8th. 主従というシステム
眼に見えて、大地が白っぽくなった。
雪ではない。土が白いのだ。気温が低くなると、落ち葉が混ざっても分解されず、栄養分のない痩せた土となる。地表は酸性の泥炭になり、土壌中の鉄が融けだす。ために、表層は白く、下層は赤茶色になる。
この土壌はポードゾルと呼ばれ、更にこの下には永久凍土と呼ばれる土壌が数百メートルも続いているという。永久凍土はその名のとおり、一年中凍ったままの土壌である。
これらポードゾルと永久凍土の断面を見せる地層が剥きだしになっている場所を見つけたのは、一週間ほど前のことだった。地殻変動の隆起か、地震で滑落したか。原因は分からないが、露頭は長く続いている。サワタリはなんとなくそこに近づき、気がついた。
ポードゾルと永久凍土の、正に間の場所だ。ふたつの土壌に挟まれるよう──実際に、上からと下からの圧力で、漏れ出た成分がぎゅっぎゅとまるめこまれ、玉が形成されるのだが、サワタリはこの仕組みを知らない。だが、それが玉であることは判った。玉には様々なものがあり、武器や防具に使用されるものから、魔力の溶媒となる
「ご主人、これが欲しいのか?」
モモの声に振り向くと、小さな三つ指が地層をさしている。そこにも──玉が埋まっている。
「玉という。これは──儲けた」
「いっぱい探せ、と命令してくれ」
「玉を探せ、モモ」
「はい、ご主人!」
そこで、サワタリとモモは夢中になって玉を採取した。長く続く地層沿いに──どれほど深く山に踏みこんだか。どれほど街道から外れてしまったのかに気がついたのが、一週間後だというわけだった。
一週間、ほぼ飲まず食わずで玉の採取にかまけていたせいで、おそろしく体が重たかった。自身の疲労の度合いを見誤るなど、忸怩たらざるを得ない。しかもこの極寒の土地である。サワタリは──こちらもふらふらと力なく飛んでいるモモをモッズコートのなかに入れると、寒さをしのぐ野営を組む。
先ずナイフで樅の木を切り倒した。大木は岩にもたれかかるよう倒れ、そこには大人ひとりがもぐりこむのに適当な空間ができている。寒さに耐え立つ針葉樹林は、その瑞々しい葉で寒さを遮断してくれるのだ。サワタリは更に、ナイフで枝を切り薪を作る。煙が凄まじいが、長く燃え続けるため、水分を多く含む生木を選ぶ。
「モモ、生きているか」
「……はい、ご主人」
モッズコートのなかを覗くと、モモの眼が半分閉じている。両手で抱き、背中を焚き火に当ててやると、あったかい、とつぶやいた。
沸かした湯に、堅パンを浸す。ふやけてきたところで、モモの口に持ってゆく。少しずつ囓っているのを見守りつつ──さてどうしたものか、と顎に手をあてた。
「ご主人は、食べないのか?」
「それで終わりだ」
「?」
「携帯していた食料は、それで最後だ。もう食べる物がない」
モモの瞳がぱっちりと開いた。ぎょろぎょろと眼を動かし、おろおろと両手を動かしている。
「それは、たいへんなことじゃないのか!」
「たいへんなことだな」
なにしろ街道から遙かに外れた山中で、食糧が尽きている。
「それは、それは、おれのせいだろうか」
「なぜおまえのせいなんだ」
「おれが、あの女の人のことをご主人に話した。だから、ご主人はぜんざいさんをあの女の人にあげてしまった。お金のなくなったご主人は、いつもみたいに町で買い物ができなかった」
「……、」
サワタリは苦笑する。魔物のくせに、人の行動をよく考えるやつだ。
──実際、モモの云うことは当たっている。妻を強姦した男を殺した。その妻が、困窮のあまり代理母として腹をさしだそうとしていた──出産を酷く怖れながら。二度と出産などしたくないと泣く女を、モモが慰めていた。それを見て──サワタリは、当座持っていた金を、女の家の窓に置いてきたのだ。
