10th. テイマーの聖都

 チビタス・ムリエラスのそり犬は優秀だった。

 ──否、もうその名の町はない。女の都は、男たちによって蹂躙され、住人たちは陵辱の末に、皆殺しにされた。

 サワタリは町を襲ったのが帝国の北鎮部隊であることを突きとめ、その本拠である寨へと赴いた。──評価する者がいるとすれば、『殺しの天才』と云わしめるだろうサワタリとて、武装し、対人戦を飯の種としている兵士によって構成された、一つの部隊まるごとを相手どるのは無謀と云えた。だが、サワタリは一切怯まなかった。寨の造りや、兵の配置など様々なことを入念に調べ、殲滅する手段を探った。その可能性が数パーセントであったとしても、道が見えたのならばやるだけである。

 サワタリはそして、女たちを強姦した男らの、全ての両腕と両足を切断した。口にぶちこむ太いナイフはさすがに数が足りなかったため使い回したが、いつもの殺しかたで、殺した。

 血みどろの死体がずらりと並ぶ、凄惨な寨を出る時も、来た時と同じよう、サワタリは犬ぞりを使った。サワタリを凍死から救ってくれた女──チビタス・ムリエラスの蹂躙により死亡してしまったが──の使っていた犬ぞりだ。他の犬たちは兵士に虐殺されていたが、彼女の犬だけは残っていたため、使わせてもらうことにした──もとい、窃盗した。薄茶色の犬たちは立ち耳に尾がくるんと巻いており、体が大きい。その分スタミナがあるらしく、どれほど走っても疲れた様子を見せない。正直──サワタリはこれに助けられた。

 重傷を負っていたのだ。そこらの町の屯所の兵士ではない、帝都聯隊と殺し合ってきて、無事で済むわけはなかった。急所は外していたが、頭から爪先まで無数の傷にまみれていた。特に腹と左足の傷が深い。腹の方は、臓器に傷がついていないことを確認し、自分で縫ったが、やはり熱が出てきたらしい。犬に命令を与えるも、寨から離れるようにと指示するだけで精一杯だった。そりにしがみつくようにし、痛みを呼吸で逃がしている時だった。

「……ご主人」

 モッズコートのなかから、か細い声が聞こえた。モモも傷を負っていた。後ろから斬りかかってきた兵士の剣を受けたのだ──サワタリを庇って。肩からへそのあたりまで切り裂かれたモモの傷も、サワタリが縫った。その後は体温を保てるよう、ずっとモッズコートのなかに入れていたが──ぬくもりをもらっていたのは、サワタリのほうかもしれない。

「なつかしい匂いがするんだ……」

 なつかしい、と云うわりに、声が沈んでいる。サワタリは首をかたむけた。

「でも、行かなければ……ご主人は、けがの手当が必要だ……」

「おまえもな」

 片手で手綱を握り、もう片方の手で膨らみを押さえる。モモがすり寄ってくる感触がする。

「おれのなつかしい場所へ、ご主人をつれてゆく」

 魔物の巣だろうか。べつに、かまわないとサワタリは思う。それでモモが助かるならばいい、とぼんやりと思って。モモが指し示す方へ、犬ぞりを向けた。



 地平まで見渡せる雪原に、金色の鳥かごが鎮座していた。

 かすむ眼を、何度もこすった。だが、幻影ではない。時折り風で雪のまきあげられる真白まっしろい大地に、優美な曲線を描く金色の檻が降り、空間を隔絶している。縦横それは、一つの町がすっぽりと入るほどの巨大な鳥かご。あれは何だ、と思わずつぶやいた。

「聖都サクラ・パシェンス」

 モモの弱い声が聞こえた。

「聖都だと?」

「テイマーの、聖都だ」

 調教師テイマーの聖都。それがなぜこんな、気候の厳しすぎる北辺の土地にあるのか──それはすぐに明らかになる。

「サクラ・パシェンスへようこそ! お耳のものを拝見させていただきます──はい、確かに確認させていただきました! お名前をちょうだいしたく──サワタリさまでございますね? 従魔はそちらのモモンガで間違いない?」

