伯爵様は猫被りだった!〜あたりまえを押し付けられ令嬢、何故か伯爵様にロックオンされました〜

桜月 雪

1.あたりまえじゃないあたりまえ


 玄関ホールに使用人達が列をなし玄関口には、おろしたての礼服に身を包んだ男と今期の流行りであるスカートがフワッと広がるタイプのドレスに身を包んだ女と少女が立っていた。一見貴族なら何処にでもあるような出かける前の見送りなのだが、その一家に囲まれるようにして立っている1人の少女は、ミルクチョコレートのような甘い色合いの茶色い髪を一つに結び、お着せ着とまではいかないが、汚れが目立たないような色の服を着ている。

 

「良いか私が留守の間に、しっかりと部屋を掃除するんだ。お前は目を離すと怠けるのだから私達がいない間屋敷を磨き上げるのも子の勤めというものよ。あぁ……大事な書類が沢山あるのだから丁寧に扱え、それくらいならお前でも出来るだろう。あと……」

 

男が何かを言うたびに「はい父上」と彼女は従順に返事をしているのだが……


 (父上その書類を作ったのは私で、父上に渡したのも私ですよ。昨日も遅くまで飲まれていましたし、何一つ確認して無いのは存じ上げてますが……あと子の勤めというならばメアリーも含んでしまいますのよ?この様子じゃ気づいていませんわね)


 かれこれ半刻は過ぎてるのではないだろうかと思うくらい止まる事なく話し続けている。正直言えば疲れたのだが、脳内で繰り広げている返答はさて置き、それを顔には決して出さないようにカルミーユは気をつけていた。ふと視界にフワッとドレスの端が見える。


「カルミーユ。貴女掃除するのは良いのだけれども私のコレクションを壊さないで頂戴よ」


 (掃除は決定事項なのですね。コレクションって宝石がゴテゴテと貼られているアレの事かしら?壊すくらいなら売って皆の給金の足しにしたいです。見た目はあれでも宝石自体は本物でしたからね)


「はい。義母上」

「貴女ただでさえそそっかしいのに、本当貴族の血があるだけで優雅に生きていけるなんて贅沢なものよね。我が家ではそんな甘えは許されなくってよ。貴女は働くべきなの見た目も貴族らしくもなく平凡な事ですしそちらの方がお似合いだわ」


 (我が家……ですか……確かにこの家で、ほぼ名ばかりになってしまった我が家でも貴族の血が流れているのは私だけですし……平凡なのは自覚してますが、5の私と張り合って意味があるのかしら?)


くどくどと抑揚ない声の次は、甲高い声が玄関ホールに響く、カルミーユは自身の血筋の話が始まった時点で、後ろにいる使用人達の纏う空気が怖くて振り向けない。すると「カルミーユお姉様」と愛らしい声が胸元あたりで聞こえた。この場合抱きつかれたと言った方が正しいのだろう。


「カルミーユお姉様は、私のドレスどうおもいます?」


 言いながらフワッとその場で回る。愛らしい容姿をした妹にその服はとても似合っている。カルミーユは素直に感想を述べた。

 

「とても素敵よメアリー」

「そうでしょ?あとねぇ〜お姉様、おへやにあるドレスもういらないのあるからすててね。私うみがみえるところにいくのはじめてだからたのしみ!私がいなくてお姉様さびしいかもしれませんが、おるすばんがんばってください!」


 (また買ったのね……その要らないドレスも新しいはずだし……普通は「どうしてお姉様は一緒に行かないのですか?」と問いかけるものよ。私の留守番があたりまえになってしまっているわ。それにこの子まだ4でそんなに頻繁に夜会に連れて行って良いものかしら?)


 エテ国では、3歳でお披露目はするもののデビュタント自体は12歳以降からだ。毎度の夜会にこの歳で出席させていると周りからどう思われているのか考えるだけで恐ろしい。


「馬車の準備が整いました」

「ふん、いいかカルミーユ。私達が居ない間お前は屋敷の掃除をしておくのだぞ」

「はい。お父様」

 

 義母は鼻でカルミーユを笑った後、真逆の優しい笑みを浮かべメリーの手を引き馬車に乗り込んでいる。


「ミーユお嬢様……」


 小さな声で名を呼ばれ、カルミーユは優しく笑う。


「私は大丈夫。これから1か月大変だと思うけれど、どうか身体に気をつけてね」

「お嬢様もお身体を大切にして下さい。しっかりと羽を休めてくださいね」

「ふふ、分かったわ。もう時間ね。リゼ、ルーナ、ケリー道中気をつけて」

「「「行ってまいります。お嬢様」」」


 2台の馬車を門まで見送ったカルミーユは、屋敷へ入り父の書斎へ足を向けようとしたが――目の前に壁が立ち塞がった。


「ミーユお嬢様どちらへ?」


 立ちはだかる壁は、メイド長のコレッタだ。圧が凄まじいので、カルミーユは彼女から視線を外しつつ言った。

 

「父上の書斎へ……」

「掃除は我々の仕事です」

「……そうね」

「お嬢様の本日のご予定は?」

「午後からお店に顔を出そうかと思っているのだけれど、何か急ぎがあるかしら?」


 尋ねると持ち場に戻ろうとしている使用人達が一斉に振り返り言った。


「「「お嬢様働き過ぎです!休んで下さい!」」」

「そう……かしら?」

「そうですよ!当主の仕事に加え、我々のするべき仕事までやらされ、身の回りの事まで全て自分でやられているではありませんか!本来メアリー様と同じように遊んでいいはずなのですよ。それを……「リリアナそれまでになさい」」


