1st. かれの正体

 町の名は、ペルルーペというらしい。街道沿いに低い崖が続いていたから、それが名の由来なのか。

 サワタリは地図を持たなかった。気随に街道を行き、偶に道を外れ魔物を駆除し、或いは素材の採取などをして、再び適当に歩き、どこかの街道に出る。そんな漂泊の旅であったから、町や村に辿り着いたところで、そこが世界のどこであるのか、皆目判らなかった。──そこが世界のどこであっても、人は変わらないのでどうでもよかった。

 ところで、町に着いてもこれが離れない。これとは、モモンガと呼ばれる魔物である。

 魔物は人を食害するため、駆除すれば報酬が出る。従ってサワタリにとってみれば金づるであり、見れば殺すものである。だが、この魔物はサワタリがナイフを使うまえから、瀕死だった。けがにまみれ、骨が露出し、内臓にもダメージを受けているのか、血を吐きつづけた。気まぐれというのが正しいのか。ともかく、サワタリは魔物が大事そうに渡してくる白い石を受けとった。なにしろ吐血がやまず、魔物が何を云っているのか判らなかったが、それを使ってくれと訴えられていることは判った。石が青色に光り、それが魔物の体に吸収されるのを見て、やはり回復アイテムだったかと合点したのだが──早とちりだった。魔物のけがは治らず──どころか、昏睡してしまったのである。

 耳を切り取り、捨てていくか。そう思った。魔物の耳には固有の特徴があり、それをギルドに持ちこめば駆除の証拠として扱われ、報酬が出る。ために、今にも死にそうなそれの耳を摘まんだところで──気がついた。モモンガの耳を、青色のピアスが貫いている。両耳にくるりまわるピアスの、綺麗な青色を見た時、なんとなく思いだしていた。これは、自分が吐いた血がサワタリの服を汚していることを気にしているようだった。気にして、小さな三本の指で拭いて、拭いてもまた吐いては汚し、泣きそうな眼をしていた。捨てていく気になれず、抱いたまま座りこんだ。ザックから布を取りだし、肉の剥がれたところに巻いてゆく。薬草を煎じ、口移しで与えて。さてこの処置は魔物のけがにも効くのだろうかと首をひねったが、やはり捨てられず、抱いて看護をこころみた。

 どうせ死ぬだろうと思っていたが、魔物は生きた。意識を取りもどし、眼をあけたそれは、サワタリの顔を見て、あどけなく笑ったのだ。

「ご主人」

「なんだと?」

 微笑んだまま、それはまた気絶した。仕方なく、サワタリは布をまきなおし、煎じた薬草を与えつづけた。うつらうつらと眠り、起きてはサワタリを捜し、サワタリの顔をみると微笑み──安心したよう眠る。そうしてそれは少しずつ起きる時間が増えていったのだが、飛べるようになるにはまだ時間がかかるようだった。いつまでも一つ所に留まるのはサワタリの性ではない。移動に耐えうると判断したところで、抱いていくことにした。モモンガは人の新生児くらいのサイズであり、サワタリは片手でも不自由なくナイフが使えた。

 そうして魔物を抱きつづけた自分もふしぎであれば、飛べるまでに回復してもサワタリから離れない──飛んでいってしまわない魔物もふしぎだった。

「おれはもうどこにもいかないぞ」

 ずっとご主人の傍にいるんだ。魔物はそう云って、サワタリの肩から少し離れたところに、ふよふよと浮いている。

「そのご主人とやらは、よもや俺のことを云っているのじゃないだろうな」

「あんたのことだ」

「……」

 よもや、とは云ったが。九割方そうだろうとは思っていた。

「俺が、おまえの、ご主人とやらなのか?」

「そうだ」

「いつから」

「ご主人は従魔の珠を使ってくれたぞ」

 それも──九割方そうだろうと思っていた。

「あの青い光りになった珠だな。そも、あれは回復のアイテムではなかったらしい」

「ちがう。あれは誰でも従魔契約ができる、とっておきの秘宝なんだ。同じ光りを分かち合ったご主人とおれの間には、従魔契約が結ばれた。だからおれはどこにもいかない。ずっとご主人の傍にいる」