おかげで、いつもの物資の補給がかなわなかった。町にとどまり、近辺で冒険者のまねごとをして金を稼ぐ方法もあったが、翌朝には殺人犯として兵に囲まれてしまった。いつもの補給をすることもできず、包囲を破り山の洞窟に逃げこみ、暫くそこでしのいだ。ほとぼりが冷めた頃、再び街道に戻ったのは、食糧が尽きたところで、行き会った冒険者や行商人に物資を分けてもらえるかもしれないという期待があったからだ。だが──。
「玉に眼がくらんだ、俺の失態にすぎん」
地層を発見し、玉に飛びついたのは全く失態だった。空腹と寒さで頭が回っていなかった──とは云いわけだ。街道を遠く離れ、雪山に入りこんでしまっている。こんなところを通りがかる者など皆無だろうし──今夜一晩をしのいだところで、街道に戻れる見込みは少ない。
「まあ、雪の降る土地で死ぬのも悪くない」
吹雪いてきたらしく、葉の隙間から見える外は白と黒のまだらだった。焚き火から得た灰を敷いていたが、それでも地面は冷たい。岩も葉も冷たい。冷たい白い世界で、ひとり死んでゆくのも悪くない……。
「おれはご主人の従魔だ! おれよりさきにご主人が死ぬのはゆるさない!」
モモがびゅっと飛んだ。焚き火の前にうずくまるサワタリの横に着地すると、小さな三つ指をモッズコートにかける。
「……ご主人は、最後のご飯を、おれにくれたんだな。おれなんかに……」
「うまかったか?」
「うまかった」
「それならいい」
ぼろっと、モモの大きな眼から涙が溢れ、ぎょっとする。
「おい、なんで泣く」
「魔物の肉は、食えない」
定説だ。凄まじい臭いがするし、とても飲みこめるものではない。毒もあるという説もあり、魔物を斃しても、その肉は通常、人は食べない。
「だから、兎の肉になる」
「は?」
「ご主人、兎の肉をたくさん食べていた」
「ああ。この辺ではもう獲れないが。野生の兎の生息域としては北に寄りすぎているから──」
「おれが兎になるんだ」
「なんだと?」
なにか、綺麗な音が聞こえた。途端に──モモの輪郭が揺らいだ。
「おい、モモ──」
揺らぐ輪郭が、別のかたちをつくってゆく。新生児くらいの大きさのモモンガから──その半分くらいの大きさの……。
「兎……?」
毛皮は白くなく、見慣れたミルキーベージュであるし、前脚のかたちも三つ指のまま、飛膜までついている。顔も愛らしいどころか醜く──その特徴的な長い耳がなければ、とても兎には見えない。
だが、それは確かに魔物のモモンガでもなかった。
ギョロ目の兎は、じっとサワタリを見つめて──。
「ご主人、食べてくれ」
微笑み、そして。
兎は──モモは、焚き火の中に飛びこんだ。
「──っ」
反射だった。サワタリは焚き火の中に手を突っこみ、兎を──モモを引っぱりだす。水袋を頭の上で開けると、毛皮を焼いていた火はすぐに消え、ほっとした。
「なにをやっているんだ、おまえは!?」
「ご主人こそ、なにをするんだ!?」
びしょ濡れのモモを、タオルでくるむ。嫌がって身を捩り、なおも火に飛びこもうとするモモを押さえつけ、強引に体を拭く。
「おれは……っ、ご主人に、肉を、たべて、ほし……」
つぎからつぎに涙が溢れ、拭いても拭いても濡れてしまう。サワタリはため息をつき、モモの鼻水を拭う。
「おまえ、
「……? 云ってなかったか?」
「おまえができることは、体当たりと噛みつくことだとしか聞いていない」
「変げなんか、戦闘の役に立たない……」
「まあ、へたくそだしな」
くっと笑う。さっきのブサイクな兎を思いだし、サワタリは笑った。
「おまえの化けた兎、まずそうでとても食えない」
「えっ、そうなのか」
「そうだよ」
「そうなのか……」
しょんぼりと背中をまるめるモモは、綺麗な音をたて、兎もどきからモモンガのすがたに戻る。
「はじめてご主人の役に立てると思ったんだ」
これは、本気で俺の食糧になるつもりだったのだ。従魔とは、主のためにそこまでするものなのか。……そうだ、これは俺の従魔だった。だから。それで。どうして俺の胸はよじれたようになっている。サワタリはモモにタオルをかぶせたまま、薪をくべる。盛大に煙りが出て噎せたが、この調子ならば朝まで燃えつづけてくれるだろう。