 町の入り口は、他の町のよう堅牢なギルドが門番のよう立ち塞がっているわけではなく、金の檻の一角を楼門が押し広げるかたちになっている。楼門の石壁は見たこともない文様を淡く描き、脇には二つの低い塔が付随している。屋根には鐘がついているが──どうやってあそこに上るのだろうか、足がかりが見えない。

 ところが、サワタリが一歩踏みこんだ瞬間に、涼やかな鐘の音が鳴った。同時に、三人の男が忽然と現れた。三人ともに、首の後ろから何かが生えている。反射的にナイフのグリップに手をやったが──青い色が眼に入った。三人の男の耳には青いピアスが光り、その首の後ろの魔物にも同じものが見えた。成る程、かれらはテイマーであり、あの首から出ているものはかれらの従魔なのだ。男はピアスを手指で押さえ、小声でなにか呟いている。耳を澄ます。「ソファを出せ」「原簿を出せ」「ペンとインクを出せ」……。瞬く間にがらんどうだった楼門には、猫足のソファが出現し、筆頭らしい男は帳面と羽根ペンを持ちサワタリに笑いかけた。

「悪いが、俺も従魔も重傷を受けている。薬屋はあるだろうか? 宿の場所も教えてもらえると有り難い」

 仰々しい出迎えを遮り、サワタリはモモを抱きなおす。息が弱い。

「いや、それよりもモモを──ここでならば、魔物の治癒を受けられまいか? 頼む、こいつをどうにかしてやりたい」

「従魔をいとわれるお心、さすが列聖であらせられる。ですが、そのお心をもつあなたさまのお体こそ貴くございます。すぐに病院へお運びしますゆえ、ご辛抱くださいませ」

 筆頭の右後ろにいた男が、空へ向かってなにかを投げた。黄色の鳥だった。鳥はすうと建物を出てゆき──ややあって、戻ってきた時には。

「どうぞお体をらくになさって」

 マスファーという魔物が、鳥の後ろから建物に入ってきた。なおそれは、ソファからサワタリを巻き取っている。──マスファーは毛むくじゃらの球体をした魔物で、その分厚い毛に阻まれナイフが通りにくく厄介な魔物なのだが──こんな風に平たいベッドのような形態をとることができるのか。そう、出現したマスファーは、まるで浮遊するベッドだった。そこに強引に寝かされたサワタリは、咄嗟に両手でモモを胸に引き寄せた。

「サワタリさまはご憂慮なく。従魔もきちんと治療いたしますゆえ、こちらにお渡しを」

「断る。先にモモの手当てをしてくれ。俺はそれにつきそう」

 ご主人、とモモが弱い力で押しかえしてくる。ちっぽけな力だ。サワタリはモモを離さない。

「承知しました。都立病院にお運びする予定でおりましたが──宿の方へ医師を派遣するかたちにいたしましょう。マスファーは、宿までお送りいたしますゆえ、従魔とご一緒にお乗りください」

「恩に着る」

 ところで、連れられた宿である。コの字型の三棟から成る建物は、向かって左が淡い桃色、真ん中が白、向かって右が淡い水色をしていた。屋根に突きだした窓からの採光で、室内はやわらかな陽光で充ち。敷き詰められた絨毯から据え付けられた調度まで、品があった。これほど瀟洒な宿など、今まで旅したどんな町でもお目にかかれなかった。場末の古い木造宿に泊まるのが性に合うサワタリにしてみれば──なんとも、居心地が悪い。

 マスファーは宿のベッドにサワタリとモモを下ろすと──おそらく奴を使役しているテイマーの元へだろう──帰っていった。出迎えてくれた宿のボーイに、それとなく他に宿はないのかと訊いてみたが、この聖都にある宿はここだけなのだと云われ──サワタリはおとなしくベッドに臥した。

