7th. 名を知って、呼んで
モモンガはまだ俺についてくる。
街道を逸れ入った山に、ちょうど良い洞窟があった。動物か魔物の巣穴かもしれないが、構わずサワタリは入った。一つ前の町で男を殺していた。その町の兵士は仕事熱心らしく、犯人捜しに躍起になっており、町を出たサワタリたちを執拗に追ってきた。歩くのが速いのならば、走るとなれば誰も追いつけない──サワタリの脚力でなければ、あの包囲を脱するのは叶わなかっただろう。そんな次第で早々に山に入り、身を隠すのに良い按配の洞窟があったものだから、躊躇はなかった。
洞窟の入り口は、四つ這いにならないと入れないほど狭かったが、中は立って歩けるほどに広い。サワタリは煙りの行方に気をつけながら、火を熾す。食事を用意していると、モモンガが手伝おうと傍に舞い降りてくるが、小さな三つ指の手でできることは殆どない。それでも何かしたがるものだから、ブリキのカップを運ぶよう云う──と、途端にひっくり返した。しょんぼりとうつむくモモンガに、サワタリは焼いた肉を放る。落ちこんでいるくせに、放られた肉を確り握ってもぐもぐと食べている。
「おまえは雑食なのか?」
「なんでも食べる。でも、蜜がいちばん好きだ」
「魔物は人を食わねば生きられぬと聞いていたが」
「肉も食うが、人の魔力を食わねば死ぬんだ。従魔はご主人の魔力をもらっているから、人を食わなくても死なない」
「俺の魔力だと? 俺は
「人は誰でも魔力を持っている。ご主人は、こうしておれに飯をくれる。そういうのが魔力だ」
「魔法で物理をねじるエネルギーとなるのが魔力だろう」
「ちがう。ご主人はおれに寝床をくれる。肩にとまらせて、一緒に歩いてくれる。あと……むりについてこなくてもいいと云ってくれる。そうやって、俺に魔力をくれるんだ」
どうも食い違う。魔物と人とでは魔力の定義が違うのか。
「おれは蜜が好きだが、ご主人はこれが好きなのか?」
両手に握って食べていた肉を見おろして、モモンガがつぶやく。野営では大抵兎肉を食べているから、モモンガも覚えてしまったらしい。
「嫌いではないが。兎は獲るのが簡単だからな。携帯食は節約したいから、こうして道すがら狩れる獲物を食っているだけだ」
この兎も、街道沿いのなだらかな崖で獲った。兎は駆け上がる力はあるが、駆け下りるのはへたくそで、獲りやすい。
「そうだな、俺もなんでも食うが──好物は、胡桃だ」
「くるみ」
「木の実だ。この辺りは大分寒いから、野生のものを採取することはできない。そういえば、随分と食っていないな」
「……ご主人」
うつむいたまま、モモンガは不器用に微笑んだ。
「それを聞いたら、おれは、ご主人にくるみを食べさせてやりたいと思うんだ」
「この辺には生えない木だと云ったろう。町には売っているところもあろうが、とんでもない値段がする」
「おれがご主人にくるみを食べさせてやりたいと思うのは、ご主人の従魔だからだ」
「……何が云いたい?」
モモンガは更に顔を歪め、笑う。
「好きだから尽くしたいんじゃない。嫌いでも、尽くすのが、従魔なんだ」
好意があるゆえに、従うのではない。主従という関係がさきにあり、それに則り、モモンガはサワタリについてくる。嫌いなのに、胡桃を食べさせてやりたいと思うことを止められない。
それでも、この魔物は──。
「……、」
しかし、サワタリはそこで思考を杜絶させた。瞬間に洞窟を飛びだし、モッズコートのシースからナイフを引き抜く。
忠実にサワタリについてきたモモンガは、きょとんと大きな眼を瞬かせている──その顔が、強ばった。俺の従魔も、それを見た。
「マニュムタイガーが、二頭か」
出現したのは、鋭い牙を持つ四足歩行の魔物だった。隆々とした筋肉が盛りあがり、鋭利な爪が地面を掻きむしっている。背後の洞窟は、この魔物の巣であるようだった。
マニュムタイガーは単体行動をとる魔物だ。それがペアで、サワタリたちを挟み撃ちにしようと──つまり連携して動いている。──おもしろい。
サワタリはモッズコートの内側に手を入れる。左手の指の間に挟んだのは、四枚のナイフ。
「ご主人」
