1st. 災厄
サワタリの耳にくるりまわる、モモの耳にくるりまわる、青いピアスは主従の契りを交わした証しだった。主従契約を結んだ魔物は、主人の命令をよくきき、戦闘をはじめとした様々な用を足す。サワタリはモモのご主人で、モモはサワタリの従魔だった。
魔物である。サワタリの従魔というのならば、モモは魔物でなければならない。現に今、町を出て街道を進んだところ──振りかえっても町が見えなくなった頃、サワタリの命令で、モモは人のすがたから、魔物のすがたへと戻った。ぎょろぎょろと飛び出た黒い眼に、ぎゅっとおしつづまった鼻と口はアンバランスで。細い腕の下には血管の透けて見えるグロテスクな飛膜が垂れている。大きさは生まれたばかりの赤ちゃんぐらいで、同じくらいの長さの尾がくっついている。小さくて不細工で──弱くて、何の取り柄もない魔物。最弱の魔物スライムの次に弱い魔物、モモンガが、モモの真の姿である。
……ほんとうは、ちがうのだ。モモは人の
「ご主人、ジルの棲んでいる町はどこなんだ? 遠いのか?」
「おまえ、地理が判るか?」
「判らない」
「俺もだ」
主人を探し十年も放浪した。世界中を旅した、と思っていたが、小さなモモンガが自らの飛行で旅する範囲など、狭いものだったのだと、サワタリと旅をするようになって実感する。
「俺も地理は殆ど知らん。だが、大陸の中心にある
モモは首をかたむける。そういえば、放浪の時、何十日──何カ月も山から出られなかった時が何度かあった。山から出たと思うと、また山に入っているのだ。あれだろうか、と云ってみると、おそらくそうだとサワタリは頷く。
「アンデレ・モンスレンジュはその名の通り、斜めの十字のかたちをした山脈だ。それが大陸の中央を占め、東西南北の線引きに用いられる」
サワタリは宙に円を描き、その円にバツ印を重ねる。なるほど、この円が大陸で、バツ印が山脈ということらしい。バツ印によって分けられた扇型の部分を、サワタリは右、左、下、上と指す。同時に、東、西、南、北とつぶやく。
「現在地──と云うには広すぎるが、まあ、大まかに云うと今いるのはここだな」
サワタリの指がもう一度、上の扇をとんと指す。
「おれたちが今まで旅していたのは、山脈より北側だったということか?」
「そうなる」
サワタリと出会い、ともに行った雪降る景色が、ほんのりと胸に浮かぶ。
「ジルが棲む町は、その山脈にある」
「山に人が棲んでいるのか?」
モモがかつて迷い込んだ山脈には、町はおろか人ひとりとすら出会うことはなかった記憶がある。
「ふつうは棲めない。斜め十字山脈は標高が高く、大型の魔物の巣窟にもなっているから、人が棲むには適さない」
「それでも棲んでいる。北辺の、氷と雪に閉じこめられた土地に棲んでいた人たちがいたように」
サワタリが頷く。惨く死に絶えた女の都を思っているのか、常春の金の檻に守られたテイマーの都のことを思っているのかは、判らない。
「その山を目指すのか?」
「そうだな。山岳を行く装備を整えてきたから──、」
ふと、サワタリの声が途切れる。かれは僅かに姿勢を変え、モッズコートの内側に手を入れていた。──それで、もうモモには判る。
「襲撃か?」
「来る。後方、六時の方角」
「ご主人、命令してくれ!」
「蹄の音──車輪の音もする。馬車だ。追われている。おまえ、追われている人間を守れ」
「はい、ご主人」
「──おまえの命が優先だ。死ぬな、と命じる」
モモは微笑む。はい、ご主人。
サワタリの云うとおりだった。街道にもうもうと土煙を巻きあげながら、馬車が疾駆してくる。その馬車に纏わりついている魔物は──。
「フーガネックだと?」
サワタリの眉間に微かに皺が寄る。ご主人が眉を寄せたのは、そういう理由ではないだろうが──気持ちの悪いすがたの魔物だった。──人間の生首のかたちをしているのだ。首の断面には胃袋が直接つながり、更に腸がぶらさがっている。剥きだしの内臓を垂らした頭部は、口を開け御者にかぶりついている。