 ややあって、再び黄色の鳥が現れた。今度は白衣の男を連れている。医師らしいと見当をつけ、先にモモを診てくれと頼んだ。医師は頷き、小さなモモを抱きあげると、包帯を外し傷を検分した。それから──かれは自身の耳をつまんだ。正確には、かれの耳の青いピアスを。

「ボヌ・サ・ブンクルスの名に於いて召喚する。我が調教せし魔よ、我が使役に耐えよ」

 瞬きの間に、男の隣りに出現していたのは、無数の長い腕を持つ魔物だった。クラゲに似ているが、質感は全く違う。ゼリーと云うより綿飴か。しっとりとしていて軽い。その長い腕が、モモの傷に敷き詰められる。

「大丈夫です、今、消毒を行っております。その後削られた組織を復元する魔法を使うところまで、この従魔にお任せください」

「初めて見る魔物だ」

「サニタティムアームという魔物です。回復魔法を使う魔物自体が珍しいのですが、これは高位のそれを使いこなします。私の自慢の従魔ですよ」

 胸を張る医師は、よほど自慢なのだろう。その後サワタリのけがの治癒に移っても、話しつづけていた。曰く、どれほど苦労してこの魔物を見つけたか。曰く、どれほど苦労してこの魔物を調教したか。曰く、どれほど苦労してこの魔物を自在に使役するところまで育てあげたか。

 口も回るが、手もくるくるとよく回る。従魔が回復魔法を施した後の傷に、丁寧に薬草を塗りこみ、清潔な包帯を巻いてゆく。その後、戦闘と移動で汚れに汚れていたふたりの体を、湯で拭ってくれさえした。

「私はこれで失礼しますが、なにか容態に変化があれば、すぐにお呼びください。フラヴムバード──この黄色の鳥ですな。こいつを置いておきます。伝達を専門にする従魔です。こいつに向かって、ご自分の名まえと、『ボヌを呼んでくれ』と仰ってください。そうすると、こいつが私のところにそれを伝えに飛びますので」

「手数をかける。謝金を支払いたいのだが──これで足りるだろうか?」

「謝金など、めっそうもない! ここは聖都サクラ・パシェンヌであり、あなたは選ばれし列聖でございましょう」

「列聖──と云うのか」

「テイマーは、それこそこのサニタティムアームなど及びもしないほど希少なのです。人の身で、魔物を自在に操る。──失礼ですが、サワタリさまはご自身がどれほど貴い身であられるのか、ご自覚が足りぬようですな」

 にっこりと笑い、医師は両腕をひろげた。

「あなたはサクラ・パシェンスにお着きになった。そして、あなたにも、あなたの従魔にも静養が必要です。その間、この聖都にてお暮らしになれば、テイマーがどれほど聖なる存在であるのか、学ばれることでしょう」

 さて、ボヌ医師の言葉のとおり、サワタリとモモは、この聖都で暮らすことになる。

 宿のボーイは手厚く世話を焼いてくれた。食事の世話から、体の清拭まで。ボヌ医師も毎日のように往診に来てくれて、あれほどの深手も順調に回復していった。軈て杖をついてならば歩けるようになり(左足がほぼ壊死しており、医師は切断するか迷ったらしい。サワタリの体力が並外れていたため、切断は免れたが、左足の治癒には時間がかかると診断されていた)、モモも飛べるようになったので、サワタリはボーイに断り、食事や風呂は介助なしの自力で済ませることにした。そも、人の世話になることが性に合わない。にもかかわらず、この聖都では誰もがサワタリの世話を焼こうとする。代金を出そうとしても断られ、あなたは列聖なのだとさとされる。どうにも居心地が悪いが──渋滞の身を安全に休められる場所として、これ以上のものは望めまい。

