8.猫被りの貴公子③
首を傾げたカルミーユに、ヤグルマギクは続けて言った。
「君を取られないためのね?」
「私をですか?」
言っている意味が全く理解出来ず呆けた顔をしているカルミーユを見て、ヤグルマギクは苦笑した。
「君は自分がどれだけ魅力的なのか気づいていないんだね」
「か、買い被りです」
「周りが君と近づく機会を狙っているのをいつもフリージアさんが威嚇して追い払っているけれど……」
その時を思い出したのか可笑しそうにヤグルマギクは笑う。カルミーユとフリージアは確かに行動をよく共にしているが、果たして威嚇などしていたのであろうか?それならなぜ目の前のこの人は大丈夫なのだろう?浮かんだ疑問を知ってか知らずかヤグルマギクは立ち上がりカルミーユに一歩近づく
「フリージアさんは、君が物のように、利用されないよう周りを見ているんだ。僕はそれに当て嵌まらないからね」
「店主と顧客ですからね?」
またもや困った顔をしたヤグルマギクは、カルミーユの髪を掬うように持ち上げ、目線が合わさるように身をかがめた。
「僕が君という個人を好ましく思い、知りたいと思っている。だから君の意に反して利用する事はしないからだよ。フリージアさんには「君を傷つけたら許さない」と言われているけどね」
ヤグルマギクが髪を軽く指に絡めて最後は戯けるように言った。正直彼とフリージアの会話内容より今カルミーユの頭にあるのは――
(近い……)
今の2人は、拳1つ分の距離しか空いていない。お互いの目にはお互いしか映っていない距離で、ほのかに香る自身とは違う香りに、カルミーユの体温がぶわりと上がる。
「ヤ、ヤグル様近いです!」
両手でヤグルマギクの胸元をグイッと押しやり、眉間に皺を寄せて睨んだカルミーユだが、その顔は熟れた林檎のごとく赤く染まっている。その表情を見たヤグルマギクが、昨日と同じように口元に手を添えつつも何処か楽しそうで、カルミーユはムッとした表情を隠さずに言った。
「揶揄わないで下さいな」
「揶揄っているつもりは無いんだ。無意識と言うか……その済まない。多分君相手だとあまり自制が効きそうにないから今みたいに止めてくれると……有難いかなぁ?」
「やっぱり揶揄っていますわよね?」
胡乱げな目でヤグルマギクを見れば、彼は首を緩く左右に振った。
「本心だよ。君の前では取り繕わず本音を話した方が、伝わるって学んだからね。だからさっき言ったのも本心だよ」
個人を好ましく――と先ほどの言葉を思い出し、冷めかけた熱が再び上がる。
「わ、私、人から好かれるようなことをした覚えもありませんが……容姿も平凡ですし」
むしろ両親からは、使い捨て道具よろしく邪険に扱われている。
「どうしてだい?僕は君の容姿を好ましく思っているよ。食べたくなるくらい甘い色合いのこの艶やかな髪や君の蕩けるような蜂蜜色の瞳、君の才だけでなく容姿でも人を惹きつけているから僕は気が気でないんだけどね。それに人に好かれるのって意識的にするものでも無いだろう?少なくともクラスの皆んなは君を慕っているよ」
(貴族ってら恐ろしいわ。どうすればお世辞でここまで褒め言葉がスラスラ出てくるのかしら?)
繕っていない素のヤグルマギクを前に、カルミーユは内心慌てふためき、自身が貴族である事を完全に忘れ去っていた。
「く、クラスで何かしましたっけ?」
「強いていうなら君とフリージアさんが仲良くなったきっかけかな?」
フリージアは孤児院育ちの平民だ。それ自体は珍しくもなんとも無いのだが、カルミーユ達の学年では序列3位という事で入学当初から目立った。成績で決まるクラス分けの為上のクラスは必然的に貴族が固まる。カルミーユは男爵家、貴族では下から数えた方が早く、追い落とそうとする者が後を経たない筈だったが、貴族の方がより良い教育を受けられる中、厳しい環境下で育っているはずのフリージアが上位の一員にいる事が、気に食わない貴族の子息はおおく、何かと理由をつけては、フリージアを陥れようとしていた貴族第一主義の一派がいるのだが、数ある事案の1つにカルミーユとフリージアが親密になった一件があり、その事を言っているのだろう。
「普通の事を言っただけですよ?」
「あの時の君の言葉に、気付かされた者も多いんだよ。それに君は人によって態度を変えないだろ?それも皆んなが君を慕う理由だね。まぁ僕はあの時に君がフォンテーヌ家の当主なのだと確信したんだよ。最終確認をする為にお祖父様にも聞きに行ったらはぐらかされたけどね」
最後は声が小さすぎて聞こえなかったが、自身の発言に何か特別なことなどあったのだろうか?とカルミーユは首を傾げた。
「そうなのですか?」
「当主として治める立場についているから言える言葉だったと言えば分かるかい?普通僕たちの年代なんてあって当たり前、その裏でどれだけの人や物が動いているなんて考え無いからね。そういえば貴族の振る舞いについて知りたいって言ってたね。基本的に貴族主義の者はさておき、能力ある者はやはり皆縁を繋ぎたいと思うものだよ。平民なら良くて補佐にしたいと願ったり、貴族相手なら縁を結び箔をつけたりと――」
