4th. 公衆便所
公衆便所は縦長の造りで、個室が二つ並んでいた。
手前の個室は、便座が濡れ強烈な尿の臭いがした。奥の戸を開けると──そこに、男がいた。
髪を掴み引き摺られ、便器と壁の間の狭いスペースに押しこまれた。その時、頭と背中をしたたかに打ち、一瞬意識が飛んでいる。気がつくと、男が私の衣の裾をまくりあげていた。腰紐は既に抜かれ、床に放られている。男の芋虫のような指が、私の下着にかかった。私は──動けなかった。男の形相が、ふつうではなかった。血走った眼。荒い息づかい。引き摺られたときに抜けたのだろう、髪の毛が何本も床に落ちていた。男の暴力に、私の体は竦みあがり、抗うどころか悲鳴一つあげられない。男の指が私の胸にめりこんでいた。やはり、芋虫のようだと思った。ブサイクな指。ブサイクな顔。乳房を力任せに揉まれ、痛みに呻いた。芋虫が私の口を塞ぐ。臭い。汗と垢の臭い。恐怖と嫌悪と恐怖と嫌悪と恐怖と嫌悪と──ぐちゃぐちゃになった感情が、いきなりすぽんと抜けた、ように感じた。男の指が私の足を広げている。赤黒い男性器は、私が今まで世界で見た物のなかで、一番醜かった。醜悪なそれが、私の女性器を犯した。ぶつりと股が裂けた。涙を流す私に、男は笑った。「初めてなのか?」「どうだ?」「おまえ、感じているな?」「処女のくせによがりやがって!」臭い息を吐きながら、男は腰を振る。男が射精したのかどうか、よく判らなかった。ただ、何度かのけぞっていたから、私の腹はこの男の子種で膨れたのだろう。妊娠、と頭によぎった言葉に、ぞっとした。精液を掻き出さねば。だが、どうしても、自分の手で、自分の膣に触ることができなかった。──男は、いつの間にかいなくなっていた。
私は便所で動けずにいた。軈て誰かが便所に入ってきた。私は、助けて、と叫んだ。かすれた声しか声しか出せなかったが、反応があった。誰かが個室に入ってくる。助けて。叫ぶ私を、壁に打ちつけた。男のズボンは下ろされていた。そう──入ってきたのは男だった。私の衣はめくれあがったまま、下着も取り去られたままだった。男は血だらけの私の女性器に、あのおぞましい肉塊を突っこんだ。
その後、私が助け出されるまでに、便所を訪れたのは、男が二人、女が一人。つまり、計四人の男に私は犯された。最後に来てくれたのが女で、そこでようやく、私は便所の外へと連れだしてもらえた。
助かったのだ。私は男たちの顔を見ていた。だが、男たちは私を殺さなかった。それは、『道徳』があるからだ。なにごとも男が正しく、女が悪い。強姦された私が悪くて、強姦した男は悪くないから、奴らは私を殺さなかった。
──殺されていればよかったと。私は思う。
性被害者としてサバイブするのは、強姦されている最中と同じくらい苦痛だった。
私が強姦されたことは、すぐに町中に知れ渡った。兵士が聴取に来た。男だった。兵士は行為の様子をしつこく
「あんたは抵抗しなかったんでしょう? それは性行為に同意があったということです」
同意なんかなかった! 私はむりやりあの汚物を膣に入れられ腹の中に汚物をぶちまけられたんだ!