 サワタリは杖をつき、外に出ることにした。部屋にこもっていては体がなまる。モモは相変わらず、サワタリの肩に腹ばいになっている。

「……本当に、雪原にあるんだな」

 空を見あげて、サワタリはひとちる。町をぐるりと囲う金の檻は、空の高く高くでひとつに結ばれている。正しく巨大な鳥かごだ。そして、その檻の外側には、豪雪が渦巻いている。つまり、金の鳥かごの中にある聖都は、外とは全く違う気候にあるのだ。

 陽春を思わせる暖かさ。本当は、あの楼門をくぐった瞬間が、酷寒の世界と麗らかな春の世界の境界だったのだろう。あの時は高熱で朦朧としていたが、改めて確認すると──ふしぎを通り越し不気味だった。──あの、金の檻だ。あれも魔物が造りだしているのだろう。そして、それを使役するテイマーがいる。金の檻は厳酷な気候を阻み、やわらかな陽光の季節を注入する。だから、この聖都は厳冬の雪原にありながら、一年中人に優しい春でありつづける。

 サワタリは、思いだす。

 チビタス・ムリエラス──女の都。男たちに蹂躙された町は、ここと同じく──否、いっそう厳しい酷寒の大地を切り拓き造られていた。粗末なあなぐらの住居は生臭く、住人たちはトナカイの毛皮で醜く着ぶくれ──それでも必死に生きていた……。

「ご主人は、恥ずかしいだろうか?」

「あ? 何だと」

 唐突なモモの言葉に、サワタリは首を曲げる。びっくりするくらい近くにモモの瞳があった。

「みんな立派な従魔を連れている。強いのや、可愛いのや……モモンガなんて連れているのは、ご主人くらいだ」

 そういえば、とサワタリは眼を遣る。ちょうど市場に通りがかっていた。露台の上には白いパラソルが差されており、地面も薄色の木材で、市場でさえ慎ましい美しさがあった。そこで物を買うもの、物を売るもの、そぞろ歩くもの──と、賑わっていたが。従魔を連れているのは、凡そ半数くらいだろうか。確かに、サワタリでも知っている強力な魔物や、見るからに愛らしい魔物を連れている。

「それは、おまえだろう」

「うん?」

 テイマーは、両耳のピアス以外にも、特徴があった。長いローブを着ているのだ。絹製らしい典雅な艶のあるそれは、どんな手法で染められたのか──やはり従魔を使役し制作されているのか──とりどりの美しい色をしていた。それに細い身体を通し、たおやかな手で従魔を撫でる。長い美髪は結ったりそのまま背に垂らしたり。顔は白粉を塗っているのか、きめ細やかな肌に唇は常に微笑みをたたえている。品格がある、というのは正にこういうものだろう。薄汚れたモッズコートに、ヘアバンドでも押さえられぬ跳ねた髪。ごろつきそのものの自分と比べると、この都の住人の優雅さがいっそう際だつ。

「……俺は、おまえに助けられている」

 サワタリは杖を持っていない方の手で、モモの背を撫でる。

「俺が凍死しかけた時、おまえは人に変げし、人を呼びにいってくれた。あの塞で重傷を負い死にかけた時も、ここに連れてきてくれた」

 それに──なにより。

「そして、最初の命令を、ずっと忘れず守りとおしてくれている」

 サワタリの本業は冒険者でなく人殺しだ。性加害者を殺すマシンであるサワタリに、性被害者の取り扱いは搭載されていない。それを──まるで補うよう、モモが性被害者に寄り添う。モモが彼女らに寄り添い、彼女らはそれでほんの少し、僅かばかり、生きる気力を取り戻す。

「それは、めずらしいことなんだ。おれはいつも失敗しかしない。弱いから、戦闘ではご主人の迷惑にしかならないし、ご主人のお腹が空いているとき、兎肉にもなれなかった……」

