5th. 堕胎

 物心がつく頃には、薬師になると宣言していたらしい。

 だから、私のこの、薬に対する執着の起点は、私自身にも判らない。ほんとうに、気づいた時には薬が大好きだったのだ。親に止められても、叱られても、外に出ては草を毟ってきた。草だけではない、石ころも拾ってきた。台所にある食材も片っ端から盗んできた。それらを擂りつぶしたり、煮たり焼いたりした干したりした。五つか六つかの頃には、創薬めいたこともやっていた。自分の腕や足に傷をつけ、そこで自作の薬を試した。毒を飲むこともしたし、病いをもらうこともしたせいで、手足は傷跡で醜く爛れ、肌の色も酷く悪くなり、更に顔面には発疹の痕が残った。おかげで、縁談が片端からだめになっていったのはゆかいだった。私は結婚し、子を生す歳になっても、薬への熱中をこれほども減らしてはいなかった。

 薬師になりたかった。学校へ行きたかった。町の外に行きたかった。学び、研究し、薬学を究めたかった。けれどそれは、私が女であるというだけで、絶対的に叶わない夢だった。

 そう、叶わないはずだった。

 森の中にある庵のことを知らなければ。否──よくも今まで、私は知らずにいたものだと思う。

 私の棲む町は、人の棲む集落の性質として、便宜的に町と呼ばれているだけで、結界が張られているわけではなかった。だから、魔物による被害が後を絶たなかった。足首から下を食われ、その断面から腐っていった冒険者。はらわたを啄まれ、吐血が止まらなくなった兵士。医師や僧侶からも見捨てられた、深手を負った者たちは、夜に町を抜け出す。そして森の行くのだ──森に棲む魔女の庵に。

 もはや復帰できないだろうと思われるほどの重傷を負った者が、めきめきと回復する。私は何度もそれを見た。重傷者が出ると、私は自作の薬を持って駆けつけた。けれどかれらは素人の、しかも女の作った薬など一笑に付し見向きもしなかった。そのくせ──否、だから、夜にこそこそと忍んで、かれらは訪ねたのだ、魔女の庵を。

 その女は、異教の神の巫女の末裔なのだという。彼女の祖母が異教徒であったため、町から排斥され、放浪の旅でこのたもとの町へ辿りつき、だがここからも追いだされ、外の森に棲みついた。町の外とはいえ、近辺に異端者が棲みつくことなど許されないのだろうが──彼女の一族は秘術を使った。回復不能とされたけが人たちを、その秘術で癒したのだ。だが、女の、況して異教徒の秘術で回復したと表だって云うことは憚られ──さりとてけが人の絶えないこの町に、彼女の秘術の需要も絶えず──彼女らは、森の庵に棲むことを黙認されたのだった。

 魔女の秘術──それは、なんのことはない、適切な投薬だった。彼女の祖先から連綿と伝えられた製薬によって調合された薬品の数々を使い、重傷者を回復させていたのだ。私はそれを知り、歯がみした。もっと早く知りたかった。だから、知った瞬間に家を出た。そして、二度と帰らなかった。私は魔女の弟子になったのだ。

 魔女──否、私の師匠となった女は、既に老齢だった。私が庵で学んだのは、一年に満たない。だが、師匠は私に、彼女の秘術──薬学の詰まった庵を、私に譲り渡してくれた。私はこうして、彼女の後を継ぎ、『魔女』になったのだ。

 師匠が死んでも、重傷者は庵にやって来た。私は師匠に教わったことと、自分の研究を併せた薬学で、次々に治療していった。私は立派に魔女の跡継ぎとなったわけだが──如何せん、私は若かった。師匠でさえ──老婆であった彼女でさえ、時々被害に遭っていたことだ。私は庵を訪れる男に、毎日のようにレイプされた。否、魔女の治療を求めてではなく、女をレイプするために庵を訪れる者の方が、もはや多かった。『魔女の庵』はいつか、男たちから『共同便所』と呼ばれていることも知った。それでも、私は町に帰らなかった。庵には薬学の実践に必要な実験道具や設備が整っていた。師匠が残してくれた素材もふんだんに備蓄されており、また他の素材を求めて外に出るのも自由だった。精製した薬を実地で試すことのできる、けが人も来てくれる。私は、強姦されても薬の研究をつづけられる環境を選んだ。

 避妊の薬は毎日飲んでいた。だが、百パーセントの効力を発揮する薬など、ないのだ。止まないレイプの果てに、私は妊娠した。避妊薬を飲み油断していたうえに、私は常に薬のことで頭がいっぱいだった。気がついた時には、腹の中の子は並の堕胎薬では対応できないほどに育っていた。

