3rd. 最初の命令

 今度殺した男は、一人だった。

 男は包丁で女を脅し、犯した。女の首に包丁を当て、服を脱げと甲高い声で云う。女が服を押さえると、一度包丁をおろし、女の顔を殴りつけて。また服を脱げと云う。女は柵にしがみついた。そのか細い女の手を柵からむしり取り、男は彼女の腹を蹴った。床に倒れた女は裸に剥かれ、胸と股を手で押さえていた。男はまた甲高い声で女を叱りつけ、腹を殴った。女は、動かなくなった。男は彼女の両足を掴み、広げ、レイプした。

 その後、男は女に服を着せはじめた。もとのよう腰紐を結んで。女の体を柵にもたせかける。男は女の顔に顔を近づけ、キスをする。女が最後の気力をふりしぼるようにして、男の体を押しやる。男の甲高い声。包丁を首に当てられ、動けなくなった女に覆い被さり、男は執拗にキスをした。それから男は、右手に包丁を握ったまま、左手で女の手を握る。女を立たせると、手を握ったまま歩きだす。家畜小屋を出て、彼女の自宅らしい家屋まで、歩く男の足どりは弾むようで。陽気に女に話しかけ、甲高い笑い声をあげていた。女がふらふらと家に入るのをねっとりと見送り、手を振って。男が踵を返した瞬間に、サワタリは飛びかかった。

 いつもどおり、四肢を切断し、口にナイフを詰め、殺した。更に二次加害セカンドレイプをする男がいれば、二人め、三人めと殺す。それがサワタリのいつもどおり──なのだが。

「いかないでください! すこしだけ……朝まででいいから、傍にいてください……!」

 強姦された女に、礼を云われることはままあった。だが、こんな風に引き留められることはない。さりとて無視して行ってしまうのが自分の行動であろうが、サワタリのコートを掴んだ女の手は、頑丈な生地を破らんとするほど強く──彼女の受けたショックをそのまま表しているのだろうと、足をとめてしまった。

 女は、サワタリのコートを握りしめたまま、床に座りこみ、啜り泣いている。朝まででいい、と女は云ったが、窓から朝日が入ってきても、その陽が高く昇っても、女は泣きつづけ、サワタリのコートを離さない。

 困った、と思うほどでもない。コートが破れたら縫えばいい。中に装備したナイフにだけ気をつけ、サワタリは足を踏みだしかけた。

「……あんたは、悪くない」

 だが、その時、ぽつりと声が聞こえた。

 モモンガだ。

 いつもどおり殺人の一部始終を見て、いつもどおり小さな背を震わせ吐いていた。だが、昼まで転がっていたせいか、少し元気を取り戻したらしい。モモンガは泣きじゃくる女性の傍にちょこんと座り、彼女を見あげて。もう一度、はっきりと云った。

「あんたは、悪くないぞ」

「私、一人で小屋に行ってしまったの。だから私が悪いの」

「悪くない。だって、今夜にも子が生まれそうな雌牛が、家畜小屋にいたんだろう?」

「……っ」

 女は、ただ泣いていただけではなかったのだ。

「それでも、女はっ、一人で出歩いちゃだめだって、夜に出歩くのは、襲ってくれっていっているようなものだって」

「雌牛の鳴き声が聞こえたんだ。あんたは家畜小屋のある方の窓を開けていた」

「私が悪かったの。叔父に頼めばよかったの」

「雌牛とは、子牛の時から一緒だった。ともだちのような雌牛の初産が、心配でたまらなかった」

 男に襲われた原因は自分にあると、私が悪かったのだと、女は泣きながら繰りかえしていた。その合間に、牛の話しが差しこまれる。ともだちのように一緒に育った雌牛が、はじめての出産に臨むため、心配でつい、夜に一人で家を出てしまった。そこを──男に襲われた。