「た、たすけ、……」
御者の悲鳴は最後まで聞こえなかった。悲鳴をあげる口を、喉を、肺を食らっている。実に五匹ものフーガネックがたかり、御者を食いちぎっていた。
モモは命令を思いだす。「追われている人間を守れ」。でも、あの御者はもう……。それでも、モモは飛んだ。御者の腹に顔を突っこんでいるフーガネックの、垂れさがった胃袋に噛みつく。ぱん、と弾けた。モモは頭から胃の内容物を浴びた。まだ未消化の、人間の色んな部分が血と一緒にモモを濡らす。
「大丈夫か?」
臓物の海の中から抱きあげられ、モモは呆然としていたことに気がつく。サワタリは汚れることなどお構いなしに、素手でモモの体を拭ってくれている。
「……大丈夫だ。すまない、ご主人。おれはほんとうに、いつも、役立たずだ」
フーガネックは五匹とも、地面に落ちていた。斃したのはサワタリのナイフだろう。サワタリは非常に速く、正確にナイフを使う。
「おまえのおかげで判ったことがある」
微かに表情を緩め、サワタリはモモの頭に手を当てる。
「見ろ。胃が膨れている──限界を越えるほどにな」
首に直についた胃袋は、確かにぱんぱんに膨らんでいた。それこそ──モモの小さな牙で、容易く破裂するほどに。
「そも、フーガネックは昼間に出ない。夜、木陰から人の顔をだし、誘い食う魔物だ。臆病でさかしい性質をしている。それが白昼堂々と馬車を襲っているだけでも異常だが──この胃の膨れ方を見ると、食った人間はこの御者だけではあるまい」
モモはサワタリの胸から飛び降りる。御者の体は、地面に放りだされていた。体のあちこちが欠損した死体は、惨たらしい。……守れなかった。モモは半分なくなった御者の顔に、頬を押しあてる。
サワタリはモモをしばらく見守り、それから身を翻す。馬車は幌をつけていた。その幌をめくり、中に入っている。モモは死者を悼んだ後、サワタリについて馬車に乗りこんだ。
床にうずくまっているのは、小太りの男だった。歯の根が合わぬほど震えている。
「商人か?」
「ヒィッ!」
「魔物は斃した。──これは俺の従魔だ。人を害することはない」
「そとの人は死んでしまった。守れなくて、ごめんな」
モモが頭を下げると、男は眼をめぐるましく動かし、それからようやく上体を起こした。
「あっ、あなた様が、助けてくださったんですか!? おっ、お礼を、金貨を、金貨をっ!」
「礼はいらん。駆除の報酬はギルドで貰う。それよりも、なぜフーガネックに襲われていた? こいつらは暗がりに人を誘いこむ。昼の日盛りに馬車に群がるなどという行動はとらない」
「首っ、生首が!! 生首が、無数にっ!」
男は真っ青な顔で、後ろを──馬車の後方を見る。
「町に、数えきれないほどの生首が──」
「……なんだと?」
「生首で、空が黒くなっていた。怖ろしい数の生首が、飛んできて──町は」
「プロスペルムの町か?」
プロスペルム──サワタリたちが、今朝出立した町だ。大きな町のギルドには『郵便』があって、そこでサワタリは手紙を受けとって……。
「待て、結界は? ギルドは?」
「そんなもの、とっくに破られた! ──や、破られました。冒険者たちが食い止めてくれていましたが、ギルドが突破され──町は、生首だらけになったのです」
サワタリが低くつぶやく。
「カラミタス・ディアボリ」
モモはサワタリの肩にとまる。サワタリの手が、モモの背を撫でる。
「──災厄だ」
「さいやく」
「ある一種類の魔物が──今回の場合はフーガネックだな──大量発生し、いっせいに町を襲撃する。そして異常な食欲で、人を食い散らかす。文字どおり、胃が破裂するまで食う」
「……、」
思いだす。この馬車の外に落ちているフーガネックの──胃袋。ぱんぱんに膨らんで、モモの一噛みで破裂した。
「どんな機序で発生するのかは不明だが、時折り起こる災害だ。プロスペルムならば、対応できる冒険者も揃っているだろうが──結界が破られ、ギルドが突破されたとなると、事態は重い」
