14.変化していく日常③

 

 

「遅かったね?」


 扉を開ければ優雅に座る御方が、待っていたと言わんばかりの笑顔をカルミーユに向ける。一体いつから居るのか机には高く本が積み上がっており、この部屋の光景も3日連続で見ると慣れてくるものだ。


「ヤグル様。右手を出して下さい」

「?はい」


 ヤグルマギクは首を傾げつつも右手をカルミーユの方へと向ける――


「やっぱり怪我して……」


 ヤグルマギクは眼を瞬いてカルミーユを見た。紙で指を切ったものの暫くすれば血も止まったのでそのままにしておいたものだ。誰にも聞かれなかったので気付かれていないと思ったが、そうでは無かったらしい。


「……何故怪我をしていると?」

「ヤグル様は私の前席ですよ?気づかない方がおかしいですわ」


 そういうものなのだろうか?とヤグルマギクは首を傾げる。注意深く周りを見ていなければ、基本的に他人の事など気にも留めないのが普通だと思う。周りを見る事が自然と出来るタイプなのか、己の事を少しは気に留めて見ていてくれているのか――後者だったら良いのにとヤグルマギクは内心思っていた。


「ところでヤグル様」

「なんだい?」

「今日のアレは一体何なのですか?」

「アレとは?」

「惚けないでくださいな。人が慌てふためいているのを楽しそうに見ていらしたでしょ?」


 穏やかな口調だが怒っているのだろう。その証拠にカルミーユの頬が膨れている。消毒がワザと傷に染みるように絶妙な加減でされているあたりカルミーユの本日の件の仕返しという事だ。ヤグルマギクは優しすぎる仕返しに笑みが溢れそうになるのを必死に耐えていた。今笑えば本気で怒りかねない……それはダメだと本能が警告している。耐えている間もカルミーユは手際良く手当てを進めている。その事自体が一般的な貴族令嬢と異なる事に果たして気づいているのだろうか?

 同じ年頃の貴族ならば、傷口や血を見て悲鳴をあげるもしくは、倒れるなどの反応が有るのが普通だ。手当ての仕方など知らない人の方が多いだろう。かく言うヤグルマギク自身も他人の手当てなどした事がない。茶を淹れるにしても専属プロ並みに淹れることが出来るのだって普通では無い。一体全体目の前にいるこの女性はどのように生活して来たのだろうか――


「ヤグル様聞いてますか?」


 深く考え過ぎると周りの音を遮断してしまうのはヤグルマギクの悪い癖である。反省しつつもカルミーユに外行では無い笑顔を向けた。

 

「ごめん。手際の良さに見惚れていた」

「これくらい普通……話を逸らさないでくださいな」

「でも同じ所に悩んでいる人が複数人いて、ルミーが1人ずつ教えていたら負担になるだろ?それならいっそまとめてしまえばいいかなぁ〜って大成功でしょ?」


 したり顔で答えるヤグルマギクに口で言っても負けるので、抗議と言わんばかりにカルミーユは、手当したばかりの指をつまんだ。ヤグルマギクは眉を顰める。


「ルミー痛いよ」

「ワザとですわ……」

「ワザとなのか……」

「ええ」


 綺麗に巻かれた包帯をしげしげと眺めていると手のひらに収まる小さな容器が差し出される。


「これは?」

「ヤグル様は皮膚が乾燥しやすいようなのでこれを」


 ヤグルマギクは差し出された物を受け取り、蓋を開けるとフワッと甘く爽やかな香りが漂う。


「オレンジの香りに似ているね。良い香りだ」

「良かったです。ハンドクリームです。私が作りましたが、効能は問題ありません」

「君の腕を疑ってないよ。それにルミーの事だから店を開くにあたって自分も作れるように練習してるだろ?」

「実際に作ってみた方が、職人達の目線に寄り添えますから」

「そう言った考えを持っている人は少数だと思うけどね」

「実際に動いてくれるのは彼らですもの。色んな視点から見るのも大切ですが、同じ視点から見なければ、見えて来ないものもありますわ」

「流石「エテ国一の商会」を束ねる者の言葉だ。」

「商会が褒められるのはとても光栄ですが、私はまだまだ祖父や母にも及びませんわ」


 彼女はあまりにも自身を過小評価し過ぎだとヤグルマギクは思いながらも今、カルミーユに自身の凄さを言ったとて謙遜し否定されるのは目に見えている。それでは意味が無いので、話題を変える事にした。