張り詰めた緊張感を破るような、幼い声。このモモンガは、少年のような声をしている。
「おれはご主人のことが嫌いだ。でも、ご主人にくるみを食べさせてやりたい」
モモンガが、ぶるりと震えた。飛膜をひろげ、ぶわっと飛びたつ。サワタリの隣りで構えて──。
「ご主人、命令してくれ!」
「は?」
「おれは戦う。ご主人の命令で戦う従魔だ。……おれは、従魔なんだ!」
はじめて命令をしたとき、これは、うれしそうにしていた。だが、違うのだろう。これは、こうして、冒険者の戦闘を助けるための命令こそを欲しがり、そのために苦難の冒険に耐え、やっと人の従魔になれた……。
「……そうだな。では、命令をしようか」
今にも飛びかかってきそうな魔物を、気迫で押さえこみつつ。サワタリは、そういえばと首を傾ける。
「おまえ、体当たりしかできないのか?」
「しつれいだな! 噛みつくこともできるぞ!」
……九割方そうなるだろうと思ったが。
前方のマニュムタイガーに体当たりを命じれば、固い筋肉にはじき返され、後方のマニュムタイガーに噛みつけと命じれば、逆に太い牙にかかりそうになり──なにしろマニュムタイガーとモモンガでは体格から違うのだ。マニュムタイガーは一口でモモンガを丸呑みにできる。──危うくその口に含まれ、噛みつぶされるところだったモモンガを、ひったくる。そのままモッズコートのなかに入れ、サワタリは跳躍した。
一、二、三、四。数える間もなく、マニュムタイガーの目玉にナイフが突き立っていた。
両目を潰され、もんどりうつ二頭の心臓を、サワタリは正確に刺した。心筋を破るイメージで、ぐいと切り裂く。ぬるい血が手と顔を濡らした。
マニュムタイガーの死体から、耳を切り取って。それから、目玉に刺したナイフを抜く。すべてのナイフを回収し、洞窟の焚き火の傍にもどる。火はまだ赤々と燃えている。湯も沸かしていた。それで顔と手を拭い、それからナイフの手入れにとりかかろうとしたのだが。
「……ああ、忘れていた」
モッズコートのまえを広げる。モモンガはおとなしくサワタリの胸にしがみついていたが──おとなしいというより、うなだれているのか。
「……おれ、役立たずで、すまない」
「モモンガとスライムは、どちらが強いんだ?」
「モモンガだ! スライムより……ちょっとだけ強い」
「スライムの次に弱い魔物なのか、おまえ」
しょんぼりと耳を垂れたモモンガが、ぼそぼそと明かす。
「スライムよりましだと云われるのは、モモンガは飛べるからなんだ。それ以外は、スライムと戦闘力は変わらない」
スライムといえば、それこそ最弱の魔物として有名である。特に鍛錬をしていない普通の大人でも撲殺できるほどに弱い。冒険者にとっては経験値にも金にもならないスライムと同程度の戦闘力とは──それは。
「だから、モモンガなんかを従魔にする人なんていない。おれ、たくさんの
それで、従魔契約を強行できるアイテムを取るため、ダンジョンに挑んだのか。
「……うそなんだ」
「嘘?」
「ほんとうは、スライムのほうが人気がある。スライムは育て方によってはとても強い魔物になるって、偉いテイマーの人が発見した。あと、可愛いって。人が可愛いって思うのは、スライムみたいなのなんだろう?」
サワタリはモモンガを見おろす。ぎょろぎょろと飛び出た眼が特徴的である。細く小さな腕と足の間に飛膜が垂れていて。背はミルキーベージュの、腹は白い毛皮に覆われている。新生児くらいの体長に、同じくらいの長さのある尾が生えていた。
一対で顔の半分ほども占める大きな眼球に対して、鼻と口は小さく押し詰まり、なんともバランスが悪い。腕からびろびろと垂れる飛膜には毛が生えていないため、血管が透けグロテスクである。顔は不細工で、体は気持ち悪い。なるほど、お世辞にも可愛いとは云えない見た目をしている。
「そうだな」
磨いていたナイフに眼を戻し、相づちを打つと、モモンガはますます小さく縮こまる。
「……やっぱり、ご主人も、
「それは、おまえだろう」
腕の間から、そろりと顔をあげる。モモンガの大きな眼がサワタリを見あげる。