サワタリの手の温度が、背中に浸透する。なぜか体が冷えていたのだと思いつく。
「ご主人、町に戻るか?」
「戻る」
即答し、だがサワタリはモモの背を叩く。
「だが、おまえはついてこなくていい。カラミタス・ディアボリは死地となる。正直、俺自身生き残れるか判らん」
「ついてゆく」
「モモ」
「ついてゆく。おれはご主人の従魔だ。おれより先にご主人が死ぬのはゆるさない」
ふ、とサワタリが微笑む。わらうと、眉のかたちがハの字になる。悲しそうな眉だ、と思う。
「人に化けろ、モモ」
「はい、ご主人」
音をたて、自分の輪郭が変化する。とん、と両足を地面につくと、背の高さはご主人の顎の下くらい。自分の歳を十八歳とちゃんと数えているが、それよりもずっと幼く見られるらしいすがたを、モモはコンプレックスに思っている。
「災厄の最中は、魔物どもと冒険者たちが入り乱れる。絶対に、魔物のすがたに戻るな」
「うん。モモンガのすがたでいると、フーガネックと一緒に駆除されてしまうんだな」
「そうだ。そのすがたで──そうだな、できる限り、俺の腹にくっつていろ」
ほんとうは、モッズコートのなかにしまっておきたいんだがな、とサワタリは笑う。
「……従魔を守るご主人なんて、あべこべだぞ」
「守られていろ。死ぬな。──命令だ」
モモはサワタリの腹に抱きつく。背中に手をまわし、顔を胸にくっつける。
「予行練習なんだ」
「そうか。……よくできている」
髪をくしゃりと撫でられる。胸が少し痛い。泣きそうになる。ご主人に抱かれると、いつも、少し泣きそうになる。
抱擁はつかのま。そしてふたりは、災厄の町へ向かって走りだす。
馬車で町を逃げだしてきた男は、空が黒くなっていた、と云った。
それは比喩でなく。夥しい数の生首が飛び回る町は、空が見えぬほどに黒かった。
町人たちは、冒険者たちの誘導により屋内に避難している。だが──フーガネックは人の臭いを嗅ぎつけ、建物にたかっては壁や屋根を食い破り、もぐりこみ人を襲う。生きながら食われる人の悲鳴に駆けつけたくとも、己が身を守ることで精一杯──一瞬でも気を抜けば、あっというまに食い尽くされるのはモモたちも同じだった。そしてそれは、他の冒険者たちも。
冒険者は、魔物の駆除のエキスパートだ。他にも植物や鉱物の採取、ダンジョンの攻略など仕事は多岐にわたるが、魔物の駆除はかれらの責務の中心となる。その冒険者をもってしても、災厄の勢いは削がれない。この町のギルドは、たくさんの冒険者であふれていたのを覚えている。それでも──カラミタス・ディアボリの魔物の数は数倍、数百倍にのぼる。冒険者たちは勇敢に戦った。だが、櫛の歯が欠けるようボロボロと、数が減ってゆく。
冒険者たちは、ギルドを基地としていた。そこから出陣し、町家を守り、或いは片端から魔物を斃してゆく。だが、サワタリはギルドには赴かなかった。町外れの──いつもかれが好んで休む、場末の宿に拠り、そこで戦った。ギルドから離れており、冒険者の救援が行き届かない町外れ。そこにあって、ひとりで黙々とフーガネックを駆除するサワタリは、ここにしか棲めぬ貧しい避難者たちにとって救いだった。サワタリは──おそろしいほどに、ナイフを能く使う。そして人とは思えぬほどに速かった。フーガネックの攻撃を躱したと思えば、その時には数匹が斬殺されている。腹にくっついていろ、と命じられたモモは、懸命にかれに身を寄せたが、その動きにはとてもついていけるものではない。結果的に、食われそうになったところで、サワタリの手で引き寄せられる。役立たずも極まりである。せめてもとばかりに、小休止の時には、サワタリの受けた傷の手当に尽くしていたのだが──。
「町外れに凄まじい手練れがいると聞いた。話半分に聞いていたが、事実だったのだな」
黒いローブが眼に入った。それから、腰にさされたきらきらと光っている棒──否、杖だ。凝った造作の輝く杖が特徴的だった。