ヤグルマギクが言いたい事は理解できる。カルミーユは平民寄りの貴族だが、商会を抱えているという事で、やはり若干違いがある。
「フリージアさんは、多分そういった
要するに個々で見られていたのが、セットにされたという事かぁと妙な納得をしたカルミーユは、ふと気づく
「ヤグル様が、話しかけた事が逆効果になったりしませんか?」
アルブル家とフォンテーヌ家で繋がりが出来たという事は、アルブル家と繋がりを持ちたい者は、フォンテーヌ家と先に繋がれば良いと考えるだろう。下級貴族が自身より上の貴族においそれと声をかける事は出来ないが、自身より下なら言い方を悪くすれば、権力を振り翳せばいいだけの話だ。
「昨日から僕達の寮内での認識は、同じクラスの相談が出来る同級生。身分よりも互いの知識を高め合うための関係に収まっている筈だよ」
(私とした事が、昨日は途中から記憶が曖昧だわ……)
己の失態に頭を抱えたくなる。
「寮にいる人達は、研究気質な人が集まっているからね〜あまり気にしなくて良いのかもしれない。クラスでは徐々に君との距離を縮めたい所だけど」
「今のままではダメなのですか?」
目立たず平穏に過ごすを目標にしているカルミーユにとっては、ヤグルマギクとのこれより深い接点は、目標を更に遠ざけるものだ。
「つまらないだろ?僕が、飾らず接する事が出来るのはこの学園で今ルミーだけなんだけどなぁ〜」
ヤグルマギクは見え透いた子供ぽい演技を交え話している。駄々を捏ねる子を真似ているのだろうが、これほど子供なのに子供の振る舞いが下手な人は、彼以外カルミーユは見た事なかった。
「ヤグル様、他の人の目があれば飾らず接するのは、不可能なのでは?後全く子供らしくありませんわ」
「やっぱり?家の者にも不評だった……弟兼友人みたいな子が居るんだけど、彼は大笑い。弟のシンには引いた目で見られたんだよね。まぁ確かに大勢居ると無理か……」
あの目は辛かったと肩を落とすヤグルマギクを見ながら一体どうやったら大笑いするくらいの振る舞いになるのだろうか?カルミーユも、子供らしくないとは言われているが、ヤグルマギクも相当なものである。
「あ、そうだ。僕がたまに使う香水を一式持ってきたんだとは言っても妹が居る時に使ってないからあの子の駄目なものが分からないのだけれど」
「どういったものか分かれば、他の皆さまの結果から推測は出来ます」
「調べるのなら持ち帰るかい?」
「いいえ、此処で見ますわ」
カルミーユは香水を1つ1つ手に取り、ラベルに小さく書かれてある内容を確認し、ヤグルマギクに了承を得た後、香りを嗅いで感じた事を書き出していく、その作業の間ヤグルマギクはずっとカルミーユを見ていたのだが、集中していて全く気がついていなかった。
「ヤグル様はどれが1番お好みで……」
顔を上げれば、自身を真っ直ぐに見つめた目がある。
(いつから見ていらしたの!?)
本を開くのでもなくただカルミーユを見ていたようで――それはもうばっちりと目が合う。
「ヤグル様?」
「僕の好みかい?強いて言うならばこれかな?」
楽しそうに瓶の1つを指し示す。ヤグルマギクにカルミーユは問いかけた。
「特別な事はしていないので、見ていても面白くありませんよ?」
「充分面白いよ。知らない領域に触れるのはいつだってワクワクしないかい?」
目を輝かせて話すヤグルマギクが、初めて年相応に見えた。気持ちはカルミーユにも理解できる。
「母が生存の頃は、色んな物事に興味を持ちすぎて、家の者にも苦労をかけましたわ。店を開くキッカケもその内の1つですが……」
「僕も毎日小言を貰っているよ。寮暮らし初日は初めて開放感を味わったのだけれど、翌日から僕の行動を予知でもしてるのか毎日執事兼教育係から手紙が届くんだよ。返事を返さずにいたら最もな理由つけて訪ねてきたしね」
家の人達はそうじゃなくて良かった。カルミーユは話を聞きながら胸を撫で下ろす。「無理するな」は彼らの愛ある言葉だと分かっているので、むしろほっこりしていたりする。
「今はお返事を書いていますの?」
「弟達の近況報告のみに返事書いてるよ」
それはまた訪ねて来るのでは?と思うが、これが彼とその執事のやり取りなのだろう。敢えて深入りしないのが我が身の為だ。
その後も互いに以前興味を寄せた物や今関心がある事などをポツリポツリと話しつつ今日出された課題をこなし、夕飯の時刻が近づいた事もあり解散した。
勿論図書館を出る時間はずらした。
フリージアと夕飯を済ませ、部屋に戻ると、灯りが灯っている。即座にカルミーユは回れ右をして部屋を出ようとしたが、叶わなかった。
「ミーユお嬢様、お帰りなさいませ。お待ちしておりましたよ」
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