第5話:高額請求

 ああ……その通りだ。


 俺の心臓は、竜の顔を真正面から見たものとそっくりだった。まるで竜の首が丸々心臓になったとさえ思うほどだ。


 それはどこか――あのファーヴニルの竜の顔を思わせた。


「明らかな心臓奇形だ。だけども……調べてもこんな症例は一切出てこない。さらに心臓奇形は大体、心臓の機能を低下させるけど君のは全く問題ない。むしろ向上している節さえある」

「なんで……こんな形に」

「君の過去の治療や検査のデータも見たけども、少なくともその時点では心臓奇形ではなかった。だとすると結論は一つしかない。君はあのファーヴニルと接触した結果――腕が生え、心臓が奇形化した」

「そんなバカな話が……」


 信じられない。一体、何が俺に起こっているんだ。


「申し訳ないけど医者としてはお手上げだよ。でも幻想生物ファンタズマの研究員として……私は君の身体にとても興味を持っている」


 五錠先生がそう言って、その細い指で俺の胸を撫でた。


「うひゃっ!」


 思わずそんな間抜けな声を出してしまう。五錠先生の目には興奮が宿っていて、狂気を感じる。


 こいつ、さては倫理観よりも知的好奇心を優先するタイプの奴だ!?


「君を死んだことにして、その心臓の摘出手術を行おうと思ったけど、残念ながら灯子ちゃんに止められてしまったよ」

「当たり前だよ! 俺の人権どこいった!」


 勝手に死んだ扱いされて、しかも研究目的で心臓を摘出されるなんて最悪すぎる。


「ん? 悪いけど、君に人権なんてないよ。君はあの襲撃事件で死んだ。そういうことになっている。理宮由宇はもう記録上は存在しない。記録上存在しない奴を研究サンプルとして切り刻む行為に、私は良心の呵責を覚えない」


 そう言って、五錠先生は笑ったのだった。


 マッドサイエンティスト。そんな言葉がぴったりと合う。


「ふざけんな! 俺は認めねえぞそんなの!」

「まあ、君が認めようが認めまいが関係ないけどね。君はこれからの身の振り方を考えた方がいいよ。はい、これ」


 五錠先生が忘れていたとばかりに、ポケットから何やら紙切れを取り出して、俺へと渡してきた。


「治療費、検査費、入院費、その他諸々でそんな感じ。端数は私の慈悲でカットしてあるよ」

「……いやいや」


 それは明細書だった。いや、問題はそれではない。

 そこに書かれている金額が問題だった。


「あの……桁間違えてません?」


 思わず敬語でそう聞き返してしまう。何度数えても、そこに億単位の数字が書かれている。


「間違えてないよ。ここ、高いのよ。だって最先端の技術や秘匿技術が山盛りだし。安いぐらいよ」

「いやいやいや。こんなの払えないって」


 多少の貯金はあるが、流石に億なんて無理だ。


「だろうね。ちなみに君の心臓にはおそらく数億の価値がつく。どうだい?」

「どうだい? じゃねえよ。もれなく俺が死ぬだろうが」

「心臓移植すればいい。ああ、でもそれにも億ぐらい掛かるか。堂々巡りだね」


 何がおかしいのか、五錠先生が笑った。


「まったく笑えないぞ。勝手に連れてきて勝手に治療と検査して、金払えなんて横暴がすぎる」

「意識を失った君が悪い。で、どうする? 払えないとなると、もうほんとに君には人権がなくなるよ。私の可愛いモルモットになるか、潔く心臓を捧げるか。どっちがいい?」

「ふざけんな。どっちも嫌に決まっているだろ」

「はあ……本当に? 絶対どっちかの方がいいよ? もう嫌でしょ、


 五錠先生がしつこく聞いてくるので、俺はそれを一蹴する。


「あんたの玩具になる気はさらさらねえよ」

「ちっ……あーあ。私はちゃんと言ったからね」


 そんな言葉と共に五錠先生が立ち上がった。すると、再び病室の扉が開く。

 そこから入ってきたのは――


「だから言っただろ? そいつが大人しく言う事聞くわけないって」


 紫髪の美女――九耀さんだった。


「あんたか」


 俺の言葉に、九耀さんが笑いながら答える。


「随分な物言いだな。助けてやったというのに」


 五錠先生の代わりに、今度は九耀さんがベッド横にある椅子へと座った。こうして間近で見ると、やっぱり驚くほど綺麗な人だ。


 その所作も洗練されていて、嫌でも目を惹く。


「助けてくれたことは感謝するが、流石にこんな闇医者みたいなぼったくり価格を請求されたら、俺だって気分が悪い」

「で、どうするんだ? 払えないとなるとその心臓を売るしかないが」

「嫌に決まってるだろ」

「だよなあ。金は払わない、でも心臓は渡さない。で、もう一度聞くがどうする? お前、もう死んでるから東京に戻ったところで何もできないぞ。当然口座やらなんやらも凍結されているし」

「それは……」


 ああ、考えたくもない。


 俺の今後。


 もはや暗澹とした未来しか残されていないのではないか。


「だから、そんなお前に一つだけ提案がある」

「提案?」


 俺がそう聞くと、九耀さんがニヤリと笑った。まるで、罠に掛かった獲物を見付けたハンターのように。


「お前は知らないかもしれないがな、へカーテ機関には対幻想生物ファンタズマに特化した特殊部隊があってな。名は――〝魔女の猟犬バーゲスト〟」

「……バーゲスト」


 初めて聞く名だった。確かそんな名前の幻想生物ファンタズマがいた気がするが、それとは別物だろう。

 各国にそういう部隊があるという噂は聞いたことあるが、そのほとんどが既存の特殊部隊の流用で、名前だけを変えたものばかりだという。


 だが幻想生物ファンタズマに関して最先端を行くへカーテ機関であれば、そういった部隊を運用していても何ら不思議ではない。


「んで、あたしはそこに所属してて、実戦部隊の練兵および指揮と同時に、スカウトマン的なことをしているわけだ」


 実戦部隊の指揮……そうか、あの時ドラゴンの群れと戦っていたのは、九耀さんの部下だったのか。

 ならば、九耀さんの強さも納得がいく。


 彼女の身体能力は、間違いなく人間から逸脱していた。


「理宮由宇――もしお前がバーゲストに入隊できれば この請求書は私の権限でただの紙切れにしてやる」

「待ってくれ。俺はただの作家で、あんな風に幻想生物ファンタズマと戦うなんて無理だ。入隊なんてできるわけがない」

「今は、な。だからとりあえず、


 意味が分からない。試すって何をだ。


「じゃ、もうお前も起きたことだし、早速やるか」

「えっと、何を?」

「バーゲストの入隊試験だよ――

「えっと……つまり?」


 俺はもの凄く嫌な予感がしながら、そう九耀さんへと問うた。


「麻衣、第三試験場を用意してくれ」


 九耀さんが俺を無視して五錠先生へと指示を出す。その後、ようやく俺を見て、あの肉食獣のような笑みを浮かべたのだった。


「ん? ああ、つまりだ。あたしに勝てれば、入隊。負けたらその死体から心臓を摘出する。分かりやすいだろ? じゃ、行こうぜ」

「いや、心の準備が!」

「おら、行くぞ」


 こうして俺は――九耀さんによって、無理矢理病室から連れ出されたのであった。


 俺の去り際に言った五錠先生の台詞が耳から離れない。


「だから言ったのに。また痛い目に遭うよって」


 それは本当に――その通りだった。

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