「寝るぞ、モモ」
「……はい、ご主人」
サワタリは手持ちの衣類をありったけ着こみ、ケープで鼻まで覆う。焚き火も消えずに燃えつづけていたが──気温は下がってゆく一方だった。……寒い。体が震え、床の灰が舞う。全身の体温が下がっていることを、まざまざと感じる。
「モモ」
声がかすれている。だが、従魔はぱっと起き、サワタリの傍にちょこちょこと歩いてくる。
「はい、ご主人」
「俺の首の上に乗れ」
モモは云われたとおり、サワタリの首の上に寝そべる。──やはり、暖かい。首には太い血管が通っているから、そこを暖めると効果的なのだ。
「ご主人の、とくとくが、ゆっくりだ」
とくとく、とは脈のことか。──呼吸も弱くなっている自覚がある。意識が飛び始めた。眠ってはいけない、とぼんやり思う。思うだけで、抗うだけの力がない。朦朧とする……俺はなにをしているのだろう。なにを、云うのだろう……。
モモ、と呼ぶ。はい、ご主人、とモモが答える。
「俺は、男を殺したい。女に加害する男たちを、この世から、殺し尽くしたい……」
首が暖かい。着こんだ腹より、焚き火に当たっている背より暖かい。
「男を殺す。殺して、殺して、絶滅させる。叶わぬ夢というやつだ……」
「おれも男だ。ご主人は俺も殺すのだろうか」
「おまえは魔物だろう」
「おれを殺さない?」
「魔物も、男が女を加害するのか?」
「しない」
モモは頬をサワタリの頬にすりよせる。
「ご主人、とくとくがはっきりしてきた。話しをするといいんだな!」
「そうか、俺は回復しているのか」
サワタリの回復が嬉しいらしい、モモは懸命に話しをつづける。
「魔物の女は子を産まない。魔物を産むのは天だ。だから、人間みたいに、男が女に執着することはない」
「人を食うことにしか執着がないか」
「そんなかんじ。人肉の取り合いでけんかしたりするけど、男も女も同じくらい力が強いから、対等に殺し合う」
「なるほど。それなら──やはり、俺はおまえを殺さないな」
モモが微笑む。
「へんなの」
猛吹雪の山中で、貧相な寝床に一人と一匹。
「人は魔物だからおれを殺すのに、ご主人は魔物だからおれを殺さない」
ささやくような笑いごえが葉のすきまから溢れ、白い獰猛な雪へと融け消えてゆく。
首が暖かかった。
だから、気づいた。首のほかにも暖かいところがある。腹。胸。背中。ひどく鈍った体感ではあったが、サワタリはそれを自覚した。
同時に、眼を見開いていた。
「ご主人、起きた!」
頬に頬をこすりつけられ、サワタリは腕を伸ばす。ぎくしゃくとした動きでも、モモを摘まんで剥がすことはできた。
「その子に感謝するんだな。私たちはふだん、男なんぞ助けん」
サワタリは眼を動かす。傍に膝が見えた。焦げ茶の衣服はもったりとしていて、靴下も靴も同じ毛皮でできているらしく、やはり膨張している。肥満体の男か、と思ったが顔を見て改める。顔の輪郭をぴったりと覆うフードを被っているが、若い女性ということは判った。
「貴女が……俺を助けたのか?」
「私が駆けつけた時は、重度の低体温症で昏睡状態だった。命があったのは、その子が私を呼んだからだ」
「その子とは、こいつか?」
「女の子だと思ったんだ」
着ぶくれた女性は笑った。
「猛吹雪で停止していたら、犬たちが騒ぎ始めた。何事かと起きだしてみれば、女の子が犬をかき分け、中で寝ていた私を呼んだ。よく見れば男の子だったし──もっとよく見れば魔物だったという、面白い体験をさせてもらった。その礼だよ、おまえを助けたのは」
まだ頭ははっきりしないが──サワタリは摘まんだままのモモを見る。
「おまえ、人に変げしたのか?」
「うん」
こくりと頷き、モモは首をかたむけると──綺麗な音をたて、変げした。
「な、女の子のようだろう」
女性が笑う。たしかに──