 

「このハンドクリームには何が使われているの?」

「効能をザックリと言いますと皮膚を丈夫にしてくれる作用がある「マンダリン」柑橘類なのでオレンジに似た香りがしたのもこの「マンダリン」です。あと抗菌……菌の増殖を抑えたり痒みなどを抑えたり出来る「ティートリー」と肌が荒れたりなど皮膚の炎症を抑える「ラベンダー」を組み合わせた物です。単体でもそれぞれ素晴らしい物なのですが、掛け合わせる事で更に良い可能性もあるのですよ」


 ヤグルマギクはしげしげと容器を見つめながら言った。

 

「なるほど、掛け合わせるのにも度合いが必要って事か……知識が無いと難しいね」

「初めは香水など沢山の方が研究されている文献を読み漁った後に様々な組み合わせを試しましたわ。入れ過ぎるとかえって香りの組み合わせなどが酷くなったりと中々難しい所ではありますわね」


 今までハンドクリームは、水仕事などをする者が皮膚の乾燥を防ぐ薬の様な扱いで使われていたのだ。それに香りを付け従来の使い方に加え、香水が買えない者でも手の届く物として売り出すまでに繰り返した試行錯誤は今も続いている。


「研究者にとっては探究心くすぐる案件だけどね」


 のめり込んでしまう沼があるのは事実だ。だからカルミーユはヤグルマギクの言葉を否定せず頷いた。

 

「ええ、とても。ですので、今回使った精油の他の効能は敢えてお伝えしないでおきますね」

「僕の探究心を刺激する気かい?」

「ヤグル様は出来るだけご自身で調べたい派ですよね?」


 カルミーユの問いにヤグルマギクは神妙な顔して一言。


「それが僕の弱点なんだ」

「そうなのですか?」

「気になったらそれが分かるまで調べ尽くしてしまうから家では呆れられてるよ」


 ヤグルマギクがどのようにしてミモザ店主からカルミーユに行き着いたのかなんとなくだが分かってしまった。文字通り調べ尽くしたのだ。執念深いとも言えるが、それはカルミーユの心の内に留めておいた。


「ヤグル様は何を読んでいらしたのですか?」


 先程から若干気になっていた。机の半分を占領している本達は分類がばらばらである。何かが気になって調べてたのかと思い問いかけたのだが、ヤグルマギクは困ったように笑いながら言った。

 

「その辺にあった本をとりあえず目的なく読み始めたんだけど、案外面白くなって他の考察は無いのかと探していたら気がついたら脱線してたんだ。ここは気になるタイトルが多過ぎて危険だし、まだ図書には置いてない新しい物ばかりだよね?」

「ここは元々分類を分ける為の部屋なのですよ。だから新しく入った本はここに一旦運び込まれるのです。私がこの部屋をお借りしてるので、分類分けのお手伝いを申し出たのです。新しい本もいち早く読めますし、とても楽しいですわ」

「確かにそれは本好きにとっては、新書を開ける楽しさも味わえるし良い事づくめだね。それよりルミーまだ話し方固いよね?」

「そうですか?」


 本人から許可を得ていても砕けて話すのに中々分厚い壁があるのだ。どうにか誤魔化されて――

 

「フリージアさんと話している時の方が砕けているかな」


 ――はくれなかった。笑顔で言い切ったヤグルマギクの顔を見てガックリと肩を落とす。


「どうしてもですか?」

「うん。君と話すのに壁なんか感じたく無い」


 (私と話していて楽しいのかしら?)


 自己肯定感が低過ぎるカルミーユからすればヤグルマギクの言動は疑問でしか無い。


「時々固くなるのは容赦してく……ね」

「うん」


 (眩しい――)

 

 ヤグルマギクの素直な満面の笑みは思った以上の破壊力であった。


 (心臓がもたない)


