抱き、馬上に引き戻す。

 やがて頂上──門に到着すると、再び馬をおりる。間近で見ると、また迫力が違う。何という名前の石なのだろう、これほど鮮やかな赤い石など見たことがない。その石をふんだんに使い建てられた門は、やっぱりお城だとしか思えないくらい大きい。その巨大な赤い壁に、正円のかたちに穿たれた穴がある。ここが入り口らしい。躊躇なく歩むゴドフロワについて、モモたちも進む。

われらが主よドミヌス・ノステル

 ゴドフロワが片手を胸にあて、頭を下げる。

「ドミヌス・ノステル」

 返礼をしたのは、ゴドフロワと同じ──黄色のマントに、ワンズの紋章の盾を装備している。

「第五隊所属、ゴドフロワ・シンシェレです。アベル殿下の命のもと、捜し人を連れ、帝都に帰還いたしました」

「殿下の捜し人とは、その二人か」

「はい」

 涼しい顔で頷くゴドフロワに、モモのほうがどきどきした。何せ殺人鬼マーダラーとして捕らえられ、王子様のまえに引き出される身上である。捜し人、と表現するのは、少しむりがあるんじゃないか。

「隊務の遂行、ご苦労である。通られい」

「有難うございます」

 もう一度、胸に手をあて、互いに挨拶を交わし。それから、ゴドフロワは目顔で促す。強ばったモモの手を引き、サワタリが歩きだす。モモもぎこちなく足を動かした。門番の修道騎士は、ゴドフロワを審査した一人だけではない。あの大兜で顔まで覆われているから、表情が全く判らないのも、威圧感を感じる一因だろう。クレイモアの剣を腰に佩き、端然と槍を持ち直立する騎士達のまえを歩くのは、どうにも手足が固くなる。

 モモの緊張は、だけれどすぐに吹き飛んだ。

「わあ、なんだ、ここは?」

 修道騎士が整列していたところは、床から天井まで門の外壁と同じ赤い石のみで造られ、いっそ麗しい修道騎士が修飾であるほどであったが。そこを抜け、踏みこんだのはまるで豪奢なお城の部屋のような。

「小広間になります。ここを出ると中庭が広がっており、そこを真っ直ぐ進むと帝都へと出ます」

「小広間!? とても広いぞ!」

「門への道が、二つあったでしょう? 俺たちが使わなかった、一般の方々が使われる道から続く入り口からは、大広間へと出ます。広間は帝都が旅人を歓迎するために設えられてありますが、休憩をしたり、会議をしたり、或いは舞踏会や音楽会の場となったりと、様々な用途で使われています」

 モモは右手の壁際を向く。そこには威風堂々たる祭壇があった。柔らかな黄色の壁に、赤い木材が独特の曲線を描き天井へと視線を誘導する。だが、人の眼はどうしたって、祭壇に戻ってくるだろう。黄金の聖笏が立ち並ぶ奥に、ため息が出るほどうつくしい、色鮮やかな絵画が祀られている。凝った金色の燭台からすくりと伸びる純白の蝋燭には火がつけられ、ゆらめく炎の色がうつりかわり、いっそう幻想的だ。

「この絵に描かれてるのが、ゴドフロワたちの神さまなのか?」

「横に並ぶ絵は、使徒さまがたですね。人となった火神が、世界中に結界をさずける旅をしたさい、付き随った十二使徒と呼ばれています。火神──われらが主は、中央の絵に描かれておられる、黄色の衣を纏われた御方です」

 金髪に、鬱金の眼。纏う衣も黄色なのに、炎の猛々しさを感じさせるのは、赤銅色の肌の色のせいか。それとも──。

(少し、怖い)

 怖い、とは違うかもしれない。肌が粟だち──嫌悪感、のようなものが噴きだす。なぜか、と思うよりも先に、モモはご主人の手を握ったまま、顔を斜め上に向ける。

「ちょっとだけ、似てないか?」

「はい?」

「火神様。ゴドフロワにちょっと似てる。眼の色のせいかな」

「……、そうですね、眼の色が同じなので」

 ゴドフロワが微笑む。でも、かれの眼は──色は同じ鬱金だけど、神さまとは全然違って、優しい。身を薙いだ嫌悪感も、拭いさられている。

「やっぱり似ていない」

 思いなおし、そう云うと。ゴドフロワは笑みを深くした。

「ゆっくり帝都見物にでも、お連れしたいところですが」

 そうだった。おれたちは──ご主人は罪人として、第二王子の前に引き出されるのだった。

「うん。はやく、おまえのお兄さんを助けたい」

 ご主人、と見あげる。怖くない、大好きなだけの赤い瞳が、モモを見おろしている。モモは眼を閉じない。瞬きもしない。サワタリの手が伸びてきて、陰に覆われても。頭を撫でられても。

 ゴドフロワの背に続き、小広間を後にする。赤い石の建物が、ふと途切れた。中庭、とゴドフロワが云っていた。では、この中庭の向こうに、この世の王がまします都がある。

 モモは踏みだす。サワタリの手が、モモの手を離さず握ってくれている。手をつなぐ分だけの距離で、ずっと傍を歩いてくれている。どこまでも。帝都までも。



… 主従旅記─帝都にて─ に続く

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