ミルキーベージュの髪は肩に届くくらいで、ハーフアップにしている(この髪型だけで、既に少女と見紛う)。瞳もモモンガの時と同じくばかでかく、黒い。手足は人の比率を間違わず、モモンガであるときよりもずっと長いが、細い。華奢な少女のような──少年。
「雪の中に、人の匂いがした。でも、魔物のすがたで行っても追い払われるか殺されるかだから……兎に化けたのを思いだして、人に化けたんだ」
「おまえは何重にも運が良かった。この山に入る者など、私たちくらいのものだし、私たちとて行き来するのは月に一度だ」
着ぶくれた女性に、サワタリは頭を下げる。
「礼を云う」
「礼ならその子に云え。モモというのか?」
「うん、おれはモモというんだ」
綺麗な音がした。と思うと、ハーフアップの少年のすがたは消え、首にぬくもりが戻ってきた。
「もう復温ショックの危機はないが──モモはそこで首をあたためていろ」
女性はサワタリを包んでいた毛皮を取ると、なにかを外した。
「それは何だ?」
「温石だ。蝋石を焚き火の中に入れ、暖める。それを布でくるんで、おまえの体幹に置いた。四肢を加温すると末梢の冷えた血が心臓に逆流して、ショックを起こすからな。だが、もういいだろう。意識も清明だし、脈も呼吸も戻っている。だが──そうだな、どうせ町まで行くから、おまえをそりに乗せてやってもいい」
「それは助かるが……あいにく手持ちが全くない。これは対価になるだろうか?」
未だよく動かぬ手で、サワタリは袋から玉を取りだす。
「貨幣の方が良ければ、町のギルドで換金する」
「私は、チビタス・ムリエラスの女だ。誇り高き女の意志を、金で腐すな」
眼をつり上げ、女は腰に手を当てる。凜とした表情に、堂々とした佇まい。確かに、町の女たちとは雰囲気が違う。
「チビタス・ムリエラスというのが、貴女の町か?」
「知らないのか?」
「知らん。俺は無知なんだ」
「
「幻し?」
「
きっぱりと云って、女はそりを引き摺ってきた。大量の毛皮が載っている。女性の着ている衣服にも使われている、分厚い毛皮である。女性はサワタリの体をその毛皮の間に押しこみ、ロープでそりに縛りつけている。このそりは、もともと物資を載せるために引いてくるものだという。行きは売り物である毛皮を載せ、それを売った金で、北辺では手に入らぬ物資を買い集め、積載し帰る。女性は更に北にある彼女の町から、物資の豊富な町へと、買い出しのため月に一度ほど往復をしており、その途次で、死にかけていたサワタリを助けてくれたらしい。つまり──女性が指揮する犬ぞりに引かれ、サワタリが運びこまれた町は、彼女の誇る都『チビタス・ムリエラス』とやらではなく、街道を行った先にある平凡な町だった。
充分に保温され、更に暖かいスープまでご馳走になっていた。体はほぼ元どおりに動くようになっている。指を凍傷でやられることもなかった。サワタリは女性に頭を下げた。隣りでモモも懸命に頭を下げている。女性は笑って手を振った。
早く帰りたいからと、女性はあっさりと去った。サワタリも、通常のモードへと切り替える。先ずはギルドに行き、魔物の耳と採取物を提出した。果たして玉がかなりの金になった。これでまた充分な装備を調えることができる。早速物資の補給に市場へと出向いた。
「温石に使うのは蝋石といっていたな」
「あったかい石だな!」
市場で見てみれば、然程値の張る物ではない。それらを買い求め、寒さに対する盤石な体勢をつくってゆく。
それから、飯と酒だった。食堂に入り、モモを肩から下ろす。モモはいつからか、サワタリの周りを浮遊するのでなく、肩に乗って移動するようになっていた。頭と前脚をまえに出し、腹をサワタリの肩にのせ、尻と尻尾をうしろに垂らす。首が暖かいからいいか、と放っておいたが、さすがに食事の時はじゃまである。両手で抱き、膝の上にのせる。飯屋の主人は魔物を見てぎょっとしていたが、ピアスを見せ証明するのも慣れた。おっかなびっくり料理と酒を運んでくる主人は、サワタリの膝の上に立ち、小さな手で懸命に飯を食う魔物の姿にほだされたらしい。そいつはなにが好物なんだ、と訊かれたから、蜜だ、と答えると、平皿にいっぱいの蜂蜜をだしてくれたのだ。
