姉が縮みました。

金澤流都

沼に棲む生き物

 姉の部屋には正直なところできれば行きたくない。

 なぜかというと、姉はドールオーナーとかいうきれいな言葉で梱包された沼に棲む生き物で、姉の部屋にいくと、見目麗しい少年少女からムキムキお兄さんやセクシーお姉さん、アニメ顔の美少女、謎のケモノ人間、そういう人形がうじゃうじゃいるからである。

 僕は小さいころからどうにも人形というものが苦手で、姉のために出された雛人形をみて号泣したという幼稚園時代の思い出が心に焼き付いている。


 どうしても人形は好きになれないが、「助けて! 大至急部屋に来て!」とメッセージを送ってきたので、仕方なく姉の部屋に向かうこととなった。両親は遠方だし、姉には当然彼氏なんていないし、僕が行くしかないのである。


 姉の部屋は不用心なことに鍵がかかっていなかった。都会で一人暮らしをする女性とは思い難い。しかし姉を好きになってストーキングしたりするような人はいないだろうが、それでもあんまりだ。

「姉さん? どこ?」


 僕がそう言うとやたら小さくて甲高い声で、

「ここ!」と聞こえた。姉の声ではないが、どうやら人間の部屋にいるようで、1人暮らし向けなのに2部屋ある、それ以外はオンボロという変なアパートの、姉の趣味の部屋をスルーして人間の部屋に向かう。

 相変わらずとっ散らかっている。ベッドには抜け殻状に寝間着が落ちていて、ローテーブルにはポテチの袋と缶ビール(そこそこおいしいやつ)が置かれている。しかし姉の姿が見当たらない。

「姉さん? マジでどこ?」

「ここ! ここだってば!」

 僕は思わず悲鳴を上げた。そこにいたのは、50センチにならないくらいの姉さんだった。


「なにがあってそんなことになってるのさ」


「知らん! ビール飲んでポテチ食べながらドル沼CH観て寝落ちたらこんなんなった!どういうことなのかさっぱりわからん!」


 ドル沼なんちゃらがなんなのかはともかく、姉はドールサイズになっていたようだった。

 姉はあれだけドールの服を持っているのにタオルを体に巻いていた。そりゃあしょうがない、ドールみたいにシュッとした体型でないからだろう。そう思っていると、

「あんた、わたしが太ってるからドール服着られないと思ってるでしょ」

 と、姉は僕の思ったことをズバリと指摘した。


「違うの?」


「ちがわい! 身長が半端なんじゃ!!!!」


 身長が半端とな。詳しく話を聞く。

「ドールっつうのはだいたい40センチか60センチが大きい子の標準サイズなんだよ……自分で測ったら47センチしかなくてさ……海外ドールとかならこの半端なサイズの子もいるかもだけどうちには47センチの子はいないんだわ。50センチの海外ドールがいるから、その子の服を詰めれば着られるかもしれない」

 はあ……。仮にジャストサイズの背丈のドール服があっても着られるとは思えないのだが。

 とにかくなにか服を着ねばならない。ドール服は趣味の部屋の戸棚に仕舞われているそうだ。とってきてほしいと言われて、こわごわ趣味の部屋に向かう。


 趣味の部屋は姉の「人間の部屋」と違って整然と片付いていた。窓には遮光カーテンがかけられて、ドールはガラスのケースに陳列され、洋服はサイズ別に戸棚に仕舞ってある。

 そこから50センチの服を探すのだが、ついガラスケースのドールと目が合ってしまう。

 ……やはり姉とは顔立ちも体型も全く違う。大丈夫なんだろうか。とにかく50センチの服をクリアファイルに挟んでそれをキングジムのファイルに挟んだものを姉の部屋に向かう。