 私は腹の子を流産をさせるための薬を調合した。胎児を──死産させる、劇薬である。小指の先ほどの大きさの紡錘形に成形し、それを膣の奥に押しこんだ。軈て腹が痛くなってきた。陣痛という生理を、薬で発進させたのだ。私は痛みに脂汗を流しながら、下着を脱いだ。どろりとしたものが下着を汚している。眼をこらし、子宮の内容物だと確認する。膣に指を入れてみたが、内容物を吐きだしつつも、まだ固く閉じている。私は更に、豚の腸で作った袋を押しこんだ。袋には管がついていて、そこから水を注入できる。つまり、子宮に入れた袋を膨らませることにより、出産を開始すると体に勘違いさせるのだ。それから、波のように来る陣痛に耐えた。一昼夜も痛みは続いた。軈て痛みが極限に達し、私は言葉にならないわめき声をあげていた。悶えながら、両足を広げた。髪がびっしょりと濡れるほど、汗が酷い。胎児が出てきた。私は嘔吐した。吐きながら、股から胎児を引きずり出した。私は喚きつづけていた。薬を試すため、手足につけた傷を膿ませ、強い毒を飲み、病いを悪化させることさえした。だから、自分は痛みに耐性があると思っていた。だが、そんなものなど比較にならないほど、壮絶な痛みだった。真っ赤に染まったベッドに、肉と血がくずれていた。胎児は、それでも人のかたちをしていた。ピンクの爪が見えた。澄んだ黒い眼をしていた。小さいのに。ぐちゃぐちゃなのに。私はくずれた肉塊を抱き、庵の外へ出た。穴を掘り、胎児を埋めた。なぜか、涙が出てきて止まらなかった。土を触ったのだから、手を消毒せねばならない。そう思ったが──もう、余力などあるわけなかった。なのに自分の股からは、いまだ管がぶら下がっている。私は管を引っぱった。痛い。痛い。でもせめてこれは取ってしまわないと。私はまた、悲鳴をあげながら豚の腸を子宮から取りだした。

 消毒をして、裂けたところを縫い、それから事前に調合していた薬を塗りこみ……そうだ、飲み薬も作っていた。それを、と思ったが、体はベッドに横たわったまま、ぴくりとも動かない。ただ、喉の奥から呻き声だけが漏れる。痛い、と思った。痛い、痛い、痛い……。

「どうしたんだ!?」

 私の声は呻き声だった。だから、これは私の声じゃない。

「血が……だいじょうぶか? だいじょうぶじゃないな、痛いな」

 痛いな、とつぶやく声は、私が感じる痛みを、同じように感じてくれているように聞こえた。私は、泣いていた。泣きじゃくる私の傍にじっと座り、その子は──やわらかなミルキーベージュの髪を閃かせた。

「これ、薬だな。使っていいか?」

 頷くと、その子はてきぱきと私の処置をしてくれた。両手を消毒してから、軟膏は適切に患部に塗布し、飲み薬は湯に溶かし、えずく私に根気強く飲ませてくれた。

「腹の子を、薬で、流したの」

 私は、きれぎれにそう云った。かれ──たぶん、彼女じゃなく、かれ、が振り向く。

 男の子か女の子か判らない、優しい顔だちをした子だった。背も低い。真っ黒い大きな瞳が、胸を刺す。ミルキーベージュの髪はハーフアップに結ばれ、ふんわりした言動によく似合っていた。

「レイプされて、それで、でも、……でも、赤ちゃんだった。小さい、爪が、ピンクで……私を一生懸命見つめていたの、眼の色は黒だった……っ」

「うん、判った。少し、眠ろうな。シーツを取り替えた。毛布も勝手に取ってきた。ごめんな」

 この子はどうして謝るのだろう。私に薬の処置をしてくれたどころか、体を拭き、更に寝床まで整えてくれた。かれが毛布で私をくるむ。ふんわりとしていた。私は泣いていた。泣きながら、いつの間にか眠っていた。

 眠っていても、痛みに苛まれ、半分ぐらいは覚醒していたのだと思う。ベッドの傍にかれがずっと座ってくれているのが判ったし──そのかれが、ふっと立ちあがったのも、判ったのだ。

