11th. 冒険者になるということ

 ゴドフロワの小姓としての旅は、格段に優雅なものだった。

 自分の足で歩かず、馬で移動できることからもう違うのだが、宿駅に着けば破格の待遇である。黄色のマントに、ワンズの紋章の入った盾。大兜は脱いでしまっているものの、一目で修道騎士と判る出で立ちに、宿駅の亭主はただでも低い腰をもっと低くし、丁重に遇してくれる。最も良い部屋を用意し、部屋まで食事を運んでくれるうえ、使用人を一人側仕えとしてつけようとする。その度、ゴドフロワは小姓がいるからとやんわり断ったが、宿で一番良い部屋に通されることまでは固辞しなかった。ゆえに、モモも広い部屋の大きなベッドで夜を過ごすことになる。サワタリとは当たり前に同じ部屋に──大抵は一台きりしかない粗末な寝台で──寝泊まりしていたが、ゴドフロワにはどの宿駅でも二部屋を宛がわれた。つまり、修道騎士様の寝室と、お小姓様の寝室、と二部屋をふるまわれたのだ。そのため、夕食の後は自分に宛がわれた部屋へ戻り、朝まで一人で眠ることとなる。

 サワタリと一緒に眠っていた時は、かれが起きだしてからも毛布にぐずぐずとくるまり、背中を掴んで寝台から剥がされたりしたものだが。ひとりで泊まる部屋では、ふしぎと自然に眼が覚めた。まだ鳥も鳴かない払暁から、モモは宿駅の台所を借り、薬草ポーチを開いた。

 薬には、投与する時に最適な状態というものがある。勿論そのままの状態で使うものもあるが、携帯用に乾燥、凝縮させたものなどは、そのまま使うと薬効が落ちるものが殆どだ。或いは、飲み薬ならば、煮出した方が飲みやすかったり、塗り薬ならば、擂りつぶした方が塗りやすかったりという実際的な理由もある。旅の野営であれば焚き火を使うが、立派な台所があるのならば、そちらを使わせてもらう方が手っ取り早い。というわけで、今朝もモモはせっせと薬に手間をかけ、最適な状態に仕上がった物を持って、三階にあるゴドフロワの部屋を訪った。

「起きているか? 今日は朝食前に飲んでおいてほしい薬があるから──」

 モモはふと口を噤み、そっと、音をたてぬよう戸を閉めた。

「──われらが主よドミヌス・ノステル

 うたうようだ、と思う。ゴドフロワは片手を胸にあて、背を伸ばし、眼を閉じて──祈る。

「火炎にましますいとも尊き唯一の主、今主を謹み敬いて礼拝し、主の無上なる御霊威に対し、尽すべき尊崇を献げ奉る。主のわれに賜いし諸々の御恵みを感謝し奉る。わが生きながらえていたれるは、ひとえに主の賜物なれば、この日もまた主に仕え、わがすべての思い、言葉、行い、苦楽を主に献げ奉る。願わくは一に主の御栄えとならしむるよう、聖寵を垂れ給え」

 ドミヌス・ノステル。繰りかえしかれは言葉をささげる。お祈りは、修道騎士のつとめなのだという。帝都を離れていても──どこにいても、祈る。祈りの声はうたうようで、とてもきれいだ、とモモは思う。

 戸の前で静かに座って待っていた。ゴドフロワが睫毛をあげ、眼を開く。その眼でちょこんと座っているモモを見とめ、頬をなごませる。

「お待たせしました」

「じゃましてすまない」

「じゃまではありませんが、度々お待たせしているので」

「おれ、おまえのお祈り聞くの好きだ。うたってるみたいで、きれいだ」

「俺の祈りでそうなら、ユーグの祈りを見たら卒倒しますよ」

 モモは笑う。

「おまえのお兄さんのお祈りは、もっときれいだってことか?」

「とても。どんな絵よりも音楽よりもうつくしいです」

 こいつ、ほんとうにお兄さんのことが大好きなんだ。こうして隙あらば兄自慢をしてくる。

「食事前に飲んでほしい薬があるから持ってきた。あと──ご飯まで時間あるなら、湿布もやってしまおう」

「いつも有り難うございます」

 モモが渡したコップの中身を、一気に煽る。──そうとう苦い薬なんだけど。顔色一つ変えないところはさすがだった。

 起きたばかりなのだろう、いつもの重装備を外しているため、体のけがの手当てもし易い。今のうちにとゴドフロワを座らせ、モモは体に散らばった傷を一つ一つ診て、丁寧に処置してゆく。