 その言葉のとおり、瀕死の体だった魔物は、自由に飛べるまでに回復していたにもかかわらず。人の棲む町に着いても、離れていくことはなかった。相変わらずサワタリの傍に──しかし一定の距離を置き、ふよふよと浮いているモモンガを見て、声をかけてくれたのはギルドのスタッフだった。

 討伐した魔物の耳と、採取したアイテムを提出し、換金したところで。カウンターに立つスタッフは、モモンガに眼を向けた。

「そちらは従魔ですか? サワタリさまは盗賊シーフと登録をされておられますが……スキルをお持ちでしたら、調教師テイマーの登録もなさいますか?」

「テイマー?」

「魔物を調教し使役する職業です。調教テイムのスキルは天賦のもので、テイマーは大変数が少ないのですが、サワタリさまはその能力を──」

「いや、俺ではない。このモモンガが、勝手に俺の従魔とやらになったらしい」

 手を口にあて、スタッフは笑った。

「押しかけ従魔ですか。そんなこともあるんですね」

 だが、すぐに笑いを引っこめて。かれは神妙な顔をする。

「わたくしどもには魔物と従魔の判別がつくのですが、ふつうの町人まちびとには難しい。強力な魔物ならば人の方が避けるところですが、モモンガですからね……間違って駆除されぬよう、気をつけてあげてください」

 なるほど、そういえば町に入ってから、常とは違う視線を感じていた。なかには害意のあるものもあったが、サワタリにしてみれば気にすることでもなかった。あれはこれ──魔物に対する警戒や嫌悪であり、或いは駆除のため武器に手をやる者もいなかったとは云えまい。

「判別がつく──ギルドの者には、従魔を見抜く能力があるのか?」

「いえいえ、誰にでも見分けはつくのです。ただ、あまりにテイマーの数、いては従魔の数が少ないため、その見分け方を知っているのが、ギルドの者や冒険者に限られるわけで。ですので、もしも町人に問われるようなことがあれば、証明は簡単です。耳を指せばよろしいのです」

 サワタリは浮いているモモンガの背を掴み、眼のまえに持ってくる。そういえば、こいつの耳には両方とも、青色のピアスがついていた。

「これか?」

「それと、サワタリさまのお耳のものを」

「俺のだと?」

 もう片方の手を、自身の耳に持ってゆく。サワタリの耳は、もともとピアスだらけだった。もはや数もかぞえていなかったから、今更一つ──両耳だから、計二つだが──増えたところで、全く気がつかなかった。

 確かに──モモンガの耳を貫いているものと同じような、輪状のピアスが指に触れた。顔を顰め、サワタリはナイフを抜く。よく磨かれた刃は鏡よりもくっきりと映しだしてくれた──サワタリの両耳を貫く、青色のピアスを。

「そのピアスは、そちらの従魔がサワタリさまの完全な支配下にあると証しになります。それでも疑いがある者には、ギルドに問い合わせをなさるよう仰ってください」

「世話をかける」

「こちらこそ、いつもお世話になっておりますので」

 深々とお辞儀をするスタッフに、サワタリも頭を下げる。ギルドのスタッフは、概して冒険者を尊崇する(ギルドの食い扶持を命を賭し稼いでくるのはほかならぬ冒険者であるから)。ゆえに横柄になる冒険者も多いが、サワタリは権力にも金にもさして興味がない。ギルドの地下には冒険者の社交場とも云える酒場があったが、そこに足を向けるでもなく、サワタリはさっさと堅牢な建物──ギルドは、平時は町の門番をつとめ、魔物が攻めかけてきた時の前線基地となる──を後にした。