──そんな訴えはむだだった。兵士は私を見て、薄ら笑った。
「あんた、大層よがっていたらしいじゃないですか。初めてだったのに、気持ち良い思いができて、よかったね」
兵士は、先に男から聴取をしていたのだった。
男は──男たちは、私を犯した話しを肴に、酒を飲んでいるらしい。それを聞いた男たちが、またその話題で盛りあがる。その声は私の耳にも間断なく入ってきた。
「女が一人で外を出歩いて、あげく便所に入るって。襲ってくれってアピールにしても、やりすぎだよなあ」
女も外で安全に排泄ができるように、昔は便所が男女別だった。そうして当たり前に、女が自由に外を出歩くことができた。
「女を喜ばすために、俺らは正しい知識をもって頑張ってんだよ。生理になるほど感じてるくせに、痛いわけーだろっての」
快感があるから生理になるなんて『知識』が、『正しい』とされている。女の体のことは、女が判じる、女が決める──そんなことすら禁じられる。
「男だからって警戒されると傷つくなあ。つか、男が皆おまえを襲いたいとでも思ってんの? 自意識過剰じゃない?」
男だから警戒するなんて差別だと、差別は許されないのだという道徳。
私の叫びを踏みつけるマンスプレイニングは止まず。強姦されて一週間後、私の排泄は止まった。
食べても飲んでも吐き戻していて、排泄するものがなかったということもあろうし、便所という場所で襲われたためでもあろう。便所に行こうとするだけで、髪を引き摺られた痛みが、鼻を衝く体臭が、芋虫の指が、どんな物よりおぞましい赤黒い肉塊が私の女性器を犯すさまが思いだされ──いいや、思いだす、などという生やさしいものではない。私は強姦されている最中に巻きもどるのだ。そうして私は、何度も強姦された。
ご飯なんて食べられるわけがなかった。酷い動悸が起こっては胸を掻きむしり、嘔吐した。眠れず、泣き叫び、過呼吸に苦しんだ。外出どころか、体を洗うことも、着替えることすらできなくなった私は、毎日をベッドの上で過ごした。排泄が止まっていたから、ベッドを汚さずに済んだことだけが、よかった。
大便でベッドを汚さずに済んでよかった。そう思ったとき、死にたくなった。
強姦された記憶をリプレイし続ける毎日。強姦された私が悪いと云いたてられる毎日。動悸に嘔吐に不眠になんでもない時に止まらなく涙にのたうちまわって苦しんだ。苦しい。もう嫌だ。死にたい。死にたい。死にたい。
──死ねばいいのに。
同じくらい苦しんで死ねばいい。私を襲った男たちも。私を詰った男たちも。何で笑ってるの? なんで自由に外を歩いてご飯をお腹いっぱい食べてまた女をレイプしているの? おまえらが死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ。
「死んだらしいんだ」
誰の声。私の脳は壊れてしまったから、また幻聴だろうか。
「おまえに死体を確認してほしいと、兵隊さんが来とる。起きられるか?」
壊れていても、男の声なんか聞きたくなかった。男の声──これは、父の声だった。
「兵隊さんはお急ぎでいらっしゃる。わしが抱えてでも──」
私を抱えようとした父の手を、私は振りはらった。男に触られるとまた吐く。
「行くわ」
嗄れていたが、声は出た。私は寝間着に上着を羽織り、靴を履いた。歩けることが、ふしぎだった。だって──あの男が死んだというから。それは見に行かなければ。
現場は酸鼻を極めていた。一緒にいた父は、道の端にえずいている。私は淡々と歩いた。靴になにかが当たった。芋虫が五匹死んでいた。──違う。芋虫のような指。それはあの時、私の髪を掴んだ、胸を揉んだ、女に加害した男の手だった。
腕がごろりと、転がっていた。切断面から噴きだしたと思われる血が、辺りを汚している。腕だけではない。足も丸太のように放られている。
「二週間前、あなたと性行為をした男性に、間違いありませんか?」
男は、両腕と両足を切り離され、頭と胴体だけの間抜けな姿になっていた。やはり、芋虫だと思った。短い芋虫だ。芋虫は、なにかを飲みこんでいた。円柱形で、鉄製だろうか、日光を照り返し光っている。
「これは、なにを飲んでいるの?」
「特殊なナイフですね。ここからは見えませんが、先端が刃状になっていて、男の喉をいたぶっておるのです。即死どころか、死ぬまでの時間を最大限引き延ばされている。この状態で死ぬまで放置されるとは……かわいそうに」