唐突な来訪者に、血で汚れた両手を垂らしたまま、モモは瞬く。杖の男は、サワタリの隣りに立ち、問う。
「職業は?」
「シーフで登録している」
「なるほど、速さと技が抽んでている。適任だ」
モモは柱の陰に立ち尽くす。サワタリの隣りに立つローブの人物は、眼を細め頷いている。
「我々のパーティに入らないか。前衛が二枚とも死んだ。我々のパーティは帝都でも名だたる──」
「断る」
無表情に、サワタリは手を振る。
「俺は誰ともパーティを組む気はない」
「ギルドではなく、ここを基地としているのも信念あってのことか?」
「信念などという大層なものではない」
「残念だ。だが、気が変わったらいつでも声をかけてくれ。ギルドで『黒猫のパルティータ』と云えば判る」
ローブの男は、杖を構える。
「人のピリアとエリスを以てユニテに干渉する。春を司るシルフよ、人は湿を憎みて乾を愛す──
聞いたことのない──たぶん魔法の詠唱、とともに。厳重に塞がれたドアに向かって、撃たれたのは火魔法だった。凄まじい火炎は、ドアにたかっていたフーガネックを焼き殺す。だが建物はいっさい燃えない。魔法の炎で道をひらきながら、男は去っていった。
「どうした、モモ」
「ご主人」
呼ばれて──呼んでもらって、ようやくモモは、サワタリの傍に走れた。
汲んできた水で、サワタリの傷を洗いながら。モモは小さな声で訊く。
「よかったのか?」
「何が」
「ご主人、ひとりで戦うのはやっぱり無茶だ。ギルドで、ほかの冒険者の人たちと一緒に戦った方がいいんじゃないか」
皮膚ごと噛みちぎられ、肉の断面を見せる傷口に、薬草を塗りこんで。上からきつく布を巻いてゆく。──ギルドには、きっとクレリックもいる。回復魔法があれば、もっとちゃんとした治療ができるのに。
「……おまえには云っておく」
サワタリの声が低くなる。この宿屋──サワタリが拠っている建物に、余人の気配はない。宿の者たちは他の建物、特に地下室のある建物に避難していて、空き家となっているところを、小休止の場所として使わせてもらっているのだ。
それでも、かれは声を低めて云う。
「俺は、災厄を止めに戻ったわけではない」
「え……?」
「災厄は、いずれ終わる。その時どれほどの人間が生き残っているかは判らんが──俺の役は、それからだ」
「それは、どういう──、……」
モモは、言葉を飲む。忘れていたわけではない。サワタリは、冒険者ではないのだ。
確かにサワタリは、ギルドに冒険者として──シーフという職業を以て登録している。旅路では魔物を駆除し、ダンジョンがあれば寄る。それらの仕事の報酬で路銀を得ているが、だが、絶対的にかれは、冒険者ではないのだ。
小休止を終え、サワタリはフーガネックの駆除に舞いもどる。モモは思う。サワタリの言葉の意味を考える。それならば──それならば、災厄の後にこそ、酷いことが起こる。
災厄の後。それが、今の時間となることを、誰もがすりきれるほど願った。そして。
カラミタス・ディアボリが始まって──モモたちが町へ戻り、災厄への抵抗を始めて、何日が経過したのか。最初に拠った宿屋は、フーガネックの猛襲により全壊していた。次々に拠る建物を変え、サワタリは戦い、モモはそのサポート──というほどのことはできていないが──に明け暮れた。生首で埋まった空が、ぼつぼつと青く欠けてゆき。軈て冴え渡った大空の下に立った時、人は災厄が終わったことを知った。──生き残った人は。
死んだ人間は多かった。比率で云うのならば、圧倒的に冒険者が死んでいる。そして、冒険者が死を賭してなお、町人たちの被害も膨大なものになった。
町はまだ厳戒態勢にあった。生き残った冒険者は少なく、だがかれらは休まず哨戒に立った。或いは、魔法を使える者は町に簡易な結界を張り、維持することにつとめている。町人たちには、引き続き地下室のある建物に避難するよう指示がだされ、町は静かだった。
