7.猫被りの貴公子②

 

 扉の閉まる音が、静かな部屋にはやけに大きく響く、カルミーユはそのままズルズルと床にへたり込んだ。


「疲れた……」


 ここにコレッタが居ようものなら「お嬢様お行儀が悪いですよ」と確実に小言を言われたであろうが大目に見てほしい気分だった。


 先刻大勢が利用する寮の食堂でまさかの接触があったかと思えば、友人であるフリージアと楽しく話しているのを呆然と眺めつつ隣に座るヤグルマギクの意図をぐるぐると考え込んでいたカルミーユは、途中から2人が自身を眺めていた事を知る由もなく、ヤグルマギクに話しかけられた時、情けない事に上擦って返事をしていた。


「な、何でしょうか?アルブル様」

「カルミーユ嬢も名前で呼んでよ、ね?」

「ヤグルマギク様?」


 呼べば貴公子がよそゆきの笑みを浮かべうなづいているのを見て、頭が冷静になるのと同時に、頬が引き攣るのを我慢するのに苦労した。


 (そのままの笑みの方がお似合いなのに勿体無い)


 カルミーユから見ればヤグルマギクのよそゆきの笑みは窮屈に見える。後正直に言えば胡散臭いと思っている。


「ヤグルでも良いよ?」

「畏れ多いですわ」

「君が優秀なのはクラスのみんなが認めているから謙遜しなくて良いのに」


 残念そうな表情を浮かべるヤグルマギクの言葉に、向かい側のフリージアは大きく頷いた。


「カルミーは自己評価が低いと思う」

「そんな事は……」

「「ある」」


 フリージアとてヤグルマギクとあまり関わり合いが無かった筈なのにこの意気投合振りはどういう事なのかと少し驚いているとそんな事知る由もない2人の会話はどんどんと進む。


「カルミーってあだ名かい?」

「そうだよ。響きが可愛くて呼んでるんだ」

「じゃあ私はルミーと呼ぼうかなぁ〜良いかい?」


 ニコリと笑って首を傾げるヤグルマギクから言い知れない圧を感じるのは気のせいだろうか――そもそも男爵家である自分が、格上の家柄相手によっぽどの事がない限り否を唱えるわけもなく、カルミーユはなんとか笑みを作り一言返した。


「……お好きにお呼びください」


 その後も授業に関することを話していたかと思えば、気がつけば、今度グループ課題があれば共にしないか?という誘いまで受けていたのだった――


「はぁ〜」


 重いため息が部屋に響く……この寮やSクラスにいる人は、他のクラスと徹底的に違って生まれではなく実力で入っている者たちで、クラスにいるメンバーは良きライバルであり、互いに尊敬しているので格差が生まれる事も無いのだが、それでもヤグルマギクは全てから一目置かれている人物だ。というのも学園に彼より上の王族や公爵、侯爵家の人間がいないので、何もしなくても目立つのだ。そんな人物に話しかけられていれば、自然と視線を集めてしまうのも無理はない。そこでふと先ほど交わした会話を思い出し、気づいてしまった事がある。


「貴族が愛称で呼び合うのは親しい間柄だけよね……図書館で会った時は、妹君の事もあるから親しくしたいという事なのかと思っていたのだけれど……」


 わざわざ大勢の前で愛称で呼ぶのを許すという事は、自身の庇護下にある者や友人と公言する事に等しいという事だ。


「私がヤグルマギク様の庇護下にあると思う方も出てくるという事よね?」


 カルミーユはフリージアに指摘されたとおり、僅か2年の間にすっかり自己評価が低くなっていた。だから自身がヤグルマギクと変わらぬくらい一目置かれている事を知らない。「試験の成績が僕とほぼ同じだった事」とヤグルマギクが言ったのは、本来このテストをほぼ満点で取る人がいないのに加え、厳格な教師陣が入学当初からカルミーユに一目おいている事は、彼女より下の学年を除き学園に知れ渡っているため、優秀な人材を自身の手元に置きたい、関係性をよくしておきたいと目をつけている人は多く、今回のヤグルマギクの取った行動で、本人があずかり知らぬ所で、貴族特有の派閥争いから遠ざけられたといってもいい。


「はぁ〜これで疲弊していて駄目よね。まずはレオルガとトマ叔父さんに手紙を書かないと……」


 カルミーユは2階に上がり、書斎の灯りをつけ、机に置いた鍵付きの木箱を開けた。中には当主として振り分けなければいけない仕事が入っている。カルミーユがフォンテーヌ家の当主という事を知っているのは、国王はじめその側近達と学園長……後本日加わったヤグルマギクである。

 父親に当主の仕事を渡すわけにもいかず、寮暮らしをしているため打開策を話し合った結果、学園長に相談すると学業と当主の仕事を両立出来るように、レオルガもしくはレオンに一部ではあるが学園出入りの許可証、いざという時は自室で話し合いをしても良いと許可が出た。その代わりにカルミーユは学園長からのお願いを遂行することになっているのだが……それはさておき、使用人達が日替わりで手紙を添えてくれるのだが、それとは別に小さな手紙が添えられていた。


 "お嬢様帳簿を見られる際には、一度深呼吸をして下さいね"