かわいそうに、なんて。あなたは強姦された私に一言だってそんな言葉は云わなかった。
「口にむりやりこの太いのを押しこまれ、苦しみぬいて死んだのね」
私は思いださずにいられない。あの赤黒い世界一醜悪な男性器と似ているところといえば、太い円柱のかたちだけだけれど。私が犯された気分を、この男はほんの少しくらい味わったんじゃないだろうか。それは──。
「胸が……」
私は胸に手を当てた。兵士がにやついた。
「凄惨な現場ですからね。しかもあんたはこの男性と性行為をするほど親しい仲でいらした。ショックを受けられても仕方がありません。──確認が取れましたので、もう帰ってもよろしいですよ」
私は側溝にうずくまったままの父をおいて、家に帰った。
上着と靴を脱ぎ、ベッドに横になる。胸に手を当てる。男の死に様を思い浮かべる。胸が──。
その日の夜、枕元に置いてある水差しから、水を飲んだ。吐き戻すことはなく、私は眠りに就いた。
翌日も、兵士が来た。兵士の顔は青ざめていた。私は上着を羽織り、靴を履いた。父はもう着いてこなかった。三人の男の顔を確認した。あの日便所に来た男たちだった。強姦され助けを求めた私を、二度、三度四度強姦した。そのどれもが、両腕と両足を切断され、太い短い芋虫となり、口いっぱいに太いナイフを飲みこまされ死んでいた。胸が──。
その日の夜、私はミルクを飲んだ。吐き戻すことはなかった。私は眠った。
翌日は、兵士は来なかった。だが、家の外は騒がしかった。私のところに来た兵士以外にも、数人、同じ制服を着た男たちが蠢いている。そんな日が数日続いた。
相変わらず強姦された時の記憶に、巻き戻される。動悸も過呼吸も治らない。いきなり涙が止まらなくなり、相変わらずベッドから起きあがれない。だが、胸が──。
私はある朝、水を飲んだ。起きようと思った。短い芋虫となった男どもが、太いナイフを飲まされ死んでいる。その風景を思いだすと、ベッドから下りることができた。私は家の外へと出た。
兵士たちが緊迫した顔で、右往左往している。まただ、何人目だという怒号が飛び交っている。私は酒場に入った。
酒場の中は、暗かった。いや、灯りはあった。人の顔が暗いのだ。私を見て、殆どの者が眼を逸らす。眼を逸らさなかった若い女性のテーブルに、私は向かった。
「ここ、いいかしら?」
私が向かいの椅子に座ると、女性はにっこりと微笑む。暗い顔をしているのは男だけなのだと、私は知っていた。
「この頃、騒がしいわね」
「いい気味よ」
女性は声を潜めることもせず云った。男が何人か振りかえり──だが、怯えたよう眼を逸らす。
「いい気味? なにがあったの?」
「あら、あなた知らないの?」
「臥せっていたの」
「顔色がよくないわ。ねえ! この子に暖かいお茶を淹れてあげて!」
厨房に声をかけ、それから彼女は私に云う。
「男が殺されているのよ」
「……便所で女を強姦した男たちね」
「それだけじゃなくて! 実際、この酒場なのよ。ここでその事件のことを肴に盛りあがっていた男たちも、次々に殺されているの!」
「まあ……そうなの」
お茶を運んできた酒場のマスターが、露骨に顔を顰める。
「おまえたち、なにを嬉しそうに話してんだ!? 人が死んでいるんだぞ!」
「なによ、強姦された女性は、死ぬよりもつらい思いをしているんだからね!」
「ちょっと触られたくらい、なんだ! そうやって、大げさに女が喚くから、男がわからせてやろうとしただけだろうが! 何も悪いことはしてないってのに!」
「……知らないわよ」
声高に云い合っていた女性とマスターだが──女性の方が声を低くした。
「そんな風に、男が正しい、女が悪いって云っていたら──あんたも殺されちゃうんだわ」
「……っ」
マスターは舌打ちし、だが急に眼を細めると、周りをきょろきょろと見渡しはじめた。俯いた客たちは──男たちは怯えた顔をしていた。
(この男も、芋虫にされて、太いナイフを飲まされ、死ぬのかしら)
だって、死んだのだ。
女が外を出歩くことは、襲ってくれというアピールだと云っていた男も。
女を喜ばすために、俺たちは正しい知識をもっていると云っていた男も。
男だというだけで警戒するな、女の自意識過剰だと云っていた男も。
みんな死んだ芋虫にされて太いナイフを飲まされて死んだのだ!
