第2話:ヒーロー見参

 ファーヴニル。

 あるいはファフニール、もしくはファフナーと呼ぶ方が日本人には通りがいいかもしれない。


 それは北欧神話やゲルマン神話に登場する竜で、竜殺しの英雄譚の敵役として有名である。


 四年前に発足された幻想生物ファンタズマの調査および討伐を目的とした国際組織――〝へカーテ機関〟。

 そこが脅威度をもとに定めた幻想生物ファンタズマのランク付けにおいて、ドラゴンやワイバーンを含む竜種は最上位である〝ランクS〟にカテゴライズされている。


 そんな竜種の中でもネームドは何体か存在が確認されているが、おそらく欧州……特に北欧やドイツにおいて最も知名度が高い――つまりであると言われているのが、このファーヴニルである。


 しかし俺が知る限りファーヴニルは赤と金の鱗を持つ巨竜であり、ドイツの銀行の地下金庫を根城として、滅多に外に姿を現さないと聞いた。


 実際、ネームドに関する情報はネット上で厳しく規制されており、その真偽のほどまでは分からない。


 だがどう間違っても――ファーヴニルが日本語を喋る少女であるはずがない。


「なんだ? まるで幻でも見たかのような顔をしているぞ。かはは、われはお前らが呼称する幻想生物ファンタズマであるからして、幻を見ているという表現はある種合っているかもしれんな」


 なんて言いやがるこのガキが、ファーヴニル? 


 ありえない――そう思う自分がいると同時に、こんな威圧感と存在感を放つ奴が、ただの人間であるはずがないという妙な確信もあった。


「ファーヴニルだかなんだか知らんが、俺はさっさと避難したいんだ。お前と遊んでる暇はない」


 俺がそう言い切ると――少女が笑った。


 それはそれは、おかしそうに。


「ふふふ……随分と冷たいな、<>よ。せっかくこうしてファンが来日したのだ。サインの一つでも書いてほしいものだ」

「……誰だそれ。人違いだよ」

「だとしても、我にとってはそれは些事でしかない。重要なのは、今こうして我と対峙しているのがお前だということだよ」


 少女が笑みを浮かべたまま、一歩前へと進む。

 それだけで、全身から汗が噴き出す。全細胞が、逃げろと訴えている。

 なのに、一歩も脚が動いてくれない。


 ヤバい。絶対にこいつはヤバい。


 なぜ俺のペンネームを知っている。どうやってここを知った? <山下>が裏切った? いやあいつだって俺の住所までは知らないはずだ。


「やれやれ、なぜそう怖がる? 竜の姿だと迷惑だと思って、わざわざお前が好きそうな〝人外のじゃロリ〟の姿になったというのに。お前、正ヒロインはわりと王道にするかわりに、サブヒロインに性癖を込めるタイプの作家だろ?」

「……だったら語尾に〝~じゃ〟って付けやがれ、ニワカが」


 俺は精一杯強がりながら、そう言って中指を立てた。


 こいつ……マジで俺の作品を読んでやがる。しかも複数作品。


「おお! そうじゃったそうじゃった! すっかり忘れておったわ。どうじゃ? なかなかに再現度が高いじゃろ? ん?」


 急に取って付けたように口調を変えやがって。そういうのはフィクションだから良いのであって、現実でやられても痛いだけの女なんだよ。


「というわけでじゃ。我はお前の創作力、もとい空想力を見込んでこうしてやってきたわけじゃ」

「は? 何の話だよ」


 俺がそう聞くと少女がさらに一歩近付いた。もう、手の届く距離だ。


 それでも俺は動けない。


「お前、じゃろ? 憎んでいるとさえ言っていい。お前の書く小説はあまり捻くれている。拗らせている。だからこそ――面白い」


 やめろ。その話はするな。


 本人の前で作品を分析するな――それは作家にとって致命傷になり得るのだから。


 だが少女は気にせず、言葉を続けた。


「暗い作風のくせに無理して明るくしようとしているのも、お前の持つ仄暗い願望の裏返しじゃろうなあ。英雄が堕ち、凡人が勝つ。そんな話ばかりじゃ。そんなに王道が嫌いか? ビターエンドやバッドエンドで終わらせれば、名作だと勘違いしている三流作家が書きそうなものばかりじゃ。まあその上で面白いのだから、流石と言うべきじゃが」

「黙れ……やめろ」

――」


 少女が手を俺へと伸ばした。とてもゆっくりに見えるそれは、いわゆる貫手と呼ばれる形で、優しく俺の右肩の先を撫でた。


「だからこそ……お前は相応しい」


 そんな囁きが俺の耳元で聞こえたと同時に――


「あ? ああああああああああ!!!!」


 右肩から灼熱の痛み。喪失感。口から出る叫び。


 横目で見ると、右肩から先が消失している。なぜか血は出ておらず、傷口はまるで火で炙ったかのように爛れている。痛みが一秒ごとに俺の脳をハンマーで叩いたかのように響いた、


