終章
墓地は男のものだった。
埋葬され、僧侶の祈りに送られ、墓碑をたててもらえるのは男だけ。女の死体はゴミ捨て場に集められ、他のゴミと一緒くたに焼却される。燃え残ったゴミは、週に一度兵士が曳く台車に乗せられ、町から離れた原野に投棄される。そこは堆積したゴミが丘ほどの大きさにもなり、貝墟と呼ばれていた。
その貝墟には、雪が積もっていた。サワタリはゴミの丘を見つめる。サワタリの肩に乗ったモモも、ゴミの丘を見つめる。
このゴミのなかに、あの少女と、少女の産んだ赤ちゃんの遺骨がある。
サワタリたちがガリレオ教授の棲まいを訪れている間に、臨月をむかえた少女は、赤ちゃんを出産していた。だが、小さな子供の体は出産に耐えられなかった。少女の死体は、大量出血で顔から足まで真っ赤に染まり、腹からは折れた骨盤がはみだしていたという。産まれた赤ちゃんは泣かず、呻いていた。鼻を必死に広げ、肋骨が陥没するまで息を吸おうとしていたが、呼吸不全のため、産まれて数分後に死んだ。
赤ちゃんは、女だった。だから、母親である少女とともに、焼却された。
再びフリジディの町に来たサワタリとモモは、そのことを知った。二度、失敗していた。三度目はない。あの少女の妹を──まだ十にもならぬ女児をまたも強姦している父親を、ベッドから床に蹴り落とし、両腕と両足を切断した。だるまになった男の、叫び声をあげようとした口に、太いナイフを刺して。サワタリは男が死ぬまでの間、しゃがんで眺めていた。モモは犯されていた娘を毛布で包んでいた。だが、娘は父親の死にざまを見たがり──死体になった父親を、小さな足で踏みつけていた。涙もなく死体を踏みつづける女の子に、モモが一つ、二つ声をかけた。彼女は足蹴にしていた死体を離れ、モモの傍に来ると、無言で両手をひろげ、モモに抱きついた。何か云う。何か答える。答えて、云う。やわらかな抱擁と会話のうちに、少女の眼に、生の色が灯るのを見た。
リベンジ、できたな。宿への帰り道、モモがぽつりと云った。それで、なんとなくサワタリは、貝墟に寄ることを思いついた。宿を引き払い、ギルドの建物を出て。教えられた方向に進むと、強烈な臭いがした。ゴミの丘に積もる雪は、煤色をしていた。
「見つけたぞ! おまえが手配中の強盗殺人犯だな!」
叫び声に、サワタリは振りかえる。兵士だった。フリジディの町では、男が殺され騒ぎになっていた。しかも、その男の家は二度強盗に押し入られている。再犯を防げず、かつ男を殺され、屯所の名折れと息まき、兵士たちは犯人を捜していた。
剣を抜いた兵士のまえに、サワタリは無造作に立つ。殺すことは簡単だった。だが、サワタリが動くよりもまえに。
「どうして、女の人にはお墓をつくってあげないんだ?」
肩のモモが、つぶやく。魔物がいることにぎょっとし、一歩後ずさった兵士に、モモは首をかたむけ云い募る。
「どうして嫌がる女の人を強姦するんだ? 強姦された女の人は、被害者なのに、おまえが悪いって責められるのはなんでだ? 妊娠すると吐くほど具合が悪くなる。出産するときは死ぬかもしれない。それなのに、なんで男は女に赤ちゃんを産ませたがるんだ?」
兵士の顔が、真っ赤になっている。真っ赤になって、男は云いかえす。
「おまえら魔物は人を食う! 食われた分の人を産まねば、人類は絶滅する! それなのに女は、男から自立すると宣って、子を産まなくなった! 実際その時代、人類は絶滅寸前まで激減したのだ!」
サワタリは、モッズコートの内側に手を入れた。
「強姦されたくなかったら、みじめに殺されたくなかったら、死体を墓に入れてほしかったら、女がもっともっともっともっと子を産めばいいのだ! 死ぬほど産めばいい! 死ぬまで産めばいい! 死んでも産め! 産め! 産め!」
兵士の両腕と両足にナイフを入れる。剣を握ったままの腕が飛び、貝墟に突き刺さった。眼を見張った男の口の中にまるまると太ったナイフが突き刺され、切っ先が喉を切り裂く寸前で止まっていた。
男は、死までの時間を引き延ばされる。喉に異物を突っこまれ、絶えず嘔吐の気分を味わう。突っこまれた異物を取り除きたくてたまらなくとも、それを握る手は切り落とされ、助けを求めたくとも、逃げだすための両足も切り落とされている。
「俺はこれからも、人を殺す」
サワタリはつぶやく。いつもどおり、サワタリの肩に腹ばいになっているモモは、大きな眼を見開き、惨たらしく死んでゆく男を見つめている。
「おまえの理想の主人には、なれそうもない」
「それが、サワタリだろう」
「おまえ、俺が人殺しをするところを見ても、吐くことも泣くこともしなくなったな」
「おれはサワタリの従魔だから」
人の表情よりも乏しい、だが魔物の顔でも、微笑むと判る。
「……おれだって、人間のくせに、魔物のふりをして。ご主人の従魔だって云いはっている。理想の従魔どころじゃないぞ」
モモ以外の魔物の顔には、今でも全く表情など見えないのに。
「俺も、魔物なんだそうだ」
「うん?」
「まえに、そう云われたことを思いだした。男が女だけに加害するように、男だけを襲う魔物……そんなものがいたらと願い、願ったら俺が現れたらしい」
「魔物は、男だけを殺すものじゃない。男も女も、人なら平等に食い殺す」
「だから俺も、半分くらい魔物なんだろう」
「はんぶんくらい」
「おまえも、半分くらい魔物だ」
「はんぶんとはんぶんか。じゃあ、おれとご主人とふたりで、魔物ひとりぶんだ」
「俺とおまえとふたりで、人ひとりぶんでもある」
「いいな。それはとても、いい」
ふたりそろって、
「おまえの憧れた主従とは、違うだろうが」
「おれたちだけの主従。それのほうがいい」
男が死ぬまで苦しみぬくのを眺めてから、サワタリは踵をかえす。肩にとまったモモが、頬をすりつけてくる。サワタリも小さな頬に、頬を寄せた。
「行くぞ、モモ」
「はい、ご主人」
かれの耳に、青いピアスが光っていた。同じ光りが、かれの従魔の耳に灯っている。
雪が降ってきた。まだらの白に、時折り青がまじる。雪が降る。青い。歩く。首と肩があたたかい。腹と頬があたたかい。傍にいて、傍にいる。旅はいつか、そうなっていた。漂泊の旅が、いつか、ふたりの絆を描きだしていた。
… 主従旅記─闇の鍛冶師と鬱金の修道騎士─ に続く
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