「ドミヌス・ノステルって、われらが主って意味だったな」

 きれいな声で、何度も繰りかえし唱えられる祈り。朝だけでなく、昼も夜も、このフレーズは頻繁に聞く。

「はい。人をお創りになった火神に捧げる祈りです」

「修道騎士って、神さま……に仕えているのか? ええと、でも、弟王子に附いている隊だって云ってなかったか。弟王子に従うのが隊務だって」

「ああ、それはイコールなんですよ。火神は第二王子殿下であらせられる。殿下だけでなく、現帝王陛下、第一王子殿下、そして第一王子殿下の御子様も──秘蹟サクラメントを使える王家の血を引く男子は、火神が受肉されたすがたとされています」

「受肉? 火の神さまが人間になったってことか?」

「そうです。王家の始祖は火神ご自身だとされています。火神がお創りになられた人が、魔物に苦しめられていることを哀れみ、神の座を捨て人となり地上に降りられた。その子孫が王族なのです。火神は人となっても、秘蹟というかたちで十二の奇跡を行いました。秘蹟を使う能力が顕現するのは、その直系の血筋の男子だけであり、ゆえに火神が受肉された証しとなります。帝都の大神殿で火神の身代とされている教皇猊下は、即ち皇帝陛下です。王家の方々が秘蹟をはじめとする祭祀を執り行われる場合、教皇猊下、皇子殿下と呼びならわされているのは、それが理由となります」

「ええと……ええと、むずかしいな」

「火神である第二王子殿下が、俺の主であるということです」

 モモはふっと、心になにかが兆すのを感じる。なんだろう。なにか、とても大切なことのような気がする……。

「おれのあるじ……」

 俺の主。

 ゴドフロワの言葉が、脳に反響する。そして、おれの思いがふわりと、落ちる。

(サワタリ)

 おれの、ご主人。

「ゴドフロワ」

「はい?」

 とくん、とくんと胸が鳴る。

「おまえ、主のことを……弟王子のこと、好きか?」

「……、」

 ゴドフロワの眼が、モモの眼を見つめる。

「主にお仕えする、ということは、身も心も主のおんために捧げるということです。主の御心のままに──望むままに主の手足となっては物事を為し、主の思考となっては人を慮る」

 結して、とかれは胸に手を当て、瞳を伏せる。

「結して、主を愛するがゆえにお仕えするのではない。主に従う者だから、お仕えするのです」

「従うものだから……」

「そこに好悪はありません。好きだから、殿下に従っているわけではないのです」

「おまえは……お兄さんが、弟王子のこと可愛がってて、すべてを捧げているから、だから、お兄さんが隊務から外れている今、お兄さんの分まで、王子に一生懸命従っているって云った」

「あなたがそう云った。それはとても、いい、と思いました。ユーグならばそうするから、ユーグの分まで、俺が全身全霊を以て殿下にお仕えする……そう解釈することは、ひどく甘やかです」

 ゴドフロワが微笑む。伏せられていた鬱金の眼が、再びモモを見つめる。

 モモは。

 ぽつりと、つぶやいた。

「ゴドフロワは、お兄さんが好きなんだな」

 胸に手をあてたまま、ゴドフロワは頭を垂れる。

「はい。俺はユーグを愛しています」

「おれ、サワタリが好きだ」

 モモは、真っ黒い眼を瞬く。

「でも、それよりもさきに、おれはサワタリの従魔なんだ」

 近視眼的なんだろうか。それでも、モモは思う。思うことを言葉にする。

「身も心もご主人に捧げている。ご主人の命令で、戦う。戦うだけじゃない、ご主人の命令ならなんでもやる。全身全霊でご主人に従うんだ。──ご主人が好きでも」

 そして。

「おれがご主人の好きな人じゃなくても」

 両手で薬草ポーチの紐を握る。

「ご主人が好きな人なら、その人のために戦う。その人のことを守る。おれは、そういうものなんだ」

 明るい月夜の眼をした、サワタリの鍛冶師のことを思う。黒い瞳が明るく見えるのは、眼の下の隈があまりに濃く暗いからだ。

 ジルが云ったことが──モモに云ってくれた言葉がよみがえる。

「疑問を持つ。考える……」

 モモはゴドフロワを見あげる。かれはいつもの、真率な態度でモモの話しを聞いてくれている。

「おれは、ご主人の従魔なのに──武器なのに、ご主人に守られてばかりで、そのことに疑問を持つことすら忘れていた」

「あのマーダラーは、どこまでもあなたを守ることに固執していましたね」

「ジルもきっと、守られていたんだと思う。それで、ジルは、ご主人みたいに戦えないことを自覚して、考えて──ご主人の武器を造る職人になった。なにものにも折れない、なにものをも切り裂くナイフという──ご主人の武器に、かれは、なったんだ」