「あ!そうそう今日見てて思ったんだ。ルミー僕に勉強教えて」

「え?私が?」

「うん。今日ローダンが言ってたように僕過程を考える事あんまりしないからその……」

「過程を答えないといけない問いに答えられないって事かしら?」

「そうなんだよね〜だからルミーがどうやって考えて解いているのかを教えて貰おうかなって思っているのが1つ」

「1つ?」

「うん。ルミー中等部と高等部の授業も実は全部勉強してるよね?」


 ヤグルマギクの声色と顔はただ事実確認と言ったところだ。


「何故そう思ったの?」

「入学試験僕とルミーの点差は1点。ルミーは間違えたと言うよりかは書き足りなかったそれだけだよね?」

「そうね。すっかり頭から抜け落ちてたわ」

「けれどルミーはこの1年と少し基本的には満点だ。ルミーが満点でない時は、大抵初等部にそった書き方に困った時じゃないのかい?」

「よくお分かりになりましたね?」

「気づいたのは結構後だよ。それこそフリージアさんの一件で浮かんだ疑念が、ミモザの店主がルミーだって知って確信に変わった時にルミーを観察してたから」


 サラッとストーカーの如く観察していたと言われたカルミーユはどう表情を作れば良いのか分からない。ヤグルマギクは気にする事なく話を続ける。


「そしたら中等部や高等部の教師と研究室で手伝ったり話したりしているのを見かけた時に考えたんだ。1つの家の当主が当主の仕事をしつつ、教員の手伝いをして、自身の研究もしている。Sクラスは特殊とはいえフリージアさんやローダンが普通と仮定すると、僕でも時間を取られる課題を君がサラリとこなせているのは何故か……まぁ初等部の内容も分からない人が当主などの仕事を出来るはずもないんだけど……多忙な君が高等部までの内容をすでに習得しているのなら話は変わるだろ?」

「当主の仕事を私の父がしているとは考えなかったの?」

「君の父親は、我が家の夜会に一度来ているんだよ。君の異母妹を連れてね」


 毎日何処かしらの夜会に出ているからそれはあり得る話だ。


「君の普段の振る舞いと、僕が夜会で見た君の父君の振る舞いを見れば誰が当主として支えているかなんて直ぐにわかると思うよ」

「父の振る舞いは目に余る物だったのですか?」


 カルミーユは途轍もなくそこが気になった。3歳のお披露目の時まだ母が健在でレオルガをお共に3人で夜会に行ったのだ。父とは母の死後初めて会ったようなものだ。無論夜会など共に行った事はない。


「あまり難しい話は得意そうじゃないなぁって、商会の話をしてたんだけど、笑って誤魔化している印章を受けたかな?まぁ途中で父上に見つかって部屋に戻されたから詳しい事は聞いてないけどね」


 カルミーユは愕然とした。


 (商会の事何も学んでないなんて……レオルガに教育……って駄目ね。お父様レオルガを避けてるんだったわ)


 頭が痛くなる話をまさかこんな所で聞くとは思わなかった。これ以上は胃に悪そうなので、カルミーユは本来の話題に戻る事にした。


「ヤグル様は何故中等部や高等部の勉強を?」

「今は内緒」


 言いたくないと顔に書いてあるので、触れる事はしない。


「どの程度を目標にします?」

「そうだなぁ〜とりあえず卒業資格が取れるくらいかな?ルミー実はもう取れる卒業資格でしょ?」


 教師陣に申請を出せば、卒業試験を受けさせてもらえる。いわば飛び級制度だ。カルミーユは取れるのではなく実は既に持っている。入学して半年王命により「学園生活はそのまま送って良いので、取れるのなら取っておきなさい」と言われ試験監督が何故か全教員という異例な空間の中1人受けたのだ。正直試験よりそちらの方が恐怖だった。因みにこれも極秘事項なので知っているのは、学園にいる教職員と王宮の僅かな人達だけである。


「飛び級するの?」

「しないよ。したらルミーと遊べないでしょ?」

「……」

「そんな目で見ないでよ。いざという時切り札で持っておきたいんだ。ルミーだって学園内で出てる話聞いてるだろ?情報に困らないから良いんだけどねぇ?後で自分達の首を絞める事になるとは思ってないんだろうね」

「ヤグル様悪い顔になってるわ」

「おっといけない」


 ヤグルマギクは、よそ行きの笑みを全開にした。


「それは胡散……ん、失礼。少し固いです」

「ルミーわざわざと言い直さなくてもいいよ」

「ヤグル様は自然な笑みを浮かべている方が魅力的よ」

「そういうとこなんだよなぁ」


 何がそういうとこなのかは分からないが、ヤグルマギクが机に伏せてしまったので、カルミーユは復活するまで今日出された課題を済ませる事にしたのだった。

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