主従旅記─闇の鍛冶師と鬱金の修道騎士─
序章
サワタリに渡されたのは手紙だった。
「……これだけか?」
低い声で問われ、カウンターに立つ男は首を竦めた。気弱げな男は、お預かりしているのはそれだけでございますと、腰を後ろに突きだし頭を下げる。
モモはとんと踏みこみ、ご主人──サワタリの隣りに立つ。カウンターに両手をつき、サワタリが握っている羊皮紙を見あげる。
「お手紙か?」
「そうだ」
「わるいしらせなのか?」
「そうじゃない」
サワタリがおれの頭を撫でるのを見て、カウンターの男の強ばりがいくらか解ける。
ご主人は怖い。ハリネズミのように尖ったアッシュの髪はスパイキーショートというらしい。ヘアバンドでおさえているが、ご主人いわく「焼け石に水」なんだそうだ。瞳は血のような赤で、白目のところが少ない。黒いモッズコートに包まれた体は、太くはないが長身だ。寡黙で、最低限の言葉しか使わないから──怖いといわれる。だけども、とモモは思う。
ほんの少し──
つまり、ご主人は怖くない──ほんとうは優しい人だっていうのが、そんなことくらいで漏出するのだから。
「またよろしく頼む」
「えっ、あっ、はい! 毎度お世話にならせていただいております!」
サワタリはさらりとカウンターを離れる。後ろに列ができているのを見とめたらしい。ほら、やっぱり優しいのだ。部屋の中にはたくさんの人でごったがえしている。この部屋だけではない、この建物のどこもかしこも人で溢れていた。
大きな町なのだ。だから、門番も兼ねるギルドも大きなものなのだ。
ここはギルドというところだと、覚えた。冒険者はここで町へ入る許可を貰うだけでなく、魔物の駆除の報酬をもらい、採取物を換金する。或いは
「ご主人がギルドに長居するの、めずらしいな」
「モモ、転ぶぞ。ほら」
大きな手に掴まって歩くと、するすると歩けた。さっきまでは人にぶつかっては転びそうになっていたのに。
「この町のギルドには、郵便があったからな」
「ゆうびん?」
「荷物を送達する魔方陣を、郵便と云う。大きな町にはこれがあり、ギルドが管理をしている。帝国の各所──つまり大きな町だな、そこにはここと同じよう魔方陣があり、ネットワークで結ばれている。それを使えば、町から町へ一瞬で物を送付できる。もっとも、あまり大きな物は送れないが」
こうしてサワタリが丁寧に──口数の少ないかれなりに、モモにはよく教えてくれるから、モモは色んなことを覚えてゆくのだ。
「ナイフ程度の質量ならば、送達が可能だ」
「あっ、ご主人、ナイフを取りに来たのか!」
サワタリは武器にナイフを使う。使用後は飛刀までもきちんと回収し、手入れを怠らないが、それでも旅の間に消耗はする。
「ギルドに郵便があったから、ナイフの補充をしておこうと思った」
肩を竦め、サワタリはモモの手を引く。ご主人の腰にくっつくと、いっそう歩きやすくなった。
「郵便で送られたものは、魔方陣の中──亜空間に保管される。俺のナイフも、いつもそうして保管されているから、郵便のあるギルドに来た時、引き出して受けとっていたんだが」
「ナイフじゃなくて、お手紙が届いていたのか?」
「読むか?」
「読めるかな、おれ」
「練習してみろ」
サワタリは羊皮紙をモモに渡す──と同時に、ひょいと抱きあげられた。
「ご主人、おれいま、かさばるし重たいぞ」
「ただでも転びそうだったのに、読みながらだと絶対に転ぶだろう、おまえ」
「転ぶ」
「読めない文字があったら訊け。俺は多少よそ見をしても転ばん」
モモは甘えた。モモを軽々と抱きあげる腕は、力強い。モモは手紙を読むのに熱中する。声にだして一生懸命読んで、つっかえるとサワタリに教えてとねだる。サワタリはほんとうに、よそ見をしても転ばない。モモを抱き、字を教えながら、淡々と歩いて──モモが頑張って手紙を読み終わった時には、ギルドを抜けた町中も過ぎ、宿の部屋に到着していた。
「ご主人、有り難う」
「手紙は読めたか?」
「うん。でもこれ……おれが読んでもよかったのか?」
サワタリの腕から飛び降り、モモは首をかしげる。
「構わんから読ませた」
「『おお、ぼくの愛しいサワタリ、きみは今東西南北或いは天、どの空のしたを旅しているのだろう。否、喩え那辺にあろうと、ぼくの愛が届くことを確信し、手紙を書く』……って、いうようなことがいっぱい書いてあった、けど」
「そのあたりはいつものことだから、重要ではない」
「愛しているって、いつも手紙に書いてあるのか?」
「ああ。いつもと違うのは、手紙とともに送られている筈のナイフがないことと、ここだ」
サワタリは手紙の中程を指す。
「『きみに会いたくとも会えぬ日々が幾とせも積み重なり、耐えられそうもない。心は冷え凍り、いつか鉄を打つ手にも力が入らぬ』」
「この人──ええと、ジル、と読むんだったか」
文末の署名を眼でたどる。サワタリはうなずいた。
「鍛冶師だ。ジルが、俺のナイフの製造を担っている」
「ジルはサワタリに会いたいんだな」
「やはり、そう思うか?」
「……ねつれつだぞ、そのお手紙」
文字を読むのに不慣れな自分が、つっかえつっかえ読んでさえ──かれの熱烈な思いは読み取れた。
「『愛しいサワタリ、きみがぼくのもとへ舞い降り、そして熱い抱擁をあたえてくれるならば、ぼくの心は熱い血に滾り、この手は温度を取り戻し再び鉄を打つことだろう』……ジルは、サワタリが会いにいかないと、ナイフを造ってくれないんじゃないか」
「仕方がないな」
「会いにいくのか?」
「俺のナイフを造れるのは、ジルだけだ」
なんだか、胸がもやっとする。モモは両手で、自分の胸をおさえた。
サワタリの旅は漂泊だった。行く当てもなく流れ歩く旅。それが、目的地を持った……会いたいという、熱烈な手紙を受けとって。
「どうした?」
「どうもしない」
胸をぎゅっと押し、もやもやを潰す。そうだ、どうもしないのだ。モモはサワタリについてゆく。それがどこであろうと、なにをしようと、ついてゆくと決めている。傍にいることが幸福だと、知っている。──捨てられたら死んでしまうくらい、幸福なのだと。
モモは指を耳にもってゆく。両の耳にくるりまわる、ピアスは青い。それを指の腹で撫でながら、サワタリを仰ぎ見る。サワタリの耳にも、くるりまわる青いピアスが光っている。
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