 コレッタに止められたリリアナは、若干膨れっ面だ。まだ言い足りないらしい。カルミーユは彼女の手を取り言った。


「怒ってくれてありがとう。けれどわたくしが当主なのだからその仕事をするのは当然のことよ。それにレオルガも助けてくれるしね」

「……ミーユお嬢様、お茶をご用意しますからご休憩なさって下さい。その前にお着替えですよ!」


 リリアナに背を押されるがままに廊下を進み、全ての部屋を通り過ぎ、更に狭い通路を抜け屋根裏へと続く階段を上がる。屋根裏の最奥角部屋がカルミーユの自室だ。屋根裏部屋の中では1番陽当たりのいい場所である。


「お嬢様と私達のお部屋が同じなのも問題ですのに……」

「私はみんなが近くにいて嬉しいわよ」


 これは本音だった。今彼女の味方でいてくれるのはこの家の使用人と商会の者達だけだ。


 カルミーユ・フォンテーヌ 5歳

 彼女がフォンテーヌ家の当主となったのは昨年実母が病で亡くなった時だった。


 フォンテーヌ家は代々続く商家で、平民に寄り添った商いを続けていたが、大戦の最中突如攻めてきた敵によって困り果てた難民達に、出来る限りの支援を無償でしていた事からその功績を讃えられ、男爵位を賜った。順調だったのは母が結婚するまでで、カルミーユの母は生まれつき身体が弱く、カルミーユを産んだ後それが更に悪化した。婿として入った父は、病に蝕まれながらも当主として日夜頑張っていた母を助け支えるどころか頻繁に外出しては散財し、挙句の果てに愛人を作り子を成してしまった。それからますます家に戻らない日々――カルミーユにとって父がいないのが日常であり、顔も朧げで覚えてい無かった。

 

 カルミーユにとっては運命の歯車を変えた日――


 2歳と少し過ぎ簡単な受け答えが出来るようになって、屋敷の中を探検しては、ベッドの上で執務に勤しむ母に新しく見つけた物を報告するのを日課にしていたカルミーユは、今日の報告をしようと部屋の扉を開けようとした。


「このままではフォンテーヌは終わるわ」

「奥様、気を確かに」


 声で執事長のレオルガとメイド長のコレッタと知り、いつもなら扉を開ける手が、扉にかかったままその場で動けなくなった。


(おわるはさよなら?)


 何故さよならをするのだろう?カルミーユは理由を知りたくてそっと聞き耳を立てた。


「私はそう長くは無いわ……本当ならあの人に任せたいけれど、それが出来ない。しかもルミーと1つ違いの子供までいるのよ……レオルガ貴方はどう見る?」

「あの方の愛人もお調べ致しましたが、そのあまり良い評判は無く……」

「……この際家は良いわ。それよりもルミーや貴方達が心配よ」


 3人の深い溜息が聞こえ、カルミーユはそっと扉から手を離した。


 (おとうさまにもうひとりのこども?おかあさまのしらないひと?おとうさまにおうちをおねがいしてもしなくてもさよならしちゃの?……まかせるはおねがいする。おかあさまがおねがいできるひとがいない)


『お母様は身体があまり良くないのだからお屋敷を見てまわれないの。だからルミーが見たものをお母様に教えてくれるかしら?』

『わたしがおかあさまのめになるの?』

『そうね。お願い出来るかしら?』

『うん!がんばる!』


 母についてずっと部屋にいるカルミーユを心配した母がくれた提案だ。母の代わりに見て報告する。あの時確かに母にお願いをされたのだ。


 (わたしがいっぱいできたらおかあさまおねがいできる!おぼえるはほん!)


 カルミーユは走って屋敷にある小さな書庫に行き本棚の前で愕然とした。高い位置にあるからではなく、目の前にもカルミーユの高さで取れる本はあるのだが、背表紙に書いてある文字がそもそも読めないのだ。母はいつも読んで聞かせてくれるから自分も読めるのだと思っていた。読めないのなら何も出来ないのである。


 またくるりと向きを変え、もう一度母の部屋に行き。今度は扉を思いっきり開けて言った。


「おかあさまもじをおしえて!」

「ルミー走ってはいけないでしょ?どうしたの急に文字を覚えたいなんて」

「もじおぼえておべんきょうしたらおかあさまわたしにおねがいする?」


 母がハッと息を飲み、次にはカルミーユを抱きしめていた。


「母様が不甲斐なくてごめんなさいね」

「おかあさま?」

「ルミーはお勉強してどうしたいの?」

「えっとね。おかあさまにおねがいされたい!みんなわらう!」

「ミーユお嬢様は、我々も考えてくださるのですね」

「れおりゅがもみんなかぞくよ?」

「「光栄でございます。お嬢様」」


 渋る母が折れるまで言い続け、まず文字を覚える傍ら母は自身が仕事をする時カルミーユを必ず側に置き、一つ一つ理解出来るまで丁寧に教えた。子供ということもあったのだろうカルミーユの覚えが早く、3歳になる前に母国語は問題なく読み書きが出来るようになり、簡単な算術まで覚えてしまった。3歳には今度は屋敷だけでなく、レオルガに商会や工場等に連れて行ってもらい母の代わりに見て、報告をする。貴族の作法もそれ以外も全て自ら進んで学んだのだ。全ては母の支えになる為に――


 

 

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