12th. 魔物を希う
犬ぞりを使う地域は限られる。その北限で、サワタリは犬たちを手離した。
ずっと北辺に留まるわけでもない。行く当てもなく旅をする自分が、いつまでも所有しているものではないのだ。運良く大切にしてくれそうな者が見つかり、サワタリは犬たちに別れを告げた。
足は、サクラ・パシェンスでの手当がよかったのだろう、順調に回復した。まだむりは利かないが、引き摺らず歩けるほどになっていた。だが、魔物を駆除に出張したり、ダンジョンに挑むなど、能動的な行動は避けた。つまり街道を素直に歩いたため、順次町に到着した。
ノンカネムという名の町である。まだ雪が方々に積もる、寒い土地ではあるが、町の周辺には畑が広がり、牧畜も盛んだった。世界の北端、酷寒の辺境たるチビタス・ムリエラスやサクラ・パシェンスとは比べものにならぬほど暮らしやすい。──元来、先述の土地は人が棲めるものでないのだ。チビタス・ムリエラスの女たちは見窄らしくも果敢に荒蕪の地を開墾し、サクラ・パシェンスの男たちは従魔を使い常春の鳥かごの中で優雅に暮らしていた……。
思考を止め、サワタリは町へ入る。玄関口となっているギルドを通過して。いつものよう物資を補給し、町外れの食堂で飯と酒を腹に入れ、宿をとった。粗末なベッドがあるだけの狭く貧しい部屋だったが、あの豪勢な部屋と比べると格段に落ち着いた。サワタリは、いつものようすぐにベッドに横になった。仮眠を摂り──夜に備える。
性犯罪が起きるのは、大抵夜だ。だからサワタリは、夜の匂いを嗅いだら起きる。夜の匂い──性加害の臭い。モッズコートの上にケープを羽織り、サワタリは宿を出た。
足の向くまま歩む。サワタリは勘さえも働かせることはない。俺は女を加害する男を加害するものだから。オートマティックに、そちらへ向く。
現場は神殿の裏だった。二人がかりで女を強姦していた男を、二人まとめて殺した。裸で倒れている女に、服を着せかけてやることは──できなかった。今までも、そんなことはしたことがない。だが、いつからかモモがいた。モモが声をかけると、女は頑張って起きあがり、服を着ていた……。
サワタリは女から顔をそむける。男の死体を、女から見えないところまで片づけることにした。切断し転がっていた手足も、わざわざ町の外まで運び、雪の下に埋めた。サワタリがその処理をしている間に、女はいなくなっていた。眼を開き、サワタリの作業を見つめていたから、自力で立ちあがったのだろう。
よかった、とは思わなかった。こういった事件が噂として伝播するのは速い。女がレイプされたという事件は、男たちにとって、性欲と加害欲を満たす格好のねたなのだ。特に、今回被害に遭った女は町で一番の器量よしとして有名であったらしい。翌日の昼には、すでに男どもが方々で噂話しに興じていた。
(とはいえ、これは速すぎるな)
こういった噂の出所は、専ら加害者の口である。女を犯したことを、戦捷のよう誇り云いふらすのが、男の生態である。だが、今回は男たちが酒場へと繰りだすまえに──犯行現場を去るまえに、サワタリが殺している。雪に埋めた死体はまだ見つかっていない。どころか、加害者が殺害されていること──行方不明になっていることすら屯所は知らぬ様子である。であるのに、既に町中の男どもが噂に沸いている。
こうした男たちの言動が、被害者を更に傷つけ、追い詰める。
噂の出所は、被害者の婚約者だった。……よくあることだ。恋人や夫、親など、被害者が懇意にしている者は──信頼しているがゆえに、性被害を打ち明けられる。今回も、被害者は婚約者に助けを求め、おそらく被害を告白したのだろう。しかし男は女に寄り添わず、その話題を町の男どもにばら撒いた。娯楽の少ない北の外れの町である。放りなげられた餌にむらがり、レイプ被害者という悲しいものさえ性的に消費する男たちを、サワタリは殺してゆく。この町の兵士が怠惰であることは判っていたため、死体はすべて雪の下に埋めた。それでしばらく、町にとどまり殺害をつづけられる。