静かな──凄惨な厄災のあとざまを見せる町を、モモは歩いていた。静かとは、音がないというだけのことだ。視覚への衝撃は凄まじく、モモは何度もよろめいた。──そも、まともに歩けないほど、地面は散らかっていた。破壊された家屋の破片は勿論──それに押しつぶされた、或いはふりかかる血と肉片。フーガネックは、胃が破裂するまで人を食った。──実際、フーガネックは冒険者に駆除されるものよりも、食い過ぎて自らの胃を破裂させ死んでいるものの方が多かった。だから、サワタリはこの災厄を「いずれ終わる」と確言していたのだろう。そうして、破裂した胃から噴きだした内容物が地面を埋め、凄まじい悪臭を放っている。肉片は人体のどの部分であるのか判らなかったが、なかには人のすがたを保っている死体もあった。顔や腹や、手足や、あちこちを食われ、欠損が激しい。死体に行き会うたび、両手を合わせ指を組み、瞑目し、そしてまたモモは歩いた。
ふらふらと歩いてどれほど経ったのか。はじめて、人とすれ違った。或いは町の中央ならば、基地となるギルドの近辺ならば働く人々も見かけようが、モモが歩いていたのは町外れだった。血と肉片で糊塗された静かな町に、動く点を見て。モモは瞬いた。
若い男だった。ぱりっとした服を着ている、いかにも快活そうな。男は、腕に何かを抱いていた。すれ違う時に、モモは見た。それは女の死体だった。
モモの視線に気づいたらしい。男は問わずとも話しだす。
「死体が野ざらしにされているのが気の毒でね、葬ってやろうと思って。こんなに若くてきれいなお嬢さんなのに……」
確かに、男の抱く女は、欠損が少なく、顔にも傷らしい傷はない。目鼻立ちの美しい、赤毛の女性だ。
「あんたの奥さんか、恋人なのか?」
「こんな時だ。他人であれ手を差しのべ、助け合うべきだろう」
「だからあんたは、墓堀りを買って出ているのか。すごいな」
男はモモに笑って頷き、女を抱き行ってしまった。
「……、」
それは、モモがしたいことだった。無惨に曝されている死体を、土に埋め、墓碑をたて、葬ってやりたい。だが、死体の数はあまりにも多く、指を組み悼むだけでせいいっぱいだった。
モモは下を向く。そこにもまた、うつ伏せに倒れている死体がある。腹のあたりの損壊が酷いが、人のかたちを保っている。おれも真似してみようか。せめて一人でも、土に埋めて……。
(……土に埋めて?)
ふと、首をかたむける。急にこみあげた違和感に、瞬いた。
(さっきの人が抱いて行ったのは、女の人の死体だ)
女は人として数えられない。それが現代の道徳だ。土を掘り棺に入れた死体を葬り、墓碑をたててもらえるのは男だけ。女の死体は町のゴミと一緒に焼却所で焼かれ、燃え残ったものさえ
モモは、踵を返す。男が去って行った方向へ走る。倒壊した家、家、家。その中に、まだ屋根を残しているものがある。ドアを開けた途端噴きだした異様な雰囲気に、モモの足は竦んだ。
男の荒い息。水音のような、もっと濁りおぞましい音。むっとする室内の空気を吸うよりもさきに、強烈な吐き気に口を押さえたのは。
(死体、を……)
男はテーブルの上に女の死体を置き、犯していたのだ。これまでも、男が女をいたぶる──性加害の現場を幾つも見てきた。レイプされている時、女は大抵、眼から光りを失い、人形のように揺さぶられている。だが──あの女の人は、ほんとうに動かないのだ。眼は瞳孔が広がり黒く塗りつぶされ、手足もどこもぶらんぶらんと揺れている。男は死体の股に男性器を入れ、呻いていた。射精をしている。
ひとしきり呻き、体を震わせると、男は女の死体から男性器を抜く。下半身をだらしなくしたまま、男は隣りの部屋へ行く。ドアはなかった──だから、モモからも見えた。
モモは、両手を、もっと強く口に押しつけた。
隣りの部屋には──死体が並んでいた。若い女の死体ばかりだが、中には小さい子供──幼女の死体も見える。男はそれらを値踏みするように眺め、一体の足を掴んで引き摺ると、再びテーブルの上に乗せ──勃起した男性器で嬲りだす。