 なんで。

 どうして。


 痛みに耐えられず、膝から崩れてしまった俺の視界の隅で、少女が何か棒状のものを右手に持っていた。


 嘘だ。ありえない。


 あれは……まさか。


「ふむ、随分と細いのう。ちゃんとご飯食べておるか? 我は心配じゃぞ」


 少女がそう言って、ぷらぷらと右手で揺らしているそれは――つい先ほどまで右肩の先にあるはずだった、


 なぜか……左手だけでも執筆は続けられるのだろうか――なんていう現実逃避的な思考をしてしまう。


「何、礼ならいらぬぞ」


 少女が俺の右腕をあっさりと床へと捨てると、今度は俺の左肩へと手を伸ばす。


 ここで俺はやっと確信した。否、分からされたと言ってもいい。

 間違いない。こいつは……ファーヴニルだ。


 こんなことを平気でできるやつが、人間であるはずがない。


 くそ! ちょっとだけ本当にファンだったらどうしようって思ってた俺を殴りたい!


 ああ……そうだった。

 

 ファーヴニルは原典においては――竜に変身できるドワーフあるいは人間なのだ。であれば竜としてこの世界に現界した彼女が、人間に変身できても不思議ではない。


「次は左腕じゃ」


 そんな死刑宣告を受けて、俺は心の中で叫ぶ。


 逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!


 だけども、俺の身体は情けなく恐怖で震えるだけで終わった。


 激痛が襲い、今度は左腕までもが消失。もはや身体を支えていられずに、床へと前のめりに倒れそうになる。


「おっと」


 しかしファーヴニルが右手で俺の首を掴み、倒れるのを防いだ。

 それが親切心であるわけがない。


 あまりの痛みで視界が赤く滲む。ああ、俺は多分死ぬ。


 なんだよ……俺が何をしたってんだよ。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ。


 なんで誰も助けてくれないんだよ!


「泣くほど嬉しいか。さて、じゃあいよいよ……心臓じゃな」


 ファーヴニルの声が遠くに聞こえる。

 分かっている。


 現実に――

 幻想生物ファンタズマなんてものが出現してなお、英雄は不在なのだ。


 現実は理不尽に犯され、破壊され、人々が死んでいく。


 それがリアル。

 それが現実。


 空想の逆流現象? ふざけろ。


 幻想生物ファンタズマなんかよりも先に、出てくるべき奴等がいるだろうが!


「だ……か……ら……」


 俺は力を振り絞って声を出す。これだけはこいつに言わないといけない。既に視界はぼやけて、赤色から灰色へと変わっている。


 モノトーンの世界でファーヴニルが首を傾げた。


「うん?」

「だから……俺は嫌いなんだ……英雄が。俺のくそったれな人生を救ってくれるような英雄は……これまでいなかったし、これからも……いない」

「そうだな。その通りじゃ。この世界には英雄なぞおらぬ。我もそれには同意する。だから――」


 その言葉の続きを口にせず、ファーヴニルが笑った。

 それは決して嘲笑でない、優しい、何かを期待しているかのような笑み。

 これまでに、俺に向けられたことのない――そういう類いの笑顔だ。


「お前は当然知っているじゃろ? 英雄となる為に必要なものが。その条件が」

「英雄に……なる……条件……?」

「そうじゃ。我はファーヴニル。なればこそ、成立する」

「それは……どういう……意味な――」


 俺の問いに答える代わりに、ファーヴニルが左手を俺の胸へと伸ばした。


 ああ、これで終わりか。


 なかなかに劇的な死に方じゃないか。ネームドに手ずから殺されるなんて。闇作家に相応しい末路かもしれない。


「――さようならだ、大先生」


 ファーヴニルの別れの言葉。


 彼女の左手が俺の胸に触れようとし、それを見て死を受け入れようとしたその瞬間。


 鮮やかな色彩が俺の灰色の世界を染め上げた。


 それは赤――目の前でファーヴニルの左腕が斬り飛ばされ、舞い散った鮮血。

 それは紫――咄嗟にバックステップしたファーヴニルの前で揺れる、黒曜石のような煌めきを持つ紫髪。


「あとちょっとだというのに.……邪魔しおって」


 それは銀――紫髪の主の右手に握られている、血まみれの両刃剣。柄の周囲には、どういう理屈か分からないが刃のような金属片がいくつも浮かんでいる。


「おっと」


 支えがなくなり倒れそうになった俺を、今度はその紫髪の主が支えてくれた。

 そこでようやく、その人が背の高い女性だと気付く。


 黒のボディスーツに深い赤色のアーマーが各部についた衣装を纏っていて、顔は見えないがそのスタイルの良さと雰囲気だけで美人だと分かる。


 そんな美女を見て、俺は口を開いた。


「今……度は……誰だ……よ」


 俺のその問いに、その美女が俺の顔を覗きながら答える。


 その顔はやはり驚くほどに整っていて、でもそこに浮かんでいるのは無邪気な子供のような笑みだった。


「……待たせたな。


 この出会いが……俺の人生を大きく変えることになる。

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