2.あたりまえじゃないあたりまえ②


 カルミーユが母に頼ってもらう為に奮起を始めて一年と少し――

 フォンテーヌ家の女当主である婦人の部屋に全ての使用人が集まっていた。この数ヶ月で更に痩せ細り、もう起き上がるのも大分辛いはずだが、穏やかな表情で膝で寝てしまった娘の髪を撫でながら使用人達を見回した。


「急に集まって貰ってごめんなさい……これからの事をお話ししたかったの」


 使用人達の一部はすでに涙ぐんでいる。当主はもう長くは無い――それが分かっているからだ。


「まずはこんな頼りない私と共にこの家を支えてくれて本当に有難う。両親が流行病で亡くなった時もあの人が変わってしまった時も皆んなが居なかったら私はとうの昔にダメになっていたわ」

「奥様……」

「あの人の話は皆んなもう知っているわよね?私が亡くなれば当主権は、夫のあの人か、娘のこの子どちらかが得られる。私はこの子には酷だけれどもカルミーユを次の当主とするわ」


 この2年カルミーユは本当に幼子とは思えないほど成長した。使用人の誰1人としてすでに彼女を子供として諭したりする事をしなくなり、カルミーユが疑問に思えば誤魔化さずしっかりと答える。彼女が母の助けになりたいと努力しているのを誰も妨げたくは無かったからだ。


「奥様ですが、ミーユお嬢様が当主となられるとあの方が何か言われると思うのですが……」

「えぇ分かっているわ。あの人と共にいる人も色々言ってくるでしょうね。だからルミーが成人する時に当主になるかを決めてもらう。それまでは2人とも当主代理という形を取るとあの人に言うわ。書面は既に王城に出したと言ってしまえば覆す事は出来ない。実際出すのはカルミーユを当主とする事だけれど、この子を守る為に、この事を宰相様たちに我が家がずっと先延ばしにしていた褒美として提案するつもりよ。レオルガ」

「はい。奥様」

「私にしてくれた様にこの子の補佐を頼めないかしら?」


 この当主は命令すれば良いのにしない。使用人一人一人の意見を取り入れる人だ。レオルガは自身の意思を示すよう当主の目を真っ直ぐ見て答えた。


「勿論でございます。私はミーユお嬢様に誠心誠意お仕えいたします。差し当たっては奥様。万が一あの方がたがこちらにお住まいになられた際、我々は如何なさいましょう?」

「そうね……私にとっては貴方達の1人も欠けて欲しく無いわ。多分この子も思っていることよ。ルミーは聡い子に育ったから多分何かあれば貴方達を守ろうとする。なら最低限向こうの言い分を聞いて被害を最小限に抑えた方が良いわ。噂に聞けば大分気性の激しい方らしいし……」

「では我々はお嬢様を守れるように人力いたします」

「有難うみんな。私は貴方達がいて本当に幸せだわ」


 朗らかに笑った優しい当主はその1週間後――

 眠るように息を引き取った。そしてカルミーユはフォンテーヌ男爵家の当主となった。


 喪も明けぬうちに義母と腹違いの妹を連れ帰った見慣れぬ――ほぼ他人と化した父は、カルミーユに言った。


「貴族だからと言ってお前が怠けるのは良く無い。これからは身の回りを全て自分でするのだ。使用人の助けを借りるのも禁止だ」


 義母となった人は、扇子の端をカルミーユに向けて言い放った。

 

「貴女今日から屋根裏が部屋よ。貴族の貴女が私たち平民に部屋を譲るのがあたりまえでなくて?」


 メアリーに教師をつけた時、義母に隣で聞いても良いかと尋ねれば

 

「貴族の生まれなのだから振る舞いが出来てあたりまえよね?」


 またある時は――

 

「妹に少しくらい贅沢させなさい貴女姉でしょ?」


 父に当主代理の仕事をレオルガと持っていけば、カルミーユを呼びつけ

 

「お前、私の代わりに視察に行け、私は忙しいのだ。子が父の手伝いをするのはあたりまえだろ?」


 初めて触れた物に悪戦苦闘していると鼻で笑い

 

「お前は貴族なのだからこれくらい出来て当然だろう。むしろ出来ないのはお前の努力が足りないからだ」

 

