史上最大の「ネズミ」

(地震……? こんな時に!)

「バカッ! 壁から離れるんだ、崩れるぞ!!」


 前触れ無く襲ってきた地鳴りにフランは身をすくめていた。

 それを見たカリウスは、彼女がだらんと下げていた手綱をむんずと掴むと力強く引き寄せる。瞬間、先ほどまで彼女がいた場所にレンガの壁が倒れ込んできた。


<スガガガッ!!!>


「呆けている場合か!!」

「ご、ごめんなさい」


 手綱を握ったままにしていると、マリオンが鼻でカリウスの手を強かに打った。

 それに「主人に手を出すな」と主張しているように感じたカリウスは、手綱を手放し、居心地悪そうに「すまん」と謝罪の言葉を吐いた。

 

「なかなか収まらないな……狙われる危険があるが、もっと広い場所へ行こう」

「はいっ!」


 地鳴りとは大抵の場合、始まりから中ほどにかけて大きく揺れ、そこから次第に収まってゆくものだ。しかし、今彼女たちを襲っているは違った。


 地の底から突き上がってくるのは、心臓の拍動と似た一定のリズム。

 それは彼女に命ありし影の存在を思わせた。


 魔力の風を感じ取るフランの目には、普段と違う光景が広がっている。

 たゆたう浮草のように無数に浮かぶ魔力の筋。

 それが一方向に向かって流れ、時にぶわっと膨らむ。

 地鳴りはこれと呼応していた。


(何なの、これは……?)


「どうしたフラン、さっきからボサッとして、そんなんじゃ殺られるぞ」

「違うんですカリウスさん……魔力の風が見えませんか?」


「……よく読めないが、脈打ってる?」

「はい」


 フランは目を閉じ、長いまつげを伏せると、魔力の風の筋、その流れを追う。

 一歩一本の魔力のすじはよりあつまって糸となり、束となり、地面を埋め尽くす織物へと変わる。そうして魔力が織りなした玉虫色の絨毯は、王都を見下ろす丘の上、王城の下に敷かれていた。


「やっぱり……そうだったんだ!」

「何がどういうことだ? お前一人でわかってもなんにもならんぞ」


 地面がいまだに鼓動する中で、フランは焦っていた。

 思考が言葉にならずぱくぱくと口だけが開く。

「落ち着け、ひとつづつでいい」

 というカリウスの言葉の支えで、ようやく彼女は意味ある音が吐けた。


「えっと……とんでもない量の魔力の流れが、全部あの丘の上、王城に向かってるんです! その流れが脈打つたびに、地面が揺れてるんです」

「……大臣が始めた召喚術式はまだ終わってないってことか」

「はい、一体あの下で何が――あッ!」


 フランの叫びを聞いて、カリウスも丘を見上げた。

 歴史ある王城が崩れ落ちる。その姿に二人は息を呑む。


 いや、正確にはそこから現れたものに圧倒されたのだ。


 青い空をカンバスに、そのシルエットで優雅な曲線を描いていた王城。

 だがその曲線はぐにゃりと不出来に歪められ、破断する。


 砂埃を巻き上げ、そこから生まれ出でたのは滑らかな丘、ふんわりと膨らんだ雲、周囲に存在する、ありとあらゆる自然の曲線に逆らう、「直線の箱」だった。


 箱は遠く離れたフランにまで聞こえるほどの咆哮を上げる。

 しかし、実際に「この存在」が吠えているわけではない。

 ただただ、金属が捻じれ、廃城の石材とこすれる音にすぎない。


 異常なまでに四角い体躯の上に乗った、台形の頭。

 頭からはかたつむりの触覚を思わせる棒が2本突き出ていた。


 何よりも圧倒されるのはその巨大さだ。

 ミート&ミートで戦った怪物、そして訓練場に攻撃を仕掛けた怪物はそこいらの家よりも大きかった。しかし目の前の存在は、王城の一区画よりも大きい。


「なにあれ……」

「あ、あれも怪物なのか? 城門より背が高いぞ」


 王都の人々にいたすべての人々に唸り声を聞かせた存在。

 この存在の名は「ラーテ」という。


 その言葉の意味は、この怪物の故郷で「ドブネズミ」を意味する。

 正式名称は開発者の名を頭文字に取って「Landkreuzer - P1000」。


 この怪物はその「陸上巡洋艦」の名にふさわしく、装甲は最低が18センチ、最大が35センチを装備。

 主砲は巡洋艦の主砲を転用したもので、280mm54.5口径の重砲で、現代でもこれほどの大きさの主砲を装備した戦車は例がない。


 陸上兵器としては何もかもが規格外。まさに丘を走る軍艦だった。

 ただし――実現していればの話だが。


 そう、このラーテは計画だけで終わった存在だ。


 なぜか? 理由は単純だ。あまりにも重すぎるのだ。


 このラーテの全備総重量は1000トンを超える。

 現代でさえ、運用している戦車の重量がおおよそ50トンであることを考えると、ラーテの重量はあまりにも無謀、夢物語であることは明白だ。


 そう、ラーテは勝利を夢みたエンジニアの妄想、物語のはずだった。

 だがこの怪物は「この世界」では動けるのだ。


 私達の世界の物理法則とは異なる「魔力」の絨毯にのってラーテはゆっくりと歩みだした。そして、ついぞ実戦では火を吹くことがなかった主砲を、水平線の下に向けてぐっと傾ける。


 決して生まれることを許されなかった怪物。

 この世界を見た瞬間、彼は何を想ったのだろう。


 しばらくラーテはじっとしていた。

 彼の視界には色とりどりに光る、うごめく何かが映る。


 『『喰らいつけ、すすれ、飲みくだせ』』


 彼には考えるための頭がない。言葉を聞くための耳がない。振るための手がない。そんな彼にしわがれた声で誰かが囁いた。


 もたげられていたラーテの主砲、その先端が光る。

 兵器である彼には、それしか出来なかった。

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