「おう、共同便所に着いたぞ」

「今日は便所じゃねえよ、魔女の庵だろう」

「あっはは、適正利用ってやつだ」

「どっちがだろうなあ」

 男のダミ声に、私は上体を起こし、毛布を手繰たぐり寄せた。暗い。夜のしじまを破るような男たちの声を、静かな声が遮った。

「……病気の人が寝ている。静かにしてくれ」

「病気だあ? ここは魔女の庵だろう」

「わざわざ来てやったんだ。おら、秘術とやらを見せろ! 治療しろ!」

「人工流産というのを知っているか?」

 私は震える。少年独特の甘い声が唱えた言葉で、私の脳裏に小さなピンクの爪が蘇った。

「レイプされ、むりやり妊娠させられた赤ちゃんを、薬で流産させたんだ。とても痛いと思う。苦しいと思う。……想像することすらゆるされない。おれたちには判ることなんかない、女の人にとって、最悪の苦痛だ」

 どっと男たちが笑う。

「こんなところに女が一人で棲んでるんだぜ。レイプされたがってんだよ」

「女ってのは子を産む物だ。子を流すってのは、つまり出産だろう。自然現象だ。何が苦しいんだ」

「こっちは魔物と戦って受けた傷なんだよ、出産なんかと比べるのもあつかましい」

「出産って、あそこから子が出てくるんだろう? そりゃ痛みどころか、快感じゃねえのか」

 また、笑い声。

「出てこいよ、魔女!」

「俺らの仲間が死にかけてんだよ、治せよ!」

 室内に踏みこんでくる影を、小さな影が遮る。

「帰ってくれ。彼女こそ瀕死の重体なんだ」

「るっせえな、つかおまえ、何なんだよ」

「どけ、クソガキ」

「──っ」

 鈍い音がした。小さな影が横に吹っ飛ぶ。──殴り飛ばされたのか、蹴り飛ばされたのか。

「おやおや、マジで魔女、死にかけてんじゃん」

「セックスしすぎて妊娠しちまったんなら、自業自得じゃねえか。それで俺らの仲間の治療ができねえなんて云わせねえぞ」

「おら、死ぬならこいつを治療してから死ねよ、おら、起きろよ」

 ベッドに乗り上がった男が、私の髪を掴む。男の手を、ぱんと振りはらう細い指。かれは咳きこんでいた。薬箪笥に激突した時にどこか痛めたのか──それでもかれは立ちあがり、なお──男たちと私の間に割り入って、両手を広げたのだ。

「帰ってくれ。この人は動ける状態じゃない」

「しつけえんだよ、クソガキが──、……!?」

 もう一度、その子を蹴り飛ばそうとした足が──足が、飛んでいた。

 暗闇でのことだ。私は眼を凝らした。見間違え──ではない。男の足が、付け根から切り落とされ、まるごと床に転がっている。

「おおおおお!?」

 ようやく自分の片足がなくなったことに気づいたらしい。男の悲鳴があがった。黒い──夜闇よりも黒い、モッズコートが閃いた。

 悲鳴は、最初のものがかわいく思えるほど、凄まじいものになった。三人の男が、見る間に両足を、そして両腕を切り落とされたのだ。だるまになった男たちの、汚い悲鳴をあげる口に、なにかが押しこまれている。太い釘のようなものを、口いっぱいに含まされ、それは喉を突いているのか、吐こうとしても吐けない苦痛に──長く引き延ばされた死までの苦痛に、男たちは顔中を涙と汗と鼻水で濡らしていた。

「部屋を散らかしてすまない。片づける」

 男の声に体が震えた。黒いモッズコートの、背の高い。男の──その腕に、ふんわりとかれが抱きついたのをみて、眼を瞠る。

「ご主人、ご主人のけがも、動いたらだめなんだ」

「大丈夫だ。片づけくらいはできる」

「ご主人」

「おまえは、おまえのやりたいことをやれ。命令だ」

 はい、ご主人。泣きそうな声でそう云って。かれは私のところに戻ってくる。私をベッドに寝かせ、毛布をかぶせて。ベッドの隣りに椅子を持ってきて、座っている。

「おれ、上手に守れなくて、ごめんな」

「どうして、謝るの?」

 私の手当てをしてくれた。私を守ってくれた。私を虐げる男たちを、退治してくれた。

「あんた──あんたたちは、誰?」

 ふんわりと微笑んで。ミルキーベージュの髪を揺らし、かれは頭を下げた。

「おれはモモという。あの人は、おれのご主人だ」

 死にかけただるまと、床に散乱した手足を、淡々と外へ運んでいる。モッズコートの男が、かれのご主人ということらしい。

「ありがとう、モモ」

 私は一度、強く奥歯を噛んだ。泣きそうだと思った。でも、泣かない。

「ありがとうと、あんたのご主人様にも云っておいて」

 モモが微笑む。うん、判った。だから、眠ろうな。優しく繰りかえされる言葉に、私は眼を閉じた。痛みは続いている。うとうととしかできないだろう。それでも、私はがんばって、眠ろうと思った。

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