ふと、女はどうしているだろう、と思った。いつもこうして、サワタリが加害者を殺してまわっている間は、モモが被害者に寄り添っていた。鬱や解離で苦しむ被害者も、モモが寄り添い言葉をかけると──否、モモは被害者の話しを聞いているほうが多かった──食事を摂ったり、風呂に入ったりすることができるようになるのだ。逆に云えば、食事を摂ることも、風呂に入ることも、着替えさえできず寝たきりになる被害者が殆どだった。
サワタリは女の家に行った。窓からそっと様子をうかがう。艶やかな黒髪を背に垂らした、美しい女性だった。おや、と思ったのは。彼女がその美髪を維持し、笑顔さえたたえていたからだ。髪の手入れを怠らず、口には紅を塗って──町一番の器量よしと評される女を、懸命に維持していた女は。
「ああ、エリック! あなたが来てくれるのを待っていたわ……!」
ドアを開け帽子を取った男の──彼女の婚約者の胸に飛びこんだ。
「え……」
だが。
「牛乳を拭いたあとのぞうきんの臭いを知っているかい? あれ、どんなに洗ってもとれないんだよね」
彼女の婚約者は──男は、抱きついてきた彼女を振り払い、突きとばした。
「ああ臭い。臭いなあ」
鼻を摘まむ男に、女は、懸命に笑いかける。
「エリック……? く、臭いって、あたしの臭い? お風呂には毎日入っているし、ほら、あなたが前に買ってくれた香水だって──」
「馴れ馴れしく呼ばないでくれないか。おめでたいことに──きみとの婚約の破棄が、さきほど決まってね」
女は、呆然と眼を見開く。震える唇を、懸命に笑顔のかたちに整える。
「婚約の破棄……?」
「これで僕も晴れてミーアに結婚を申しこむことができる」
「ミーアですって……? あたしじゃなくて、ミーアがあなたの花嫁になるの……?」
「先方の両親からもぜひにと頼まれてね。ああ、きみはミーアの従姉だったか。だが、きみは結婚式には来なくていいよ。臭いからね」
しっしと手を振る男に──彼女は尚おも笑いかける。
「あなた……優しかったじゃない……あたしが、お、襲われて……あの夜も、慰めてくれたじゃない……傷物になったあたしを、毎晩、優しく抱いてくれたのに」
「僕は中古品の妻をもらう気はないんだ」
「中古、品……」
「きみがねだるのならば、これからも抱いてあげるのはかまわないよ。だが、そうやって浅ましく男をくわえこんでいる女が、僕の妻になろうだなんて、おこがましいな」
男は女を見下し、云い捨てる。
「ぞうきんとハンカチは、用途が違うものだろう?」
女は、笑う。
「……そう」
そうね、と笑う。
「あたしがぞうきんで、ミーアがハンカチなのね」
「きみの聞き分けの良いところは、嫌いじゃなかったよ。さようなら」
男は帽子を被ると、ドアを雑に開け、閉めた。
玄関から、男が出てゆく気配がする。そちらへ歩みかけたサワタリは、だが足を止めて。──男を追うのをやめ、女の部屋に飛びこんだ。
「……痛い」
「……すまない。手加減が、うまくなかった」
女は左手で、右の手首をさすっている。サワタリが、手刀を振りおろした場所だ。下に転がり落ちているのは──ペーパーナイフだった。
女が、先鋭で自らの喉を突こうとしていた。咄嗟にサワタリが窓から侵入し、ペーパーナイフを叩き落とさなかったら、彼女は喉から血を噴き出させ、致命の傷を負っていただろう。
「あなたは……あの夜、私を強姦した男たちを殺してくれた人?」
サワタリは黙って、ペーパーナイフを窓の外に捨てた。
「有り難う、とても嬉しかった。あの時……疲れていて、云えなかったの。……ありがとうございました」
淑やかに頭を下げた女の髪は、ぐしゃ、と絡まっていた。
「でも、いくら強姦男どもを殺してもらっても、私の体は汚れて──もう、洗っても、ハンカチには戻れないんだわ」
