3.あたりまえじゃないあたりまえ③
屋敷から馬車に揺られて数十分――到着したのは、カルミーユが経営している店だ。店名は母の名前をとり「ミモザ」と名付けた。この店を開くきっかけは母だったからとも言える。
母は生まれつき持っていた病と皮膚なども弱く、身の回りで使う物全てに気を使わなければいけない体質だった。
「お母様それなぁに?」
「これはクリームよ。手が乾燥しないように塗っているの」
「クリーム?美味しいの?」
「ふふ、これは食べ物では無いわ。そうだわ!ルミーこれをトマのところへ持っていって「そろそろ無くなるから新しいの貰えるかしら?」って聞いてもらってもいい?」
「トマ叔父さんのところね!行ってくる!今日のお花も摘んでくるねお母様」
母に頼まれたのが嬉しくてカルミーユは急足で部屋を出て庭へ向かう。トマは庭師で、いつも母の部屋に飾る花を貰っている。
「トマ叔父さん!」
「ミーユお嬢様。おはようございます。走っているとコレッタ殿に怒られますぞ?」
「じゃあ内緒にしててね」
カルミーユが口元に人差し指を当てて言うとトマも意地悪い笑みを浮かべ「共犯ですな」と言った。トマは強面の顔からは想像もつかないくらい愉快な事が好きな人だった。
「今日のお花ですかい?」
「それもあるのだけれど、お母様がもうすぐ無くなるから新しいの欲しいって」
そう言って手に持っていた小さな缶を差し出す。それを受け取ったトマは、中を確認して「作りますか」と立ち上がる。
「トマ叔父さんが作っているの?」
「屋敷で使われている物は、全部私の手作りですよ。体質に合わせて作っているんですが、見ますか?」
「見たいわ!」
トマは納の隣にある小屋の扉を開け、小瓶やら道具やらを取り出していく。そして1つずつカルミーユの目の前で見せてくれる。
「これは
「これもトマが集めたの?」
「これは取り寄せた物ですよ。流石に屋敷で蜂を飼育出来ませんからね。次はオイルです」
そう言って棚を指し示すのだが、瓶の数がとても多いのと付けられたタグに全て違う名が書かれていた。
「オイルってこんなに沢山あるの?」
「そうですぞ。薬と同じでオイルにも色々な効能があるんです。奥様に合うやつを探していたら増えちまいまして」
トマは笑いながら
「溶けたら器に入れて冷ましたら完成ですよ」
ほんのりと蜂蜜の香りがする。カルミーユは出来たものをじっと見ながらトマを見上げた。
「これに香りってつけられるの?」
「香水みたいにですか?」
「香水?」
耳慣れぬ言葉に、カルミーユは首を傾げる。
貴族の女性は花の香りと言われるくらい香水が嗜みとして使われるのだが、母はその強すぎる香りに体調を崩すこともあるくらいだった。なので屋敷内でその類の物を見る事も無かったのである。
「奥様のお身体のことがありましたから屋敷では誰も使ってませんでしたな」
トマは香水がどのような物か説明してくれた。何故屋敷に置いてないのかという理由も教えてくれる。
「元々花の香りなの?」
「色んな香りがありますぞ。そうか!」
トマが何かを思いついたのか足早に奥の棚へと向かって行く、そして小さな瓶をいくつか持って戻って来た。
「お嬢様。この中ならどの香りが好きですか?」
「う〜んこれかしら」
素直に良いなと思った物を答えるとまた先程のように
「今は熱いからまだ触れませんが、冷めたら使ってみて下さい」
「分かったわ。ところでこの小瓶はなぁに?」
「精油です。香水などの香りの素ですよ」
カルミーユが精油について聞いている間に、出来た物が冷めたので早速使ってみた。
少し硬めなのだが、塗っているうちに肌の温度で溶けていく。塗り終わった時に手から微かに香る香りは、先程嗅いだ香りによく似ている。
「香りがする」
「成功ですな」
「これをどうするの?」
「まずは奥様の所へ行きましょうか?」
トマと共に母のもとへと戻り、今日の花を花瓶に移していると母が首を傾げた。
「あら?これ何の香りかしら?その花の香りでは無いわよね?」
カルミーユは、母に自身の手を見せ「この香り?」と問いかけた。
「そうこれよ」
「奥様、その香りを嗅いで体調は如何ですか?」
控えていたトマが恐る恐る問うと母はもう一度カルミーユの手についた香りを確認した。
「不思議ね。そこまで強くないからかしら?体調も問題ないわ」
トマはそれを聞き、先程カルミーユとの会話を交えてカルミーユの手に塗ったクリームについて説明していく
「奥様が大丈夫な香りで楽しむことも出来ますよ」
「それは嬉しいわ」
「ねぇトマ叔父さん」
「どうしました?お嬢様」
カルミーユは香り付きのクリームを指差し言った。
「お母様だけじゃ無くて、色々な人に合わせた物って作れるの?」
「そうですなぁ〜人それぞれ体質が違うので合う物を聞きながらという形になりそうですが、どうかなさいましたか?」
「そういったお店があったら面白いって思うの」
カルミーユが言った言葉に部屋では、皆何かを思ったのか考えるような仕草をする。
「レオルガ紙とペンを」
母は迷うことなく書き進め紙を皆に見えるように向けた。
「オーダーメイドのハンドクリームを作れる店よ。誰でも入れるように、外から店内が見えるようにして、貴族はお忍びで来られる方もいると考えると、別の出入り口がいるかしら?」
「奥様、オーダーメイドにするのならば、個室で相談出来る場所を作りませんか?」