 ふっと笑う。

「でもおまえ、人に化けるのは上手い」

「おれ、こうしてご主人にくっついてるの好きだけど。宿に帰ったら、人に化けたい。それで、ご主人のお世話をする」

「は?」

「宿の人間が、ご主人にご飯を食べさせていた。ご主人の体を支えて、お湯で拭いていた。ああいうお世話は、おれがするんだ!」

 なにやら対抗心を燃やしている。そういえば、町にいるのに、人のすがたでないモモを久しぶりに見た。当たり前に魔物を連れ歩くテイマーの町を、サワタリはのんびりと歩いた。軈てパラソルの立つ市場は途切れ、その先には──。

「王城──なわけはないか」

 サワタリは帝都に行ったことがないが、さしずめこの世界を統べる帝王陛下が住まう黄禁城ともなれば、想像もつかぬくらい贅の限りを尽くしたものだろう。想像とは云え、そこにはそれと見紛うほどに華麗な城が鎮座していたのだ。

 なんとなくそちらへ踏みだした時だった。

「いやだ。そっちにはいきたくない」

「?」

 モモだった。サワタリの肩から降り──だが浮遊したまま、モッズコートのフードを咥え引っぱっている。

「行きたくない? あの城に行くのがいやなのか?」

「……」

 無言でぐいぐいと引っぱる──今来た道を戻る──宿の方に引っぱっているらしい。

「そういえば、おまえこの都に来るとき、乗り気ではなかったな」

 だが──モモは正確に、この聖都へとサワタリを導いた。

「おまえ、ここに来たことがあるんだな?」

「宿に帰る。おれ、ご主人のお世話をする」

 サワタリは苦笑する。片手でモモを掴むと、噛んでいたフードを吐きださせ、いつものよう肩に乗せる。そして、杖を後ろについた。

 行きはのんびりと歩いたが、帰りは全身の筋肉を意識する。臥せっている間に、随分筋力が落ちている。左足がこれでは、ろくにトレーニングもできない。さてどうするか、と考えているうちに、宿に着いていた。杖をつき階段を上り、開かれている扉をくぐった。パステル調で統一されたロビーが広がっているが、そこで寛ぐ気などない。見もせず自分の泊まる客室へ向かったのだが。

「あなたがサワタリ殿かな?」

 サワタリを呼びとめる声は、記憶にない。

 ロビーのソファ。サワタリはモッズコートの内側に手をやる。だが──。

「ソロモンさま──」

 呆然とした声を聞き──それはごく聞き慣れた声であったから、サワタリは横を見た。モモはぎゅっと瞼を閉じていた。ただでも大きな眼をいっぱいに見開いていて、それをむりやり閉じたのだ。

 知り合いか、と問いかけ、やめる。モモの全身から発されているのは、『拒絶』だ。怯えに似ている。震えているようにも見える。怯え震えモモは、その男を拒絶していた。

「あれ、違ったかなあ。あなたから並の旅人じゃあありえないオーラを感じたんだけど」

「……」

 サワタリは片手をモモの背に乗せる。それから、杖をつき静かに振りかえる。

「殿をつけて呼ばれる身分でもないが。サワタリは俺の名だ」

「では、サワタリと呼ばせてもらうよ。僕はソロモン。はじめまして、サワタリ」

 陽光のように眩しい金髪は、ウェーブがかかり顎の下ほどの長さがある。明るい紫の瞳は、宝石アメジストでさえ敵わぬ煌めきを誇っている。眼も鼻も口も全てのパーツが測ったかのようなバランスでおさまり、笑うと白い歯が明朗さを添える。前髪はサイドの髪と同じ長さで、白皙の額には青い石が輝いている。純白のローブに銀糸でびっしりと施された刺繍もまた、華やかさを添える。