「ジル、というのが、あなたの主人が好きな人ですか?」

「うん。……ゴドフロワがお兄さんを好きなように、サワタリはジルが好きなんだ」

 それで、おれは、サワタリをあるじとする、──ただの、従魔だ。

「おれも、武器になる」

 そうだ。もともと、従魔とはあるじの武器なのだ。

「……といっても、モモンガは弱いから、戦闘で全然役に立たないんだ。育てをすれば少しはレベリングができるんだろうけれど、ご主人は調教師テイマーじゃないから、できなくって……ええと、でも、考える」

「あなたは変げという特殊なスキルを持っていますよね。大学でも隊内でも見たことがありません。俺でも、初めて見るようなスキルです」

「変げも、戦闘で役に立ったことないんだ。ご主人が色々試してくれたけれど、全然だめだった」

「人に変げできるのでしょう? それはとてもアドバンテージになると思いますが」

 モモは、紐を掴んでいた手をほどく。手のひらを上にして、両手を見おろす。

「人……」

 魔物モモンガのすがたの時は、小さな三つ指の手が、人のすがたになると、器用に動く五本の指になる。

「人のすがたの方が、できることが多い……?」

 サワタリの武器になるべく、ナイフに化けたことを思いだす。耳と尻尾の飛びだしたナイフは、不格好なだけでなく強度もなく、ふにゃりと折れ曲がった。もしかすると──テイマーであれば、その変げのスキル自体を育て、完璧なナイフに変げができるようにレベリングができるのかもしれないが──モモのご主人はサワタリだけだ。そのサワタリの従魔として、モモが役に立つためには──。

「少なくとも、俺は助かっています。あなたがこうして、朝昼晩と薬草で治療をしてくれるおかげで、生き延び、帝都へと向かえています。それは、魔物のすがたのあなたでは不可能なことでは?」

 サワタリも、そんなことを云っていた気がする。町に着くと、モモは魔物のすがたから人のすがたへと化ける。そして、サワタリの身の回りの世話をさせてもらう。サワタリは、自分が身ぎれいになったと云われると笑っていた……。

「おれ」

 ひらいていた両手を、ぎゅっと拳にする。

「おれ、冒険者になる」

 薬草だけでない。身の回りの世話だけでない。この、人のすがたでならば、武器を持ち、遣える。冒険者として、サワタリの隣りに立ち、戦うことができるのだ。その情景を思い描いて、モモは震えた。おれがサワタリの武器になる方法はこれだ。

「ゴドフロワ、ちょっと貸してくれ」

 ゴドフロワの腰から、鞘ごと剣を剥ぎ取る。それを抱えて、モモは部屋を飛びだした。階段を二段飛ばしに降り、中庭に走り出て。鞘から剣を抜いた。

 幅広の十字剣。柄も見事な細工が施してある。二本の鍔が斜めに伸び、その先端に三つ葉のクローバーの形の小さな環がついている。綺麗な剣だ。けれども──重い。

 剣身から柄まで含めると、モモの顎よりも上までくる長さだ。重たすぎて、持っているだけで精一杯で──とてもじゃないが、振りかぶって切りおろすような動作などできそうにない。