 毎日押し付けられる父達のあたりまえ。夜になれば使用人の誰かが「あれが当然などとどの口が!」と怒っている。

 あたりまえじゃないあたりまえが続く日々――けれども幸い母に手料理を食べさせたくて厨房で手伝っていた事もあり勝手が分かっていたのと、料理長達がさりげなくカルミーユがやり易いように台を置いたり、隣でゆっくりと調理の仕方を見せ、カルミーユが見返すことが出来るようにメモを後で書いてくれる。

 意地悪で食事抜きと言われても夜中にこっそり誰かが食事を運び、洗濯や掃除もやり易いようにさりげなく整えられ、父の部屋も監視がある中でも目を盗んではフォローに入り、むしろ使用人達はこの隠密行動を活き活きとやっているので、カルミーユは酷い言動や押し付けにも耐えられたのだ。


「私は幸せ者ね」

「どうしたのですか?お嬢様」


 カルミーユの小さな呟きが聞こえたのだろう。リリアナが後ろから尋ねてきたので、振り向き笑顔で答える。


「皆んながいて良かったなぁ〜って思っていたのよ」

「ミーユお嬢様!」


 感極まっているリリアナはさて置き、メアリーの部屋へ向かう扉の前には既にレオルガが待っていた。


「要らないって言ってたドレスは?」

「こちらです。ミーユお嬢様」


 どう考えてもまだ新品だ……

 フォンテーヌ家お抱えの商会や工場の売り上げは、まずそこに働く者達の給金と維持費に回され、残りが家に入る仕組みだ。元々はそれで充分に足りていたのだが、父を含めた3人の散財ぶりは凄まじく、そこだけ見れば既に赤字だ。言ったところで「貴族たちはもっとお金を使っているのに私達はダメですって?」と言われるのがオチだ。


「これは、少し手直しして貸衣装として回しましょうか」

「寄付として渡すには少々華美ですからね……」

「そういえば義母上が購入した物の請求書は?」

「こちらで御座います」


 受け取ってカルミーユは2度見し、更にもう一度数字を数えなおす。紙を持っている手がワナワナと震え、隣にいるレオルガを驚愕の顔で見上げた。


「レオルガ……これ0が2つ程多くありません……か?」

「お嬢様、間違いではございません」

「あの壺1つで10万リィール越えなんて……」


 一般平民の10人分の給与に該当するのだ。カルミーユはフラつきそうになるのをなんとか耐えつつ、ふと今朝のやり取りを思い出し、予想可能な現実に青ざめた。


「父上達ここに来てから初めて1か月も屋敷を離れているのよ。後で請求書の山を見るのが恐ろしいわ」

「共として行った者達が止めてくれるのを祈りましょう……」


 どう考えても不可能な話である。重い溜息が2人から溢れると、空気を変えようとリリアナが手を叩いた。


「ミーユお嬢様、レオルガさんとりあえず朝食食べませんか?お腹が空いては何たらと言いますしね?」

「そうね……」


 思い足取りで厨房へ向かう。使用人達は基本厨房で交互に食事を取っている。主人達に食べるところを見せない為だ。カルミーユもあの日からここで食事をしている。父達と共に食事をせずに済みホッとしたのは記憶に新しい……


 厨房に着くと優雅にお茶を飲んでいる先客が居た。


「レオン?」

「ミーユお嬢様!お元気そうです何よりです!」


 カルミーユを見るなり、立ち上がって優雅に礼をするレオンは、落ち着いた色合いのスーツを着こなし、何処から見ても貴族の前に出ても恥ずかしくない雰囲気を纏っている。因みにレオンはレオルガの息子だ。本来なら父の元で執事として学ぶ筈なのだが、とある理由で形式上フォンテーヌ家から出た形を取っており、父達が夜会などで屋敷にいない時に、カルミーユや家族達に会いに屋敷に戻ってくるのだ。