(胸が──)
私は胸を押さえ、正面に座る女性に微笑んだ。微笑みがかえってくる。私は椅子を立った。
店を出て、家に帰りかけたが──ふと、便所に行きたくなった。町の公衆便所に向かった。
そこで、見た。
便器の上に載っていたのは、短い芋虫だった。涙で醜く汚れた顔は、あの聴取に来た兵士のものだった。私はかまわず進んだ。なにか踏んだ。男の切断された腕だった。他にも落ちている。三つとも踏んでやろうか、と思った時。
かれが、振りかえった。
「……性被害者か」
黒いモッズコート。背が高い。アッシュの髪はスパイキーショートで、ヘアバンドをしている。耳はピアスだらけだが、青い輪のそれがなんとなく眼についた。ひとみが赤いうえに、白目の部分が少ないせいもあり、怖く見えるが──眉はどこか淋しげで。なにより、男が手に握っていたのが、あの丸々と太ったナイフだったので、私はかれに怯えることはなかった。
「私がレイプされたって、知っているの?」
「加害者がいれば、被害者がいる」
「私、死にたいって思った。同じくらい、こいつらが死ねばいいって思った」
「興味がない。俺は、俺が殺したいから殺している」
かれはナイフを無造作に構えた。兵士の顔が歪む。顔を真っ赤にした赤ちゃんのようだ。赤ちゃんって醜いんだ。
兵士の口に、太いナイフがずぶずぶと飲まされる。先端が喉を突いたのか、オエッ、オエッと云っている。だが口いっぱいに含んだナイフのせいで、嘔吐できずにいる。それから兵士が死ぬまで、それなりに時間がかかった。私はじっとそれを見ていた。かれは私ほどの熱心さなどなく、ただ死ぬのを待っているようだった。軈て死体からナイフを引き抜き、モッズコートの内側に仕舞っている。
「行くぞ」
「はい、ご主人」
驚いた。なんと、魔物がいたのだ。町には結界が張ってあるから、平時に魔物は出ない。私の顔を見て、かれは面倒そうに魔物の耳を引っぱった。青いピアスが、きらっと光った。さっきかれの耳に見つけた、青いピアスと同じものだった。
「これは従魔だ。人に危害は加えない」
「人を殺害しているのは、魔物ではなく、あなたなのね」
「……そういうことだ」
かれが微かに笑ったような気がした。それきり、かれは便所を出て行ってしまう──。
「私、おしっこが出なくなってたの」
その背中に、私は声を投げた。
「便所に行くのが怖くて嫌で気持ち悪くて死にそうになっていたの」
かれの肩の辺りに浮いていた魔物が、ふらふらと私の方に飛んできた。
「でもね、男が殺されるたび、胸が──」
私の方に飛んできた魔物は、目玉がぎょろぎょろと飛び出し、手足の間にびらびらした皮がついていて、不気味だった。
「胸が、すっとしたわ」
不気味な魔物は、私の腕にとまる。重さは感じなかった。牙が見えたが、怖くなかった。魔物は小さな三つ指の手を、握りしめた私の拳にあてた。小さいのに、暖かい。魔物の手が、私の拳を懸命に撫でてくれている。
どうしてか、もっと涙が出てきた。しゃくりあげて泣くと、拳にぎゅうぎゅうと力が入った。魔物は私の震える拳を撫で、あやすよう時にぽんぽんと叩いてくれる。暖かい、優しい。いい子。男より、魔物のほうが、ずっといいんだ。
「なにかしてほしいことはあるか?」
「いちばんしてほしいこと、してもらったもの」
「そうか」
「ありがとう……ありがとう……っ」
魔物はもう一つだけ、私の手を撫でてから。ふわりと飛び立ち、かれの傍に浮遊する。
一人と一匹は、そして二度と振り向くことはなく、行ってしまった。
私は便所の個室に入る。便器に乗っている男の死体を押しどけ、下着を脱いでしゃがむ。
しょろしょろと、おしっこが出てきた。二週間ぶりの排泄だった。私は泣いた。
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