「そうね。その方が気兼ねに話せるかもね」
何故か大人達がワイワイと盛り上がり、気がつけば空いた土地を探し、蜂の養殖出来る場所や屋敷からは精油などそういった事に詳しい人選を初め、あれよあれよと店が完成した。
母の希望で、店内は木の温もりを感じられるように作ってある。全ての顧客がオーダーメイドする訳ではないので、幾つか店の看板商品と季節毎に新しい商品を置くようにしている。手にとって香りを選べるように、店の中は常に空気を入れ替え、匂いが混ざらないようにと心配りも忘れずにしている。
「「お嬢様!お久しぶりです」」
店に入ると迎えてくれたのは、元屋敷のメイドであるカメリアとデージーだ。カルミーユは2人の手を取り笑いかけた。
「2人が元気そうで何よりだわ。困った事とか無いかしら?」
「大丈夫ですよ。お嬢様」
開店前なので、店に居るのは彼女達と多分奥で楽しそうに作業しているであろうトマとその弟子だ。義母達は何故か庭師を底辺と見ており、トマやその弟子を見かけると小馬鹿にした態度で彼等の仕事を邪魔するので、寝ている早朝や彼等が屋敷に居ない時に庭の手入れをし、空いた時間は此方を手伝ってくれている。そしてレオンは、この店の店主の役を担ってくれていた。
母がこの店とフォンテーヌ家を切り離した形にしたので、登録されているのは、レオンの名だが実質のオーナーはカルミーユである。
父の散財振りは、母が生きている頃から既に始まっており、カルミーユの手元に何かを残すとなれば、この方法が最善だった。だが、父達の散財は予想を遥かに通り越しているので、この店での売り上げを店の運営資金と此処と屋敷で働いている者達の給金に割り当てていた。
店の上に行けば、カルミーユの執務室があり、更に奥の部屋には母との思い出の品で溢れかえっている。母が亡くなった時、皆が貴重な物を此方に移していた。もし屋敷にあれば、カルミーユの物では無くなっていたであろう。機転を効かせてくれた皆には感謝しかない。
机に置かれていたお客様の注文表を確認しつつ、下の工房へと降りて行く
「トマ叔父さん。おはよう」
「お嬢様おはよう御座います。屋敷に平和が訪れましたなぁ〜付き添いの面々が可哀想だが……」
トマの物言いがかなりはっきりなので、カルミーユは苦笑しつつ首を横に振った。
「そうでもないのよね〜レオルガに見せてもらった……」
カルミーユはなるべく簡潔に朝の一連を話した。トマもレオルガと同じく屋敷に勤めて長い古参の面々だ。祖父がどの様に経営していたのかなど助言をしたり、時には年長者としての視点を教えてくれるのだ。
「金が湧いて出るとでも思っているのですかねぇ?」
「それは……どうでしょう?」
「最小限に抑えられるよう祈るしかありますまい。それよりお嬢様学園に通うのですか?」
「皆んなが行った方が良いって言うのだけど、特待生で入れるのか不安で……」
「私も学園に行った方が良いと思いますね。お嬢様の才を伸ばす環境が、今の屋敷にはありませんしな。それに学園には色んな者が集まりますし視野が広がりますよ。後少し失礼」
そう言ってカルミーユの頬を軽く引っ張る
「にゃありしゅるんですか」
「特待生に拘るのは、学費ですかい?」
「……」
「カルミーユお嬢様。例え貴女が試験当日に体調を崩し、特待生に慣れなかったとしても構わないのですよ。学費くらい私が今まで貯めた給金と当面の給金をそれに当てれば充分お釣りは出ます」
「トマ叔父さん。そ、それはダメよ。貴方が働いた分の報酬は貴方が受け取るべきよ」
動揺して声が上擦る。トマはカルミーユの手を取り真剣な顔で言った。
「では貴女の報酬は、誰が与えるのですか?私が頂いた分を私が何に使うかは自由です。貴女は確かに当主だが、まだ大人の庇護下にあるべき子供でもあるのです。私にとっては貴女は大事な子も同然。それとも私では頼る事が出来ませんか?」
「いいえ。そんな事決してありません。私1人では何も……」
「覚えておいて下さい。貴女は1人では御座いません。私達が側におります。だから無理せずやりたい事をやって下さい」
「そうですよ!お嬢様!いざとなったら我々の給金も差し上げますので、いつものお嬢様らしくいれば良いのです」
店に居た面々が、慈愛の満ちた目でカルミーユを見ている。それに目が熱くなったが、堪えるようにカルミーユは笑った。
「なら尚更皆の給金の為にもお勉強頑張らないといけませんわね」
カルミーユがそう言うとトマは目尻を下げ、優しく頭を撫でてくれる。その暖かさが母の物と重なり、大丈夫だと背を押してくれている様な気がした。
その日から空いた時間は、学園の試験に向けて勉強し、気がつけば試験の結果発表日だった。届いた通知書を厨房で開くと第2位と書かれ、すべて任意だが特待生寮への手続き等の手順が書かれていた。使用人一同で策を練りに練り、父の許可をもぎとったカルミーユは、学園へと足を踏み入れたのだ。
しかしカルミーユが自由気ままな学園生活を送れたのは一年のみで、これが嵐の前の静けさだったのかと後に彼女は思う。
(どうしてこうなった)
目の前でニコニコと笑う貴公子を前に、カルミーユは笑みを引きつらせていた。時は遡る事数分前に遡る――
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