「どうかなされたのですか?」


 顔にでも出ていたのだろう。心配そうにそして何かあったのを確信しているレオンの問いかけに、カルミーユは、簡単に何があったのかを説明した。


「我が家はそこまで裕福では無いと言っても信じて貰えなくて……何故かしら?」

「お嬢様、この屋敷が有るのは何処ですか?」

「王都だけど……」


 レオンの質問がどういう事なのか分からず首を傾げると、レオルガが盲点だったと言わんばかりの顔で溜息をついた。


「ミーユお嬢様、王都は国の中心です。そこに屋敷を構える事が出来るのは、ほんの一握りなのです」

「この屋敷が建ったのは遥か昔の話よね?その頃商会が成り立っていればそれなりの物が買えるとは思うけれど……」

「過去に安価でも今や富裕層しか手が出せないのですよ。王都に住まいの一般の方がは、貸り部屋などを借りて住んでいる者が殆どなのですよ。そこから認識の違いが生まれたのかと……」

「我が家の経営状況も確認していない父が知るわけもありませんしね……」


 結局のところいかにこちらが、散財を阻止できるかという事になってしまう。解くどころか頭が痛くなる難問に全く心が踊らない……悟りを開きかけているカルミーユに食堂にいたメンバーは、気苦労の多すぎる幼い当主が哀れに思えて仕方がない。


「あ、ミーユお嬢様今日はこれを見せたくて早く来たんです」


 話題を変えるべくレオンが懐から出したのは、エテ王立学院の入学応募案内だった。


「お嬢様、来年入学なさいますよね?」


 学院は、初等部4年、中等部3年、高等部3年とあり、初等部までは身分性別問わず通う事ができ、中等部以降は人によるのだが、貴族は嗜みの一つとして学院に通っているのがほとんどで、成人となり社交に出る前の練習の場。平民からすれば、初等科さえ出れば職にありつけるので、中等部に行くのは稀であったりする。最終的にはほぼ貴族で埋め尽くされている。

 

「私はお金がかかってしまうわ。強制でなければ父上が許すわけも無いですし」


 誰でも学べるようにと、初等部に至っては平民は無償で、貴族からは一律の学費を払う仕組みになっている。

 中等部以降は、貴族と平民費用に差はあれど学費を払う。カルミーユは、一応貴族なので学費がいる。通わなくてもお咎めがないのなら自分自身とメアリー第一主義の親達がそれを許す訳がない。

 

「お嬢様入学特待生って知ってますか?」

「入学特待生?」

「クラス分けの為に試験が有るのはご存知ですよね?そこで成績優秀者上位3名には、学費免除に加え遠方から通う子達の寮とは別に専用の寮が与えられ、人材育成の為に研究等の費用は全て学院側が持つというものです」


 そんな素晴らしい制度があるのかとカルミーユは目を輝かせる。だが先程言っていた条件がある。


「上位3名よね?難しくない?」

「ミーユお嬢様ならトップでもありえます。それに自由に出来るのですよ?香料の調合とか人体に影響の少ない物とか調べたいと言ってましたよね?」


 ここ1年で自己評価の全てが下りに下がっているカルミーユにレオンは、はっきりと言った。父レオルガが補佐についているとはいえ、この家に関わる全てを取り仕切っているのは、5歳のこの当主だ。同じ年頃の貴族でも飛び抜けている者は、カルミーユを含め幾人かいるがそれでも一握りだ。


「お嬢様。学院には我々も幼い頃通っていますから試験に役立ちそうな物を皆で探しておきます」

「有難う。けれど、私が学院に通うとなると皆んなに負担をかけることになるわね」

「お嬢様が元気に笑って下さるのならそれより嬉しい事はございません。ただ寂しくはなりますね」

「そうね。もし特待生で入れたらみんなに手紙を書くわ。それに気になってしまうから屋敷に帰ったり店に顔出すわよ?」

「では、レオンさんの様に不在の日をご連絡致しますね」

「もうリリアナたっら」


 仮に寮住まいとなっても屋敷に戻る際には、ゆっくり休む為に帰ってきて欲しいと言う意味だが、言い方が言い方なのでちょうど厨房へ来たコレッタに小突かれていた。


「まずは、朝食を食べてお店へ向かうわ」

「はいお嬢様!」


 父達が来てから全員が集まってゆっくり食べる朝食は、久方ぶりで、いつもより暖かくて懐かしい味がした。

 


 


 

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