 美の女神の寵愛を一身に受けたような──とは陳腐な表現だろうが。ソロモンと名乗った男は、それほどの美貌をもった男だった。

 だが、サワタリの中では警報が鳴り響いていた。この男は、俺から並の旅人ではないオーラを感じたと云った。サワタリは自身を正確に把握している。それがこの世界でどれほどいびつなものであるのかを知っている──からこそ、普段は自身の殺気が外に漏れ出ぬよう、慎重に行動をしていた。人目につかぬ場末の食堂や宿屋を好むのも、こうして──目の利く輩に遭遇しないためという理由が一つにある。

「あなたを我が家に招きたいんだ。招待を受けてくれるかい?」

 なぜだ、と無表情に云った時だった。宿のカウンターから、飛んでくる男がいた。

「これはこれはマリクイッド賢聖! おみ足をお運びいただきましたのに、ご挨拶もいたしませんで、たいへん申し訳ございません!」

 床にひれ伏したのは、この宿の支配人だった。それをにこにこと見おろし、ソロモンは人に命じなれた口調で云う。

「こちらのサワタリ殿が、今夜から我が家で過ごす。荷物をうちに届けてくれるかな」

 それから額に──額の青い石に手をあて、歌うようにつぶやく。

「ソロモン・メリウス・クア・マリクイッドの名に於いて召喚する。我が調教せし魔よ、我が使役に耐えよ──出ておいで、ラム」

「参上つかまつりました、ご主人様」

「サワタリを我が家に招くから、諸々雑事の指揮をよろしく」

「かしこまりました」

「というわけで、このラムスジャイアントが采配をとるから」

 ラムスジャイアントは人の倍ほどの背丈を持つが、身幅は人と同じくらい──つまり細長い魔物だった。頭や手足があるため人と似ていなくもない。細い巨人というべきか。どうやらソロモンの従魔らしいラムスジャイアントは、主人のためにそつなくサワタリの引っ越し作業を完了させる。

 サワタリはこれにて、宿を引き払いソロモンの家に居を移すことになったのだ。ソロモンの家──それはつい先刻に見た、あの華麗な城だった。

「あなたは、いつもそうやって従魔を抱っこしてるの?」

 サワタリは杖を持たぬ方の手で、ずっと胸を押さえていた。ソロモンから(強引な)招待を受けた瞬間、サワタリは肩のモモをモッズコートのなかに入れた。それからずっと、服ごしにモモの背を抱いている。

「俺をここに連れてきた目的は何だ」

「だからあ、それについてお喋りするには、場所を選んだ方がいいって云ってるじゃん。ううん……もうちょっと奥に行こう」

 城に招かれた時は、どうせどこも華美なのだろう一室に連行されると思ったが。ソロモンがサワタリとともに歩いているのは、庭園だった。市場の端からは城の前面しか見えなかったが、その後方には広大な庭園がひろがっていたのだ。先ず眼をひいたのは、芸術的に刈り込まれた樹木だった。完璧な平面、あるいは球面で輪郭を整えられた樹木と樹木の間が道となっており、それが池や噴水、アーチや森といった箇所をつないでいる。城のバルコニーから庭園全体を見おろした時、何らかのかたちを描きだしているらしいと気づいたのは、道が、高低こそないものの、あるとこでは円形に、あるところでは直線になっていることを見とめたからだ。

 それにしても、これほど大規模でありながら、一糸乱れぬとばかりに完璧に造形の施された庭園が存在するものだろうか。──なるほど、聖都かと思う。これも従魔の力に拠って造られている……。

「この辺かな」

 道の途中に、真赤な花の咲き誇る花壇が、二重に配されている。あまりに鮮やかな花壇に、思わずサワタリは空を仰ぐ。高く、高くに結ばれた金の檻の向こう側は、やはり豪雪になぶられている。それなのにここは、春の麗らかな風が吹き、あふれるように花が咲く。

「サワタリも座って。あ、その足じゃ座れない?」

 白いローブが汚れるのにも構わず、ソロモンはすとんと砂利の上に座る。庭園は土が剥きだしになっているのではなく、白い砂利が敷き詰められているのだ。サワタリは杖を寝かせ、モモを抱いたまま腰をおろす。