「この達筆な字はレオルガね」


 たっぷり深呼吸した後、流れるように確認すれば、帳簿は案の定、目が飛び出るくらいの額が書かれている。


「何に使えばこの金額になるのかしら?」


 その謎は、領収書も添えられているのですぐ分かるのだが、半分がメアリーの出費だ。


「あの子学園帰りに毎日寄り道してるのね……」


 毎日懲りもせずカルミーユを探し、飽きて寄り道しているのだとすれば、課題が終わらないのも無理もない。


「言っても無駄よね……」


 すでに何度か伝えてもお姉様が手伝ってくれるのが当たり前という考えが根付いているので、どうにもならないのである。顔を合わせずに、避ける方法しか無いのが今の現状だ。帳簿の他にも商会で起きた事など日報を確認しながらどのような方針を取るべきかを考え巡らせる。フォンテーヌ家は元々大きな商会を持つ家で、爵位はあれど領地などはない。商会や屋敷で働く人達が領民のようなものだ。大きくなればそれだけ抱える人が増えるのだから両親や妹の散財はどうにかするのが今の課題だ。


「レオルガには、お父様達の様子も教えてもらおうかしら……ヤグルマギク様との出来事も伝えておかないとね」


 顧客として関わる事は確定事項だ。何事も情報は共有しておくことに越した事はない。


「あとは、貴族で流行っている物と庶民で使われているものの違いを比べたいし……一度店の工場で使い比べをみんなでしてみるのも良いかもこれはトマ叔父さんに聞いた方が早いわね。あ、フリージアの髪の事もあったわ」


 カルミーユはそれぞれに指示や頼みたいことなどを書きつつ急ぎの仕事を片付けていく。ひと段落した所で、今日の手紙を開けた。


「今日はリリアナね」


 なぜかちゃんと食事はしているのか?という質問から始まり丁寧な口調なのにどことなく言い聞かせるような手紙に姉のようだと思わず笑みが溢れる。

 手紙には屋敷で起きた事や休暇の日にした事など彼女の感想付きで語られていた。


「えっと、久々に訪れた図書館でお嬢様が気に入りそうなのを見つけたので、まとめて写本しておきました。ご参考に――」


 箱の1番下に綺麗にまとめられた物を取り出せば、かなりの分厚さである。表紙には親愛なるミーユお嬢様へと綴られており、思わず「愛が重いわよリリアナ」と呟いていた。


 表紙を捲れば、異国の植物の薬効に関することから何故か日常生活における豆知識など多種多様な内容がまとめられている。ふとあるページで紙を捲る手を止めた。


 "最近、壁新聞の隅に主婦の強い味方というものがよく書かれているのですが、メイド業でもすごく勉強になるんです!"


 フォンテーヌ家の商会は、貴族から庶民まで幅広い顧客層がいるのだが、カルミーユは庶民の日々の暮らしについて以前から関心を寄せていた。それを知っているからこそ週に一度張り出されている壁新聞の内容をまとめてくれていたみたいだ。書かれている内容は、いわば昔から伝わる生活の小さな知恵をまとめたものだ。


「幼い子供に食べ物を与える際に気をつけるべきこと……蜂蜜は幼子には毒ともなり得るので、与えてはいけない。食べ物によっては身体が受け付けない事もあるので、少量を与え様子を見ること……これってフリージアが言っていたアレルギーを見分ける方法かしら?子供の皮膚は大人に比べて弱く――」


 カルミーユはヤグルマギクの妹ヴァイオレットに関する依頼の解決口になるのではと文面を読みつつやはり一度シスターと話をしてみたいと思った。


「フリージアに会わせて欲しいと頼んだけれど突然訪れては失礼よね。シスターに伺う旨の手紙を……フリージアにシスターの名前を聞かないといけないわ。髪はリリアナに頼んで……」


 休日までの予定を組んだ後、明日の学業に支障が無いよう眠りについた。



 ***


 翌日、いつも通り授業を受け、教師の手伝いをし、レオルガと木箱を交換した後、メアリーを避けつつ図書館の扉を開けた。入り口にいた司書の1人が片手をあげる。これはメアリーはまだ来ていないよという無言の合図でもある。彼女が来ていれば、追い払うような仕草をするので大変わかりやすく、有り難いものでもあった。

 素早く中に入り、小さくお礼を言った後、足早に目当ての本を探し借りている部屋の扉を開けた。


「ルミー待ってたよ」


 片手に本を持ちながら優雅に椅子に座っていた先客は、カルミーユを見るなり嬉しそうに微笑んだ。カルミーユは驚きつつも本を落とさず部屋の扉を閉めた自分を褒めたいと思った。


「ヤグルマギク様、いらしていたのですね」

「ヤグル」

「えっと……」

「ヤグル」

「ヤグル様」


 貴族の圧を込めた笑みで再度言われ、カルミーユは意に沿うことにした。


「あの、ヤグル様。昨日も言いましたが……私の前では取り繕った笑みは不要です」

「ルミーは、僕のそういった顔が苦手のようだね。今も笑みが固いし」

「本音を言えば苦手ですね。ヤグル様はそのままの笑みで充分魅力的です」

「他の人はこれで良いんだけどなぁ〜」


 困ったように言ったヤグルマギクだが、カルミーユからすれば取り繕った笑みはどこか薄寒いものを感じるので苦手なのだ。


「許可を貰ったから早速来たんだけど良かったかい?」

「私の事はお気になさらないで下さいな」

「あ、これお茶菓子、昨日の困らせたお詫びも兼ねてるからこっちは部屋でゆっくり食べてね」


 (困っていたのに気づいてたのね)


 2つの包みの片方を指しつつ言ったヤグルマギクに、苦笑しつつ礼を言う。


「気づいていたのですね」

「強張っていたからね。悪いなぁと思いつつも牽制を込めてね?」

「牽制ですか?」


 カルミーユは復唱しつつ首を傾げた――



 

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