 商店街で物資の補給をし、食堂で飯と安酒を食らって、宿へと向かう。旅装のままベッドに寝転がると、モモンガが首を傾ける。

「もう寝るのか?」

「寝る」

「おれにも寝ろと命じてくれ」

「知らん」

 面倒とまではいかないが、いちいち付き合う必要も感じない。モモンガは床に着地すると、飛膜のついた腕で足を抱えている。まるまって眠るモモンガの方とて、サワタリを警戒するよう一定の距離を保ちつづけている──寝る時でさえも。サワタリは、眼を閉じる。すぐにモモンガのことなど忘れ、眠った。

 そして、夜半。サワタリがベッドを降りたところで、モモンガも起きあがった。眠いのか、飛行はふらふらと覚束ない。かまわず、サワタリは部屋を出て、宿の外に出る。

 足が向かうに任せ歩くと、不穏な空気を嗅いだ。辻に停められた馬車。幌がかかっている。暴行はその中で行われていた。一人の女を、五人の男たちが、代わる代わる犯している。

 町の大通りだった。通りがかる男はいる。だが、輪姦の現場を目撃したところで、止めに入るものはいない。サワタリは記憶する。五人の男は勿論、通りすぎていった男たち全てを記憶してから。

 ナイフを抜いた。

 黒のモッズコートが、闇に融ける。次の瞬間、サワタリは幌馬車の中にいた。一番端にいた男の両腕と、両足を切断する。遅れて、悲鳴。そこで、女を陵辱することに夢中だった男たちが振りかえる。怒号が、次に悲鳴が交錯する。サワタリは淡々と、切断する。腕、足。腕。足。間もなく五人の男がすべて、頭と胴体だけの間抜けな姿で転がる。対人用のナイフには血止めの薬が塗ってある。つまり──頭と胴体だけになっても、すぐには死なない。

 サワタリはナイフを変える。これまでのベーシックなナイフとは違う、──異様な。そのナイフは、太いくいのようなかたちをしている。男の口を開け、それを押しこむ。ナイフの先端が喉を切り裂くぎりぎりのところで止める。口が破れるほど太い刃物で蹂躙される恐怖感と、嘔吐反射で吐こうとしても吐けない苦痛。──犯された女が受けた苦しみに比べたら、矮小なものだが。サワタリは五人とも太いナイフを喉に刺す。そうして暴力の果てにだらだらと死んでゆく──死んだのを見届けて。サワタリはナイフを回収すると、現場を去った。

 宿に帰り、体を洗う。ナイフの手入れを充分に行ってから、再びベッドにもぐりこむ。ふよふよとついてきたモモンガは、寝ろと命じてくれとは、云わなかった。青い顔をしているような気がしたが、どだい自分は人の顔色さえよく判らない。魔物の顔色が判るわけもないと、眼を瞑る。眠った。

 翌日は、人を捜した。昨夜強姦を見て見ぬ振りをした者を特定し、殺害した。偶に少し話すこともあるが、やはり最後は殺した。他にも幾人か殺す対象がいたから、殺した。殺しかたは全て、四肢を切断し、だるまになった男の口に、太いナイフをぶちこむ方法だった。

 男が殺されると騒ぎになる。やがて町が殺人鬼の話しで持ちきりになった頃、サワタリは宿を引き払った。補給しておいた物資を詰めたザックを背負い、ペルルーペの町を旅だつ。

「ご主人」

 街道をしばらく歩いたところで。モモンガが口をひらいた。

「ご主人は、冒険者じゃないのか?」

「なぜ冒険者だと思った?」

「魔物を討伐して耳を集めていた。あと、薬になる葉っぱとか、宝箱の中みとかを集めていた。それらを町の最初の建物に届けていた。あそこは、冒険者の集まるところだ。あと、あそこでご主人は、シーフとも云われていた。シーフは冒険者の職業だ。あと、あと……」

「おまえは冒険者に詳しいのだな」

「従魔になるのが、おれの夢だったから」

 なるほど──こいつの夢とは、冒険者の従魔となり、人の命令で戦い、ともにダンジョンを攻略し、活躍するようなものだったか。

「悪いが、俺は冒険者ではない」

 であるのならば。

「人殺しだ」

 さて、俺の本業が明らかとなったところで、こいつはまだ俺についてくるのだろうか。

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