いそがしく皿をなめるモモと、同じくらいいそがしくサワタリも飯を腹に入れた。前の町を出てから、携帯食を限界まで節約しながら食い延ばしてきた。削れた体力を取り戻すことも大切だったが──素直に腹が減っていた。あの温泉の町の麦酒に比べれば劣るが、美味い酒があった。寒冷地でも穫れるじゃがいもを原料とした蒸留酒だという。やわらかいパンも久しぶりならば、新鮮な野菜もいつぶりだろう。大いに飲み、食らい、腹がくちくなったところで、皿をなめ終わったモモを肩に乗せた。
飯屋を出て、宿を探す。サワタリは食堂も宿も町外れを選ぶ。結界すれすれの荒んだ土地を、気にすることもなく歩いていたが──ふと、通りがかった宿のまえで足を止めた。
「モモ、おまえ人に変げできるんだな?」
「できる」
「今、できるか?」
「命令してくれ」
「人に変げしろ、モモ」
「はい、ご主人」
綺麗な音ともに、ふわりとミルキーベージュの髪が靡いた。並ぶと背丈はサワタリの肩ほどもない。小さくて細いのに、眼ばかりが大きい。なるほど少女と見紛うが──よく見れば、ちゃんと男の骨格をしている。
「十二……十三歳くらいか」
「ご主人はしつれいだな。おれは十八歳だ」
ふんと胸を張る魔物は──果たして人と同じような歳の取り方をするのかは疑問だが。十八歳とは、思ったよりも歳を食っている。新生児サイズの体に、幼げな言動をするから、もっと子どもだと思っていた。十八ならば、冒険者としてギルドに登録もできる。
「おまえ、人に化けるのは上手いんだな」
兎はたいへんブサイクだったのに。
「……そうでもないんだ」
「そうか? どこもおかしくないぞ」
「これしか化けられない」
「は?」
「色んな人間に化けようとするんだが。ええと、子供だったり、老人だったり、女だったり……でも、どんなに頑張っても、このすがたになるんだ」
「なるほどな」
人には化けられるが、この眼の大きな少年……もとい青年のすがたしかとれないらしい。
「おれは変げもへたくそなんだ……役立たずですまない、ご主人」
「そうでもない」
意気消沈しているモモを連れ、サワタリは宿に入る。いつもならここで、魔物のすがたに喫驚されるのだが──。
「お二人さまですね。南向きの、良いお部屋が空いておりますよ!」
宿屋の主人はさらりと二人を宿に通してくれたのだ。
「おまえ、町では人のすがたでいろ。便利だ」
実際、町で過ごす時、モモを人間に化けさせるのは良い手だった。ピアスを見せることで証明はできるが、従魔の存在をすぐに飲みこめる者は殆どおらず、いちいちギルドへ確認されるものだから、とかく時間がかかる。モモが人に化けさえしていれば、むろん町人はモモを人として遇するから、証明だ確認だといった手間が省けるのだ。
そして、モモの変げのスキルが一番役に立つのはこれであるという結果になった。
一番、というか、唯一、というか。つまり他のことに関しては──てんでだめだった。
サワタリは戦闘でこのスキルが活かせないか考え、高位の魔物に化けることを命じてみた。モモンガなどとはレベルが違う、
ならば、サワタリの戦闘の補助はできまいか。サワタリはナイフを武器とする。闇と呼ばれる町の鍛冶師にしか造れぬ特注のもので、補充に難儀しているため、モモがナイフに化ければそれが解消されると考えた。しかし──モモが化けたナイフは、ブレードから耳がとびだし、グリップに長い尻尾がついていた。……見た目がどうあれ、と気を取りなおしモモナイフで刺突を繰りだしたサワタリであったが──魔物の喉を貫くはずだったそれは、ふにゃんと曲がった。サワタリは無表情に、モッズコートの内側からいつものナイフを取り、左手で捌いた。