「座れないならソファでも用意しようかと思ったんだけど。やっぱりさ、土の上にじかに座るほうが、だんぜん気持ちいいもんね」

「俺をここに連れてきた目的は何だ」

 ソロモンが笑う。サワタリがソロモンへ発する言葉は、宿から連行されてから、これのみだった。

「あなたを見てみたかったんだよ。こうやって、ぶしつけに、頭のてっぺんから足の爪先まで見てみたかった」

 そしてようやく、ここで答えがかえってきた。その言葉どおり、眼を細めサワタリを眺めるソロモンを振り向かず、サワタリは無表情に返す。

「なぜ俺を」

「帝王直下北鎮部隊の寨が、たった一人の男によって、一夜で壊滅させられたらしい」

 サワタリは、頬の筋肉一つ動かさない。

「その男は、従魔を連れたテイマーであった」

「寨の兵士は皆殺しにした。目撃者はいないはずだ」

「心配しなくても大丈夫。北面鎮台の憲兵が調査に来ていたけど、あいつらばかだし。殺人鬼が一人ぼっちだってことさえ突きとめてないもん。果ては魔物による襲撃だったとか結論づける始末」

 ほんとばか。そう云ってソロモンは笑う。

「面白い事件だと思ったから、僕が独自に調べたんだ。テイマーなんて滅多にいるもんじゃないし、数多ある冒険者パーティへの誘いだって断るものが殆どでさ、そういう荒事には関わらない──特にこの都にいると、殺人鬼のテイマーってのがとっても面白く感じられるんだよね」

 どんな男だろうって気になっちゃってさ、どうしても見たくなったんだ。

「……それで、俺に眼をつけたのか」

「ボロボロにけがしたテイマーが都を訪れたって報が入ったからさ。さっそく出向いたわけ。そしたらほら、見事大当たり!」

 ソロモンは指をサワタリに向ける。無作法な仕草だが、それよりも無邪気さを感じる。

「たった一人で寨の兵士を皆殺しにするなんて、どれほど強力な従魔を連れているんだろうって、わくわくしたんだけど」

 人差し指を、ソロモンはサワタリの胸に向ける。

「まさか、モモンガだったとはね。まだスライムの方が信憑性あるよ、ほんと笑える」

 胸にしがみついてくるモモを、サワタリは手のひらで抱く。

「それとも、そのモモンガのほかに契約している従魔がいるの?」

「いない」

「だよねえ。多重契約を結べるのは、希少なテイマーのなかでも更に希少──片手の指くらいしか現存しないもんねえ」

「そうなのか」

「え、知らないの?」

「俺はものをよく知らん」

 男の殺し方だけを、よく知っている。

「テイマー一人につき、従魔は一匹しか使えないんだよ」

「だが、一人で多数の従魔を使える者もいるわけか。──おまえのように」

 ソロモンは、顔の輪郭を彩る金髪を、くるくると指に巻きつけている。

「どうして判ったの? 僕、あなたのまえではラムしか使わなかったのに」

「なんとなく」

「能ある者は能ある者を見抜くんだねえ。──そう、じゃああなたの前では繕わないでいいね」

 額の青い石に、かれは手をふれる。

「ソロモン・メリウス・クア・マリクイッドの名に於いて召喚する。我が調教せし魔よ、我が使役に耐えよ──みんな、自由にしていいよ」

 杖から手を離していた。だから、サワタリは両手でモッズコートの胸を押さえた。モモの震えが服越しにさえ伝わってくる。

 サワタリは無表情に右を見る。左を見る。無数の魔物がわきだしていた。綿雪のドレスが愛らしいニブフフェアリー。凜とした佇まいをかもすフルウルフ。この世に焼き尽くせぬものないと怖れられるフラーメイドラゴンまでいる。大小様々な魔物が、広大な庭園に散らばり、思い思いに過ごしている。