「そもそも、魔物にとって人は食い物でしかない。だがおまえはその食い物に従属したがった。おまえは人を食い物と見ていない。それを覆したのは、ともに冒険をすることへの憧れか? その前提として、おまえ、人が、好きなんだろう。だが、俺は人を殺す。惨殺する」
「……」
「おまえは、俺が町で人を殺している時は、酷く暗い顔をしている。吐くし泣く。だが、町の外に出て、魔物との戦闘になると生き生きとする。おまえが従魔となってやりたかったのは、大好きな人間が無惨に殺されるところを目撃することでなく、勇敢な主人の命令でともに戦い、或いはダンジョンを攻略したり、困っている者を助けたりすることなのだろう」
「……」
「従魔だから、と祈るようにおまえは云う。そのたび俺は……俺も、……」
サワタリはふと口端をもちあげる。ナイフの手入れをしていた右手が、いつの間にか胸を押さえていた。
「おまえ、俺との主従契約を解消しろ」
「……」
「従魔の珠とかいったな。あのアイテムは、やりなおしができるのか? できるのなら、今度こそ冒険者と契約しろ」
「……」
「モモンガを従魔にしたい者はいないと云っていたが、俺がギルドに問い合わせてみる。テイムのスキルを持たない者も従魔を得られるというのならば、モモンガとて欲しがる冒険者はいるだろう」
「……」
胸を押さえていた手を、のばす。モモンガの背に手のひらをおき、そっと撫でた。
「もう、いい。おまえはちゃんと、俺の従魔だった。だから、もう、いいんだ」
「……っ」
サワタリは──すこしだけ、驚いた。モモンガが、泣いていたのだ。
「おい……」
「おれは、ちゃんと、ご主人の従魔をできていたのか?」
うなずき、もう一つ、モモンガの背を撫でる。
「おまえは、いつも性被害者に寄り添ってくれる。それを見ていると、俺は、おまえにそれを命じたことを、良かったと、──いつも、思う」
性被害者に寄り添え、という命令よりも、前方の魔物に体当たりをしろ、という命令のほうが、欲しかっただろうに。おまえはずっと、俺の最初の命令を叶えつづけてくれている。どこの町に行っても、何人の性被害者が出ても、そのひとりひとりに寄り添い、彼女らを癒やしてきた。
そんなことに、サワタリは興味がなかった。性加害者を殺すだけの装置、それが自分だと思っていた。それなのに──重たく悲しい傷を負った彼女たちに寄り添うモモンガの──従魔のすがたを見て、抱いた気持ちは、もうふしぎなものではなくなっていた。
「おれは……おれは、モモというんだ」
唐突にモモンガが云う。涙声で、よく聞き取れない。
「モモ?」
聞き返すと、モモンガが──ひどく、うれしそうに笑った。
「おれの名まえ、呼んでくれるのか?」
「モモ」
ミルキーベージュの背中が、ふんわりとする。眼をぎょろぎょろとさせ、モモンガはサワタリの手に頬をこすりつける。
モモンガだからモモ。安直な名まえだな、とぼんやり思う。
「ご主人の名まえは、なんていうんだ?」
「サワタリ」
モモ、の背を、サワタリは撫でる。──違う。これは癖のようになっていたからだ。背をふるわせ吐くモモの背を撫でるのが、癖になってしまっていたから、つい今も撫でてしまった。
「ご主人と呼ぶのと、サワタリと呼ぶの、どちらがいいだろうか?」
どちらでもいい、と気のない返事をしたのは、モモをあたりまえのよう撫でる自分の手に──困惑していたからだ。
「ではご主人と呼ぶ!」
勢いよく宣言したくせに、モモはうつむき、もじもじと云う。
「ええと、じゃあ、あの、ご主人」
「なんだ?」
「ご主人って呼ぶ練習をしてるんだ!」
「おまえ、今までもそう呼んでいただろう」
「ご主人は、おれのこと、モモって呼んでくれなかったからなんだ」
「……俺のせいなのか?」
「うん」
にんまりと笑うモモの、額をつついてやろうと思ったが。かれの背を撫でていた手は、困惑で固まったまま動かない。どうしたものかと思っていたら。
「……、」
モモが自ら、サワタリの手のひらに、おずおずとくっついて。
「……、」
不器用に頬をすり寄せてくるのを──サワタリもまた不器用に、撫でていた。
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