 涙にまみれた、不明瞭な泣き声から、その話しを汲み取ったのは──モモンガだった。魔物のすがたに、女は最初、大きく眼を見開いた。だが、モモンガが、あんたは悪くないとくりかえすたび、女の眼は再び潤み、ぼろぼろと涙を溢しだす。

「私が、叔父に頼んで、一人で出歩かなかったら、よかったの」

「雌牛は、あんたが来てくれて、安心したと思うぞ」

「……私、悪く、なかった?」

「悪くない。雌牛の、良いともだちだ」

 わあわあと、女は声をあげて泣いた。いつの間にか、彼女の手はサワタリのコートから離れていて。床に叩きつけられた拳を、モモンガが小さな手でさすっている。

「いっぱい泣いて、喉が渇かないか?」

 やがて泣き疲れ、俯くよう首を折った彼女に、モモンガはゆっくりと話しかける。

「ううん……いらない……」

「そうか。じゃあ、ええと……なにかしたいことはあるか?」

「わからない……」

「うん。わからないよな。ごめんな」

 女が、かすかに笑った。へらへらとした、男の機嫌を取る──男の機嫌を損ね更なる加害から逃れるための、防衛のものではない。不意に、やわらかくこぼれた、笑顔。

「あの男……隣りの家の息子なの」

 彼女はうつむいたまま、ぽつぽつと話しだす。

「俺としたくなって、夜に出てきたんだろう。ずっとしたかったんだよな、とか、云ってた。そんなつもりあるわけない。雌牛が心配で来ただけだ。あんたこそなんでここにいるの。また嫌な眼で私を見て、気持ちが悪い。出ていって。そう私が突っぱねたら、包丁を出してきた」

 モモンガは、彼女の震える拳を、小さな両手でさすりつづけている。

「服を脱がされないよう必死だったけど、包丁を見せられたり、叩かれたり蹴られたりしているうちに、動けなくなっていた。体が固まってしまったみたいで……犯された時は、耳鳴りが凄かった。酷い風邪をひいた時みたいに、頭や喉や関節が痛くて、吐きそうなくらい気持ち悪くて。息も上手くできなくて、死んじゃうんじゃないかって思った。そんな、動かない私の体を使って、あの男はおぞましい排泄をした」

 彼女はもう泣かない。声も、淡々としていた。

「キスされた時、吐いてやればよかった。どうしようもなかったの。口が動かなくて……閉じようとしても閉じられなくて。あいつが舌を入れてきたの、嫌で嫌で、嫌で嫌で、どうやってか閉じたんだけど、またむりやり開かされて。するとまた、閉じかたが判らなくて……あいつは、嬉しいだろうって云った。俺と恋人になれて、キスをされて、幸せだろう、幸せだって云えよって、なんで云わないんだって怒鳴って、でも次には、私の手を握って機嫌良く歩きだすの。──殺してやりたいと、思ったわ。生きたまま、腹をノコギリで輪切りにしてやりたいって思ったわ」

 女の眼が、ふっと浮く。立ったままのサワタリを見あげ、彼女は頭を下げた。

「あの男を殺してくれて、有り難うございました」

 彼女は、微笑む。

「いくら殺したいって思っても、女は男に力で敵わない。……あんたは、男なのに、男を殺してくれた。あいつを殺してくれて、有り難う。あいつを殺してもらえて、私、幸せだわ」

 それから、彼女はゆっくりと下を向く。自分の手をさすってくれている魔物を、彼女は撫でようとした。だが、モモンガは身を捩り、飛びのく。彼女はごめんね、と微笑み、もう触らないから、とモモンガに云うと、両手を組み祈るよう、眼を閉じた。