「姉さん、着られそうなのある?」


「ううーむ……アラサーのわたしにはキツイのばっかりだな……体型的にではなく年齢的に」


「どっちもあんまし変わらないよ。で、その状態でドール見てみなくていいの」


「わたしはドールが好きなだけであってドールになりたいわけでは……」


「ならドール見るべきなんじゃないの。愛してもらえるかもよ」


「いや。ドールさんたちだってオーナーがいきなり縮んだらびっくりするでしょ。そもそもドールに愛されたいというのがおかしいのだよ、ドールは人間が真摯な愛情を注ぐべき相手であって見返りを期待してはならない……あるいは妄想で補完するしかない」


 姉のドール愛がややこしいことになっていた。

 とりあえず姉はパツパツながら、いわゆる地雷系ファッションの服を着た。全く似合わない。普段はTシャツにデニムにスニーカーがデフォなのだから仕方がない。

 しかしドールの服というのはよくできている。細かい細工が施してあり、服のボタンや金具は人間の服よりずいぶん小さい。


「どうする? 病院とか行くの?」


「かのブラックジャックだって縮んでいく人間を治せなかったわけで、普通の医者に治せるとは思えねーんだよなー」

 そんな、突然不朽の名作を持ち出されても。


「じゃあどうするの」


「ドラちゃんのスモールライトだって時間が経つと効果が切れるんだからたぶん放置で大丈夫なんじゃないの? ソースは宇宙小戦争」

 また不朽の名作を持ち出してきたぞ。


「いやそれは安心しすぎでしょ。姉さんは食事したり風呂に入ったりしなきゃいけないんだから」


「そーなんだよなー!!!!」


「じゃあ医者行くよ!!!!」


「いやだ!!!!」


 なんだその散歩がてら予防接種に連行される犬みたいなリアクションは。


「人間サイズに戻ったら、労働せにゃならんじゃろがい!!!!」


 理由がクズそのものだった。


「えっじゃあきょう会社にはなんつったの」


「風邪ひいて熱出たっつったよ。このご時世だからゆっくり休めと言われた」


 はあ……。

 気になったことを訊いてみる。


「ドール服って、一着いくらすんの? どういう形態で売られてるの?」


「うーむ、ツイッターのDMで通販やってる人もいるし、Boothで売ってるひともいるし、海外製の通販もあるし……これはイベントで勝ち取った有名ディーラーさんの激レア衣装でな、1着3万円する」


「自分の服はしまむらで済ますのに?!」


「たまにはユニクロでも買うぞ?!」


 なんの言い訳にもなっていないし、姉が叫んだ瞬間かわいい猫ちゃんの形のボタンが一つ弾け飛んだ。


「ほらやっぱり体型的に無理があるんだって」


「違うぞ、なんか急にキツくなって……はわわわわ?!?!」


 姉の着ていた小さな高級ドレスは、木っ端微塵に弾け飛んだ。姉はだらしないボディで元のサイズに戻った。これは夢だ、悪い夢だ……と目を逸らす。姉は慌てて寝間着の上をだぼっと着たようだった。


「あうう……超絶かわいいお洋服が……」


 そっちが先かい。


 ◇◇◇◇


 姉は無事に人間の大きさに戻ることができた。というか、47センチに縮んでいたというのがそもそもなぜなのかわからないし、なんで治ったのかもわからないが、世の中にはわからないままにしておいたほうがいいこともあるのかもしれない、と僕は思っている。


 姉は高価なドール服を粉砕してしまったショックで、ドールの人員整理を始めたようだった。レアで死ぬほど高価だった子も含めて、ちょっとずつツイッターで譲り先を探しているらしい。


 今回の出来事を、大型連休で帰省したときに姉のお人形大好きの源流となった母(リカちゃんだのジェニーちゃんだのをすごい勢いで買い与えたらしい)に説明すると、母はゲラゲラと笑ってから、


「人形霊じゃん」


 と、今一つ笑えないジョークを返してきたのだった。(おわり)

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姉が縮みました。 金澤流都 @kanezya

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