「外で自由に過ごさせてやりたいんだよねえ。亜空間にいる間、従魔に意識はないらしいんだけどさ、やっぱり閉じこめられてるのって可哀想」

 ボヌ医師もこの男も、従魔を呼ぶ時、何やら文言を唱えていたが。──つまり、ふだんは従魔はテイマーの魔力の中に収納されているのだろう。亜空間、とソロモンは云った。文言──呪文により、そこから従魔を引き出し、使役する……。

 勿論、生粋のテイマーでなく、アイテムによって従魔契約を結んだサワタリは、モモを収納するやり方など知らない。──収納しようとも思わなかった。これは、こうやって抱いているのがいい。或いは、肩にべったりと腹を乗せているのがいい。

「従魔を放すために、この庭を造ったのか」

「違うよ。この城は僕が産まれる前からこんなだった」

「おまえは、この城の当主かなにかなのか」

「それも違うよ。僕は多重契約ができるって判った時に、この城に部屋を与えられたんだ。聖城なんて呼ばれてるけど、ようするに集合住宅アパートメントだよ」

「多重契約のできる──テイマーのなかでも片手の指で数えられる実力者の住まう城か」

 ソロモンはスライムを膝に抱き、猫のような耳をくすぐっている。その両耳の間に、青い石がうずまっていた。

「おまえの額の石は、テイマーのピアスと同じものなのか?」

「そうそう。僕ほど多重契約ができちゃうとね。従魔を調教するたびに耳にピアス増えてたら、いくつ耳があっても足りないよ」

 ふーん、とソロモンはまた、頭から爪先までサワタリを眺める。

「あなたって、ほんとうにテイマーのこと知らないんだね。新鮮だなあ。もっと遊びたいなあ。そうだ、あなた、ずっとここに滞在しなよ。僕のゲストだったら、無期限でこの城にいられるんだよ」

「断る。宿に帰らせろ」

「ラム、どこ?」

「ここに、ご主人様」

 ラムスジャイアントだ。長躯の巨人は、体を折り曲げるようにし、ソロモンにこうべを垂れる。

「サワタリたちのおもてなし、ラムに頼むよ」

「かしこまりました」

「ってわけで、部屋とかご飯とか、あとのことはてきとーにラムに聞いて」

 ソロモンはぴょんと立ちあがると、庭園の小道に戻る。従魔がいっせいに後をついてゆく。よちよちと、或いは堂々と主人の後にしたがう従魔は、どれも誇らしげで、嬉しげだった。

「……モモ?」

 ふと、サワタリは気づく。ふくらんでいたモッズコートが、ぺしゃんと胸に貼りついている。サワタリが服のなかに抱いていた従魔は、いつのまにか地面に降りていて──。

「……、」

 真黒まっくろい、大きな眼がじっと見つめている。あれほどの拒絶を放っていた体が、今垂れ落としているのは悲しみだった。悲しそうに──切なげに、モモは去りゆく後ろ姿を見つめている……。

 そしてそれは、毎度のことになる。

 ソロモンは翌日も、次の日も、毎日庭園にサワタリを呼びだした。従魔を庭で自由に遊ばせ、懐いてくるものは膝に抱き、ソロモンは飽きもせず──殆ど答えらしい答えをよこさないサワタリ相手によく喋った。その間、きらきらとした紫の瞳は、好奇心を隠そうともせずサワタリを眺めまわす。一頻りそうして『遊んで』、満足するとソロモンは帰ってゆく。するとモモは──。ずっとモッズコートの中で、サワタリにしがみついていたのに。いつかサワタリから二歩、三歩離れ、去りゆくソロモンと従魔たちを見つめているのだ。悲しみで充ちた小さな体。いまにも泣きそうな大きな瞳。それはまるで、『拒絶』とは正反対にある……。

 そんなモモを見ていたせいだろうか。──サワタリは、夢をみた。

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