それまで気丈に、町一番の器量よしを堅持していた女が──崩れた。
膝を折り、絡まった髪を垂らし、顔を歪め、泣いている。
「……あんたの体は汚れてなどいない」
「私の体、レイプで絶頂したのよ!」
叫ぶように云った、彼女の顔は、乱れた髪が涙で貼りついていた。
「膣が濡れているって、男どもがはしゃいでいた。ふたりで代わる代わる私を犯して──何回めか、挿入されたとき、急にぼうっとなったの。音が聞こえなくなって、肩や背中が重くなって、なんだか、生きていないみたいになった。その時、私の体、痙攣していたの。あたし、あたしはっ、男性器を受けいれるために膣を濡らして、レイプで絶頂したんだわ!」
彼女は、髪を掻きむしる。
「嫌だったのに。憎くて、憎くて、殺してやりたかったのに。体、は、受けいれて、喜んだの……っ」
臭い、と彼女は云う。
「私の体、臭い……汚い……ぞうきんなんだわ……床にこぼした牛乳を拭くことにしか、もう使えない……だってこんなに、臭いんだもの……」
臭くない。あんたの体は汚れてなどいない。身体が反応したとして、それは身体の反応でしかない。レイプを喜んでいた、という証拠になどなりはしない。……そういうことを云いたかったが、どんな言葉を使えばいいのか、サワタリには判らない。
(……が、いれば)
あの小さなモモンガがいれば。彼女の傍に舞い降り、三つ指の手で、彼女の拳を撫でて。傷みに傷んだ彼女の心を、ふんわりと癒やすのだろうに。
サワタリは首を振る。髪を振り乱し、床に突っ伏した女に背を向ける。
「……おまえの婚約者を殺してくる」
「……」
「俺がすべて殺してくる。だから、忘れろ。なにか……楽しいことでもしていろ」
「……っ」
ひく、という奇妙な音を聞いた。サワタリは振りかえる。
「ありがとう」
女が、笑っていた。ぐしゃぐしゃの髪で、涙で濡れた顔で、──絶望的に、笑っていた。
サワタリは風のよう、窓を飛び越え外へ降りた。走った。婚約者の男の家は既に突きとめてあったが、男はそこにはいなかった。捜す。サワタリには容易かった。足はオートマティックに──性加害の現場へ向かうのだから。
(ここは……)
町の小さな神殿の裏手──あの女性がレイプされた現場だった。彼女が押し倒されていた場所で、今夜は──別の女が犯されている。うつ伏せだった。髪を掴まれ、顔を血まみれにしている。口の端が裂けているらしい、酷い出血だった。それにさえ、男たちは興奮する。
女を輪姦している男たちの顔を、順番に見てゆく。そこで、ふと、サワタリは瞬いた。
(あの男)
帽子を被った、いかにも田舎の富裕層といった体の男は、あの黒髪の女性の部屋を尋ねてきた男だった。彼女の婚約者──いや、婚約は破棄したと云っていたから、元婚約者か。
「自分の恋人がレイプされたっつーのによ、よくこんなことできるよなあ」
「レイプされたせい、だろ?」
男たちはどっと笑う。
「あいつがレイプの話しするたび、勃起してつらかったんだ。やばい、僕もやりたい、やりたいやりたいたまんない、ってね」
「わかるわかる。性被害の聴き取りができるっつーの、俺が兵士を志願した理由の一つだしな。やられた女が屯所に来ると、聴取の奪い合いよ。ナマの被害を事細かに聞けるんだぜ、しばらくそれでぬけるね」
今日も、加害者は二人らしい。サワタリは元婚約者ではない方の男から、殺した。元婚約者の方は、両腕と両足を切り落としたところで、口に布を噛ませた。そして、相棒が喉を犯され、じわじわと死ぬところを最後まで見せてやった。杭のようなナイフを構え、元婚約者の男の口から布を取りだすと、唾液を振り撒きながら悲鳴をあげた。
サワタリは淡々と、ナイフを男の口に押しこむ。口の端を破ったのはわざとだ。口の周りを血まみれにし、長く苦しんだ末に、男は死んだ。恐怖と苦痛は最大限、おまえをいたぶってくれただろうか。それでも、犯された女の苦しみに比べれば、比べられないほど気楽な体験だ。