「クレイモアは、あなたには重たすぎるでしょう」

「!」

 重たさのあまり麻痺しかけていた手から、すっと剣が取りあげられる。ゴドフロワは苦笑していたが──慌ててモモは頭を下げた。

「ごめんなさい! 大事な剣だよな、おれ、勝手に触って、とても失礼なことをした!」

「修道騎士にとって、クレイモア──この剣は主に賜り忠誠を示すものなので、粗雑な扱いは戒められています」

 剣を鞘におさめ、腰に帯びる。ゴドフロワが右足を引き摺っているのを見て、慌ててモモはかれの肩を支えるべく脇の下にもぐりこんだ。

「ですが、あなたは粗雑な扱いなど一つもしませんでしたよ。重たかったでしょうに、絶対に地面につけまいと、両手で持ちつづけた」

「でも──」

「クレイモアは通常のツーハンデッドソードより小型ですが、やはりあなたには重たい。もう少し軽い武器を試してみてはどうでしょうか」

 モモの謝罪を遮り、ゴドフロワは館の方へ声をかけた。

 ぱっと走りでてきて、跪いたのは──頭に布を巻いた商人らしき人物だった。かれはゴドフロワに云われるまま、背に負っていた物を地面に並べている。

「ちょうど、武器商人が同じ宿駅に泊まっていてよかったです」

「武器商人……」

 言の通り──ずらりと並べれたのは、武器だった。様々な長さやかたちの剣から、槍、棍や鞭、斧に弓、暗器まである。多種多様な武器は、モモが名を知らぬ物も多い。

「おおせのとおり、小ぶりな物を中心にお持ちいたしました」

 頭を下げる商人に、ゴドフロワは快活に笑う。

「有り難うございます。試させてもらってもよろしいでしょうか?」

「もちろんでございます! 修道騎士様のお手に触れていただければ、武器たちも幸せでございます」

 恭しく礼をし、商人が下がる。

「あなたに合う武器を見繕ってみましょう」

 そう云ってゴドフロワの剣──クレイモアの、半分の長さくらいの細い剣を取り、かれはモモに持たせてくれたのだ。

「おれに合う武器……」

「俺はどんな武器でもひととおり扱えます。使い方を教えますから、やってみませんか?」

「いいのか、おれ、あの、だって」

「先ずは基本、剣です。右手はここ、左手はここ」

「あっ、はい!」

 ──という次第で、モモは並べられた武器を、片端から持たせてもらえることになった。お試し──とはいうものの、ゴドフロワの指導はなかなかに厳しく、されどモモとて冒険者になりたいと夢を抱いたばかりである。厳しい指導に必死に耐え、次から次に武器を持ち──なんと、日が沈む頃まで二人して、没頭したのだが。

「……結果」

 ゴドフロワは真率な眼差しのまま、モモをみおろす。

「あなたは、前衛向きではないですね」

「……どの武器もまともに使えなかった、って云ってくれ」

 両手両足を地面につけ、這いつくばった格好で。まだ荒い呼吸が整わないまま、ぜいぜいとモモは云う。

「貧弱──もとい、細くて小さいとは思っていましたが、ここまで筋力がないとは。驚きました」

「……おれの正体が魔物だったことより驚いているだろう、おまえ」

 下から睨むと、ゴドフロワは耐えきれないとばかりに、笑った。

「弓ですかね」

「……弓」

「七歳の小姓でももう少しまともに射ますが──このなかで、あなたが使えそうなものは、弓かなと思いました」

「七歳の小姓以下なのか、おれは」

「気落ちしないでください」

「しない! 頑張って弓遣いアーチャーになる!」

 ゴドフロワの笑みが、優しいものになる。

「その気概です。ええと、その一番小さいショートボウを」

「これか?」

 モモが取りあげた弓は、素朴な木製の弓だった。ゴドフロワは頷くと、再び商人を呼んだ。頭を下げ近づいてきた商人に、ゴドフロワも丁寧に頭を下げる。

「今日はたいへんご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、とんでもありません! お求めはあちらのショートボウでよろしかったですか?」

「はい、いただきます。どうぞこれを」

「有難うございます。……これは、なんと! 修道騎士様、いただきすぎでございます!」

 代金の入った小袋の中を確認し、商人は仰天する。

「今日はあなたのおかげでとても有意義な時間を過ごせました。その分、あなたの旅を一日遅れさせてしまいました。そのお詫びと、快く試しをさせてくださったお礼をこめております。どうぞ受けとってください」

「もったいのうございます」

 地面に平伏する商人の隣りに、モモもよろよろと這ってゆく。一緒にゴドフロワに頭を下げた。

「ありがとう、ゴドフロワ」

「顔をあげてください、お二人とも」

 モモ、と呼ばれ、最初にモモが立ちあがる──まだふらつくけれど、うん、立てる。

 それからそろそろと商人が立ちあがり、何度も頭を下げながら、かれは部屋へと帰っていった。

「ほんとうに、ありがとう、ゴドフロワ」

「これから毎日弓の練習をしましょうか」

「みてくれるのか!?」

「あなたの自主練習だけでは、冒険者登用試験に合格するには、果てしない年月がかかると思います」

 容赦のない言葉だが──暖かい申し出に、モモももう一度頭を下げた。

 両手で、ショートボウをぎゅっと握る。これごと、弓を遣うおれがまるごと、サワタリの武器になる。

(おれは、サワタリの従魔だから)

 だから、これで、こうして武器になれるよう、打ちこむのだ。

「これで、いいんだ」

 眼前に目標を据えることで、そればかりを見つめることで。とても大切な思いから眼を逸らしていられるということを、モモは、自覚していない。

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