……つまり、そういうことである。モモの変げのスキルは、戦闘の役に立つことはなく──町に入る時、人に化けることくらいしか使い道がなかった。
しょんぼりとしているモモに、サワタリは云った。
「俺がテイマーでない、素人だからだろう。使いようによっては、便利なスキルだろうにな」
「なぐさめはいらないんだ、ご主人。ご主人の役に立ちたいのに、迷惑をかけてばかりでごめんなさい」
「役に立っている。おまえが人に化けてくれるおかげで、俺は身ぎれいになったらしい」
サワタリが身ぎれいになったと評されるのは、二つの理由がある。長身で赤い眼、ハリネズミのような髪をしたサワタリは、一言で云うと怖い。ひとりで歩いていると大抵遠巻きにされる。だが、隣りに小さくて可愛らしい青年がいると、その雰囲気が緩和されるらしい。それから、身の回りのことである。いつでも着たきりのモッズコート姿であるサワタリは、ナイフの手入れは怠らずとも、服の洗濯などには頓着しない性だった。ところが人に化けたモモが、サワタリが湯を使っている隙に、モッズコートからインナーから下着まで全て洗濯してしまったのである。裸で寝るのは構わなかったし、モモンガの小さな三つ指の手よりも、ずっと器用に動く人の五指の手で洗われたモッズコートは、内側に装備したシースの配置を乱すこともなく──つまり、上手に洗われていた。
他にも、サワタリの手の爪をやすりで磨いたり、伸びすぎた髪を切りそろえたり──モモはサワタリの身の回りの世話をするようになった。おかげで、サワタリは身ぎれいになったというわけである。
「温泉で俺の体を拭くと云った時には、日が暮れると思ったが」
「人に化けたら、ちゃんとできるんだ。うれしい」
「うれしいのか」
「ほんの少しでも、ご主人の役に立てるのなら、おれは、変げができてよかったと思う」
好意の一ミリもない──どころか嫌悪すべき相手でさえ、主人であるのならばここまで尽くせる。
嬉しそうにサワタリの世話をするモモを、哀れとは思わないが。主従というシステムは残酷だと、思わないでもない。
モモは命じられるまま、町に着くと人に化け、人のふりをして過ごす。それにすっかり慣れた頃、ノルマリスという名の町に着いた。いつも通り、物資の補給をし、食事をし、宿をとる。武器を手に見咎められることも、悲鳴をあげギルドへ走られることもなく、スムーズになったものである。
さて、そのまま宿で睡眠を摂って。陽が沈むと、サワタリは宿を出た。町に来た時のルーティンだ。足が向く方へ歩む。すると決まって女の痛切な悲鳴が──。
「私たちの町に──何だって!?」
声に、聞き覚えがある。サワタリは窓の下に屈む。酒屋のようだった。
「だから、お国がよ、不道徳の粛正のために、『女の都』に部隊を派遣したんだってさ」
ばん、と乱暴に扉が開いた。出てきたのは、女だった。分厚い毛皮の衣服は、着ぶくれているように見える。肥満体の男かと思えば、フードから覗く顔は、凜々しい女性のもの。すぐに思いだした。いつかサワタリを助けてくれた──。
彼女は店を飛びだした勢いのまま走る。サワタリも無言で追った。相手に気取られず後をつけることは容易かった。女性は我を忘れ、髪を振り乱し走っている。フードの中の髪は、長い赤毛だった。
軈て町の外れに来た。犬たちの鳴き声。彼女は犬ぞりに飛び乗ると、号令をかけた。綱で繋がれた犬たちが、勇ましい顔つきになる。サワタリは咄嗟にロープを投げた。物資を満載したそりの尻に、ロープが絡みつく。
もう一度、号令。犬たちがいっせいに走りだす。雪煙のなか、そりは猛烈なスピードで走りだす。犬は六頭でそりを引くが、互いを結ぶ綱が絡まないのがふしぎだな、と思いながら。サワタリは自分が使ったロープの処理をした。
肩には、魔物のすがたに戻ったモモが、しっかりとしがみついている。
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