モモは、口を押さえていた手を、おろした。吐き気は止まらない。だけど、だけど。
「やめろ! ご遺体に、なんてことをしているんだ!」
死体を犯す男に、無我夢中で体当たりをする。男の男性器が、死体の膣からぬるりと出てくる。男はそれで、やっとモモの存在に気づいたらしい。死体から男を引き離そうと飛びついたモモの襟首を掴むと、床に叩きつけた。
モモは起きあがる。なおも死体を犯そうとする男の足に飛びかかる。男の顔が、憤怒で赤くなる。モモの首を両手で握り、締めあげる。
「──ぐ、う」
急速に意識が遠くなる。息。息、してない、おれ。
「……息をしろ、モモ」
首を絞められて、できないんだ。
「大丈夫だ。ゆっくり、息を吸って、吐く。息だ、モモ」
「……っ、っは、は」
ご主人、と呼びたかったが、口は声をだす余裕がなかった。代わりに、ご主人の手首を握る。サワタリの手は、モモの胸にあてられていた。その手の感触を頼りに、モモは息をする。
「そうだ。上手にできている」
「っは、はあっ、ご、しゅ、じ」
アッシュの髪。血のように赤い瞳。紛うことなくご主人──サワタリだ。いつ来たのか、などという問いは意味をなさない。サワタリは来るのだ、ここが性加害の現場ならば。
呼吸を取り戻した時、モモはサワタリの腕に抱かれていることに気づいた。そして──。
「……もうだいじょうぶだ、すまない、ご主人」
自分は救出されたのではなく、サワタリが仕事をした結果があるだけなのだと、知る。
モモは、サワタリの腕から、そっと抜け出す。テーブルの上──さっきまで、犯される女の死体が置かれていた場所には、男が載っていた。短くなっている。それは、両足が付け根から切り落とされているからだ。両腕も同じように切り落とされている。つまり、両足と両腕を欠損し、頭と胴体だけになったものが、テーブルの上に載っている。
だるまにされた、男のすがたにモモは怯えなかった。それを為したのは、ご主人だから。
男の体を切断したナイフは、既にモッズコートの中に戻され。サワタリは新たなナイフを取りだしている。太い円柱のようなかたちをしていて、その直径はちょうど、人が口を大きく開けたくらいの……。
サワタリはテーブルの上の、だるまにした男の前に、無造作に立つ。男が、悲鳴をあげている。死体になっても犯された女の人たちは、悲鳴もあげられなかったのに、と思った。サワタリはナイフを男の口に押しこむ。喉を貫くことはしない。あのナイフの切っ先は、男の喉を切り裂くギリギリのところで止められる。嘔吐反射で吐こうとしても、口いっぱいに詰めこまれたナイフのせいで、吐くことはできない。オエッ、オエッと聞こえていた男の声も、段々細くなってゆく。両腕と両足を切断するナイフには、血止めの薬草が塗ってあるため、失血死することもできない。できるだけ長く恐怖と苦しみを与え、殺す。それがサワタリのやり方だった。
「この町の者ではないな」
サワタリがつぶやく。モモはご主人の隣りに並んで座り、男が死ぬのを眺めていた。
「……本当だ。髪も服もきれいだ」
魔物に食われた傷の手当ても行き届かず、何日も地下室で避難生活を送っている町人たちは、みな一様に汚れている。だがこの男は、ぱりっとした服を着て、髪もきれいになでつけられている。
「……被災地には、性加害者が集まってくる」
低い声で、サワタリが云う。
「避難民の救済や、町の復興のため──善意で近隣から駆けつける者に紛れて、そいつらは町に入りこむ。或いは同じ被災者も、被災者を助けるために派遣される兵士も、混乱に乗じ女をレイプする」
災厄は、いずれ終わる。その時どれほどの人間が生き残っているかは判らんが──俺の役は、それからだ。
ご主人の役がやってきたのだと、モモは思う。
サワタリは性加害者を殺害する。かれは冒険者ではなく、人殺しなのだ。
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