サワタリは男の死体と、男の体の部位を、町の外まで運び、雪の下に埋める。何往復かしたところで、か弱い声を聞いた。
「……ありがとう」
レイプされた女だった。青ざめた顔で、震えながら──でも、必死に服を着ていた。血が、首のあたりについている。首にけがをしたのではなく、女の口を弄った男が、その手で女の首を締めて遊んだのだろう。
「男は、ゆるされる。女をいくらレイプしても、誰も罰してくれたりしない。それが、道徳だから」
か弱いが、女の声はくっきりと夜を切り取る。
「男には、女がどれほど恐怖を、苦痛を、訴えても通じない。あいつらは、女より強者だから。だから、女の気持ちなんて判りはしない。だから、あいつらより強いやつがいればいいのにと思った。できるだけ惨たらしく殺してくれる、魔物がいい。女の気分を思い知ればいい。男が女だけに加害するように、男だけを襲う魔物が生まれますようにって。何度も願った。願いが、叶うこともあるんだね」
魔物、と呼ばれて嫌な気はしなかった。ぎょろぎょろとした巨大な眼球。ごわごわとして固いミルキーベージュの毛皮。傷ついた女たちを癒やしていたのは、魔物だった……。
「……性被害に遭ったのは、初めてではないのか」
「四度めよ。……前の三度とも、男たちは無罪放免、加害された私が悪いと責められた。男を誘う服装をしていた。ひとりで外を出歩いていた。私から男に話しかけた。どれも、性交の同意があったとされ、であるのに被害を訴えるわたしがおかしいと糾弾された」
肩のあたりで、すっきりと切られた髪は、土と血で汚れているが、なにか清浄なものを感じる。
「誰も罰してくれない男どもを、惨たらしく殺してくれた。性加害者だけを殺す魔物。あなたは、わたしの願いそのものだ。男どもに、女の気分を思い知らせてくれて、ありがとう」
地面に額がつくほど、頭を下げ。彼女はふらりと立ちあがる。蹌踉とした足どりに──手をかすことはしなかった。俺は、そういうものではない。だが……。
「……、」
サワタリは、自分の手が、自分の胸を押さえていることに気がついた。性被害に遭った女から、礼を云われることはあった。そんなものは、風の音ほどもサワタリに聞こえない。だが、なぜか、今、女に云われた言葉が──胸のどこかに、しみている。
(ここに──が、いれば)
モッズコートの胸に、あの小さな魔物を放りこんでいれば。ふっくりと膨らんだ背中のかたちを、服ごしに抱きしめられただろうに。しみる胸を、あれがあたためてくれただろうに。
地面に、男物の帽子が落ちていた。血と涙と涎が、べっとりと付着している。汚れた帽子を拾い、サワタリは夜を走った。最初の性被害者の女の家。さて、さすがに窓は施錠されているだろう。どこから入りこむか。考えながら走ったが──段取りを決める前に、その必要がなくなったことを知る。
「……」
窓の下に立ち尽くした、サワタリのまえに。
黒髪のところどころが血で固まった、女の死体が横たわっていた。
「……、」
女は、両手でペーパーナイフを握っていた。渾身の力で突いたのだろう、ペーパーナイフは女の喉を貫き、首の後ろから出ていた。口から泡の混じった血が流れだし、それは喉から噴きだした血と一緒くたになり、女の──美しかった黒髪を、糊のように固めている。
冷たい風が吹いた。サワタリが握っていた男の帽子が、舞いあがる。風には、雪が混じっていた。
寒い、と思った。肩を押さえる。サワタリの肩に居所を決め、腹ばいになっていたあの小さな魔物は、その体温でサワタリの首を温めてくれていた。いつからそれがあたりまえになってしまっていたのだろう。いなくなってしまった、と思うほどに、ぬくもりを覚えてしまったのは、なぜだろう。
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