「話しを聞いてくれたあんたも。有り難う」

 モモンガが、瞬く。モモンガの眼はぎょろぎょろと飛びだしていて、顔の半分を占めるほど大きい。

「あんたは、なにかしたいことがあるかと訊いてくれた。私がしたかったのは、話し。こうして、傍に座って、話しを聞いてほしかった……」

 彼女は、うつむけていた顔をあげる。

「もう、大丈夫です。すみませんでした」

「雌牛が、元気なあかちゃんを産むように、祈っている」

「……!」

 モモンガの云ったことに、彼女はかすかに眼を瞠る。それから、その瞳を細めて。

「水を飲むわ。体を洗って、頑張って、ご飯を食べるわ。そして、雌牛あのこの傍についていたい」

「うん」

 モモンガが、ふわりと浮遊する。それは突っ立ったままのサワタリの傍まで、ふよふよと飛んできた。

 サワタリは、特に辞去の挨拶はしなかった。何時間も同じ姿勢で佇立していたが、体はどこも強ばることなく動いた。女性の家を出て、その足で町を出た。

 いつもどおり、街道を外れ森の中で野営をする。既に陽は落ち、雪が降りだしていた。ぐんぐんと下がってゆく気温に備え、また夜に活性化する魔物に備える。

 防護を仕上げ、焚き火の傍に腰をおろすと──果たして、横に落ちてきた。

「死んだか」

「生きてる」

 このやりとりもいつものことになっていた。サワタリは鍋に薬草を放りこむ。拉げていたモモンガがずるずると這い、焚き火のすぐ傍でまたくしゃりと沈んだ。

「寒いか?」

「……とても……さむい……」

 気弱な声に、なんとなくサワタリは身を乗りだす。モモンガの傍に膝をつき、まるくなった背中に手をあてる。

「……悪い」

 小さな背中を撫でようとした手を、サワタリはふと引く。

「……? なにがだ?」

「おまえ、撫でられるの嫌いなのだろう」

 ぎょろぎょろとした眼を瞬き、モモンガはサワタリを見つめている。

「今日おまえが……傍に寄り添った女性が、おまえを撫でようとしたとき。身を捩って避けたように見えたが」

 じっと熱心に見つめていたものが──モモンガはふいと、眼を逸らして。

「……ご主人なら、いい」

 ぼそ、と云う。

「ご主人なら、おれになにをしてもいいんだ」

 そういえば、そうだな。これが吐いているとき、サワタリは背を撫でていた。その時振り払われなかったのは、単にそんな余裕すらなかったのだと思っていたが。

「俺を嫌っているのにか」

「おれがご主人を嫌っていることと、おれがご主人の従魔であることは、関係がない」

 顔を歪ませながらでも、云いきる姿勢はなかなかのものだ。サワタリは無造作に手を出す。モモンガの背中は、ミルキーベージュの毛皮に覆われている。ごわついて固いのは、動物でなく魔物であるせいだろう。撫でていると、なんとなく今日の──性被害者に寄り添うモモンガのすがたを、思いだしていた。

「別段、困ってはいなかったのだが」

「……うん?」

 縋る女を振り切ったところで、痛む心など持ち合わせていない。だが……。

「おまえが、性被害者の女性に寄り添っているすがたを、今、思いだしている。思いだして、ふしぎな気分になっている」

「ふしぎなきぶん」

 なんとも──表現できない。だから、不思議な気分と云った。

「嫌な気分か?」

「嫌ではない」

「……それじゃあ、おれは、また今日みたいに、してもいいだろうか」

「頼む」

 思うよりもさきに、口が動いていた。モモンガがこちらを向く。よろよろと這いずり、サワタリの足に──頬をつけた。

主人あるじは、従魔に頼みごとなんかしない。命令をするんだ」

 サワタリは傍に来たモモンガの──従魔の背を、撫でる。

「命令だ」

「……ふふ」

 モモンガの息が、足に当たった。地面にも当たった。地面には灰を敷いていたから、それが少しだけ白く舞った。

「ご主人からもらった、最初の、命令だ」

 モモンガの頬が、すり、と擦りつけられ、離れてゆく。モモンガはサワタリの仰ぎ見た。真っ黒なひとみは、ぎょろぎょろと飛び出し、とても大きい。だから、そこに映っているものがサワタリにも見えた。

 夜に灯るように青く光る、くるりまわる青いピアスが、サワタリの右耳に。左耳に。

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